1 『本』の範囲の境界線上
「本屋に探してた本、なかったですね……」
近くの公園のベンチに腰を下ろしながら、俺はため息をついた。
「しゃーないね。でも谷崎潤一郎の短編集ってマイナーだったのかなぁ。わりと有名だと思ったけど」
子どもみたいに逆向きにベンチに座って背もたれに腕を置いていた小葉菜先輩は、ちょっと困ったような顔をした。
「友達が探してる本なんでしたっけ?」
「そうそう。あたしの友達がね、読みたいって言ってたから。誕生日プレゼントにおくろうと思って」
「俺、その作家って絵本の翻訳だけやってる人だと思ってました。小説も書いてたのか……」
「それ谷川俊太郎。谷崎じゃないよ。名前似てるけどね。というか、谷川は翻訳専門でもないよ」
「なるほど」
わからん。ややこしくて覚えられるか。
「あの、ネットで注文したりしちゃだめなんですか? というか絶版になってないなら書店でも頼めば取り寄せてくれるでしょ?」
「!」
小葉菜先輩はこちらを見て、半口開けて目を丸くした。
本当に小動物みたいだなぁ。
「なんです?」
「その手があったか!」
「なんで思いつかなかったんですか。最初に想定しましょうよそういうことは。見切り発車ですか」
「まーまー、ジュースおごってあげるから。ありがと。おてがら」
小葉菜先輩はそう言って頭をなでなでしてくる。
「いいこいいこ!」
「子どもじゃないんだから……」
俺は赤くなって目をそらした。
「んふー、照れてる?」
「照れてないわ! つーかいい加減その手を離せ! だいたいいつも俺を子どもみたいに扱いやがって、保育士気分か! 言っておくが俺のほうが歳上なんだからな!」
「いや、君年下でしょ」
「あ……そういえばそうだ」
「これはあれかな。あたしが頭撫でたせいで遼君の脳細胞がやばいくらい死滅したパティーン」
「んなわけないでしょう」
小葉菜先輩は頭を撫でるのをやめて、朗らかに笑う。
「いやー、でも遼君は頼りになるね。なんだかんだでこうやって休みの日も付き合ってくれるし」
「なりませんよ別に」
「なるよ。あたしの知ってる人の中じゃ、一番頼りになるよ」
「…………」
また口を開くと照れ隠しに悪態をついてしまいそうで、俺は無言で顔をそらした。
「これからも頼りにさせてね」
「…………」
「ね」
「…………」
無言のまま、目をそらしたまま、俺は小さくうなずく。
----------
「ぬおおおおっ」
中学時代の小葉菜先輩とのやりとりと会話中口が悪くなってしまった失態を思い出して、俺は頭を掻きむしって悶絶した。
あのとき頭を撫でてもらった感触が微妙によみがえってくる。言葉でごまかしていたが、かなりうれしかった記憶がある。
青い。青すぎる。助けてくれ。
「どうした遼」
スマホから須藤の声が聞こえてくる。
俺は自転車に腰かけながら、単独で学校周辺にある住宅地に来ていた。路上で止まって全員と携帯で連絡を取り合っている状態だ。
「いや、何でもない」
しかしSNSのグループ通話は便利だ。
作戦のときにも、こうして常に連絡を取り合うことができる。
俺が考えるに、『本』の有効範囲と出現パターンを調べるには、複数人で行うことが有効だろう。
須藤たちや化け猫には、それぞれ学校を囲むように円形に位置取りしてもらった。
化け猫を挟みながら、いざとなったとき能力で勝る須藤と笹露が俺と姫鶴のフォローに入れるように配置する。猫は六匹いて、それぞれ一号~六号と呼称する。
俺
一号
二号
(須藤)
三号
姫鶴
四号
五号
笹露
六号
この順で円形になるように学校を囲むのだ。
もし常時『本』が移動しているのなら、『本』の有効範囲もわずかながらずれが生じるはずである。
その範囲と範囲の中心を特定して、ずれをもとに『本』の移動パターンを調べるのだ。
有効範囲の中心が、どれだけずれているかが重要だ。
『本』の有効範囲の外に出ると、能力は弱体化する。
その弱体化するラインをまず特定して、『本』の有効範囲を調べる。
『本』が移動してその有効範囲も若干変わるなら、範囲の境界線上に立っていると能力が弱体化する時と通常通りの時が自動で切り替わるはずだ。
