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3 少女:リトルペンナイフ

 猫の姿が見える。ずっと透明になれるわけではないらしい。


 が、見えたことでその猫らしからぬ巨体と、その巨体がとてつもない速さでこちらへと迫っているのがまざまざとわかる。


 だが二匹目は一匹目と比するとやや小ぶりで、大型犬くらいの大きさしかない。それでも猫にしてはありえない巨体だが。


「どっ、どどどどうしましょう!?」

「どうするって、逃げるしかないだろ!」


 俺たちが気づくと、猫は自身の姿を再び見えなくする。

 俺はすぐに少女とともに隣の部屋へ行こうとしたが、ドアが開いていない。仕方なく肘打ちで窓をぶち破って中へと押し入る。

 ガラスが割れるけたたましくも鋭い音が響く。

 緊急事態だしガラスの一枚や二枚仕方がない。むしろこの音で誰かが気づいて助けに来てくれるはずである。


 入った部屋は第二図書館だった。

 第一図書館は放課後や昼休みなど生徒たちに解放されてよく利用されるが、第二図書館は資料室のような意味合いの部屋で、放課後はいつも閉まっている。当然鍵も閉まっているので開けるときは鍵を借りるかぶち破るしかない。


 第二図書館は書架だけで閲覧スペースや貸出カウンターなどは置いていない。

 普通の教室くらいの広さに、本棚が所狭しと並べられていて、その棚の中には専門書などがぎっしりと詰まっている。

 本棚の陰に隠れて、息をひそめる。


「なあ、ここで隠れて奇襲しよう――ってあれ?」


 いつの間にか少女の姿はなかった。ガラスを破るどさくさで離れてしまったらしい。

 まさか……おとりになったというのか。


「ふざけるな……これじゃ俺が助けに来た意味がないじゃないか」


 こぶしを強く握った。

 これでは、むしろ俺が乱入したことで、彼女を窮地に立たせてしまった。


 俺は廊下に戻ろうとして、とっさに再び身を隠した。

 カシャ、とガラスを踏む何かがあった。目には見えない。が、こちらへ入ってきている。

 冷や汗が流れる。

 猫の化け物は確実に俺を狙ってきている。少女ではなく、俺を。


 ガラスを壊していてよかった。ガラスを踏む音で、なんとなく猫の行動が見透かせる。

 獲物がまだ見えないのか、猫の化け物も慎重に進んでいるのがわかる。仕留められる距離まで、ゆっくりと、確実に。


 何か武器はないだろうか。カバンは置いてきてしまった。今は身ひとつだ。

 息をのむ。

 武器といえる武器は近くの本棚に収まっているハードカバーの本くらいしかない。頼りないが、本の角で殴るくらいしか対抗するすべがない。


 意識を窓の方へ集中しながら、手探りで厚めの本を探す。

 目線も向けず、手だけで探っていると、ふと、指先が鎖のようなものに触れる。


 じゃらり、と音がする。しまった! 音を立ててしまった。


 って、なぜ鎖なんかあるんだ?


 目線を向けると、触ったのは本当に鎖だった。こんな本ばかりの棚に鎖なんて……しかもよく見ると、その鎖は本と繋がれているようだった。


「…………っ!?」


 時間が一瞬止まったような気がした。

 暗いブラウンでやや厚めの、何の変哲もない本だったが、タイトルがわからない。背表紙に題名は書かれていなかった。


「これは」


 棚から出して、手に取ってみる。本の表紙には鋲が打たれていて、それが鎖とつながり、本棚につながれて持ち出されないようにされていた。さらには錠のような形の金具が表紙と裏表紙を挟むようにはめられていて、ページが開かれないように固定されている。表紙にも題名はない。


