灰被り
おとぎ話はいつでも夢と希望の物語。
ウサギは時計を見て走り、アヒルは空へと翼を広げ、獣は城で姫と舞う。
私たちが大好きな彼ら彼女らにも、知れぬ苦難の一つもあろうというもの。
さてさてこれより語りますは、文字の間へと消えた世界。
お集まりの紳士淑女皆様の耳に、どうかお聞かせ願います。
世界は私のために出来ていなかった。
貧相で汚らしくて愛も受けられない親不孝者に世界は機会を与えなかった。
「あなたは連れて行けないわ」
十年に一度の、国王主催の舞踏会。そこに私は参加することが出来ない。
こんな締まりのない手足に豊満の欠片もない体にそばかすだらけの顔は、言外に恥をさらすことになると言われた。
「姉様の手ほんと綺麗!」
「あなただって端整な顔立ちで誇らしいわ」
「そういう母様も健康的な足で羨ましいですわ」
装いも絢爛豪華に、二時間後の準備に勤しむ二人の姉に母。
私と同じ血のはずなのにあまりにも違いすぎた。落とし子と言われてもすんなりと理解できる。ずるい、私だって、ずるい、なんで。
握った手と噛んだ口から血が溢れる。
「留守番、頼んだわよ」
と言って化粧をするために三人とも奥へと向かっていく。
残された私は床掃除をし続けるしかなかった。
昔からそうだった。淑女の嗜みは姉様たちしか受けられなかった。私には要らない物だと育てられてきた。
ずっと家で家事をして裁縫をして、煌びやかな格好なんてしたことなくて、閉じ込められて生きてきた。
もっと可愛いなら、美しいなら、綺麗なら違ったのだろうか。
悲しくて、苦しくて、泣きそうで。
小さな頃夢見た舞台が、私にとっては夢でしかなかったのだ。
下姉様のまとめた髪の毛が慣れていなくてかぼちゃみたいになっていたことを馬鹿にするくらいしかできない。
小さな頃見た王子様への気持ちはまだ続いているのに、なんで、なんで私は私なの。
物語のようなお姫様が選ばれるなんて、ずるい。
胸のあたりが苦しくて掻きむしる。ガサガサの肌がボロボロと破れ赤くなる。
手が首に触れた時にふと、思いついた。
もういっそこのまま絞めてしまおうかと。
(そんなことはありません)
聞き慣れない、けれど耳に馴染む誰かのしわがれた声が聞こえた。それは続く。
(あなたにだって、夢を叶える自由があるのです)
「だ、誰!?」
周りを見渡しても誰もいない。ついに頭までやってしまったかと思った。昨日ヘマをして卓に打って星が見えた時かな。
それはまた続いていく。
(私は魔女。あなたの気持ちの代弁者です)
(あなたの舞踏会に行きたいという願い。しかと聞き受けました)
まるで慣れているかのように言葉を連ねていく。ゆったりと、それでもはっきりとした声は頭の中で響く。
その言葉に対し頬が緩んでその後すぐに、現在進行形で見たこともない人の言葉を簡単に信じている自分に苦しくなった。
そしてそれでも本音の部分で絆された私は困惑もあるがそれより悲観が大きく波打った。
「でも私、こんな恰好じゃ行けない」
(フフッ、気にするところはそこですか。大丈夫、自分を変えることは出来ます。)
「変える…?」
柔らかな声は私の理想なくらい優しくて、自然と心に馴染んでくる。
また夢物語に篭ったみたいに心地良い言葉。
(そう。あなたには幸せになる権利があります。自分を信じて)
「自分を…」
変わる…変われるんだ私。
少しずつ、はっきりと語りかけるそれにつられてどこからかわからないけれど自信が沸き続ける。
そうだ。私が輝いていけない理由なんてない、止めていい道理なんてない。
(そうです)
「変わりたい…私だって変われるんだ!」
(その気持ちがあれば何だってできます。貴女はもう一人前の美しい淑女です)
(さあお行きなさい、舞踏会へ)
「ええ!ありがとう!私生まれ変わるんだわ!」
(礼はいりません。あなたには全てがあった。私はあなたの最後の一押しをしただけです。)
