5 東特別教室棟:第一図書館
放課後になったばかりだからか、第一図書館の中に人はまばらだった。襲撃された第二図書館と違って夕方の五時までは開放されているのだが、利用する人はいつもそれなりだ。もう少ししたら若干増えるだろうが。
広めの室内に閲覧用の机と書架が、わりと狭苦しそうに敷き詰められている。古い紙のにおいと木製の本棚のにおいがひっそりと漂っていて、俺は少し感傷に浸ってしまった。
そういえば、小葉菜先輩も本が好きだったな……と、ふと思う。
くせっ気のある黒髪の、顔の小さい女の子の微笑が頭に浮かんでくる。目にかかるくらい前髪が長くて少し野暮ったい感じはあったが、顔には愛嬌があって何かの小動物を見ているみたいだった。
俺の中学時代の青春は、小葉菜先輩なしではありえなかった。だが、俺の口の悪さで傷つけてしまった部分もあったのだ。以前の俺はそれをずっと後悔していた。
結局この性格のことも打ち明けられず、想いを伝えることもできずに卒業式以降会わなくなってしまったのだが。
今になって思えば、本当に、そんな甘酸っぱい青春を謳歌している暇があったら世界を征服するために鍛えたり情報を集めたり同志を募ったりしていろよという後悔でいっぱいである。
俺は目的の少女を探す。
室内の隅の目立たない閲覧机の角に何やら熱心に小説を読んでいる女子生徒がいて、それを背後からこっそり覗き込んでいる女子生徒がいる。
俺が探しているのは後ろから覗き込んでいる方の奴だ。
「おい」
俺がその女子生徒――昨日の少女を呼ぶ。
だが言い方が悪かった。本を読んでいる関係ない生徒もこちらを向いてしまった。
「いや、すまん、きみのことじゃないんだ」
「?」
本を読んでいた女子生徒は不思議そうな顔をすると、開いていたページに目線を戻した。どうやら後ろでこっそり本を盗み見ている少女のことは気づいていない様子だった。
「あ、どうも……」
などと控えめにあいさつしながら、少女は近づいてくる。
改めて見て、やはり高等部の生徒とは思えないほど小柄だとわかる。制服の大きさが合っていないのが極めつけだ。袖は指が少し出るくらいにまで手を覆い、膝あたりに合わせる既定のはずのスカートは膝下まで伸びていて半端なロングスカートみたいだ。違和感の塊が束になって押し寄せてきたようだった。制服を着ているというよりは制服に着られているといった風貌で、まったく着こなせていない。まるで姉から無理に借りてきたみたいな印象だった。
中等部の生徒か、もしくはどこかの小学生が侵入してきている可能性まで考えられる。
「すいません、昨日貸してもらった制服忘れちゃいました」
えへへと苦笑しながら頭をかく少女。
俺は声を潜めながら、
「いらん。返さんでいい。どうせ俺のもぼろぼろだったしな」
あんなの持ってきたのばれたら母さんにどやされる。まだ盗まれたと言ってお茶を濁す方が言い訳つくしな。
「というか人の読書の邪魔するなよ。あと、お前やっぱり高等部の生徒じゃないだろ」
「え?」
少女は言われて、あわてて首を振った。
「そっ、そんなことは、ないです……!」
「じゃクラスは? 学年は? 名前は? ちょっと調べてくるから」
「えっと、その、あの、えーと……」
しどろもどろになる少女。だめだこりゃ。
「もういい。ちょっと来い」
彼女が中等部だろうが高等部だろうが、この学園の生徒だろうが生徒であるまいがどうでもいい。なぜ変装してまで入り込んでいるのかも興味がない。俺がほしいのは情報である。
俺はあまり日の当たらない本棚の陰へ少女を案内する。少女は胸を張って言い張る。
「な、名前は、姫鶴っていいます。あとはひ、秘密ですっ」
「そんなことはどうでもいい」
「えっ、あ、そうですか」
「知っていることを話してもらうぞ」
「……あの、ここで話すのですか?」
「そうだけど。たぶんここなら確実に襲撃は来ないだろう。声を小さくして話せば問題ない」
襲撃者の目的はわからない。が、なりふり構わず人を襲っているわけでもないらしい。今日はまだ騒ぎが起きていない。猫は発生していないのだ。それに一般人が多くいれば何かあったときでも煙に巻けるはずだ。
「で、なんで襲われてたんだ?」
と俺は質問した。姫鶴は申し訳なさそうに目を伏せる。
「わ、わかりません」
「そうか。じゃあ、能力者が能力者を襲うことで、何かメリットは?」
「たぶん、ないと思います……」
では通り魔的な犯行だったということか?