 初めて見る本――のはずだ。


 だいたいこんなところにあるような専門書なんか読んだことがない。だからこの本にも、見覚えなんてないはずなのに――


「見たことのある本だ……」


 正直戸惑っていた。俺はこの本を知っている。鎖と金具で固定されているが、俺は、固定されていない時のこの本を見たことがある。

 どこかで見かけたのだろうか。

 でも、なぜこんなにも、いまいましく感じるのだ。なぜこんなに胸がざわつく。


 業腹だった。今にもはらわたが煮えくり返りそうなほどの。なんでこんな一冊の本ごときでこんなに腹を立てているのか。

 昔嫌な思い出でも――


 砂嵐のように映りの悪い記憶の底で、女に切り刻まれて血を流す自分が浮かんでくる。視点は自分だが、体は大きく、俺のものではない。その奥で、誰かが本を持ってこちらを睨んでいる。今俺が持っているこの『本』と、同じものを。


「この『本』――この『本』は? それに今の記憶は……?」


 瞬間。

 本がひとりでに開いた。カーテンを勢いよく開いた朝の部屋のように視界が妙に明るくなって、俺の意識はページのある一節に吸い込まれるようにして遠のいていく。


 目の前が真っ白になり、だんだん真っ暗になっていき完全な闇につつまれ――それから、おかしなことかもしれないが、星空の中へまっさかさまに落ちていく錯覚があった。


「――ッ!」


 右胸が急に熱くなる。無数にまたたいている光のめくるめく光景を目にしながら、正体不明の熱い痛みと脳をかき回されるような不可解な衝撃に戸惑った。


 だがそれもほんの一秒ほどで、意識が戻ると立ち尽くしている自分を認識した。手に取っていたはずの『本』はどこかに消え失せてしまった。棚と繋がっていた鎖もない。


「なぜだ」


 俺は吐き捨てるようにして言った。 


「なぜあの時の、俺が殺された時にあったあの『本』が、ここにあるんだ……!」


 ――すべて思い出した。

 今のショックで、すべて思い出してしまった。


 俺は魔法の存在する世界ウェイミリカから、魂だけとなってこの地球の日本にやってきた覇王ディアボロス!

 覇王ディアボロス!


「なんかすごい恥ずかしいのは気のせいか」


 気のせいであってほしい。

 そして猫の後ろ――ドア近くの入り口を見ると、少女がこちらを向いておろおろしていた。


 廊下で足止めをしていたのかもしれないが、結局突破されている。というか、相手にされてないじゃないか。完全に俺が標的になっているぞ。

 かしゃ、とガラスを踏む足音がした。猫の化け物はすぐ近くまで来ている。


「ふん、まあいい」


 俺は不安げな少女に微笑しながら棚の陰から出て、猫の化け物がいるらしい場所を見据えた。


「すぐに殺して終わらせてやる」


 そうだ。いつだって真正面から、力押しでどうにかしてきた。「そのかわり終わったら事情を話してもらうぞ」少女に言いつつ、俺は右手を伸ばして正面に構える。


「風の魔力因子よ、我が声に応えよ」


 透明になった猫の化け物がとびかかってきたのがわかる。散乱するガラスが勢いよくはねたのだ。俺の方に向かって、まっすぐと来る。


 いつもなら詠唱などすべて省略して魔法を即発動できたが、おそらく今の俺――仲門遼の身体でそんな芸当は不可能だろう。ならばほかの人間と同じように、詠唱して発動するしかない。


「ならば誰にもとらえられぬ不可視なる奔流は、あらゆるものを切り刻み削り取り、そこに幾筋ものきずを与えん」


 ――だったら普通の人間のように魔法を使おう。魔法を覚えたての少年のように、凡庸に、間違えないようゆっくりと、丁寧に使おう。


 なぜ『本』が存在しているのかは知らない。だが存在しているからには、探し出して破壊してやる。もし『本』の能力者が来ても魔法があれば、負けはしない。もう負けない。絶対にだ。


「あまねくところから生まれ出ずる疾風の刃よ、我が右手に顕現せよ! 『風刃エアリアルブレード』!」


 刃を運んでくるつむじ風の魔法の上位版。下手な魔導師が使おうとしても魔力の練り上げもままならない、しかしひとたび発動すれば絶大な効果を得られる上級魔法。それを唱えた。


 俺の首に、猫にしては巨大すぎる牙が突き立てられた。


「いてえ!」


 あれっ? 魔法が出ない?

