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第四話 書籍化作家と底辺作家

 空気が張り詰めるという表現がある。

 誇張だと思っていたけれど、僕と仁美の間にある空気はまさにそれだ。

 針で突っつけば途端に破裂しそうな程、ぎりぎりのテンションを保っている。


 胃が痛くなりそうだ。

 けれどもこの状況を招いたのは、明らかに僕のミスだ。


 "昨日か。出版社宛にファンレターが届いて、植草さんから渡してもらったんだ"


 出版社へのメールによる読者の言葉や感想は珍しくはない。

 だけど、実際に手書きのファンレターとなるとかなり希少だ。

 便箋の手触りと手書きの文字に、舞い上がってしまっていて。


 "うっかりジャケットのポケットに入れたままにしていたなんて"


 帰宅してから取り出すべきだった。

 見事にそんな簡単なことさえ忘れてしまう程、注意力が働いていなかったのか。


「司まお先生、なんだ。聖司さんが」


「ああ。『書きたい!』の中では、僕は司まおだよ」


 第三者がこの現場を見たら、理解に苦しむだろうな。

 それくらい意味不明の会話だ。

 だけど、当の僕たちはこれ以上無いほど真剣だった。


「お堅い研究員なんかしてるその一方で、あのチートハーレム満載のお気楽ファンタジーを書いていたのよね」


「そう、だね」


「何の理由や正当性もないまま、ニートが都合よく魔王に転生するのよね。そして、半裸の可愛い女の子を従えて、うはうはライフをエンジョイする」


「......そう、だね」


 仁美の指摘は的確で、僕は頷くしかなかった。

 改めて自分の書いた小説を振り返ると、結構ひどい。

「でもラノベってそういうものだからね」という弁解は、誰に向かっての言葉だったのか。


「ふふ、そうね。『書きたい!』の人気作品って大抵そういうものだよね。男性向けなら、チート、ハーレム、俺tueeeeは必須。敵は瞬殺、何の苦労もせずに周囲からもてはやされる。女の子ともやりたい放題。あり得ない妄想をもたらす安心安全のバリアフリーじゃないと、ポイント稼げないものね」


「よく読んでるね」


「一応それなりに読んできたもの。ああ、女性向けも基本は同じだよね。周囲がびっくりするほどの美貌は当然、誰からも愛される。イケメンに溺愛されて、逆ハーも当たり前。永遠に続くシンデレラタイムは、夢見るあなたにうってつけ。素晴らしいわ。それがストレス解消の為の読書を提供する、ライトノベルの役割だもの」


「概ね正解だと思うよ。誰だって現実は疲れるから」


 仁美の吐き出すような言葉を、僕はただ受け止める。

 まだいい。ここまではいい。

 彼女は『書きたい!』における人気作品の特徴を正確に捉えているに過ぎない。


「そうね。作者は現実に疲れているから、そういう作品を書く。読者も現実に疲れているから、そういう作品を読む」


 間合いを詰められた。

 頭一つだけ、仁美の方が低い。

 そのせいか、僕を睨む彼女の目は三白眼になっている。

 咄嗟に声が出なかった。


「つまり、聖司さんは今の現実に疲れているのね。私との生活も疲れるから、転生ニートを書くんだ。現実から目を背けたいから、そんなに私が嫌だから、あんな面白い作品を書けるんだ」


「――読んだことあるんだね」


「読んだよ。累計トップ10以内の作品は、一通り目を通したさ。あいにく書籍ではなくwebベースだから、あなたの印税には貢献していないがな」


 ドスの聞いた声に、思わずたじろいだ。

 普段の彼女の声とはまるで違う。


「仁美、落ち着こうよ。君がそんな顔をする必要は無いだろ? 混乱するのは分かるけど」


「黙れよ」


「はい」


「物分かりいい(ツラ)してんじゃねーよ、司先生よ。あんた知ってるよな? 私が一ノ瀬みれいというユーザーネームで、小説書いてるのをさ。暇さえあれば、箸にも棒にもかからない駄文をひたすら書いてるのをさ」


 まずい。

 完全に目が据わっている。

 言葉遣いすら変えて、仁美が僕に詰問する。

 肩までかかった彼女の髪が揺れた。


「ねえ、どんな気分なんだよ? 自分の妻が『乙女ゲーム転生オペラ! ~十二人のイケメン王子に溺愛されて幸せ絶頂サイコーです~』とか書いちゃってるのを知ってさあ!?」


