幼馴染が聖人になった少年の話。
ふと、書きたくなった。
成人式。
この世界の住民は、15歳になると必ず受けることになっている神聖な儀式。
大人の仲間入りを祝うと同時、女神イヴン様からその人の才能を伸ばす祝福を貰える。
例外もあるが、基本的にその者のそれまでの生活に応じた祝福がもらえる傾向にあるらしい。大抵の人がその祝福に従い、一生を過ごすそうだ。
「…ぅ。」
「なんだラナ。緊張してるのか?」
「ハル…だって、うぅ…。」
綺麗な栗色の瞳。腰まである茶色の長髪。
俺は、彼女――ラナと、このナムザ村の小さな教会で成人式を迎えることになった。
歳の近い子は俺たち以外にいなかった。自然と一緒に遊んで、自然と共にいる仲になっていた。
お互いの家で食事をしたりと、家族ぐるみで付き合っていた。親連中が将来の俺たちの家庭を勝手に妄想して決定事項にした時なんて、揃って顔を真っ赤にしたものだった。
湖に飛び込んでびしょぬれになった俺を心配してくれたり、一緒に森に入って2人そろって迷子になったり。…あの時は一緒に泣いてたけど、ラナが泣きながら道を探してくれたっけ。
「言ったろ? ラナがどんな祝福を貰ったとしても、俺がラナを守ってやるからな。」
「…んぅ。」
俺たちの成人式の為に、村の皆も仕事を休んで集まっている。
その視線に萎縮している所もあるんだろう。不安そうにしていたラナを励ます。
別にこれは口先だけで彼女を慰めているわけではない。ずっと心中で思い続けていたことだった。
少し前に、群れからはぐれたグレスハウンドという狼が村を襲ってきたことがあった。
大の大人2、3人がいれば撃退出来る魔物であったため、そこまで大事になることはなかったけれど。
危機感を抱いた俺は、その日からその狼の姿を思い浮かべ、戦う練習をしていた。
さすがにこの程度の練習で加護には影響が出るわけではないだろうが。
それでも、何があってもラナを守りたいという気持ちは本物だ。
女神様が俺のその気持ちを汲み取ってくれることを期待するしかない…か。
「儀式を始めます。」
ナムザ村の教会に勤めているロウ神父。皺が少々気になりだす初老の顔をしている。
小さい村ということでしょっちゅう顔を合わせる。俺たちもいつも世話になっているお方だ。
いつも微笑みを絶やさないロウ神父の真顔に、少々怖気づいてしまう。
「では…えっと、どちらから始める?」
…俺が怖気づいてた真顔を少しだけ崩して、優しく俺たちに尋ねてくる。
きっと普通の神父さんなら、意見を聞かずに適当に選定するんだろう。
「じゃあ、俺が先に。」
そういって俺が手を挙げる。
ラナはずっと不安そうにしてる。俺が先に洗礼を受ければ、彼女の不安も少しは和らぐだろう。
「わかった。ではハル、前に。」
再び微笑みを消し、目を瞑るロウ神父。
「女神イヴン様よ、この者の歩むべき道を示し給え―――――。」
ロウ神父のその言葉と同時、俺を囲むように光る円が足元に現れ、光の柱が現れる。
驚く暇もなく、何か暖かいものが体に入ってくるかのような感覚を覚えた。
「!! ハル!」
後ろでラナの悲鳴のような声が聞こえる。
「大丈夫」と言おうとしたが、体が動かなかった。恐らく儀式に支障が出ないよう、そういった力が働いているのだろう。
やがて光が収まり、体が自由に動かせるようになった。
「―――ふぅ。
さて、ハル。君が授かった祝福は…。」
目を開いたロウ神父が、いつもの微笑みを浮かべた。
「『クラス:農民』、更に技術アーツとして『剣術』を授かりましたよ。」
っ!
それを聞いて小さくガッツポーズを作っていた。
『戦士』『騎士』といった戦闘寄りのクラスではないけれど、『農民』のクラスは耕作の為の頑丈な身体とスタミナを得ることが出来る。また、軽度ではあるが『植物知識』と『土魔法』も使えるのだ。
その上、技術として『剣術』を授かったのは僥倖だった。戦闘クラスのように戦闘技術を内包したクラスと違い農民は戦う力を持たない(鎖鎌や戦鎌を一応は使えるが、マイナーすぎてまず使われない)わけだが、剣術を持っているのであれば問題なく戦うことが出来る。
いうなれば、軽い土魔法と植物知識を保有した、剣、鎌しか使えない『戦士』だという事だ。盾術がないため両手剣で戦うことになるのかな…?
「は、ハル…。」
「ラナ。」
俺を心配してくれていたラナの隣へ戻る。
「ほら、大丈夫だったろ? ラナも大丈夫だよ!」
「…っ!」
「ラッ――。」
ラナが俺の方を向いて、俺の手を両手でギュっと握ってきた。
目を閉じて、まるで祈るように。
「あ、えっと、ラナ?」
「―――!」
いやあの、皆が生暖かい目で見てくるし。俺とラナの両親なんてニヤニヤしながら見てくるし。
ラナには悪いが腹が立ってきたぞあの色ボケどもめ。
「ははっ。 ラナは、ハルの手を握りながら受けるかね?」
ロウ神父がそう尋ねてくる。
え、大丈夫なのか?そんなことして。
「女神様は寛大です。心細い子を勇気づける為ならば、お許しになってくださりますよ。」
そこまで言われると、放す理由もなくなる。
ラナは安心したようで、俺の手を握りながら前に出る。
俺もそれに合わせて、少し斜め後ろに。右手で彼女の左手を握って。
「女神イヴン様よ、この者の歩むべき道を――っ!!?」
先ほどと同じ詠唱――と思った途端、強烈な光が目を襲った。
ラナを中心として、俺も入り込むように光の柱が現れたが…神父さんや周りの人の反応からして、恐らく俺とは比じゃない光が発せられているのだろう。
「は、ハル!ハル!」
「!っラナ!」
空いている右手で俺の手を握るラナ。
俺もあまりの出来事で混乱していたが、彼女が俺の手を握ったことで気を取り戻し、俺も空いた手を彼女の手に重ねる。
「っ!!」
まるで光が俺を拒むように、見えない力が全身に働きだした。
間違いなく吹き飛ばされそうだった。でも、彼女の手を放すわけには――――!!
