我が狂気
一人の人間が壊れて、狂気に満ちて、堕ちていく。
そんな時、『人間』は何を思うのか……
さぁて、私はだぁれ?
『我が狂気』。
我が狂気とはいったい何だったのだろうか?今の私にとっては……もう、自分のソレを考えるのはやめた。そしてこれからは…………
僕の名前は神無月 霙。一応性別は女ではあるが、私はそこまで性別や一人称がどうなろうと知ったことじゃない。
先に言っておこう、どうやら私は『精神異常者』らしいのだ。妾はそんな風には思ったことは無いのだが……いや、そう思っている私もいるのだろう。異変を感じたのは小学生の頃で、今では何が変だったのかは覚えてはいないが確信があった。俺は他の人とは違うのだと。
二重人格・多重人格・サイコパス・異常者・キチガイ、そんなことを周りに言われてきた。
オナベ・バイセクシャル・変態・トランスジェンダー・化け物、性別は女であるというのにオカマとわざと言われたこともある。
『どこでアチキは狂ってしまったのか?』
一つ言えることは、私は家族以外の人たちのお陰でやってこれたということ……幼稚園の園長先生の教えが私の最後の防波堤となっている。それが無ければ今頃私は犯罪者だったかもしれない。
私の今までは『普通』ではなかったかもしれない。だけど、それを生きたアタイにとってはそれが『普通』だと思っていた、信頼できる友人のおかげで私は自分がおかしいことに気付き、我が狂気が芽吹く環境にあったことを教わった。
私がおかしくなるまでの過程を話しておこう。三歳で公衆トイレにあった成人向けの本を興味本位で読んでしまい、当然の如く悪影響を受けてしまった。その後に友人たちに話した時、「薄い本なのにその本は分厚かったんだよ」と言っている。内容はすべて『薄い本』であったのに、本自体は分厚いとは何の皮肉だったのだろうか?
そして小学校にあがるとイジメを受けた。
1年生の時に6年生に多人数で外見などを馬鹿にされた。ずっと我慢してやった。何度もやめてもらうように言ってやった。何度も何度も何度も何度も繰り返しているうちに私は限界に達して6年共をボコボコにしてしまった。鼻から血を流し、泣いて謝る6年共の前に僕は先生たち4~5人で押さえられていた。
この時の私は優しい性格で、されてきたことは全部自分の中に閉じ込めてしまった。それが結果として狂気のような怒りの爆発になってしまったんだろう。
4月5日が私の誕生日。その日は小学2年生にあがる日、始業式。
その日、私は事故にあった。
その結果として腎臓の機能が落ちてしまい、私は半年ほど学校には行けなくなった。学校に行けるようになったのはその年の秋頃で、僕の生活には様々な制限が掛かり、多少不自由な体になってしまった。
この頃からだっただろうか? 俺には別の俺がいるよう気がしていた。
この頃からだっただろうか? 母親が豹変してしまったのは?
気が付けば、自分にはもう一人の自分がいるのだとクラスの皆に言っていた。それは単純に嫌な日常、学校、家族、家庭に対する防衛本能だったのだろう。
いじめられっ子ではあるが怒らせてはいけないヤツというのは学校中に広まっていった。その時はまだ抑えられる程度だったから良かったが、それでも4年生の時に嫌いなやつに飛び蹴りをして階段から落とし、その階段の踊り場で嗤いながらボコボコにしたりと、その後も何度か人間にため込んでいた怒りをぶつけてしまった。
そして、6年生になると私以外の人間がおかしくなり始めた。それは担任教師に不満をもった生徒が感情にまかせて学校で好き勝手な行動をしたことに始まる。
授業放棄、教卓の破壊、私のクラスは殆ど授業も出来なくなり、担任は来なくなった。まぁ、でも、私には関係のないことだと思っていたが、それは違って、中学に上がるときに分かった。
そして転機が訪れたのは中学校に上がってからのこと。
母親は小学校の連中と一緒なのはアナタにとって良くないと言って、学区外の中学校に通わせることにした。最初、私はクラスの皆は仮面を被っているのだと思っていた。だって、皆、天使のようにすばらしい人たちだったのだから。
そこで部活に入り、学校では普通の人間として生きていくことが出来たが、問題は家庭にあった。
暴力的な母親、肉体的虐待は私にアザを作ることは無く、誰かに気付かれることは無かった。
それよりも酷かったのは暴力と重ねて行われる暴言、精神的虐待の方だった。父親は無能のゴミ、他人に任せっきりのクズ、生きていても死んでいても一緒の存在だったから母親のソレを止めてくれるのは命にかかわるときだけだった。
そんな日々を何日何日も……1年も繰り返しているうちに私は部活の後輩に言われるのであった。
「先輩って一人称とか性格とかが急に変わったりしますけど、わざとですか?」
「え、俺そんなことあるの?」
「今もそうじゃないですか~え、自覚無かったんですか? もしかして、先輩って多重人格だったりします?」
その時、私は初めて自分が普通のヒトとは違うことを考えさせられた。
話によると、アチキがおかしいのは皆昔から知っていて、だけど私に気を使って言わないでいたらしく、入学当初から一人称が変わる、性格が変わるといったことはよくある事だったのだ。
特に性格に関しては、朝と夕方で180度違うといったものから、話している最中に変わるといったものなど、多くの意見があり、その性格たちは10種類以上あると言われてしまった。
あぁ……いつからおかしくなったというのだろう、何で? どうして?
