ありふれた恋 ~不器用すぎるだろ~ 01
笠井が、好きだった。
私、折原沙織は、笠井尚人が好きだった。
入社した時から好きだったと、次の新人が入社してくると言う2年前の4月、気づいてしまった。
4年前の春、第一希望の総合商社に入ることが出来た私は、張り切っていた。結構精鋭が集まっていると感じた入社式。その後の新人研修のグループ決めの時、はじめて笠井に会った。一緒の班になって、彼が班のリーダーに指名されたから関わる機会が多く、私だけでなくその班の同期は、彼の人間力の高さに魅了された。ワークショップの時に一緒のチームを組んで発表をして、これから会社内のネットワークを作っていくうえで、欠かせない存在になると頼もしく思っていた。そして、
「折原ってすごいな。一緒にやっていて楽しかったよ」
笠井に褒められたことが、仕事仲間として、素直にうれしかった。
研修の後、それぞれ部署が違い、仕事中は話す機会があまりないので、せっかく同期として仲良くなったのだからと、笠井が中心に、定期的に飲み会を企画してくれていた。私も、同期の集まりは、楽しかったから良く出席していた。同期の仲間と仕事の悩みや愚痴を話して、明日からのエネルギーを補充していたように思う。
一年が過ぎた頃、笠井と、同期の深山が噂にのぼった。何度目かの同期の飲み会で、確かに、笠井の隣では深山が楽し気に笑っている。今まで考えてもいなかったことに、急に気づいて一人でドギマギして、そしてひとり、苦笑いした。仲間としてでなく、恋心だったと1年後に気付くとは。
―どれだけ鈍感なのか!私は―
―気づいた時には、失恋だ(笑)―
-でも、これで良かったのかも-
と、納得している私がいた。
どうも、私と言う人間は恋愛が上手くない。あんなに趣味の本の話をすることが楽しかった先輩でも、気の合うサークルの同級生でも、自分が好きだと意識すると、まともに話ができなくなって、恋人になるどころか友人関係さえ無くすことになってしまう。分かっているからこそ、大切な友人を無くさないようにと肝に銘じて、社会人になった。会社での人脈は大事だ。目標をもって、この会社に入って来た。その目標をかなえるためにも、仕事を一生やっていきたいと決めていたのだ。
だから、かえってこのほうが、笠井との関係をシンプルな物と、とらえることが出来そうだと、一人で納得していたつもりだったのに、それほど簡単なことではなかったようだ。結局、深山と一緒にいる笠井を見たくないと、あんなに楽しみにしていた同期の集まりに出席する回数が減っていった。
それから3年。けっこう仕事を頑張って実績を残して、マーケティング部に転属が決まった。商品の販売戦略を立て、宣伝を行ったり販売ルートを確保する。あるいは、一歩進めて市場のニーズをつかみ、メーカーに対して新商品や改良を提案する。そして、私が所属するのは、自社が事業主となり、メーカーに製造を委託して自社ブランドで販売すると言う企画開発課だった。やりがいのあるポジションに着けたと、張り切っていた4月、適度に距離を保ってきた笠井と同じ課に異動になって、膨らんでいた風船がすーっと音もなくしぼんでいた。それが顔に出てしまったようだ。
「折原、なんだよ、俺と同じ課になってうれしくないのか?」
と、少し本気で怒っている。
「おまえさあ、同期の集まりにも来なくなったじゃないか。最近、結婚するやつも出てきて都合がつかないと人数減って来たんだから、自由の利くお前は、これからは来いよ!」
「自由の利くお前? 自由が利くか利かないか、笠井になんでわかるのよ!」
「判るに決まっている。おまえ、仕事の鬼だって社内で評判だぜ。結婚するなんて噂ないだろうよ。」
「セクハラよ! 仕事の鬼って、ひどすぎる!」
少し怒った風ににらんで言ってみたけど、自然に言えてるかな。
「まあ、仕事も良いけど、新人の頃みたいに、話しようぜ。そして、目標だったこの課に配属になったんだから、お互い頑張ろう。」
そう言って、にっこりと右手を出してきた。
「うん、よろしく。」
私は、ぎこちなく握手をした。
この課に配属になったことはうれしい。笠井が言ってたように、ここで仕事をすることが目標だった。でも、笠井が近くに来てしまった。あまりにも、近い。同じ課で仕事をすることになれば、どこかで自分の気持ちを抑えることが出来なくなるんじゃないかと、思わずため息がでてしまった。
「なんだよ、今のため息は?」