「ハル!」
吹き飛ばされそうな俺に気付いた彼女は、そのまま俺の手を引き寄せ、抱き着いてきた。
ああそうだな畜生!手を握るよりこっちの方が―――!
どれほど経っただろう。
お互いに強く抱き合い、…気が付くと、光は収まっていた。
「…は、あ!ロウ神父!」
「は、ハル…!あ、えっと、ラナ。君は女神様から――――。…。――――。…。」
皆が呆然としている中、ロウ神父に確認をとる。
彼の様子を見て、血の気が引く。
「ま、さか…儀式に失敗?」
「い、いや、シッカリ、儀式は。」
驚いたような、真っ青な顔をしたロウ神父。もしやと思って肝を冷やしたが、儀式は上手くいったようだった。
じゃあ、何を。
「落ち着いて、聴いてください。
ら、ラナは…皆さん、ラナは…。」
自身に言い聞かせるように言いながら、神父は皆を見渡す。
「ラナは、技術としては何も得られませんでしたが、その…。
クラスに、聖人、と。」
その後、皆は神父様から聖人について教えてもらった。
魔術系の最上位に属するクラスであり、魔法的な技術の他に『最上位治癒術』『最上位浄化術』『最上位退魔術』などを持っている、と言われている。
真っ青な顔をした神父を見て皆は不安がっていたが、所謂「当たり」のクラスを引いたとして、皆が喜びだした。
「ラナ!すごいじゃないか!俺なんかただの農民だったのに!」
「え、あ。うん。うん!」
一緒に困惑していたラナも、俺の言葉で花が咲いたように笑顔になった。
いつもは静かで俺の後ろに付いてくるような感じだけど、たまに見せるこういった笑顔がたまらなくかわいいんだ。
「今日は祝いだ!」「せっかくの成人式だ酒を開けよう!」「極上の塩漬け肉を―――!」だとか、皆が自分の事のようにワイワイ騒いでくれている中。
…神父だけは、曇った表情をしていた。
「ロウ神父?」
「ハル。…少し、いいかい?」
神父の様子が気になって、皆の輪から抜けて出て声を掛けると、神父がこっそりと俺を連れて教会から抜け出した。
「ラナが、王都へ?」
「…間違いなく、な。」
教会の裏で。
意を決したような様子で深呼吸をして、俺にそう告げた。
「聖人の祝福を受けると、間違いなく王都の方にいる司教や、教国の方の枢機卿連中が気付く。何かしらの特別な方法があるらしくてな。
…数日のうちに、王都から馬を飛ばしてくるに違いない。」
「そんな…。」
「君とラナのことはよく知ってる。君たちが生まれた時からずっと見ていたからな。
だから、…こんなことは言いたくはないが。彼女のことは諦めるんだ。」
神父さんの言葉に、俺は眼の前が真っ暗になる。
諦める?ラナを?
ずっと一緒で、え、これからもずっと一緒に――――。
「なら、なら俺も!」
「無理だ。いくら戦闘技術を持っているとはいえ、農民では。
戦士や騎士ならもしかしたら。魔術師なら間違いなかったが。貴族どもは平民には…。」
「そんな、貴族、そんな!」
訳が分からん。なんだよそれ。なんで、ラナと俺は同じで、それなのに。
ずっと一緒に居たのに。
解ってる、イヴン様の祝福が絶対的な力を持っていることは。だからと言って、そんな。
「あ、ああぁ…。」
世界が揺れるような感覚に陥る。膝を付く。涙が止まらない。
一緒に行けない。どうすれば?
普通に両親の後を継いで大地を耕すつもりだった。そこにはラナも一緒で、一緒で。
「…神父様。」
「っ…ら、ラナ。」
「えっ。」
泣き崩れていた俺の後ろから。…ああ。
「ラ、な?」
「神父様。私、ハルと離れ離れになるの?」
「あ、ああ…うむ。」
神父さんは、悲しそうに震えながらラナの質問に答えた。目を瞑り、目頭を押さえだした。
「ハルと、一緒に居られないの? その、えと、王都とかに行って、帰って?」
「無理だ。聖人は皆、貴族出身であると記述されていたが。…恐らく、どこかの貴族の子として引き取られるのだろう。身勝手な。」
震える声で神父に尋ねるラナと、絶望を告げる神父様。
神父様は眉間に皺をよせ、声が感情で煮えていた。
「神父殿。」
「ナム村長。」
「皆には祭りの準備を任せて散ってもらった。…やはり、どうにもならんか。」
腰を少し曲げた老人――ナム村長もやってきた。
顔半分を覆う真っ白い髭と、常に細められた双眸。常日ごろから表情の読めない方である。
「…2人に包み隠さず馬鹿正直に話すことはなかったのではないか?」
俺たちの様子から神父様が何を話していたのかを察したようで、少し声色に怒りが見えた。
「あるはずもない希望を持たせて絶望させるよりはと…。」
「お前が全て背負う必要はなかったと言っているのだ。」
そこまで言い、村長はハアァ…と長い溜息を吐いた。
「村長…。」
「ハル。神父様の言う通りだ。どうしようもない。
ラナは、来るかどうかもわからん魔王とやらの襲撃に備えるために、王都へ連れていかれるのだ。まぁ、間違いなくその魔王とやらは建前だろうが。」
呆れたように鼻で笑いながら、村長は続ける。
「正直者のバカ神父の言うように、偉い連中はお前のことを許しはしないだろう。ラナを貴族の養子とする際、故郷への哀愁を持たれると厄介だからの。」
村長の言葉はよく解らなかった。
貴族の社会がどうなってるかなんて全く知る必要なんてなかったし、知りたくなかった。
…一緒に行くことを、貴族の連中が許さないことだけは、解った。
「…数日。連中が迎えに来るまで数日ある。」
沈黙を、神父様が破った。
「逃げても、逃げられんだろう。既に『剣帝』と『賢人』、そして『勇者』の祝福は降りていると聞く。逃げることもできんだろう。」
ほんの僅かに過った可能性すら、潰された。
「なら、どうすれば。」
「今夜は祭りを行う。それから、迎えが来るまで暫くあるだろう。
その間に、2人で。思い出を作りなさい。」
ああ。
きっと、それしかなかったのだろう。
解ってた。俺みたいな一農民が、国に敵う筈がない。
この思い出作りは、俺たちが出来る唯一の抵抗なのだ。
―――――――――――――――――
お祭りといっても、小さな村の物だ。
大きな焚火を作って、それを囲って酒や大きな肉料理が振る舞われる。
皆が皆、主役の俺たちを祝ってくれる。
何とか笑顔で対応できた。
でも、この幸せがすぐに打ち砕かれる物と知ってしまった俺は―――。
「…。」
「…ね、ハル。」
皆のあいさつが終わり、2人で大きな焚火の前で並んで座る。
暗い未来しか見えなくなった俺の手に、ラナが手を重ねる。
「ラナ。」
「…離れたくない。」
そういって、俺の肩に頭を預ける。
「俺だって。」
「でも、ダメなんだよね?」
グスッと、彼女が震えているのが解った。
「ずっと、一緒に。」
「…俺だって。」
祭りで皆が笑い合う中、俺たちはこっそりと泣き合った。
それから、俺たちは涙を拭い合い、迎えが来るまでどうやって過ごすかを考え合った。
俺がずぶぬれになった湖に向かったり、過去に迷子になった森に久しぶりに入ったり、もしかしたら最後になるかもしれないからって畑仕事をしてみたいとか、そんな子供のようなことを計画して。
だが、それはあまりにも早かった。
祭りの次の日、村の入り口がガヤガヤしていた。
え、は?