「ど、どうと言われても」


「他にも色々書いてるの知ってるんだろうが。『悪役令嬢になりたかったのに、周囲が許してくれません!』とか『婚約破棄に疲れたので、チートなキャリア官僚目指します』とか書いてるんだけど!」


「いや、それはだって、君が自分からこんな作品書いたのって教えてくれて」


 僕の反論に、仁美は一瞬だけ口を閉じた。

 そう、彼女自身が『書きたい!』にユーザー登録していることは話してくれたからだ。

 だから今さらなはずだった。


「口ごたえしてんじゃねーよ、書籍化作家様?」


 ダメだった。

 理性では理解していても、彼女の荒れ狂う感情が普通の会話をぶっ壊す。


「何黙ったまんまなんだよ。どんな気分なんだって、こっちは聞いてるんだよ。夕方五時すぎのスーパーで惣菜30%引きの値札貼られるのを待ちながら、私はこんな小説のこと考えてたんだぞ? そんな妻に対して何か一言くらい言ってみろよ、ああ!?」


 一体何を言えと言うんだ。

 僕は何も思いつかず、頭の中はグルグルしている。

 焦るしか出来ない内に、仁美は更に口を開く。


「炊事洗濯の合間でも、頭の中は妄想で一杯! こんな展開にしたらブクマ増えるかなーとか必死こいて考えてんだぞ、こっちは! そんなどこから見ても頭おかしい妻よりも、ファンレターくれる熱心なファンの方が大事なんだろ、司まお先生はぁ!? ほら正直に言えよ、売れっ子書籍化作家さん!」


「そ、そんなことあるもんか! ファンは所詮ファンだろ、君は実際に人生を誓ったパートナーで」


「あなたの1%以下しかポイント取れない底辺作家、なんだよね。私なんていくら頑張っても、そんなものだし」


 ガクンと仁美の首が落ちた。

 顔は髪に隠されてしまい、僕の視界から消えた。

 いや、見えなかったことはむしろ幸運だったのか。


「ポイントなんて、所詮web上での投票の集積だろ......そんなものに左右されたら、それこそおかしいよ」


「じゃあさ、聖司さんはさ、それを自分の作品にブクマしてくれてる人にその台詞言えるの?」


 その冷たい響きが、僕の胃の中に氷柱を作る。

 こみ上げる悪寒に、くらりとしかけた。

 それでもどうにか言葉を押し出す。


「そ、それは、また別だろ。止めようよ、そんなこと言うの。何の意味もない」


「あなたの作品を好きだと言ってくれている人の数が、ブクマの一件一件なんでしょ。それが認められたから、書籍化されて世の中に出回ってるんでしょ。その事実に対して、あなたは何も意味が無いなんて言えるの?」


 言えない。言える訳がない。

 言えたらどんなに楽だったかとは思う。

 だけど、言える訳がない。

 自分を支えてくれるファンの一人一人が、司まおには大切だったから。


 僕は沈黙しか生み出せない。

 書籍化作家の端くれなのに、(そば)にいる一番大切な女性(ひと)にかける言葉さえも見つからない。

 それが酷くもどかしかった。


「言えるわけないよね。聖司さん、優しいもの。自分を支えてくれる人が画面の向こうにいること、ちゃんと分かってるものね。私とは違って、何万人にも支えてもらってるんだよね」


「仁美、待って、落ち着いてくれ」


「落ち着いてるよ。貴方は人気ある書籍化作家で、私は底辺作家という事実をちゃんと認識しているもの。私がいくら努力したって貴方には届かない。そのくらいは、私だって分かるもの」


 とくん、と一つ僕の心臓が跳ねた。

 仁美の体が僕から離れる。

 顔が見えた。

 その目は虚無しか映していない。


「違う、それは――君が底辺なんてことは絶対にない」


「最後には結果しか残らないんだよ、聖司さん......ううん、司まお先生。ごめんね、私これ以上、あなたとは一緒にいられない。自分が(おとし)められているみたいで、すごく辛いから」


 僕の耳は正常なのだろうか。

 これがノイズであってくれと願った。

 右手を伸ばした。

 でも、その手は優しく振り払われた。


「さよなら、聖司さん。お世話になりました。これからも皆に愛される作品をたくさん書いてください。私は貴方の邪魔にしかならなくって......ごめんなさい」


 去り行く妻にかける言葉さえも僕の語彙には無かったらしい。

 ドアが閉まった、と気がついた次の瞬間には、城木仁美は僕の(かたわ)らから消えていた。

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