泡沫の夢
かつて、ある人は言った。「パンがないならお菓子を食べたらいいじゃない」と語るフランス王妃がいたと。あまりにも有名なそれは今や彼女の代名詞。
また誰かは言った。そんなマリーアントワネットはいないと。
真実と偽物はことごとく事実となり、また嘘となり、混ざり歪んで歴史が生まれました。
それならば、あらゆる可能性は同時に実現し得るのでしょう。
此度は少し、趣向を変えて。
泡のように消えた物語の、溶けていった平行線。
寝物語としてお伝えしましょう。
この世は私のためにできている。
私は某国の第ニ子として生まれ、寵愛を一身に受け、類稀な美貌を手にして。だって、そうしたら世の中が私に優しいと思うのは当然でしょう?実際に手元には持ちきれないほどのものがあったし捨てるほどの人が溢れている。
それでも、手に入らないものがあった。
柔らかな眼差し、指先までほっそりとした体、高貴な出で立ち。私が求める十分で私と釣り合う身分で私の目に入ることを許される存在感。
それなのに彼は、それなのに私を見なかった。
その慈愛で誰にでも優しくて、その聡明で遠くまで見通して。
まるで中身すらも他人のために作られた彼と接する私が私でなくていいようで。
そんな体験は初めてだったから、もしかしたら万が一何かしらの致命的な欠陥があって私以外にも太陽を回す人がいるのかと、少しよ?本当に少し思ってしまって十夜通して泣き続けたこともあったわ。
だから、嵐で大魚も尾ビレを見せるほどの雨の中、虹色の鱗まみれで砂浜で横たわっていた彼を見て、私はこう確信したの。
「世界は私の玩具だ」ってね?
黒く広いけれど、ステンドグラスからの光が乱反射をして色どり照らされる教会で、国一番の敬虔な神の子と呼ばれる私が祈りを捧げている。
あらゆるものを何もせずとも与えてくれる神様に感謝を抱くくらい当然で、何かから救われたい凡百と違い、既に持っているものによって祈祷する意味となす私に私欲なく祈れるのは当たり前で、それ故にその信心の純粋さは必着の結論だった。
首元にかけられた十字架の勲章は私の神への思いの形を与えられたものであり、私の絶対的だった自信の一因を担う証だ。重いし尖っていて危ないのを除けば誇らしい。
ほら、銀色が輝かしいでしょう?
神父に挨拶をし、優雅たるようにゆったりと歩き去る。
週一回のそれを終わらせ、海辺を通ってのんびり帰る。
どうせ私には何でもある。わざわざ急ぐ必要などあるはずもなく。
王子との婚約でグレーだった国境が共有のものとなった海岸は私の賜物。堂々と歩くことがまた私の気分を良くしてくれる。
雲一つない空と海の間、降りていく太陽を慈しめば暮れていく世界もまた愛しい。
目を細めながらふと思い出す。その洞窟の先で化け物が出たというクレームを。
少し、寄り道をすれば見に行ける。
危険なのは言うまでもなかった。けれど迷った私は単身件のものを見に行くことにした。
平素の私なら取ることすら考慮しないリスク。けれど、何か、私のその先を決定することのような気がしたのだ。
洞窟は冷え込む。一日中日の当たらない、石に囲まれたそこは着込んでいない私から簡単に熱を奪い白い息を吐かせる。自分の足音が次々跳ねて何度も耳に入り、そして遠くへ吸い込まれていく。泣き枯らした喉が咳き込んで寒気が走る。
ようやく光の見えるところまで来て、確か崖になっていた終わりについた私は、異形を見た。
まず目につくのは鱗。ビッシリと生えたまさに大型魚のような異色の脚に、丁度純潔の乙女の上半身が乗せられているそれは異様な怪物だった。
怖い。その言葉を飾る必要はなく、恐怖を彩るだけの余裕があるものの娯楽でしかないとわかる。
怪物の顔は笑みを浮かべ、目をつむり口の中で何か文言をを転がしている。いや歌っているのだ。声なき声を発して口ずさんでいるのだ。
何か何故かを知ろうとして、はっとそれをやめる。
怪物に対して歩み寄る必要はない。理解することは必要でない。まして共感なぞ、己を異形に落としこめる。
もういいだろう。帰ろうとした私はそこで、目端にちらつくそれを見た。光に当てられた鱗。
――虹色だった。
知っている私は知っている知らないはずがない間違いない彼女は間違いない
――私から奪うのだわ
「あなた!あなたあなたあなたあなたどうしてどうしてここになんでこんなところで!」
笑みを浮かべた下劣に私は歩みを進める。
「答えろ!」
困惑顔の畜生に、咄嗟に手を出す。ゴヅンと鈍い音がする。
アア、コレハキモチノイイ
ほら答えろ下郎め『殴る』卑しいその口『殴る』はものも言えねぇ『殴る』のかやっと何か『殴る』言ったと思えばな『殴る』んでだぁ?そんな『殴る』のこっちが知り『殴る』てぇんだよ今さ『殴る』らのこのことあ『殴る』らわれて王子『殴る』様にすり寄『殴る』る気かよ娼『殴る』婦ごときが舐『殴る』め腐って『殴る』んじゃねぇ『殴る』ぞほらどう『殴る』した人外『殴る』この程度『殴る』でへばるの『殴る』かよ雑魚あ『殴る』あそうかお『殴る』前魚『殴る』だもんなビ『殴る』チビチ跳ね『殴る』てよがって『殴る』ろ変態『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』『殴る』
叫び疲れた喉を自覚した。
――予想以上の感触があった。右手をみれば十字架。それは重く振れば強い衝撃があるだろう。そしてその先端は尖っている。
あ、そっか、黙らせればいいんだ。
ぐったりとしたソレを座っていた岩に載せ、もう一度馬乗りになって私は両手で十字架を首に
夢を見た。恐ろしく生臭く、血生臭い夢。少し寝坊したことに気づいた私は慌てて身支度を済ませ、部屋を出る
と、丁度私の最愛の人が廊下を通る。
最高の笑顔がこぼれるのを感じて、またそれが嬉しかった。
「あら、おはよう」
ああそう知っているかしら。
人魚の肉を食べると不老不死になるそうよ?
さて、泡と消えるは人か可能性か
あるいは全て、練り込まれるのやも知れませぬ
今宵は、ここまで