私の疑問は尽きなかった。
そんな時に出会ったのだ。運命の人とはいわない、だけど、私の支えになってくれる人間に私は出会えたのだ。
「神無月、最近なんかあったの?」
「え、どうして?」
「そんなの見てれば分かる」
『見てれば分かる』、そんな風に言われたのは初めてだった。
「私ってさ、時々おかしくなったりしてる?」
私は不安になりながら彼に聞いてみる。どうしてか、彼といるときは比較的に心が壊れたりすることは少なく、壊れてもその状態は彼がいないときの半分以下の壊れ方であることが多かった。
「うん、お前はいつでもおかしいけど、だからどうした?」
だからどうした? どうしてそんな風に言えるのだろう? もしかしたら目の前に居る人間は精神異常者かもしれないというのに……
「もしお前がヤバイ奴だったとしても、お前は俺に危害を加えないだろ? だから大丈夫」
どうしてこんなにも信用されているのか最初は分からなかった。彼の名は大竹 優、この人は1年生2年生とクラスが同じで、名字の始まりが『お』のために席も近く、1年生の時から仲良くしてもらっている。
「どうして私が君に危害を加えないと思うの?」
「だってお前、俺のこと好きだろ?」
「え……」
驚きすぎて、これ以外の声が出なかった。
「まぁ、俺も嫌いではないからな、別に付き合う分にはいいから、これからもよろしくな」
「……分かった、ならこれからは『ご主人』って呼んでもいい?」
「勝手にしろ」
これが、これからずっと私の支えになってくれる大切なご主人様との出会いでった。
大切なものが出来て、私の中の何かが変わったのだと思う。今のままの生活ではダメだ、晩御飯が毎日11時を越え、個人の自由が無く、一人の時間も無く、椅子に座って机に向かい宿題をしている時でさえ話しかけて邪魔をしてくる母親は、「宿題に集中していたから聞こえなかった。もう一度言ってくれますか?」と聞き返すことすら許さない。そんなことを言ったら「はぁぁ!? てめぇ何で人が話してんのにきいてねぇんだよ!!」と怒鳴られ、そこから過去の事までほじくり返され、私の心を傷つけていく……彼女にそれが間違っているという感覚はなく、自分はあくまでも正しいと思い続けている。
勿論、無能な父親が助けるのは9時に家に帰って来てから、それも相当酷い目に私があったら「やめろ」と言うだけ。母親も、その場だけは止めるだけで、根本的な解決はない。
何よりつらかったのは、父親が帰ってくるor父親がいないときに母親から父親の悪口を聞かされ、自分がいかに優秀な人間であるか、父親がいかに人間としてゴミクズであるか、給料が未だに昔の自分の半分しかないから、あの仕事を辞めなきゃよかった……などなど、私に聞かせて、母親は私に何をさせたいのか? 挙句の果てには、父親が家に帰って来ると舌打ちをするのだ、それに対し父親も舌打ちを返す。
こんなのが毎日毎日……家にいるのは当然苦しくなる。
そんな事を母親からされている父親を私は少しもかわいそうだとは思わない。だって、アイツも同じようなことをしているし、言っている。「かあさんが返ってくる前に寝ていろ。さもないとお前らもかあさんに殴られるぞ」私たち姉弟を寝かすためとはいえ、これではもはや脅し文句である。
だから変える。
ホコリとゴミ山とクズ両親と異常者の弟とは、ここでお別れだ。
まだ話していなかったが、私には4歳年の離れた弟がいる。ここで言う『異常者』とは彼が障がい者という意味ではなく、人間としておかしいのだ……というよりも、私が歪ませてしまった。
まぁ、本当のところを言うと弟は軽度の発達障害がある。それも毎日会っていないとわからないほどの障害でしかない。別にそこに関して私は弟を嫌っている訳ではない、むしろ尊敬している部分の方が多い。
話を戻そう、私には一つだけ幸運があった。
それは、自宅であるマンションの同じ階に母方の祖母の家があることだ。