そして私は、私の殻を破り捨てた。
十一時の鐘がなる。それが私の夢の始まり。
魔女さんはいろんな物をくれた。
カボチャの馬車……は無かったけど、馬車はくれた。魔女だって出来ないこともあるわ、魔法じゃないんだし。
でもほら、私のお面はカボチャで作ったのよ。仮面舞踏会って素敵ね。顔は王子様だけに見てもらうの。
純白のドレス……もなかったけど、家の中の物で上手く作ったわ。あんな高い物を望んでも仕方ないし、綺麗に出来たもの、文句はないわ。
ガラスの靴……なんてないけどガラスのような白いブーツを作ったの。たっくさん踊るんだもの。その方がいいわ。
これだけあれば大丈夫なはず。きっと王子様だって振り向いてくれるはず。今年はお姫様を選ぶ年でもあるもの、頑張らなくちゃ。
姉様の化粧も使ったし、完璧な私ができたはず。
土産物だってほら、『眠れる獅子の牙』を。
お裁縫の時に傷つけた手が少し痛いのが玉に瑕かしら、お蔭で仮面には怖くて何も出来なかったの。でも王子様ならわかってくれるはず。
魔女さんは私を舞台に立たせる勇気と、あとはほんのちょっぴり餞別をくれた。
誰も手を差し伸べてくれなかった私への気持ちは、何でも出来る希望として心の中で生きている。
足取りも軽やかに家を出た。
御者さんは私を見て呆然としていたけれど、「出して」と言うと慌てて向かってくれた。
やっぱり今の私は綺麗みたい。見とれさせちゃうのは少し困るわ。
ああ、あんなに暗かった世界が、今はこんなにも輝いている。
外を見ながらそんな事を考えていれば城はすぐそこまであっと言う間。
馬車を降りれば足取りも軽く、階段まで光り輝く舞踏会場、私の思い出に近づいていって手を触れると、手すりは私の手と旧友の仲のように馴染んでくれた。
衛兵さん達もやっぱり私を見て驚いているみたい。そうよね、私だって見慣れない美人がいたらそうなるもの。遅刻したのはごめんあそばせ?
優雅に淑やかにそれでいて大胆にしっかりと足を前へ前へ。
近づく程に大きく感じる扉。金色の、お話の中のような模様が荘厳さを出している?とでも言うのかしら、ともかくそれは考える以上に簡単に開いてくれた。
あまりの光量に私の目が眩んだ。
真っ白な床に細かな砂がキラキラと混じり、天井に黄金のシャンデリア。装飾カーテンは光を跳ね返し、とりどりの色が揺れ動く。
これが王国の舞踏会。仮面越しに笑顔が綻ぶ優雅の極み。
けれど私を見て誰もが足を止め、凍ったように動けないでいる。
やがてざわめきが寄せては返し、集まっている注目の波長に身を浸す。
綺麗になった私はやっぱり話題の中心なのかしら。この気持ち、悪くないわ。
そして、そしてそして、なんと対面方向からくる人影。
貴賓席最上階から降りてくる彼と私だけが時計の針を進めている。
知っているわ。だって見たことあるもの。
彼女の歳を半分にしたほどの昔。憧憬に浮かんでいた、民に手を振る小さな御姿。これまた小さい彼女は目が離せなかった。
それからずっと焦がれていた。見間違えるはずもない。間違いなく第一王子その人。
冷静沈着と呼び声高い彼が、私にすら耳にした彼が、今は何かに追われるように逼迫した表情でこちらへと向かってくる。
記憶にある顔からすっかり大人びていたけれど、賢明そうながら柔和な印象は変わっていなかった。
彼は私の目の前にまで現れると、緊張が滲む声で呼びかけてくる。
「君は…」
ああ、アア、嗚呼、その顔、声、指、髪、爪の先まで愛おしい。
あなたが欲しくてたまらなかったの。
私の気持ちはあの時からずっとあなたに置き去りよ。
お土産を取り出し彼の前に突き出した。そしたら、そんなの気にせずに彼はさっき一言発しただけで、私へと抱きついて来た。
瞬間、私の体が力みすぎてしまったように痙攣する。全身から溢れる気持ちが抑えられない。
ああ!なんて幸せなの!