私が、冗談でため息をついたと、笠井は思ったみたいだ。
「今夜、同期の集まりがあるんだから、今日こそは折原を連れて行く。はぐらかしても、だめだからな! 覚悟しておけ!」
口で言うよりは気にしてる風でもなく、笠井は、笑って自分のデスクへ歩いて行った。
久しぶりの集まりは、確かに人数が少なくなっていた。女子の同期が30人いたのが半分に減っている。大半が寿退社だと言う話だ。残っている女子は、競争原理の中、頑張っている強者だと言う話が出て、女子からは、
「ちょっと、それ、セクハラ―!」
と、一斉に言われていた。でも、ほんと、強者って感じかもね。私も入っているんだろうけど。今日だって出席出来なかった女子は残業らしい。頑張っている同期の女子の話にほっとする。
すると、そこで、転勤で地方の支社へ行っていて、3年ぶりに帰ってきたやつが、無遠慮に聞いた。
「おい、笠井、深山はどうしたんだ?」
と、たずねると、皆が、一斉に笠井を見てる。
「なんか、用事あったんじゃないの。」
「何言ってるんだよ。おまえたち付き合ってるんだろ。」
「はあ、 あんまり言いたくないけど、」
と、渋々話し出した。
3年前、深山と噂になっていたころ、深山は社内の先輩から言い寄られて困っていたから、カモフラージュに笠井は利用されていたらしい。ストーカー気味のその先輩から守るため、自宅まで送ったりもしていて、1年後、恋人ができて、やっと、お役御免になったんだそうな。初めて聞く話に、驚いたり、納得したり。深山とは、自宅も近く、いとこ同士なのだと言うことが判明した
。
「えー、じゃあ、私、笠井君の恋人に立候補!」
「えー、私も!」
本気なのか、冗談なのか、そこにいたメンバーが、あまりに手を上げる女子の多さに爆笑した。私も、うれしいような困ったような。複雑な気持ちのまま、照れている笠井を部屋の隅から見ていた。その後、同期の遠慮のない会話は、久しぶりに参加した私にとっても、懐かしく、楽しいもので、あっという間に時間は過ぎ、お開きとなった。お店を出たところでは2次会に行こうと言う話が出ている。会計をするためにまだ店の中にいる笠井を皆待ちながら、次の店の相談を始めている。私は、みんなの近況も聞くことが出来たので、この辺で帰ると、近くにいた友人に伝え、駅へと向かった。
「待てよ-!」
笠井が、走ってきた。
「笠井、みんな二次会行くって、良いの」
「良いよ、せっかく折原と二人っきりになれるチャンスなんだからな。」
と、にやにやしている。
「ただ、早く帰りたかったんでしょ」
「バレたか。今日は結構飲んじまったからな、この辺で止めといたほうが良いなって、いい子だろ。俺って」
「何?それ、頭、撫でてあげようか?子供みたい。」
冗談を返す私の言葉に、けらけらと笑って、歩き出した。話が途切れると、何を話したら良いかと戸惑う私をよそに、私が知らない同期の現在の様子を面白おかしく話していた笠井は、最寄り駅の西口が見えてきたところで、
「今週は、配属になって、歓迎会、同期会と浮かれてたけど、来週からは頑張ろうな」
と、にっこり笑って、
「じゃあ、おれ、電車に乗り遅れるから、先に行くな」
と、走って行ってしまった。呆気にとられた私は、黙って走っていく笠井の背中に手を振った。
「まったく、調子いいんだから。」
苦笑いしながら、彼の乗るホームへとゆっくりと向かった。そう、彼は私がどこに住んでいるかさえ知らないのだ。私は、笠井の利用する駅の二つ先の駅の近くに住んでいるのに。
-まあ、気づいてくれないほうが、良いんだけどね。-
仕事は、楽しかった。プライベートは何も変わらない日々だけど、仕事は、面白い。
この課の中では、新人も同然だ。先輩のアシスタントとして、忙しい日々を送ることになったから、自分が不安に思っていたほど、笠井との接点は少なく、気まずくなるようなこともなく、無事に過ごしていた。
1年たって、晴れて独り立ちとなり、それぞれ単独で仕事を任されるようになって、連日残業が続いた。当然、笠井も残業になり、お互い終電に駆け込むようになって、私が笠井と同じ路線だと言うことに気付かれてしまった。
「水臭いなあ、折原は。」
と、苦笑いして、一つ隣の車両から歩いて近づいてきた。
「なんで、同じ路線だと言ってくれなかったんだよ。」
「えっ、私も気づかなかっただけだよ。」
-本当は、最初から知ってたけどね。-
「どこで降りるんだ。」
「光陽台」
「じゃあ、おれの二つ先か。」
