第一話 僕が君に隠していること
「うーん、やっぱり悪役令嬢、婚約破棄、乙女ゲームの三種の神器無しでは難しいかあ。聖女も割りと強いキーワードなんだけどなあ」
「へ、へえ、そうなんだ」
引き気味に僕は頷く。
目の前では、妻の仁美がうんうんと唸っている。
僕の声は多分聞こえていないだろう。
「やっぱり冒頭で婚約破棄させて、そこからざまあさせるしかないのかな。でもそれもほとんどの作品でやりつくされているし、もう目新しさが無いかも?」
首を少し左に傾けて、仁美は何かノートに書き付けている。
僕はそれを覗きこむという無粋はしない。
ちらりと"ざまぁ!"や"溺愛!"などの走り書きが見えるが、それは見なかったことにする。
「忙しいみたいだから、僕は二階に行ってるね。それじゃ、お茶の時間に」
「え、あ、うん。ごめんね、聖司さん」
「いいよ、いいよ。いいものが書けるといいね」
僕はそのままリビングを出て、二階の自室に入った。
フーッと深いため息が自然と口をつく。
"言えるわけないよなあ"
窓際のデスクの袖机、その上から二段目に手をかける。
鍵を取り出し、慎重に開けた。
そこから現れたのは、一冊の本だ。
四六判の表紙の中から、可愛らしく描かれた女の子がこちらを向いて笑っている。
"僕が作家だなんて、今ばれたらどうなるか"
本の隅に書かれた"司まお"という著者名は、そう。
作家としての僕――本名、城木聖司――のペンネームだ。
結婚三年目の妻は僕が書籍化作家であることを知らない。
† † †
Web小説投稿サイト『小説を書きたい!』というサイトがある。
そのサイトで書かれた作品は、読者が無料で読むことが出来る。
それらの中には、出版社の目に留まり紙の本として書店に並ぶ物もある。
これを書籍化と言う。
割合的にはごく少数だけど、最近はその点数も増えてきた。
そして幸運にも、僕もそのおこぼれに預かった一人だったりするんだ。
"ほんの気晴らしで書いていただけだったんだけどな"
本を手に取り、僕はベッドに寝転がる。
タイトルをじっと眺める。
『転生ニートの快適過ぎる魔王ライフ ~力も金も女も全てウハウハです~』という文字が踊っている。
自然と苦笑が漏れた。
上司や同僚がこれを知ったら、一体何と言うだろう?
正気を疑われるに違いない。絶対に隠さなくては。
けれども、それは大丈夫だ。
職場にこの本を持っていかなければ、まず間違いなくばれることは無い。
むしろ問題は、もっと身近なところにある。
「聖司さーん、お茶淹れたよー。おやつにしない?」
「あ、うん。今行く」
階段の下からの仁美の声に、素早く反応する。
本を袖机に隠し、施錠した。
一階に下りる。
不自然さが無いように、自然な笑顔を意識する。
「もう執筆はいいのかい?」
「うん、あんまり根詰めても上手くいかないしね。それに聖司さんとの時間も大事だし」
仁美はキッチンに立ちながら、ふふっと笑った。
その耳元では、結婚前に僕があげたイヤリングが揺れている。
「ありがとう、お菓子は僕が準備するよ」と答えつつ、僕は願う。
この平穏な生活がいつまでも続きますように。
そのために、僕が書籍化作家であるという事実がばれませんように。
書籍化作家とそうでない作家の壁は、『小説を書きたい!』においては余りにも厚いから。