彼に触れる、彼に重ねられる手が暖かい。それは腕を伝って体に染みわたる。
幻覚が遊びに誘っているよう。夢の中で終わってしまうよう。
それから私たちは操り人形のように歩を進めていく。無言で連れて行く彼は凛々しい。
周りから上がる悲鳴。そしてドタバタと私たちから離れていく喧騒。場は混乱に包まれて止まっていた音楽が時計に再会したかのようだった。
それも当然の話、なぜなら、少し恥ずかしいのだけれど、この誰かが示し合わすようにあっという間の一連の流れは、求婚。そして、その、い、一夜を過ごすって事。
絶叫もしかたないわ。私だってそうするもの。
それにしたって王子様、意外と面食いさんなのかしら。そうよね、これだけ格好良くて選び放題なのだもの。でも千夜の寝物語を通し深めていった王様もいるのだし、少し節操なし過ぎないかしら。
その中から見られてすぐ選ばれたのが嬉しいのは確かだけど。
扉を潜り、進んでいく黄金宮殿。言葉が無粋と呼ばれる由を切り落とした部分。最上床あり天井知らずってことわざのとおり。
だからメロディは綺麗に整えたいというのに、私の一定の足音以外に角から乱れた複数の対抗する雑音が響く。
「坊ちゃま…!」
果たしてそれは執事とメイドの群れ。綺麗な身なりが今は崩れてしまっている。
…あまり無様な姿を現さないで欲しいわ。私の物語に欲しかったのは鐘が鳴れば覚めてしまうような夢の時間。そこに乱れた不協和音はいらない。
「坊ちゃま…」
…ああ、そうかそうよね。辺境のポッと出娘なんて信頼できないわね。私が苛立つのはお門違いだったわごめんなさい。
「なぜ…」
でも貴方たちにはもう止められないわ。ゴールまであと少し、明日になるまでには始まるのだから。
だからそこを――
「○○○しまって…」
――え?何を言ってるの?王子様ならここにいるじゃない。
ビックリして仮面が外れてしまったわ。
全く、驚かせるのが得意なのね。高級官僚様もお茶目な面があるのを知れたのは収穫だったわ。
そこに姿見があるじゃない。軽く整えようかしら。
落ち着くためにも覗きま――
「は?」
だらりと私の腕から投げ出されている四肢にそこからボタボタと溢れて道を作っていた血に金色の衣装に色の失った目に飛び出た舌に。靴が擦り切れて足が破けて赤く塗った白い物が見えていて。
"十二時の鐘がなる"
"夢が、覚める時間だ"
『王子様は死んでいた』
「あ、う、え?」
鏡に写ってるそれは誰?綺麗な足美しい腕で宝石のような裸体なのにそれは違和感だらけですごく汚い。
顔を手に持って真っ黒な二つの光をギラつかせて今目があった。悪魔はきっとこんな顔をしてる。
『私だった』
「何?何?何!?」
一糸纏わなくて一皮纏っていて上姉様の上半身下姉様の顔お母様の足が私のまとう衣服で私に縫い合わせてあって。
何で何でなんでなんでナンデナンデ私はお姫様になりたくてドレスを着たくて舞踏会を歩きたくて王子様と結ばれたくてなのになんでどうしてだってだって羨ましかったから欲しかったから私にしたかったから綺麗な私が王子様の私だから破れば私の物だからお裁縫は私得意だからそうだ私踊らなきゃ見せつけなきゃ笑わなきゃ王子様に認めてもらわなきゃ
「アアアアアアアア」
金の刃物入れからお土産を抜き取るとビクビクして赤いのが吹き出してたけど邪魔だから捨ててアア白い服と黒い飛んできたので灰だらけ
執事さん私と如何鼻から血を噴いて倒れちゃったそこのメイドさんはどうかしら首元抑えて座り込んだならそのイケメンさんそこのおばさまあちらの婦人さんあらあらみんなお疲れなのねアハハハ楽しいわモットもっとオドリマショウ楽しいたのしいタノシイワ
鐘が鳴る。月の光が窓から差し、輝くはずの鏡はもたれかかる人の影に隠れていた。
生者とは死の裏側。そこに魂の鼓動はない。
ただ、笑う人形が一つ、揺らめ動いて佇んでいた。
さてさて皆様如何だったでしょうか。夢は夢見る限り綺羅星の如く。掴むには高く高く、足場を積み上げるしかなく、そこに魔法は御座いません。
今宵もふけてまいりました。それでは、また会うときがありましたら。貴女方が望むなら。
(感想ください)