早すぎるだろ?
立派な馬鎧を纏った馬が3匹。見上げるほどあるその躰は良く引き締まり、鎧をもモノともしない様子であった。
そして、その馬にそれぞれ一人ずつ。
一人は、深紅の髪を後ろで一纏めにし、肩まで降ろしている少女だった。紅色の切れ目、そして動きやすそうな赤を基調とした立派な服装から、とても勝気な子だと見て取れる。
一人は、空色の髪を短く切りそろえ、その上から魔法使いのような大きな鍔を持った灰色の帽子をかぶり、白いローブを纏った銀眼の小柄な少女だった。
そしてもう一人は、光を反射するほど美しい金髪を持った、黒を中心とした服装の、青い瞳の青年だった。
3人とも、俺たちと同じ年くらいに見えた。
「神父様。」
「ハル。あんな駿馬…まさか、ここまで早いとは。」
悲しそうな、悔しい表情の神父様。
その視線の先で。
「よくぞ、このような村へおいでなさいました。 我が家でゆっくり茶でも―――。」
「…こんなところまでわざわざ外食に来たように見えたのか? さっさと出せばどうだ?」
村長に対し、高圧的な態度を取る青年。もしや、彼が…。
「あちらの深紅の少女が『剣帝』グレイド公爵家のエルズ嬢。あちらの灰色帽子が『賢人』ノウズ公爵家のミア嬢。
そしてあの男が…『勇者』オルレイド公爵家のロルド卿。
三人とも、いけ好かない貴族どもの使いだ。」
俺の疑問を察してか、神父様が毒物を吐き出すように教えてくれた。
「…?」
その勇者が、こちらを見た。そして馬をこちらに向ける。
「お前が聖人の?」
「は、いえ、この者は」
「お前には聞いてない。下がれ神父。」
「…。」
ロウ神父が頭を下げ、道を開ける。
…。
馬の上から、というのもあるのだろうけれど。
彼から溢れ出る威圧感で、息が詰まりそうになった。
「あの、私は、ただの農民で…。」
黙っているわけにはいかないと、何とか返事をした。
「…? 農民?」
勇者が俺の言葉を反芻し、眉を寄せた。
「ロル。」
「…エル。」
勇者についてきた剣帝が、睨むように俺を見た。
「ソレは農民なんでしょう?なら別に構う必要はない。」
「…。」
「さっさと聖人を見つけて帰ろう。平民どもの視線が五月蠅い。」
「そうだな。」
剣帝が、女性にしては少し低い声でそう言いながら、皆を一瞥する。
皆がその視線で、萎縮してしまった。
「は、ハル!?」
凍てついた空気の中、声が聞こえた。
ラナだ。彼女の家の方から、彼女が駆け寄ってきた。
「ハルに何を、しているんですか!?」
そういって彼女は俺と勇者の間に立った。
「お前は…そうか。」
「っ貴様!平民の分際で――。」
「エル。うるさい。」
ゴズッ
「ケャンッ!」
ラナに口を出そうとした剣帝を、いつの間にか来ていた賢人が注意しながら杖で頭部を打った。表情と同様、起伏のない声だった。
剣帝の悲鳴は、先ほどまでの低い声とは思えない甲高い声だった。
「お前が、聖人だな?」
「っ…えと、はい。」
ラナは勇者の言葉に少しビク付きながら、それでも芯を持って話す。
「お前は、選ばれた存在だ。このような場所にいてはいけない存在なんだ。解るか?」
「…。」
一方的な言い方に、ラナは表情が曇る。
「もし来れないというのであれば…強引な手を使うことも仕方ないが?」
僅かに口角を上げ、俺たちにしか聞こえない小さな声で―――脅してくる。
「ま、って下さい。その、もっと、皆と別れの―――。」
「平民が何を偉そうに意見している? 私たちにこのような田舎に滞在しろと?」
ラナの訴えに、剣帝が怒りをにじませた声を被せる。
…後方でまた、賢人が杖を構えていた。
「あの、それなら、彼を! あの、ハルを一緒に!」
「…コイツを一緒に。」
ラナが、勇者に懇願する。
その言葉に、勇者が少し思案し出した。
「―――話にならない。ただの平民を連れて行けと。
アナタも何を意見している? 聖人だからといって平民が貴族に意見出来るとでも?」
剣帝の言葉に、勇者が嘆息した。
勇者が、賢人に視線を送る。その視線で、杖が仕舞われた。
「すまんな。俺はただ聖人を連れてくるように言われただけだ。ただの平民を連れて行くわけにはいかない。」
「そん…あ。」
ラナがまた噛みつこうとして、しかし剣帝が腰の剣に手を掛けているのが見え、押し黙った。
賢人は、書物を取り出して黙読し始めた。今剣帝が暴れることになれば、誰も止めないのだろう。
「…解りました。」
消え入るような声で、ラナは、恭順した。
「服やら装備やらは向こうで揃える。何も持っていくことは許さん。
馬は…ミアと二人乗りしろ。」
「んっ。」
勇者の言葉に、賢人が少し前にずれた。後ろに乗れと言っているんだろう。
「い、まから、すぐに?」
「すぐにだ。一刻も無駄にしたくないのでな。」
ラナがキョロキョロしている。「助けて」と。俺に視線で。
「っ。」
動こうとして、それに合わせたかのように勇者の馬がラナを避け俺の前に来た。
「…彼女が心配か?」
勇者が顔を近づけ(馬上なのでそれでも距離はあるが)、俺にしか聞こえないように話した。
「安心しろ。俺が彼女を幸せにしてやるからな。」
その言葉に、目を見開いてしまった。
そして、見てしまった。…勇者の、歪んだ笑みを。
ふざけるな、彼女との幸せは俺が掴むものだ。俺が彼女を幸せにするんだ――――。
ラナを取られる――――。
「っ!!」
俺はとっさに手を伸ばし、勇者を馬から引きずり降ろそうとした。
「…ぁ?」
が。
フワっと浮遊感を感じ、
ドギャッ
「ゲヘェっ!?」
気が付くと、勇者の馬を挟んで逆側の地面に背中を打ち付けていた。
…勇者に腕を引っ張られ、背中を叩きつけられたのだ。
「っ貴様!」
「うるさい。」
「あ、ぅ。」
剣帝が剣を抜こうとして、しかし賢人の静かな声でおとなしくなった。
「ぁ、ハル!」
傍にいたラナが屈み、俺の肩に手を当てた。
…恐ろしい激痛。 投げられた時に引っ張られたせいで、外れたようだ。
「ハル…っ!」
ラナの震える手が俺に触れた。
それと同時、肩の激痛が一瞬で消え、叩きつけられた衝撃も一瞬で抜けてしまった。
「ラ、な?」
「ハル!大丈夫!?」
「え、お前、すご…。」
え、まさか今の、ラナの力? それも彼女の様子を見るに、無意識に?
