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第二話 僕は幸せなはずなんだ

 僕の本業は、私立大学の薬学部所属の研究員だ。

 三十一歳という年齢を考えれば、准教授になるのはまだ先の話だろう。

 高収入ではないけれど安定はしている。


「それでは訂正箇所については、打ち合わせの通りでお願いします。期限は二週間後でよろしいですか?」


 そんなオフィシャルな社会的なポジションとは別に、こういう側面もあるわけで。

 今、僕の正面に座っているのは、出版社の編集者だ。

 打ち合わせは、いつも大学から少し離れた喫茶店で行っている。


「承知しました。それで問題ありません」


 作家の顔で僕は答える。

 抱えている本業の仕事量と相談した上で、これなら大丈夫と判断したのだ。

 幸いなことに、編集の植草さんとは付き合いが長い。

 もし提出の際にトラブルが生じても、正直に打ち明ければ何とかしてくれるとは思う程度には信用している。


「そうですか、良かった。ところで司先生。まだ、奥様にはご自分が作家であることを打ち明けておられないのでしたっけ?」


「ええ、何となく言いそびれてしまって。あくまで僕は大学の研究員ですし」


「なるほど。まあ、それが先生のポリシーなら別に構わないのですが」


 そう理解ある顔を見せつつも、植草さんは歯切れの悪い様子を隠さない。

 僕としては少し気になった。


「あの、何か問題でも?」


「問題という程ではないとは思うのです。ただ、作家さんの中にはご家族に反対される方もいらっしゃるので」


「ははあ」


 その言葉は、僕の心に小さな影を落とした。

 くっきりと黒い染みが、心の片隅を支配していく。


「司先生に何も無ければいいな、と思った次第ですね。余計なお世話かもしれませんが」


「ありがとうございます。何も無いですよ、ええ」


 多分と心の中で付け加えながら、僕は笑みを作った。

 一度色つきの眼鏡を拭きながら、植草さんは「ですよね、失礼しました」とだけ答えた。

 僕はコーヒーを飲みながら、仁美の事を考える。


 "家族の反対、か"


 その可能性を考えたことが無かったわけではない。

 仁美が話してくれたので、僕は『小説を書きたい!』の中の彼女のアカウントを知っている。

 そして、彼女の書いた作品も知っている。


 いつものブラックコーヒーがやけに苦い。

 きっとただの気のせいだろう。


「植草さん」


 コーヒーカップをテーブルに戻しつつ、ふと聞いてみた。


「何でしょうか、司先生?」


「今さらですけど、『書きたい!』から書籍化する作品はどのように選ばれるのですか? やはり高ポイント作品が王道でしょうか」


『小説を書きたい!』には、読者が気に入った作品をブックマークと呼ばれるお気に入りに入れたり、文章や描写を評価する機能がある。

 そうした読者の反応は、ポイントという点数で反映される。

 いわば、読者の声だ。

 一般的にはこれが高いほど、人気作品と呼べる。


「そうですね。やはり高ポイントだと、我々出版社の人間としては安心感はありますから。Web読者がそのまま書籍を買ってくれるとは限りませんが――」


「――潜在的な購買者は多いと推定することは出来ると」


「はい。いや、実際のところ売り出してみるまで分からないというのが、本音なんですけどね。高ポイントだから売れるだろうと期待したい、本音を言えばそういうことなんですよ」


 はは、と植草さんは肩をすくめる。

 彼の飾らない態度は好ましい。

 けれど、その言葉自体は容赦の無い現実だ。


 書籍化という幸運に恵まれる作品は、高ポイントを掴んだ作品に限られる。

 あとは出版社が主催するコンテストで、何らかの賞を受賞した作品だけだろう。

 仁美の作品はそのどちらかに引っ掛かるのだろうかと、自問する。

 僕の勘は、無理だろうと即答してきた。


「司先生は特に受賞などはされていませんが、転生ニートが目を見張る程の高ポイントでした。ですから、うちが声をかけさせていただいた次第ですね」


「ええ、そうでしたね。あの時はびっくりしました。まさか自分の作品が本になるなんて」


「皆さん、そうおっしゃられますよ。でも今は無事に三巻まで出版されたのですし、良かったではないですか」


 そうだろうな。

 競争の激しいライトノベルの世界では、一巻打ち切りも珍しくない。

 その中で三巻まで出たなら、一般的には成功と言っていいだろう。

 僕には何の不満も無い。

 これ以上はバチが当たると思っている。


「運が良かったんですよ」


 本心からそう思う。


「いえいえ、運だけでなく実力もですよ。それではここはいつも通り、私が持ちますから」


「すいません」


 植草さんに頭を下げつつ、書類を片付ける。

 自分の作品が世の中に出ている喜びと、妻への若干の後ろめたさが同居していた。

 僕は幸せなのだろう......多分。

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