俺は質問を変える。
「……俺は参照者になる前も、あの猫の化け物が見えていた。しかし俺の能力は他人には見えない。それはどういったことかわかるか?」
「たぶん、適性があったのかと思います。『本』は適性のある人のもとに現れて、能力を与えているみたいですから」
「見える奴には見えるってことか。……適性って本気か。不本意すぎる」
「あ、あと、能力の強さですが、学校とその周辺が一番強くて……」
「ああ、それならわかる。家にいるときは弱くなっていたからな」
おそらく『本』の有効範囲によるものだろう。『本』から遠ざかるほど力が弱くなるようだ。俺の粘土なんて家だと小さくなりすぎて米粒くらいになっていた。
学校にいる間は能力は十全に使えているため、『本』が学校に潜伏しているのは間違いない。
「お前は『本』のありかを知っているか?」
「学校かその周辺にあるってことだけ、ですが……図書のたくさんある場所を神出鬼没に移動しているみたいです」
「なるほどな」
『本』はいきなり現れたり消えたりして、本棚を中心に移動している。
これはかなり絞り出せるかもしれない。図書のたくさんある場所というと、やはりここのような図書館か。第二図書館などの資料室の類もしらみつぶしに調べてみるのもいいかもしれない。
まあ『本』の捜索は当面の目標として、今は襲撃者の対処が先である。
「あのっ、私は、例の『本』を探しているんです。大切な目的があって……」
姫鶴は改めて言った。
「でも一人じゃ無理かもしれなくて……」
「ほう、それで?」
俺はあえて次の言葉を待った。
姫鶴の言いたいことはわかる。協力、協調といった提案だろう。俺から目をそらしながらも、期待を込めた声色だった。
しかし面と向かって協力を頼めないのも事実だ。
襲撃者がいるということは、それなりにリスクを伴う。あの猫の化け物のような敵がまだいるとなると、本当に命が懸かるかもしれない。そんな危険なことに、おいそれと巻き込んでいいものか。
いいはずがないのだ。
俺と彼女は他人なのだから。
でも昨日飛び入りで助けに来た俺なら、もしかしたら協力をしてくれるかもしれない。しかしいきなり巻き込まれた俺にとっては、そこまでする義理もないのだ。そう姫鶴は思っている。
だから俺から協力を提案するように、姫鶴は語尾を濁して言っている。できれば、そうなったらいいな、という程度の希望的観測を持って。
俺にとっては、お互い思うところは違っても、『本』を探すという目的は同じだ。
だからなに? って感じだが。
昨日までの俺なら、打算など考えず協力しただろう。
だがここで俺が折れたら、姫鶴の望みを俺が叶える、という様式ができてしまう。それはただの俺の勝手な献身で、少なくともフィフティ・フィフティの関係じゃない。協力関係にはなりえない。仮に今回は対等な立場で協力しあうという話になっても、いつかその甘さに付け込まれる日が来る。見返りを要求しようにも、俺が彼女に対して何か欲するものがあるかどうかといったらなにもない。
姫鶴から何かしら条件をつけて協力を提案してきたなら、条件いかんによってはまだ乗るにやぶさかではない。が、俺が情に流され姫鶴にひよる展開ってのは、ない。絶対にない。
「いえ、あの、なんでもないです……」
俺が姫鶴からの提案を待っていると、姫鶴はあっさりと引き下がった。弱気な少女の性格ならそうもなろう。ある意味それでいいのだ。弱い者は妥協しながら無理せず生きていけばいい。戦場にいても邪魔なだけだしな。
人の話し声がだんだん大きくなってくる。室内に人が増えてきているのだ。試験勉強でもはじめるのだろうか、今日はいつもより多いかもしれない。
「人が多くなってきたな。ここで一旦別れよう。話は終わりだ」
「はい……」
なにか納得しきれていないといったような姫鶴の返事。
「姫鶴、これからの予定は?」
「えっと、昨日みたいに『本』を探そうかと思います」
「そうか。俺は第二図書館付近に行ってみる。第二図書館内を調べて、その後できることなら昨日の襲撃者を叩く。人のいないところを歩いていたら釣れそうだしな」
「協力してくれるんですか?」
姫鶴の顔がぱあっと明るくなる。純粋すぎる反応だった。俺は破顔した姫鶴の額に手刀を繰り出し、ぐりぐりと押し付けるようにする。
「誰が協力するといったんだ。勘違いするなよ、俺は俺を襲ってきた者を許さないだけだ。お前の事情なんか知ったことじゃないんだよ。一緒になんて行動するか馬鹿者さっさとどこかに行け」
「はいぃぃすみません」
姫鶴はなすすべもなく俺の力に圧され、膝を曲げ背を反らすような形になりながら小さくなっていく。
織田信長は自分に対して粗相をした者を隠れていた棚ごと刀でへし切りにしたというが、こんな感じだったのだろうか。違うか。