「…解ったか? 彼女はもう、お前と生きる世界が違うんだ。」
一部始終を見ていた勇者が、冷めた様子でこちらを睥睨していた。
「お前も、その力をこんな小さな村で腐らせるなんて許されるとでも?
お前が来なければ、彼はより恐ろしい目に合うのだぞ?」
勇者の言葉にラナが絶望したように頭を垂れた。
「ハル…。」
泣きそうな表情で、ラナが俺の耳元に口を寄せた。
「ハルの事は、私が、私が守るから。」
その言葉と共に、ラナは立ち上がって行ってしまう。
おい、ふざけんな、守るのは俺の方だろう? いや、嫌だ。行かないで。
体が動かない。痛みは引いたが、動けなかった。
彼女の言葉がずっと耳に残って。それだけだった。
そこからのことはハッキリとは覚えていない。
馬の足音が離れていくのを全身で感じながら。まるで湖に揺蕩っているような感覚に浸り、そのまま意識が遠のいていった。
――――――――――――――――――――――
ラナが出て行って。
数日間、俺は熱で寝込んでいたらしい。記憶にはないが、随分とうなされていた様子だったそうだ。
まさか次の日に来るとは思ってもいなかった。少しずつ心の準備をしていこうとしていたのに。そのために、思い出作りをしようとしたのに。
彼女は、ここで過ごした日々を忘れることを強要されるのだろう。
この村で、家族と一緒に過ごした毎日も。
俺との思い出も。
暫くの間、立ち直れなかった。それでも農民としてクラスを得た以上、農夫の仕事を今の内から始めなければならない。
俺は重しのように動かない体に鞭を撃って、ひたすら農業に励んだ。
…隣にラナがいない。それを意識するたびに、あの勇者の言葉がフラッシュバックする。
――――安心しろ。俺が彼女を幸せにしてやるからな――――
彼女を幸せにできるのは俺だけだ。彼女を俺の元から奪わないでくれ―――――。
思い出すたびに、俺の心はボロボロに傷ついて行った。
――――――――――――――――――――
2年経った。
近頃、この村にも勇者一行の活躍の声が届くそうだ。本格的に各地に回り、魔物を退治していると。
…詳しく聞くつもりはなかった。
それでも、聞こえてくるものは聞こえてくる。
「勇者が、仲間の二人と婚約したらしい。」
それが聞こえた時は、冷や水を被ったような悪寒に襲われた。
正直、楽観視していた。剣帝と賢人はそれぞれ魅力的な女性だった。あの勇者のあの二人から伴侶を選ぶんだろう、と。
一夫多妻制…そんなものがあるなんて知らなかった。いや、アイツの伴侶にならなかったとしても、貴族の養子となって、本人の意思と関係のない、望まない結婚を強制させられるんだろう。
手紙を送ろうとも考えた。
でも文字を知らないし、書いたとしてもどうやって送る?
故郷を忘れさせようとしている連中が、故郷からの手紙を読ませるだろうか?
…村に居ることが、苦痛になってきた。
この村は小さい。そのせいで、村のどこに行っても彼女との思い出を嫌でも想起させる。あまりにも苦痛だ。
俺は農業の傍ら、授かった剣術の技術を伸ばし始めた。この村を出ていかないと、壊れてしまう。
鎌の扱いにも注意を向けるようにした。もしかしたらどこかで役に立つかもしれないから―――。
――――――――――――――
3年過ぎた。20歳。
…村を離れたいと思う一方、彼女の戻る場所を守らないといけないと思い至った。
そして―――もしかすると、俺以外にも彼女を幸せにできる人がいるのかもしれない。そう思えるようになってきた。
彼女を幸せにできるのは俺だけ。それは傲慢な考えだった。
俺は彼女しか、彼女は俺しか知らなかった。互いに互いのことしか知らなかった。
彼女がこの故郷を捨てるに値する幸せを得られたのであれば。それで良かったのではないだろうか。
なら俺は―――ただの農夫として。女神から与えられた役目を全うしようじゃないか。
そう、思え始めていたのに。
「彼女が、来る?」
「ああ。なぜか知らんが。少数の護衛を引き連れてやってくるそうだ。」
たまに報告の為に王都へ向かうロウ神父。その際「村の者以外には内密に」と言われ、その訪問を知ったと。
理由は知らんが、お忍びでこの村に寄ることになったそうだ。
「でも、そんな。」
「ああ。妙だ。なぜわざわざ…。」
諦めの付いてきた俺は、少しずつ勇者たちの活躍に興味を示しだしていた。
その話だと、各地での魔物狩りもどんどん進み破竹の勢いだと聞く。
ラナが故郷への未練を断ち切れずに不調―――破竹の勢いなのだ、それはない。
故郷に帰るために魔物狩りに精を出して―――いや、そもそも貴族がそれを許さないという話では。
どういうことだろう。なぜ今更になって。
今更になって―――――。
その日も、随分と早かった。
村の入り口。また皆がざわついていた。
…彼女は今、幸せなのだろうか。
俺は、彼女を諦めた。逃げたんだ。
彼女を思い出す度に傷つき苦しみ、その痛みから逃げる為に諦めた。
彼女のことを好いている。それは今も変わらない。
それでも、もし今彼女が幸せだとしたら。俺以外の手で幸せになってしまっていたら。
俺は、それを祝福したい。そしてきっと、祝福したと同時に俺は壊れるだろう。
―――そうすれば、彼女を思い苦しむこともなくなるのだろうか。
だから、俺は。
入口の人だまりを一目見ようと。
こっそりと家を出て。勇者一行を。
そこには。
4頭の馬に乗った人たちと、護衛が数名いた。
赤を基調とした、立派な鎧を纏った剣帝。
あの日と同じく、白と灰色を用いたローブの、賢人。
恐らくは見栄えと実用性の高いだろう、黒い鎧を纏った勇者。
そして。
美しい乳白色に、植物の枝葉のような模様が描かれた鎧を纏った、フルフェイス兜の騎士。
…
………
……………
あれ?