私は祖母の家に居候することに決めた。
7月22日
中学2年生の夏休みの始まり。私は母親に「おばちゃんの家に泊まりに行く」といって出て行った。そして次の日も次の日も泊まりに行くと言って、かあさんの家に帰ることはなくなった。
祖母の家はかあさんの家と違って片付いており、喫煙者のいない家は空気がおいしく感じるほどだった。居候を始めて3週間、私の気管支炎はかなり治まっていた。
8時にはでてくる晩御飯。私が寝る頃にはおばあちゃんもおじいちゃんも既に寝ていて、とても静かだ。
しばらく経って夏休みも終わり、学校に行き始めると新しいの変化が見え始めた。
おばあちゃんの家での居候生活は私の心と学校生活にも変化を与えた。
「お前、前より明るくなったな」
「ホント? ご主人がそういうならそうなのかな?」
やはり変わったのだろう、自然と嬉しさの滲んだ明るい声が出る。
「今おばあちゃんの家なんだろ?親と弟から……まぁ良かったな」
「うん、これもご主人様のおかげだよ」
「当たり前だろ、このメス豚がぁ」
「あひぃぃ」
最後の会話は時々やる決まり文句のようなもので、私たちにとっては何ともないが、見ている側の人間には私達カップルの行いは異常なものに見えるらしい。
特に言われるのは「二人はどんな関係なの?」というもので、私が彼を呼ぶときに『ご主人』。そして、彼は私を時々『メス豚』などの呼び名を使うからだろう。皆には私達は彼氏と彼女ではなく、主人と奴隷に見える訳だが、それが私たちの愛情表現とでもいえばいいのだろうか? 自然と出てくるコントみたいなものなのだから仕方がないと言えば仕方のないことではある。
大竹と付き合って約1年。新しい環境での暮らし、約2ヵ月。
私の中に潜む狂気は次第に鳴りを潜めたが、そこで私は新しい問題に直面する。
「クソ野郎の霙はいつまでばあさんチにぃ逃げてんのかなぁああああ!!!」
久々に帰ってきて早々にこの始末だ。着替えや教科書類はすべてばあちゃんの家にあるが、すべてを向こうに送った訳ではない。今日は嫌々ながらも、アイツの家に学校で使う物を取りに来たのだ。
そして、思いっきり首を横に曲げながらこちらに向かってくるソレは母親だった。あいつが首を横に曲げて睨みつけて怒鳴りながらこちらに来るのは、私に恐怖を与えるためなのだろうか? ……否、アイツの粗暴が人間のそれではないからだろう。
「いつまでもよぉお!! 甘い汁ばっか吸ってよぉお! 甘やかしてもらってぇ!! おめえの居場所なんかねえからな!!」
そういって私を蹴り飛ばす。私は玄関に頭を打ちつけ、アイツをその状態で睨みつける。
「……」
「あぁん? な・に・そ・の・目?」
いちいち強調させて来るメス豚。イライラする。
「いい目ぇしてんなぁああ!! このクソ野郎!!」
また、蹴り始めた。倒れている私は、今までしたことのない事をした。
「やめろよ。かあさんの家に来ただけだろ? 俺がなんかしたかよ? アッチに行ってほしくなかったら、この環境をなんとかしろよ?」
アイツの足を片手で受け止め、立ち上がる。ここでアイツの足を押してアイツを倒さなかったのは素晴らしく、とても優しいと思った。
アイツの暴言も威圧感も暴力もアイツに対する感情も……何も感じない、感じなくなってしまった。
「かあさんチかあさんチってよぉ!! お前の家はねえのかよ!」
論点がずれた。そんなのはどうだっていい。今話すべきは、この家の環境を変えなければこの家に帰ることはない、という話なのだ。
ホコリにまみれた室内。二段ベッドは弟のせいで、どっちもおもちゃとお菓子のゴミまみれ。物がいたるところにあり、人が歩けるスペースがあるのが不思議なほど。換気扇をつけて吸っているはずなのに、玄関の壁までヤニ色でたばこの臭いがする。極めつけに、ここに住んでいる生き物は異常者のみ。こんな所に誰が一緒に暮らしたいと思えるだろうか?
