第9話 愛しさを堪能したと思ったら…過去の悪夢?
スヤスヤと穏やかな寝息が聞こえて来て、愛ちゃんが眠りについた事を悟る。
「あー…かわいい…」
愛ちゃんは足の指一つとっても髪の毛一本とっても、もう全てがかわいい。
「……」
その穏やかな寝顔を堪能しながら、髪を撫でる。
つるつるとした、綺麗な髪。
「これも、俺の」
手をずらし、頬に触れる。
もっちりと弾力のある俺の手に吸い付く肌。
「これも、俺の」
そうして俺のものになった愛ちゃんを堪能する。
夢のような、一時…
そう、本当に夢なんじゃないかとすら思う。
今、こうして俺の手にしっかりと愛ちゃんを感じているのに…
目が覚めたら…
「……」
恐くなって、ついていた肘を倒して愛ちゃんを抱き締める。
(…ほら、こうするとやっぱり枕は必要ない。)
いなくならないように…
夢じゃないように…
サイドテーブルの電気を消す。
そしてまた抱き締めて、俺も目を閉じる。
夜はやっぱり恐い。
電気を消すと真っ暗な空間は、どうしても閉じ込められた蔵を思い出す。
真っ暗で埃っぽく、じっとりとした…冷たい、蔵。
「大丈夫。…ここは温かい」
自分に言い聞かせて、愛ちゃんを更に抱き締める。
その温もりに安心する。
(もう、一生一人で眠れないかもしれない…)
愛ちゃんと出会う前、一緒に住む前は出来ていた事が、一つづつ出来なくなっていく。
そこに得体のしれない恐怖を感じながら…
幸せを実感する。
刹那的な一時を堪能し、俺は深い眠りに落ちた。
✽✽✽
朝になり、俺は会社に行く準備をする。今日は知り合いの経営者が主催するパーティーに出席する。
「今日は遅くなるから、先に寝てて」
玄関で座って、靴を履く。
「貴ちゃんも大学まで気をつけて行くんだよ」
「うん!分かった!」
「ラグビー頑張ってね」
「もちろん!」
かわいい弟の元気な声を聞いて安堵する。
「結仁さん、忘れ物ないですか?」
愛ちゃんは俺と二人のとき以外は、敬語になる。
「うん、ないよ。ありがとう」
「…ぁ、行ってらっしゃい」
何か言いたげな、物悲しい顔をする奥さんを見て、心がザワザワする。
(…俺、何かしたっけ?)
「…行ってきます」
俺はこれから仕事。気持ちをビジネスモードに変え、少しの違和感に蓋をして、家を後にする。
✽✽✽
「お疲れ様でした。それでは、また」
パーティも終わり、いつもは歩いて帰る道のりをタクシーで帰路に着く。
時刻は深夜前。もう愛ちゃんは眠っているだろう。
(早く帰って、そっと愛ちゃんの部屋に行って寝よう)
考えて顔がニヤける。まだまだ楽しみが待っている。
「……」
タクシーの後部座席から、移りゆく外の景色に視線を向ける。
(真っ暗…)
強い街灯の無い、住宅街だ。
…真っ暗
真っ暗……
〝開けて…!開けて下さい…!〟
〝もうしません…!すみませんでした…!〟
「――っ!」
今のは…
〝うぅ…ぐすっ…うっ…〟
〝恐いよ…〟
ここは……違う、蔵の中だ…!なんで…いつの間に!?
手が震え始め、すぐに全身が震え出す。身体中に冷や汗が流れ出る。
〝助けて…〟
俺の父親は助けに来ない…!もちろん母親だって…!
俺は一人なんだから!
どうしよう…!
今度は何日閉じ込められる…!?この真っ暗な…
恐い、恐い、恐い…
誰か!
いや、助けてくれる人なんて………!
「結ちゃん!」
「―――っっ!!」
声が聞こえ、一気に意識が覚醒した。
(ああ、また蔵の中で意識を飛ばしてたのか…)
きっとお兄さんが助けてくれたんだろう。情けない。強くならないと。
(後で…目を盗んでお礼に行かないとな…)
「結ちゃん…!」
――ギュッ…
「――…あ、あれ…?」
抱き締められて、我に返った。見慣れた景色。
生家じゃない。
――三井の家の玄関…
「…愛ちゃん?」
下を向くと愛妻の愛ちゃんが俺を抱き締めていた。
「もう夜中だよ?寝てて良かったのに…」
というか、俺さっきまでタクシーに乗って無かったか?
記憶が…。飲みすぎたかな?
「……」
愛ちゃんは俺に抱きついたまま微動だにしない。
「…誘ってる?」
絶対違うだろうけど、敢えて聞いてみる。
「――戻った…」
ようやく顔を上げて声を発した。
「何かあった?」
朝と同じ、物悲しい顔を俺に向けている奥さんに問う。
(やっぱり嫁姑問題?)
「…結ちゃんが…遠くて…」
「遠い?めちゃくちゃ近いよ?」
抱きついてるくらいだし。…俺も抱き締め返していいかな?
「呼んでも、返事なくて…」
「あ、ごめん。気づかなかった…」
…いつの間に玄関まで帰ってたのか。
「飲みすぎたかも。記憶が曖昧だ…」
タクシーに乗ったところまでは覚えてるんだけど…。
「寝ないで待っててくれたの?優しいな、俺の奥さんは」
なぜか落ち込んでいる愛ちゃんを励ますように戯けて頬に触れる。
「結ちゃん…大丈夫?」
このままお帰りなさいのキスに持っていこうとしたら、心配された。
「何が?」
「私、何度も呼んだよ!?揺すって…!」
「え、あ。そうなんだ。ごめん…」
必死な様子の愛ちゃんにたじろぐ。俺は全く記憶にない。
「…結ちゃん〝すみませんでした、許して…〟って…」
「え…?」
「〝開けて…〟って…」
〝開けて〟…?なんの事だ。玄関?
「…俺、鍵忘れてた?」
あんなに忘れ物チェックしたのに。
「結ちゃん自分で入って来たんだよ」
「良かった。忘れ物じゃないね」
鍵を開けて自分で入って来たとなると、タクシーもちゃんと精算したんだろう。…覚えて無いけど。
「私…リビングでウトウトしてて…鍵が開いた音がして慌てて来たんだけど…」
「ありがとう。優しいね。」
「…結ちゃんがもう覚えて無いなら…いい」
「うん…ごめん。飲みすぎたんだと思う」
今日は皆飲む人ばかりだったから、俺も合わせて結構飲んだ。シャンパンとワイン…この組み合わせは今後控えよう。
「寝よう、もう夜中だし。…俺も今日は自分の部屋で寝るよ」
なんか愛ちゃんに迷惑かけたみたいだし。更に俺のわがままを通す訳には…いかないよな。