ラナは?え?
いや、は?
周りの護衛さんの方を見るが、ラナらしき人は見かけなかった。
え、いや、え、ラナは?
「よくいらっしゃいました勇者様。大したもてなしもできませんが―――。」
「いや、私たちが唐突に、無理を押してきたのだ。こちらこそ、無礼をお許し願いたい。」
あの日のように、村長が勇者に対応していた。
だがあの日と違い、勇者の高圧的な態度は見られなかった。
「…!」
「っ。」
ポカンとしていると、あの剣帝の鋭い目と視線が合ってしまった。
全身に緊張が走った。
「ちょっと、ラナ、ラナ!」
「どうしたのエルちゃ―――。」
剣帝が、隣の白騎士に声を掛けたようで、白騎士が此方を見た。
「っ―――!!」
たまらぬといった様子で、その白騎士が馬を――――あれ?
なんだ?あの馬。額に角が生えてるが。
「噂は本当だったのか…。」「聞いたぜ。一角獣と戦って武力で従えたそうじゃねえか。」
周りの人がそんなことを言ってるのが聞こえた。
やがて、白騎士がその馬から降りる。
美しい鎧だった。無理にゴツイ鎧を纏っているわけではなく、すらっとした形をしていた。
首の周りには黒い羽毛があしらわれ、乳白の鎧に映えていた。
そして、ゆっくりと兜を、持ち上げた。
バサっと、中から美しい茶色の髪が溢れ出た。綺麗に手入れされたであろう髪が光を反射し、そして、あの栗色の目が此方を見た。
「…ハル。ただいま。」
5年ぶりに見た彼女の笑顔は、より一層美しくなっていた。
「ラ、ラ――。」
彼女と出会えた感動と興奮、そしてその彼女を諦めなければならないという悲しみで混乱する俺を、
グイッっと。
彼女は引き寄せた。
突然の事でバランスを崩した俺を彼女は片腕で抱きしめ。
「私はこのナムザの村で女神代理の儀式を受け!彼と!ハルと結婚します!」
そう、高らかに宣言した。
―――――――――――――――――
そして、祭りが始まった。
勇者一行に護衛なんて必要なのかと思っていたが、どうやらこの祭りの手伝いが主目的らしい。
王都から持ってきている高級な食材やら、芸人達の出し物やらが行われ、護衛と村民だけという少人数での祭りでありながら、とても賑やかな物だった。
俺は、村の皆に囲まれ団子になってしまったラナをボーっと見ながら、先ほど宣言された結婚について考えていた。
彼女を諦めていた。貴族の、よく解らん決まりに縛られ、彼女は遠い存在になるのだと。受け入れていたのに。
「…隣、いいかな?」
唐突に声を掛けられた。
黒い鎧を纏った彼は、…あの勇者だった。
5年の月日は、平等に皆に訪れる。
勇者は5年前に比べ、より美青年になっていた。
彼にいい思い出はない。
それでも、なんとなく断る必要もないと思った。
返事はせず、長椅子の上に乗せていた腰をずらす。
勇者はそれに一礼して、俺の隣に座った。
彼の手には、この村でたまに飲まれている安いエールが握られていた。
「…彼女は、この一杯を呑むこともなく連れていかれたんだな。」
誰へともなく、勇者は呟いた。
「君には、申し訳ないことをした。」
彼の謝罪に驚き、そちらを見る。
…頭を垂れていた。
「もし、今の彼女に対して困惑しているのなら。彼女が変わってしまったことに驚いているのなら。
それは全て、私のせいだから。」
金色の頭部を向けたまま、勇者は謝罪をつづけた。
――――――――――――――――――――――――
「あなたと、結婚、ですか?」
5年前、王都にて。
貴族の養子としてふさわしいマナーを学びながら、聖人としての技能を伸ばす日々の中で。ラナは勇者ロルドから脅しを受けていた。
「お前の気持ちもわかる。あの村の青年と結ばれたいのだろう?
