4 幸村千子(ゆきむらせんこ):『従属礼賛』
幸村千子。
高等部三年。
去年の夏……夏休み中にこちらに引っ越してきて、秋からこの学園に通い始める。
つまり小葉菜先輩が自我を失って、すぐ後にこちらへ来たのだ。
文武両道、容姿端麗で、何をやらせても一定の結果を出す。転入早々千子は皆から大人気になった。
飾らず、かといって地味すぎず、見た目だけなら清純派の大和撫子なんて言葉がよく似合う。恵まれたスタイルのおかげで男からの受けもいい。
が、特定の男と付き合うことはしていないらしい。
こういった人間には常に同性からの妬み嫉みが付きまとうが、同性からはやたら恐れられているようだ。長いものに巻かれようっていう取り巻きが何人かいる。
性格もいいと言われているが――俺の見解ではあまりいいとは言えない。どうせ表面だけうまいこと取り繕った八方美人だろう。
だが、悪くない。
そういう人間は嫌いじゃない。
情報を提供した檜山には褒美として缶ジュース一本を取らした。
「しかし本当に人気だな……」
千子が帰ろうとすると、男女の隔たりなくひっきりなしにお誘いが来る。
やれ一緒に帰ろうだの部活を見学していかないかだの勉強のどこどこがわからないだのだ。千子は朗らかな笑みで、誰一人ないがしろにすることなく受けごたえしている。
廊下の角に隠れながら、俺たちはその光景を見ていた。
「あんなにきれいなのに性格いいのか……完璧だな」
須藤は見とれるように千子を見ていた。
「同じ三年だろう。知らなかったのか?」
「知らなかった」
「クラス違うなら知らないのも仕方はないだろうが、お前はもう少し周りを気にしたほうがいいぞ」
出すぎていた須藤の顔を引っ込めて、
「ていうか昨日の俺とあいつの会話を聞いてなかったのか? 愛想笑いに決まっているだろう。性格がよさそうなのはうわべだけだ。あれは相当ゆがんでいるぞ」
「なんでだよ。普段はあんな感じで、敵対する奴だけに厳しいだけかもしれないだろ」
「そうだが……なんでだろう、確信を持って言えるぞ。あれの性格は最悪だ」
千子は取り巻きの誘いをすべて断っていた。
何やら、特別教室棟でやりたいことがあるらしい。
一人廊下を行く千子は、俺たちが隠れているほうへ歩いてきた。すぐさま隠れる場所を変える。
「まずいな……完全に俺たちが『本』を探すことを警戒しているぞ」
俺は舌打ちをした。進路は第二図書館あたりだろうか。
「特別教室棟で『本』を探している氷上さんたちと鉢合わせしなきゃいいな」
「そのための尾行だ」
「……おっ、それなら俺もわかるぞ、遼。逐一幸村千子の居場所を氷上さんたちに知らせて、ばったり会わないよう俺たちで調整するんだな?」
「ああ、そうだ。できるかぎり――」
いや、待て。
「できるだけ会わないようにするのもいいが、完全に一人になったのを見計らって袋叩きにするのもいいな」
昨日、三対一になったと見るや否や早々に逃げ出したのは、一人で複数人に対応できなかったからだ。挨拶なんて言い訳だろう。
魔法が使えても、さすがに数の有利不利を覆すのは難しい。
いくつもの魔法を使えた俺が、参照者であったカストールたちになすすべなくやられたように、だ。
「しかしそれは卑怯じゃないか?」
「卑怯ではない。戦略だ」
ただ、彼女の取り巻きの一部が参照者かもしれないから、こちらが逆に挟撃されるのは避けたい。周囲を注意していかねば。
完全に一人になった千子は、人気のない特別教室棟の廊下を曲がっていく。
「須藤、笹露たちに連絡しろ。ここで終わらせるぞ」
善は急げである。千子のあとをつけながら、俺は須藤に言った。
俺たちは千子が歩いた廊下を同じようにたどっていく。
その途中だった。
「うおっ!?」
足のつま先が何かに引っかかって、俺は転倒した。
「いだっ」
須藤も同様だ。
片手と膝をついた俺は、足に力を入れて立ち上がろうとしたが――無理だった。
「足と廊下がくっついてる!?」
何かに足を取られて躓いたのではなかった。
つま先が廊下にくっついて、歩くことができなかったのだ。
手もつま先も膝も、まるで瞬間接着剤で固められたように廊下に固定されてしまって、立ち上がることができない。
「なんだ、これは!? 足が離れない――?」
「遼、俺もだ! 何が起こってるんだ、これ! どうしよう!?」
同じように膝と片手をついていた須藤が、もう片方の手で俺の肩につかまって立ち上がろうとする。
「馬鹿! 俺につかまるな! 下手に立とうとするんじゃない! バランスが取れなくなったらどうす――うおおっ!」
須藤の手を振り払おうとしてしまったのがいけなかった。
もつれて重心がくずれた俺たちは廊下に突っ伏すように倒れてしまう。
ついに上半身と顔が廊下にくっついてしまった。
俺の横に並ぶようにして、須藤も同じうつ伏せ状態に。
顔だけは横向きだったため唇が廊下にくっついたわけではない。