「はぁ……論点ずれてるし、どうでもいいわ。じゃあね」
そう言ってアイツの家の玄関を開け、ばあちゃんの家に帰る。後ろでは「逃げんな」とかなんとか、そんな音がするけど、関係の無いことだ。
(殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる、この俺様が直々に殺してやってやってやってやってやってやるんだから穢れきった、てめえらには行き過ぎた配慮だろうが? だからさっさと今すぐ1秒以内に死にやがれ、死ねっ! クソメスがぁああ!!……)
「ぐぅぅぅ……ギ、ギガがぁあア」
胸元を握りしめ、機械音のような唸り声を出し、狂気を胸の内に秘め……
私には関係ない。スッキリとして、心には何もない。
心が二つに分かれたようだった。体と心はこんなにも狂気的な熱さを感じているのに、そこから一歩引いたところに私の……いつもの私がいるように感じる。
それはまるで、誰かに身体を操られているような感覚だった。
それこそ、新たなる変化。新しい私の異常…………
中学校は楽しい。それは親がいないからでもある。そして心を開ける相手、愛するご主人様がいてくれるからにほかならない。だからこそ私は授業参観が小学校の頃から嫌いだった。
アイツに授業参観のお知らせのプリントを見せてないから絶対に来ないはず、だけど何でかな? 不安で不安でしょうがない。
幼稚園から嫌な思いをし、学び舎では小学校までいじめられ、家では今の方が酷い思いをしている始末。どうしても母親の影を引きずってしまう……それを払拭すべく、私はご主人の下へ行くのだが、彼は他人と話していた。私にとっての他人は彼にとっての友人なのだろう、でも俺はアレを知っている。
あの人間は私がご主人様と一緒にいた時に「あれ? 大竹の友達? こいつさぁ結構ヘンタイだから気を付けた方が良いよ~」と私に向かって言い、言い終わったと思えばご主人様と話し始めるではないか。相手を罵倒しておいて、その相手とよく普通に話せるものだ。
まぁそれもご主人様がお優しいからだろう。私だったら、こんな人間と楽しそうに話すことなど到底できそうにない。
「そう? 大竹はとってもいい人だよ?」
(何コイツ? 殺してほしいなら最初からそう言えよ……ググジジジッジジイイィィイ…………)
冷たい眼差しと威圧感。こいつは全く気付いてはいないが、一部の人間共は気付いたようで私から目を背けて関わらないようにしている。
心に狂気が溢れて、とめられるかどうか……まぁそれ以上言うなら容赦はしないがな。
「やめとけ霙、俺は大丈夫だからその辺で抑えておけ」
人間のふりをしている畜生が得意げに何かを話している途中で大竹は私に向かって小声でそう言った。
あぁ、この人は私の事を分かってくださっている。これほどまでに嬉しいことがあろうか?この出来事は間違いなく今日一番の幸福だ。
だが、幸福の代償は必ず来る。
「ああ、嬉しいな……うっ、ギィぃい……ああ、おかしいなぁ……」
その日、私は布団の中で一人、他の自分に苦しんでいた。
1年半後、私も大竹も高校生になった。クラスは分かれてしまったけど、同じ学校なんだもの、毎日のように会えるはず。しかし、その考えはすぐに改めることになった。
会えない。ご主人様が1組で、私が5組だからという理由だけではない。単純に忙しすぎて殆ど会うことが出来ない。私もご主人も運動部に入ったけど、私とご主人様の部活動は違う。ちなみにこの高校はいわゆるオール3の成績の人間が来るような場所で、私は人間性もオール3の普通の人間だらけなのだと思っていたが、成績が普通でも、人間性は関係ないらしい。
お互いに日曜日以外は部活があり、その日曜日でさえ大量の課題などの提出物のための時間で消え去っていく。私達が会えるのは必然的に昼食の時間だけとなった。
「ねぇご主人」