だが…この国と教会は、それを許さないだろう。」
勇者はこう言うが、ラナの事を女性としても好いていた。
平民でありながら貴族である自分たちに物申したその気概。道理を知らないだけ、或いは聖人の力に驕った物だったと言われればそうかもしれないが、それでも彼女の「強さ」に惹かれたのだ。
勇者には他人の恋人を寝取ったり無理やり自分のものにするといった趣味はない。元の彼氏である農民のことは諦めて、自分と幸せになってほしいと、そう思っていた。
そのために、国と教会へヘイトを向け、自分は彼女を支えると、そう言ったのだ。
「もしお前があの…ハルだったか。彼と結ばれたいなどと言えば、国も教会も黙ってはいないだろう。聖人は貴族、或いは教会の物であるべきだと、強引な手を使ってくるだろう。
お前の故郷や、ハルも手にかけるかもしれん。」
確証はない。それでも、一部のとち狂った連中がそういう真似をすることは十分に考えられた。
真実を交えた嘘は嘘だと疑われ辛い。
「面倒な貴族と結ばれれば、彼とは二度と会えなくなるかもしれない。
俺の伴侶になれば、俺が安全を保障する。彼とまた会うこともできるぞ。」
彼女と相思相愛になりたいと思いながら、元彼をエサにするという矛盾。
勇者の中では、結婚してしまえば――あるいは、こうして王都で聖人としての訓練を重ねていれば、彼のことは綺麗に忘れるだろうと、そういった見通しがあった。
「…。」
教会と国という、巨大且身近な脅威を出され、ラナは絶望したような表情になった。
…これはもう、彼女は手に入れたも同然だろう。
内心で勝利を確信し、勇者は引いた。
「…すぐにとは言わない。ゆっくり考えて、答えを出せばいい。」
そういって勇者は背を向けた。
「――――。――――。―――。」
その時、ラナがうわごとのように呟いていたことを、勇者は聞き流した。
もし聞き流さず、その言葉に疑問を抱いたとしても。
結末は変わらなかったのかもしれないが。
――――――――――――――――――――――――――――――
…おかしい。
魔物討伐の遠征を繰り返していく内、勇者は少しずつ違和感を感じていた。
「…手伝いましょうか?ご老人。
ええ、女体ではありますが、ご老体の御力になる程度にはありますから。」
いや「少しずつ」が溜って、遂に実となったというか。今現在、眼の前のあり得ない光景に肝を潰した。
遠征先の田舎にて。
彼の記憶が正しければ、眼の前の剣帝―――エルズは、上流社会の貴族以外は蛇蝎のように嫌っていた筈だ。
平民が口を利くだけ―――気分が良い時以外は視線を向けただけでも不快に感じ激怒していた彼女が。
遠征に行くと聞いていただけで文句を言っていた筈なのに
最初の方は文句も減り、最近になって遠征先で挨拶まで交わし、今日にいたっては手伝いなど。
「おい、エル。」
「…ロル。」
「お前、えと、いつからそんな平民に愛想良くなったんだ?」
「? …ああ。まぁ、大したことではないだろう。」
借りている部屋にて。疑問に持ったロルドは問いかける。
まともな返答は得られなかったが、彼女の言葉からトゲが無くなっていることを感じ、余計に違和感を強めた。
更に。
「そういや、ミアはどうした? 何もない時は部屋で黙々と読書していたと思うが。」
「さぁ。」
ある日を境に、賢人のミアは部屋にこもることが無くなり、しょっちゅう出歩くようになっていた。
そして帰って来た時は、あまり感情の起伏のなかった顔をホクホクにして帰ってくるのだ。
何より。
「…。」
ラナと、相変わらず顔を合わせない。
戦闘の時や移動の時は、聖人として圧倒的な治癒・強化魔法を用いて援護してくれている。聖人としての仕事はしっかりとこなしている以上、こうして部屋で一切休息を取っていない彼女のことが気になって仕方ない。
自分が避けられている、という可能性にも思い至っていた。「元カレの事をあきらめて俺と一緒になれ」と言われた女性が何を思うかなんて、想像に難くなかったから。
――――――――――――――――――――
「オルレイド公。話がある。」
「。」
その日。とある宿の昼頃。
前日は比較的激しい掃討戦となったため、全員が疲れ果て、速めに休息していた日だった。
エルズが取っていた個室に呼び出されたロルド。
そこでは、久方ぶりに見るエルズの鋭い目と、―――涙目になったミアが待っていた。
無感情しか浮かべていなかったミア。今となっては表情がコロコロ変わることがあったが、それでも彼女が泣く姿は、想像すらできなかった。
「えっと。」
「オルレイド公。 正直に答えてほしいことがある。」
声色に変化はないが。
エルズが仲間であるロルドとミアを家名で呼ぶときは、その対象に怒り心頭の時である。
「ラナについて、何か脅しを入れたりしていないか?」
「あ、あ。」
「あるんですね、ロルド。」
涙目のミアからも責められ、ロルドは自分が追い込まれていることを知る。
「なんだよ、ラナがどうかしたのか?」
「倒れた。」
「え?」
「ぶっ倒れた。」
「…私たちが、彼女の治癒魔法を過信しすぎていたこともあるんだろうけど。あそこまで自分を追い詰めていたなんて…。」
ロルドは、まるで自分だけが置いてけぼりを喰らったような状況になった。
あの求婚から、プライベートなやり取りが一切なかったラナ。どうやら他の2人とは交流があったようだった。
「あの子…聖人なのに唐突に『剣を教えて下さい』なんて必死になって…見ていられなくて、な。」
「…『賢人の魔法を教えてください』って…自衛するために知りたがってたのかなって、それで。それが、こんなことに…。」
エルズは悔しそうに表情を歪め、ミアはグスッと泣き出してしまった。
エルズは「見ていられなくて」ではなく「懇願する姿が見苦しかったから」仕方なく教えていた筈だった。
ミアは「自衛してほしいから」ではなく「自衛できる力さえあればいいだろう、これ以上構うな」という意を込めて、嫌々教えていた筈だった。
だが――――――。
「毎朝、早朝に練習するようにしていたんだけれど。あの子、私たちが起きた時にはもう既に自習を終えていて。」
「どんなに疲れても、私が教える魔法の為に、聖人の魔法は使わないって、魔力の節約の為に、頑固で。」
戦闘時に、彼女が何か危機感を覚えるような場面があっただろうか。自分たちの戦い方に何か失態が?