 勢いのまま転がるように倒される。攻撃する瞬間、猫は透明化を解いていた。

 何本もの見えない刃が強風とともに吹き荒れて対象を空間ごと切り刻むはずだった。なのにちょっとのそよ風さえ起らない。


 俺は魔法を使えなくなっていた。


 終わった。せっかく記憶が戻ったというのに……たかが獣が大きくなったくらいの猫に殺されるなど。


 肩に腕に、猫の爪が食い込む。拘束具でもつけたかのような強力さで、俺の体を押さえつけて離さない。重い。

 わずかながら、抵抗として首から猫の頭を遠ざけるように押したとき、自分の首に左手が触れた。


 ――頸動脈は噛みちぎられていない。

 肩や腕は爪を立てられすこぶる痛む――のだが、首は痛くない。挟むように猫の顎部が首を捉えていて、頸動脈どころか頭ごと持ってかれそうなくらいの豪快さなのに、まだ俺の首は無事だ。

 よく見ると、牙が食い込むのを阻むように、固い陶器のような土の塊が首を覆っていた。


「なんだこれ、この固いの……魔法ではないのか?」


 俺は地の魔法など唱えていない。

 ……そういえば、詠唱しているとき自分の身体から魔力の流れを感じなかった。だが、この土は俺が出したものだと本能的に理解できる。何と表現すればいいのか、とにかくつながりが感じられる。


 少しの逡巡ののちに、俺は悟る。

 今、首に巻きついている土の塊……魔法を唱えなくとも、魔法のように行使できる力を知っている。

 『本』だ。これは『本』が個人に与える、個別の能力の一つだ。おそらくあの『本』は、人に自動的に能力を与えられるよう独立して存在するものだったのだ。


 俺が『本』に触れたとき、あろうことか『本』が俺に能力を与えたのだ。

 ふざけている。こんな話があるか。この俺が、俺を殺したあの忌むべき『本』ゆかりの能力者になったなど。


「おい! あれだ! 出せるんだろう、さっきの刃を出せ! 俺の手から出すんだ!」


 俺は少女に向かって叫ぶ。


「はっ、はいっ」


 恐る恐る近づいてきた少女が、倒れている俺の肩にゆっくりと触れる。


「そっとやってる場合かぁ!」


 押さえつけられてる手の甲の付け根あたりから、ナイフの刃が飛び出す。刃は出てきたまま猫の手を貫通した。右手が自由になる。

 だが猫の噛む力も強い。

 首を守るように巻きついていた土の塊はヒビ割れ、パラパラと破片が落ちはじめる。牙は深く食い込んでゆこうとする。


 俺は猫の化け物の首へ、全力で手から生えたナイフの刃を突き立てた。血の飛沫が上がり、白い毛並みを伝って流れ出してくる。

 息をひそめていた猫の化け物はここで大きくうなり声を上げ、噛む力を強める。俺も刺しているナイフに力を込める。

 お互い引く気はなかった。土の防御ももうもたない。


「ふ、ふははははっ! 痛かろう、愛玩動物の分際ででかくなりすぎたクソ猫が! 無様よなぁ、そのまま穴の空いた酒樽よりも大量に血を流して悶え死ぬがいいわ! 俺に歯向かったことを後悔しながら、苦しんで逝くがいい!」


 俺はかんしゃくを起こした子どものようにがむしゃらに、何度もナイフをそこに刺し続ける。噴き出した血が床や本棚に飛び散る。猫の力に押されて俺の首が締まってくる。猫のうなり声。振るわれる腕とナイフの刃。刺突の音。土の塊にさらにヒビが入る嫌な音。


 完全に土が砕け、俺の首筋に牙が穿たれた。――が、深く食い込む前に、猫の動きは止まった。

 猫の化け物はそれから力なく俺にもたれかかり、そのまま動かなくなる。

 俺は脱力して息を深く吐き出した。どっと汗が流れ出てきて、牙や爪で傷ついた身体の箇所が痛んでくる。肩も首も腕もやられた。よく生きていたものだ。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った」


