千尋様の葛藤
あわわわわ……せっかく妖気を抑えてくれたというのに、なんだろう、別の意味で怖い。
「な、なぜって……千尋様、綾香さんを嫁にするって仰いましたよね? こんなところ、絢香さんに見られたら」
ちょっと怖いと感じると、ついいつもみたいにどもりながら答えてしまう。体に染み付いてるものがあるんだろう、条件反射とは恐ろしい。
どっちかっていうと私が怖いのはお屋形様の逆鱗に触れる事であって、絢香さんは絶対に怒らないって分かってるわけだけど、この際細かい事は不問だよね、私の命がかかってるんだもの。
「は? あ……そう、か。そうだな」
一瞬ポカンとした後でふと我に返ったらしい千尋様は、ようやく雰囲気を和らげてついでに腕の力も弱めてくださった。
その隙にさり気なく千尋様の腕から逃れ若干の間合いを取った私を、千尋様はちょっぴり恨めしそうな目で見つめてくる。
少し迷った素振りの後、千尋様の口から出たのは結局は絢香さんの事だった。
「あー、なんだその、絢香はなぜここへ?」
「依頼があるとの事で」
ひとこと告げると、率直に驚いた顔をする千尋様。
「依頼? どういう事だ」
「私今はこの居酒屋で『よろず仕事請負人』っていうお仕事をしてまして。絢香さんはお客様として来てくれたんです」
「絢香が? どんな依頼だ」
「守秘義務があるので話せません」
「む、俺は口は固い、誰にも話したりはしないが」
「私が千尋様に話した時点で規則違反になるので」
本当はそんな規則なんてないんだけど、絢香さんの依頼内容をいうわけにもいかないし、これ以外にうまく千尋の尋問を躱す手段も思いつかない。ここは頑なにこの路線で防御するしかない。
だからそんな怒った顔しても言いません。
う……傷ついた顔してもダメです、言いませんったら。
拗ねた顔もダメです……!
なによもう、妖気を封印した千尋様ってこんなに表情豊かなの? 心臓に悪いからそろそろ許して欲しいんですけど。
心の中で愚痴っていた私を百面相をしながら凝視していた千尋様は、急にハッとしたような顔をして、次いで真顔になった。
「もしや真白、その依頼の関係で絢香に尻尾を触らせたのか?」
「まさか!」
どんな依頼だ、それは!
ツッコミたいのはヤマヤマだったけど、私の返事に千尋様はまたも怒りの形相を露わにする。
「ではなぜ尻尾を触らせたりするのだ!」
「え、え、だって癒されるそうなので……減るものでもないですし」
そう言った瞬間の千尋様の形相ときたら。
仁王様が降臨したのかと思った。
「馬鹿者、そう簡単に触らせるヤツがあるか! お前は知らぬだろうがあの絢香というやつは男だ! 男なんだ! 二度と触らせてはならん、絶対にだ!」