自分たちの戦闘を何度も振り返り、しかし否、そうではなかった。
ではなぜ、彼女はわざわざそんな技能を欲するのか。
気になった彼女らは、平民ではなく一人の仲間として―――ラナを観察していた。
「昨日の疲れが残っているにもかかわらず、手をマメやタコで血まみれにして、疲労で。」
「私がどれだけ頼んでも、『ミナ先生の魔法の特訓が終わるまで』って…。」
遠征の各所で。
貴族の矜持やら大儀やらでガチガチに固まっていた自分と違い、気さくに、平民を助けようとする聖人。
仕方なく付き合った後に待っていた、彼らの笑顔。「ありがとう。」それらに、少しずつ惹かれて。
賢人としての知識を得るために、不必要として出歩くことのなかった自分にとって。
聖人と共に見るあらゆる景色は、色欠けていた自身の心を満たしていって。
「倒れた彼女を運んで、彼女は、うなされるようにずっと繰り返すんだ。
『強くならないと。守れない。勇者から、国から、教会から、』と。」
「どうして…どうして、一人で抱え込んでしまったの…。」
何の利もない助力を続ける聖人は、言った。
「目の前の人を救えない人が、見ず知らずの大勢を救える筈がないでしょう?」
美しい景色に見とれる自身に聖人は、言った。
「人は、言葉だけで満たされることはありません。目も耳も、言葉より先に生まれた物なのですから。」
そこにはもう、ハルの後ろに隠れてモジモジしていた少女は、いなかった。
「…どうして。」
「国と教会に、ロルドが並んでるの?」
そこまで言われて。
ロルドはとんでもないことをしたのだと自覚した。
――――――――――――――――――――――――――
「…すぐにとは言わない。ゆっくり考えて、答えを出せばいい。」
そういって勇者は背を向けた。
「強くならないと。ハルを守る為に。何よりも、何よりも、何よりも。」
あの日。
くだらないとして聞き流していた彼女の言葉が。
なぜか。脳裏に浮かんだ。
――――――――――――――――――――――――――
ロルドは、聖人を諦めた。
貴族として、国の連中がいろいろと文句を言ってくるだろう。
だが知ったことではない。
男としてハルに負け、人としてラナに負けたロルドは、聖人を魅了してやまないハルの魅力(ただの空想)とラナの人としての強さに心酔し、半ば彼らの狂信者になりかけていた。
こちらには『剣帝』『賢人』『勇者』そして『聖人』の4大祝福が揃っている。
最悪、国そのものをひっくり返せばいい。適当に挙げたその案に、エルズとミアは割と本気だった。
問題は、国よりも教会だろう。女神イヴンの信徒は、世界中に居る。教会が本腰を入れれば、本国よりも厄介になるに違いない。
ロルドはまず、ラナに謝罪をした。そして、国と教会を黙らせる手段を共に考えようと打ち明けた。
結果。
「…私が教会のトップになればいいんじゃないでしょうか。」
という、ラナの吹っ飛んだ意見が挙がった。
「ラナ。簡単に言うけれど、基本的に司教より上は血縁の所が多いよ。」
「いくら聖人とは言え、あなたを家系に入れることはあっても、権威を持たせることはないだろう。」
ミアとエルズの言葉に、ラナが首をかしげる。
「? そもそもどうして女神様を称える組織のトップが、血縁者だけで固められてるの?」
ラナの疑問に、ロルドとエルズは言葉に詰まる。
が、ミアだけは「ええ」と続けた。
「今はもうあまり知られてはいませんが、どうやらイヴン様が遥か過去に、自身の意見を代弁する騎士…『女神代理』という加護を創造して授けたとか。
今の教会のトップには、その代理様の血がほんの僅かに残っているらしいですよ。」
賢人だからこそ知り得たであろう知識に、ロルドとエルズは目から鱗であった。
「その女神代理に私が成ればいいんじゃないかな?」
ラナがそんなことを言い出す。
ミアは「うーん」と難しそうな顔を作ったが、エルズは「そうだな。」と同調した。
「その初代代理様がどのような方であったか調べて、その条件を満たすようにラナを導けばいいのでは?
どうだ、ミア。」
「条件なんて…もしかしたら、今の教皇なら知っているかもしれませんが…。」
「よし、じゃあ私、聖騎士になります。」
エルズとミアの問答の最中、ラナがそんなことを言い出した。
「聖騎士として階位を上げれば、別に血筋なんて関係なしに教皇様と謁見できると思うんです。
癒しの力と、お二人に教わった剣術と魔術がありますから、あとは…イヴン様への信仰ですか?」
信仰云々はさておき、聖騎士として階位を揚げ、教皇に謁見するというのは理に適ったものであった。
少なくとも神官になるよりはマシだし、聖騎士として勇者一行と同行すれば、教会としても勇者を助力したという箔が付く。
善は急げということで、さっそく聖騎士になる手続きを行うことになった。
(…俺、何も助言出来なかった…。)
ロルドはそんな無力感に襲われてしまったが。
そもそもラナをこんなアクティブ少女に変えたのは彼であり、彼が求婚などを起こしたがために、いろんな紆余曲折があって、彼女は活路を見出せたのだ。
ラナがそれに感謝している節がある事に、彼は永久に気づくことはないだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「その条件に、『先代女神代理の血が色濃く残る者の立ち合い』があったのですよ。」
勇者の告解に口を挟むよう、勇者とは反対側の俺の隣に見慣れぬ老人が腰を下ろした。
「―――イヴレイヴン教皇。」
「ホホ。公の場ではないですぞ。マルグリスと呼びなさい、ロルド。」
先ほどまで話に出ていた教皇が、俺の隣にいる。
え、ちょ、教皇って。
「王様…?」
「ホホ。遠い国の偉い人という解釈で構わんよ。」
首から鳥の羽のようなものをかたどったネックレスを掛け、白と基調とし黒をところどころに用いた法衣を纏った、ただのご老体にしか見えない。
「おーうおぅ!戦烏のお偉いさんはまたウチの勇者と企みごとかぁ!?」
遠くから、ヤジがとんできた。そちらをみると、目立たない平民のような服を着た、…壮年の男性がやって来ていた。
白髪の混じっている、少々色落ちた金髪。笑みを浮かべている顔は朗らかで、しかし深い皺の力で圧倒的な威圧感を出していた。
「ほっほ~?お前さんが女神代理のハートをキャッチした男かぁ。」
そういって少々酒の臭いを漂わせながら、その男性が顔をズイっと近づけて来た。
「相も変わらず、我らの女神の力に頼ってしか魔獣対策出来ない無能が。
良いのか? 政務は。」
「んなもん、今日この日の為に全て片付けるまでよ! お前さん所の烏はいつになったら飛び立つつもりだ?」
「新たな女神代理となれる存在が私の元へ降り立った。…これは、何かの知らせかもしれんと睨んでおるが。」