 なんかスマートじゃない。いつもの、ディアボロスとしての俺なら多少苦戦しても最後にはサクっと終わらせられたのに。単純に体力や筋力の問題もある。鍛えてなかったから当然だ。魔法もなぜか使えないし、やっかいな身体になってしまったものだ。


 手から生えていたナイフが音もなく消えていく。

 猫の化け物も、同じように消えてなくなる。飛び散っていた血液も。


「この猫も、同じ『本』の能力だったのか……?」


 カサカサになって消えてなくなっていく土の破片を眺めながら、俺はつぶやいた。


「『参照者トレーサー』といいます」


 切れて開いていた胸元を今更両手で隠しながら、少女がおずおずと言った。


「『本』に能力を与えられた人をそう呼ぶんです」

「さっきも言っていたな」


 俺はゆっくりと上体を起こしながら言った。もう痛みは止まっている。出血もほとんどない。

 しかし制服に穴が開いてしまった。これ母さん怒るだろうなあ。

 猫の化け物は完全に消失していた。血などの体液も一緒にである。消えるということは、猫の化け物もナイフや土と同じように『参照者』としての能力の一つなのだろう。

 つまり、複数の巨大な猫を召喚し使役してこの少女を襲った『参照者』が、学園内にいるのだ。


「お前は触れたものにナイフの刃を生やす能力か」

「はい。一度出現させれば、手から離れてもある程度の時間ですが刃は持続します」

「ほう」

「あの、ありがとうございましたっ。助けていただいて……」

「礼には及ばん」


 むしろこの少女がいなければ勝てなかったのだが、せっかく感謝されているんだから黙っていることにした。


「それよりいったんここから離れよう。物音を聞きつけて誰かが来るかもしれない」


 俺は立ち上がると、少女と一緒に第二図書館を出て走り出す。


「で、きみが『本』について知っている情報を吐いてくれないか」


 走りながらうかがう。少し後ろを走っていた少女は黒髪を振り乱しながら一生懸命そうに俺に追いついて言った。


「参照者は、参照者の能力でつけられた傷なら早く完治できます……でも参照者が参照者でない人を攻撃すれば、攻撃された相手は普通の怪我と同じように治療が必要になります」

「あとは?」

「……えっと」

「え? ないの?」

「その前に、一匹目の猫が、ですね」

「は?」


 俺が顔をしかめると、少女は胸の前で指を遊ばせながらばつが悪そうに目をそらした。


「足をナイフで刺して動きを止めただけで、あのですね」

「まさかあの猫の化け物の治癒も普通より早いってことか? というか、なんで始末しなかったんだ!」

「だって、悲鳴聞いたらかわいそうになっちゃって……あとたぶん私の『リトルペンナイフ』じゃ時間かかるだろうし」


 たしかに何回も刺さなきゃいけないくらいだったけれども。

 いったんカバンを取りに行く。慎重に周囲を警戒しながらの回収だったが、近くに猫の化け物はいないようだ。


「今は引き下がっているようだが、もし傷が完全に回復したらまた襲いに来るかもしれないな」

「す、すいません……」

「二手に分かれて逃げるぞ。で、今日はそのまま解散だ」


 俺は走りながら上着を脱いで少女に渡した。


「着ろ。そんなボロボロの恰好で外を歩くもんじゃない」


 おずおずと少女は上着を受け取ると、


「えっと、そしたら話は?」

「明日詳しく話聞かせてもらう。とにかく今は逃げるのが先だ」


 俺は少女と反対方向の廊下を曲がって、全力で走り出した。


「放課後の予定空けておけ! 第一図書館に集合でな!」

「は、はいっ!」

「あと、ほら、俺がなんか魔法の詠唱っぽいの言ってたこと誰かに言うの禁止ね! 制服貸してやるんだからそれくらいできるよな!?」


 なんか俺がすごく厨二病みたいだった。『エアリアルブレード』……くっ。ウェイミリカの魔導兵とか、こっちじゃ面の皮の厚い奴しか生きていけないんじゃないか?

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