会話ができるのがせめてもの救いだったが、完全に身動きが取れなかった。
「須藤、『銀の楔』を出せるか? おそらく敵の攻撃だ」
「出せることは出せるけど、こんな状態じゃどこかに刺すことなんてできないぞ。何かに刺さないと俺の吸収の能力は発揮されないんだから」
「くそっ、これが千子の参照者としての能力なのか? それとも彼女の仲間の能力か? 何かと何かをくっつける能力?」
ぶつぶつ言っていると、角を曲がっていったはずの千子がもどってきていた。
そして何食わぬ顔で俺たちのもとへ近づいてくる。
「貴様ぁ、やってくれたな。俺たちをどうするつも――ぶっ」
ガツッ。
はっきりと音がして、頭部に痛みが走った。
近づいてきた千子は、そのまま内履きで俺の顔側面を踏みつけたのだ。
「あら、ごめんなさい」
千子は素っ気なく言いながら、さらに踏む足の力を強くした。
「人かと思ったわ」
「人だよ! 合ってるよ!」
わかっていて踏んでいるだろこれ。皮肉もまぜやがって。
しかもその発言だと、人だとわかっててあえて踏んでいたことになるだろ。
「人だったの? ふうん。でも普通の人は蟻みたいに地面にはいつくばって、私が踏んでくれるのを待っていたりしないわ」
どうにか視界の隅に千子の顔をとらえる。
千子はどぶに落ちた虫けらを見るような目をして俺を見ていた。
「ほらな、やっぱり性格悪かったろ須藤! 俺の言った通りだ!」
「ああ……そうだな」
須藤はなぜか悟ったようなすごく安らかな声で同意した。
なんだ。どうした。
「私の『従属礼賛』を気に入ってくれたみたいでよかったわ。こんな汚い廊下にキスするなんてよほどだったのね」
「お前がさせてんじゃねーか!」
「私ね、考えたのよ。何をどうすれば覇王の敗北になるかってね」
足は、まだどかさない。踏む足に力を込めながら千子は続ける。
「殺す? 参照者としての命を奪う? それって本当に敗北なのかしら」
いつでも俺をどうにかできる状態。しかし千子は何もしない。ただ話をしている。
「何が言いたい?」
「違うわ。だって心が屈服していないもの。真の敗北は、どうやっても叶わないと理解して、私に頭を垂れてかしずくしかなくなったときよ」
体重のかかる足は、さらにひねりが加えられて俺の頭部を踏みつける。
「私が命じれば心から命を差し出す。それくらいは自分の立場をわかってくれないと。ねえそうでしょう? あとさっきからごちゃごちゃ耳障りなのよ。私が会話を許可したときだけ口を開きなさい」
それは冷徹さを兼ね備えてはいたが、流麗で魅力のある声色だった。彼女の声を聴いて言うことに従っているほうが幸せなんじゃないかと思えてくるような……俺には効かんがな。
声の魅力は天性の才能だ。こればかりは、彼女が様々な要因に恵まれているとしか言えない。
「もういいだろ」
やおら口を開いたのは須藤だった。
「須藤?」
「遼の頭から足をどかせよ」
それははっきりとした力強い口調だった。
「そして今度は、俺を踏みしだくといい!」
「うおおおい! ようやく頼りになる感じになってきたと思ったらお前ってやつは!」
ドMかよ! よそでやってくれる!?
「須藤薫……独り寂しく『七つの大罪』とか名乗ってる痛い男だったわね、確か。話を聞いて気持ち悪いと思っていたけれど、実物はもっと気持ち悪いわ」
「背負ってる罪ショボすぎるんだよ! せっかくいい能力持ってんのに! この雑魚が!」
一緒になって批判したが、もう一度頭を踏みつけられた。
「しゃべるのを許した覚えはないけど?」
「ぐぬぬぬ……」
「一晩中そうしていなさい。命令よ。明日になったら取れるかもね。……もし取れたらもう一度私に挑んでくることを許可してあげるわ。何回でもねじ伏せてわからせてあげる」
それからようやく足を上げた千子。
だが今度は手で俺の髪をわしづかみにし、耳元で、
「あなたみたいなのは好きよ。堕とし甲斐があって」
妖艶に囁いた。
そして何をするともなく千子は去っていった。
本当に、部下に命じて始末をさせるでもなく、足音が遠ざかっていったのだ。
「くそっ、マジで帰りやがった。笹露たちにここを偶然見つけてもらうしか、この状況をどうにかする手立てはないか……」
「いや、でも一晩こうしてろって言われたぞ」
「素直に従う馬鹿はお前くらいだ!」
俺はぞわりと寒気を感じた。
こいつは、力に任せて向かってくる今までの奴らとは一線を画す。
力押しではどうにもならないし、あちらもどうにかする気はない。
どちらかというと、あの手この手で敵の戦意や意志をねじ伏せるタイプ。
どうりで性格や行動パターンに察しがついていたわけだ。
幸村千子、間違いない。こいつ――『俺と同じタイプ』だ!
ちなみに笹露たちも、『本』の所在についてなんら手がかりをつかめなかったようだ。
すべては千子のペースで事が運ばれていた。