「…。ほー?」
教皇さんと唐突に語り合いだしたおっさん。
とりあえず、知っていそうな勇者さんに視線で助けを求める。
「…国王。」
「。」
「公務の時以外、ああやって王冠と共にハメも外してるけど。
あれでも一応我らの国の長、ガルバド・ドミナリオ王だ。
…初見の時は、蛇に睨まれた蛙のように固まってしまったが。今はただの酒場のおっさんだ。」
王。
ただの平民である俺とは、何の一切の縁もない筈であろう、デカい人が現れた。
それに対し、俺は「ホヘー」と驚いた声を出すだけだった。
「しっかし成程な。『聖女』ではなく『聖人』がキーか。」
「『聖女』『聖男』と違い、あらゆる能力に適正がある上、習得力も高い存在。女神代理という加護を生み出した時に付随して生まれた、代理の卵。」
「勇者で跳ね除けられない災厄への、最期の切り札って訳か。
…俺の国の歴史にゃ大量の『聖人』がいるが。『聖女』『聖男』の表現揺れであることを望むしかねえな。」
「いや。表記ゆれではなく。『聖人』として生まれた者であっても、『聖女』『聖男』に降格することもある。」
「何?」
「…聖人が全力で戦える為に『聖人と寄り添えあえる存在と結ばれる』事もまた、条件となる。
まぁ世の情勢を見るに、産まれた聖人が降格したことはないんだろうがの。ホホ。」
「もし、今回降格が起きていれば?」
「教皇として、聖典の信者として、答えるのであれば…近々起こる不可避の災厄に立ち向かえる存在が、いなくなっていた所であったな。ホホ。」
「」
「…女神代理祝福の儀をこの手で行えることを喜ぶべきか、或いは私の代で災厄が来ることを嘆くべきか。ホホホ。」
次の日。
村民全員。護衛…旅芸人の方々や、国王、勇者一行の3人。
あの日。5年前。俺たちが聖人の儀を受けたあの日。まるでその日の再現のようであった。
ただ、客人が沢山いて、眼の前にいるのがロウ神父ではなく、教皇様であったが。
「聖人・ラナ。」
「はい!」
俺の前に立ち、手を引くラナ。
ずっと俺の手に縋って怯えていた彼女は、もういない。
俺を守る為に。国と教会と5年間戦い続けた彼女。
「なぁ、ラナ。」
「ん?」
「どうして、そこまでして。 俺と一緒になりたいって。」
彼女の原動力に疑問を持った俺に、彼女は笑った。
「…私が聖人になった時さ。ハル、ずっと言ってたよね。」
「?」
「私を、守ってくれるって。…ハルが守ってくれたから、私、聖人になれたんだよ。」
そういってあの時のように、俺に抱き着いた。
「私があなたといたいと思ったから、ここまで頑張れた。
聖人じゃなかったらそもそもこんなに苦労することもなかっただろうけど、聖人になったおかげで、こうしてたくさんの人と縁が出来た。
アナタに守ってもらえた時、とてもうれしかった。だから…これからも、ずっと、私のことを守ってほしい。」
「守るって…俺みたいなただの農民に。」
「こうやって。私が帰ってくる場所を、守ってくれたでしょ?」
…。諦めて、捨てようとして。結局逃げる力もなく。ただ惰性で続けていただけなのに。
俺にとって、彼女は、大きすぎる…。
「女神イヴン様。どうかこの聖人に、永遠なる祝福をお与えたまえ――――。」
教皇のその言葉と共に、俺と彼女を囲むように、あの光の輪が生まれ。
俺たちの頭上に、ソレは現れた。
光り輝く純白の薄い衣。
美しくなびく、黒い長髪。その毛髪と同じ、美しい漆黒の翼。
ゆっくりと宙に浮遊し、閉じられていた瞼がゆっくり開かれる。肉食鳥のような、真っ赤な瞳であった。
「お、おおおおお!」
後方からロウ神父の絶叫が聞こえる。他にも、各所から膝を負って拝みだす人たちが出て来た。
『死が2人を別つ、その時まで共にあることを。』
「…たとえこの身が滅び、死ぬるその時が訪れたとしても。
紡がれる命と共に、決して離しはしないことを、ここに誓います。」
ラナが、女神の言葉にそんなことを言い出す。
形式なのか彼女のオリジナルかはわからんが、とりあえず俺との婚姻が本気なのは解った。
『では、2人の聖人の婚礼を認め、ここに女神代理の祝福を授けます。』
そういって、光の輪が柱を描くように輝きだした。
「っ!? い、イヴン様! 今、2人の聖人とおっしゃいましたか!?」
『ええ。 成人の儀の際、彼がどうしても彼女から離れずに。
儀式から除外しようとしたところ、彼女がそれを半聖人の力を用いて阻止して…やむなく。』
教皇様の驚く声と共に、俺の全身に今までと比にならない力がみなぎってきた。
『「女神代理の血筋の濃いもの」の同席で、「互いに支え合える者と共にある聖人」。
双方とも、満たしていますから。』
「成人の儀の加護を重ねて一人にすることが可能なのですか!?」
『「聖人」だからこそできた荒業でしょう。聖人は、全てのクラスを強引に内包させた物ですから。農夫のクラスも吸収してしまったのだと。』
そして、俺たちを優しく見つめ続けていた女神は、最後に皆を見渡した。
『…これより訪れるであろう災厄。戦場を飛ぶ女神として、我が父母方の健闘を、お祈り続けます。』
黒翼の女神は、こうして去っていった。
そして、光が消え去った後。
「!! ラナ。」
「ハル!背中に…!」
「いや、ラナだって…!」
俺たちの背中には、先ほどの女神の物と同様、漆黒の美しい翼が生えていた。
「え、これ、わ、動く!?」
「これ鎧突き破って、え、あれ、どうなってるの!?」
お互い混乱し、不用意に翼を動かしたことで妙な方向に力が働き。
「うわ止まらなゲハッ」
「おお宙に飛んでぇアァガ」
壁にぶち当たり。
女神降臨にて静まり返っていた教会が、大爆笑に包まれてしまった。
―――――――――――――――――――――――――――――
これから起こる大災厄とかいうのが、どういったものなのか。皆目見当は付かない。
きっと彼女がいなければ、俺はただの一農民として、何も知らずに日々を過ごしていただろう。
大災厄の事を知ったことを、不幸とは思わない。
彼女となら、乗り越えることが出来る筈だから。
おらあ感想ドンとこいやぁ!
どんどん感想は吸収していきたい所存!(辛口もある程度はダイジョブだと…思いたい)
3/7 追記
https://ncode.syosetu.com/n4008fi/
剣帝のエルズ視点の物語です。投稿してたんですがこっちに載せるの忘れてました…。
構想が浮かべば、賢人と勇者の視点も書きたいと思ってはいるが、未定です。
4/22
また載せ忘れた…
賢人の視点出来ました。
…勇者視点の難易度がめっちゃ上がってしまった感。作らないかも。
https://ncode.syosetu.com/n9472fk/