「…………」
「ねえってばぁ~」
「…………」
高校生活が始まり、部活が始まり、授業が始まり、ようやく二人とも落ち着いて会うことが出来るようになったから、今日は二人でお弁当を食べることが出来ると思って1組にやってきた。なのに、ご主人の様子がおかしい。
前にもこういったことはあったが、ご主人による私に対する無視は、ここから2ヵ月ほど続くことになるのをこの時の私はまだ知らない。
苦しい。苦しい。異常な苦しさが私を襲う。
辛い辛い辛い辛い辛い!! ゴミクズと猿共の楽園状態の環境に飽きたし、辛いのだ。部活動では勝手なことばかりする上の生き物と同学年のオサルサン、そんなのを見せられてはこっちも殺したくなる。殺してあげたくなる。殺されたいとしか思えない。
狂う。
こんなのが毎日……早く、早くご主人様に会いたい。会って、話を聞いて欲しい。
聞いて欲しい?
本当に私は聞いて欲しいのか?
2ヵ月……2ヵ月彼とは会っていないが、思っていたよりも軽症だったではないか? 話したところであのニンゲンモドキが変わるわけではない。
それでも話さないと……話さないと苦しい、苦しいよぉ。
自分自身の心と他の私達のココロとの葛藤に苛まれながら、化け物は考える。考えても答えは無い、それが分かっていながら考えて、時間を稼ぐ。
これも自己防衛。現実など見たくないし知りたくない。
怖い。
辛そうなフリをする。
悲劇のヒロインを気取っている訳じゃないけど、それでもせずにはいられない。
きっと私は寂しいのだ。家族は嫌いで、本心を打ち明けられる友達はいなくて、そもそも本心が何なのか分からなくなってしまった。それゆえに他人の感情に依存するのかもしれない。
他人に愛されたい。
愛されるなら何でもいい。
どうでもいい。
心はからっぽ。正義感という名の理性のせいで援助交際をしようという考えもない。
結局、ご主人様がいなくても普段通りの生活が出来てしまう。
いつしか私はご主人の事すら忘れていった。
高校2年生。
新しいクラスには表面的な友達もおらず、完全にボッチになった。その代わりに吾輩たちは部活を頑張ろうとしていたけど、後輩が以外にも強いからナカナカに楽しいし、勝てないし、ウルサイノダ……ほんと、&”#W&R(&(&%!”$”?)
最近、人間の言葉で話すことが出来なくなることが多くなってる気がする。
どうしてそうなってしまうのか?
僕には理由が分かる。自分の感情が言い表せないのだ。
この世界に言い表せられる表現がないとかじゃなくて、私の表現能力が乏しいからこうなる。
そんな私の音声を音としてだけを表現するならば
「グキュルギジィや・きゅユゅゥる」だろうか。
クラスになじめないまま数週間が経った頃、学校行事で遠足に行くことになった。
面倒な遠足。
強制的に行かなくてはならないチェックポイントで先生からチェックを受けたら、唐突な個人行動。
私は一人で帰りの集合場所にいた。
「ああ」
「あああ」
あガっ……
……ぎいぎぎいいいぃいぃぃ!!
……………………………………
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
心の葛藤空しく、霙は……私は……
「はぁ、はぁ、」
パソコンの前で苦しそうにあえぐ人間。
その人間は自分の苦しさを誰かに聞いて欲しくて、ネットに自分の『今まで』を題材にした小説を書こうとしていた。
だが出来なかった。
思い出したくない。
どうしても優しくしてしまう。だからこうなったというのに……まだ人間は……
自分の狂気を……
自分の真実を……
誰かに知ってもらいたかった。
誰かに助けてもらいたかった。
「真実を……真の『我が狂気』を書かなくちゃね」
どんなに苦しくても辛くても、私は真実を書く。
書いて、自分と向き合う。
逃げていても変わりはしないから。