弱体化の境界線を地道に調べていって、範囲とその中心をその都度特定する。
ただし須藤は化け猫を動かし続けてもらうため、常に『本』の範囲にいるようにしてもらう。異常があれば駆けつけてもらうために一応円形の陣の中には入れているが、範囲の特定には参加させない。
誰もバイクには乗れないので、皆には自転車での機動を推奨。
それぞれが目標の境界線まで来たらその位置を複数コピーした学校周りの地図に書き込んでいってもらう。
「……よし、全員配置についたか?」
言いながら、俺は自分の能力である粘土を確認する。
米粒のように小さくなっているため、『本』の範囲外であることがわかる。数歩学校に近づくように進めば、粘土はすぐにもとの大きさに戻る。ここが範囲の境界線上だ。
「こちら笹露。準備完了」
「化け猫たちもオーケーだ!」
「ひっ、姫鶴です。あの、このスマホとかいうのの使い方がちょっとよくわからな――」
「よし、全員準備できたな。一枚目の地図……①の地図に現在位置の印をつけたのを確認してから、二枚目の地図を用意。②と書いてあるやつだ、ナンバーを間違えるなよ。作戦を開始するぞ!」
姫鶴には、俺の父さんのスマホを勝手に持ってきて使わせている。いつも仕事に行くときに忘れていくからな。
まあひとりでにスマホや地図が動いていたら幽霊沙汰くらいにはなりそうだが、すでに噂されているので今更どうってことないだろう。あまり騒ぎになるようだったら逃げるように言ってある。
最初の範囲を書いたら、あとは変化が来るまでひたすら待つ。
誰かの能力に変化が生じたら、すぐさま報告してもらう。
「須藤、そういえばお前はなんで創韻倶楽部に戦いを挑んでたんだ? やはり『本』の『鍵』目当てか?」
暇なので、気が散らない程度に会話をする。
「ああ、まあな。なんかスゴ味のある『本』持ってシュッとした感じで立つのって、そこはかとなくかっこいいだろ?」
「お前はブレないな……」
「俺は遼のほうが謎だよ。あまり自分のこと話さないだろ。なんで『本』を手に入れようと思ったんだ?」
「『本』の力を利用するためだ」
もし利用できないなら即刻破壊する。
などと本心は隠したが、言ってから俺はふと疑問になる。
『本』を破壊したら、参照者の能力である姫鶴はどうなるのか?
姫鶴は、『本』の有効範囲外でも普通に動けてはいるが、それは『本』が健在だからともいえる。
もし『本』の存在がなくなってしまったら、参照者の能力と一緒に消えてしまうのだろうか。そもそも完全に消えてしまうかはわからないのだが。
そして、『本』が破壊されたなら、参照者たちの記憶はどうなるのだろうか。
『本』とともになくなるのか。
もしそうなら……俺は『本』を手に入れたら、全力で守らなければならなくなるのだが。
「――!」
考えていると、手にしていた粘土に変化が生じる。
米粒くらいになっていたものが、通常通りの大きさに戻ったのだ。やはり『本』とともに、範囲も若干だが移動しているらしい。
「変化があった。そちらはどうだ?」
「こちら笹露。通常通りに戻った」
「須藤だ。一号と六号が通常に戻った。ほかは変わらずだ」
「では境界線上を移動する。能力が通常通りに戻った者は弱体化するまで、弱体化したままの者は通常に戻るまで、それぞれ移動を開始してくれ」
そして能力の変化があった境界線上を調べて地図に記したら、次の地図を用意してまた変化があるまで待機する。
これを地道に繰り返して、『本』の範囲と移動パターンを特定するのだ。
「!? 待て、二号の様子がおかしい」
『本』の範囲内で化け猫を操っていた須藤は報告した。
遠隔でも自分の能力ならある程度の事態を察知できる。
「どうした?」
「誰かに攻撃されて――二号ぉぉぉっ!」
「やられたのか?」
猫好きだな。
俺は次の行動や展開を頭の中で組み立てていく。
「須藤、報告しろ」
「二号がやられた!?」
慌てたような須藤の声。
誰かに襲撃を受けたのだ。非常事態の発生だった。