「そう? 近くだったのね。」
少し、そっけない感じで言ってみる。
本当は、入社一年目、同じ路線だと気づいた時、いたずら心で、どこの駅なんだろうとついて行ったことがあった。「ああ、曙なんだ」と納得して、ただの好奇心だと片付けていたけど、笠井だったから、そんなストーカーじみたことしたんだと、1年後に自分の気持ちに気付いて、自分自身の行動に合点がいった。そして、それからは、意識して、 肝に銘じて、 笠井とのプライベートな接点を少なくするように過ごしてきた。
「今まで、よく気づかなかったよなあ。」
笠井は、純粋に、そして子供みたいに、驚いている。
「よし、これからは一緒に帰ろうぜ。仕事の話も出来るしな」
「やめてよ。退社後まで、仕事の話なんかしたくないよ。それに、本も読みたいし。」
「冷たいよなあ。折原は。そんな調子じゃ、彼氏もできないぜ」
「あっ、また、セクハラ発言! 笠井こそ、彼女いないの?」
「いないなあ、深山のことがあって、結構、誤解されているからな。深山が結婚でもしない限り、このままかな。」
「そんなこと言わずに、彼女作る努力すれば。できないのは、努力してない証拠だよ。」
「折原、いやに、こだわるね。同じこと、お前に返すよ」
私の顔を見て、ニヤニヤしている。そして、
「じゃ、折原が俺の彼女になってくれよ」
唐突に、そんなこと言われて、冗談だと判っていても、心が苦しくなる。本来、同期の気楽さで、会話が弾むこと自体は楽しいはずなのだが、相手が悪すぎる。世間話でさえも、しないで済むように、意識して通勤してきたのに。
そう、朝は、かなり早い時間帯を選んで出社していた。帰宅時は、バカみたいに、会社から駅まで気にして、笠井の姿が無いことを確認していた。そして、ホームへの階段から一番遠い車両に乗ることにしていた。階段に近い車両は、発車間際に乗ってくるかもしれないことまで考えてだ。バカとしか言いようがないことは、重々承知で。
顔が引きつっているんじゃないかと、ひやひやしながら、返事をした。
「うれしいけど、あまりにも、光栄すぎて辞退させていただきます」
車内アナウンスが流れ、曙に停車。ほっと、胸をなでおろして、笠井の目を見ずに手だけ振った。笠井がどんな顔をしていたのか判らないが、黙って電車を降りていった。
4年もの間、何をそんなに意識してきたんだろう。他人が聞いたら、一笑に付されてしまうようなことだ。 私こそ、子供じみている。私は、笠井が好きだ。好きだと気づいてからこの4年、ずっとその気持ちは変わらなかった。告白もせず、近づくこともせず、ただただ、好きだと言う気持ちを捨てることもできず、胸の奥にしまって来た。
いつか、笠井が結婚して子供でも生まれて、良い夫、良い父親になってしまえば、諦めもつくし、本当の友人になれるのじゃないかと、バカな私は夢見ている。
そして、自分と彼がどうにかなると言う可能性は、全く考えていない。だって、その前に最悪な関係になってしまうだろう。その恐怖感が勝っている。好きであれば好きであるほど、相手のベストフレンドになることだけが希望の光と、他人から見れば、うすら寒い努力しているのだ。
自宅が、同じ路線と判ってからは、笠井と同じ車両に乗ることが増えたような気がする。出社が早いと気づくと、自分も出勤時間前に勉強したいと早い時間帯に乗ってくるようになった。退社時間も、残業のない日は、私と合わせているような気がしていた。
同期の気安さで、当たり前のように隣に立って話してくる。運よく座れて本を読んでいる時は、さすがに話しかけては来ないが、私の前に立って、ここにいるよ的な感じで、肩をちょんちょんして、罪のない顔で笑ってる。
これまでの私の努力は何だったのか。勝手だと判っているが、辛すぎる。私は、少し遠回りになるけど、通勤の路線を変えた。東京の鉄道網はすごい。普通は最短ルートを使うだろうが、ルートを変えて、笠井と一緒にならないようにした。
最後まで、お読みいただきまして ありがとうございました。
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第38回 ありふれた恋 ~不器用すぎるだろ~ と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
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