15 帰路を往く:黄昏
「あの……」
気まずさを感じているらしい姫鶴が何か話題を振ろうとして、何も思い浮かばずに結局口を閉じた。
歩いている間ほとんど無言だった。
聞いたのは、小葉菜先輩は現在自宅にいるということだけだ。
姫鶴は後ろから早足で歩く俺に追いすがりながら、ちらちらと俺の顔色を伺ったりしていた。
俺は小葉菜先輩の家の前まで来ていた。
彼女の家は一度だけ来たことがある。風邪をひいたときに思い切って見舞いに行ったのだ。おそらく両親も俺のことは覚えているとは思うが、それも定かではない。
夕焼け色が街並みを染めていく。
俺は迷いなく、小葉菜先輩の家のドアを叩いた。
「はっ、入るんですか?」
なぜか焦ったように姫鶴が当たり前のことを聞いてきた。
「何か問題があるか?」
「いえ……でも、たぶん、ショックだと思います」
話していると、小葉菜先輩の母親が出てきた。母親は俺を見ると、一瞬きょとんとして、
「あら――あなた」
「ご無沙汰してます」
「またお見舞いに来てくれたのかしら?」
ふっとやわらかな笑顔を作った。
「知り合いに、寝たきりで動けない状態だと聞いたので」
俺は途中で買ってきたお茶菓子を母親に渡した。
「ありがとうね。入って、話していってあげて。きっと小葉菜も喜ぶから」
俺は頷いて、玄関に上がった。
「お、おじゃまします……」
後ろから、姫鶴も小さくなりながらついてくる。
小葉菜先輩の部屋のある二階へ上がっていき、廊下を奥に進んで、部屋の前に来る。
「どうやらお前の言っていたことは本当だったらしいな」
「へ? 何がです?」
「小葉菜先輩が動けない状態だということだ。母親の反応を見ればわかる」
俺はノックせずにその部屋の中へ入る。
「――――っ」
部屋は中学の頃に来た時のまま、ほとんど変わっていなかった。雑多な本が敷き詰められた本棚、整理された勉強机、小学校のころから愛用しているうさぎのキャラクターが描かれた目覚まし時計。
その中心に、ベッドに横になったまま動かない、小葉菜先輩の姿があった。
目は開いている。が、部屋に入って来た俺たちに反応のひとつも示さない。ただ天井を見ている。自分に何が起こっているか、認識できてもいないのだろう。
予想通りといえば予想通りのはずだったのに、俺は息が詰まった。胸が締め付けられ、頭の後ろが熱くなる感覚。
中学時代の天真爛漫な笑顔は、もうどこにもなかった。
「謝ろうと思ってたんだ、俺は」
寝ている小葉菜先輩にゆっくりと歩み寄り、ぽつりとつぶやいた。
「そのためにあの学園に入学したし、自分の性格と真剣に向き合おうとしていた。一言だけなんだ。それを言うだけで仲門遼としての俺は満足だった。……でも、そんな簡単なことが叶わないなんてな」
俺は唇を噛んだ。ここにはただ確認のために来たはずだったのに、いざ目にすると胸が重くなる。
「遼さん、ごめんなさい、私、途中から遼さんが小葉菜ちゃんの友達だってわかっていたのに……」
「それは別に怒っていない」
黙っていていいものかどうか悩んでいたんだろうしな。こんなことになっているなんて、話したくない気持ちもわかる。
「彼女に何が起こったのかわかるか?」
「私が駆け付けた時には、もうこの状態で……学園の、第一図書館で倒れていたんです」
「小葉菜先輩は……『参照者』だったのか?」
「はい。でも、あの学園に入学して参照者になって、すぐにこの状態になってしまって……」
小葉菜先輩のことを誰も知らなかったのはそのせいのようだ。一年ほどこの状態のままということになる。
「流動食は食べられるし体の機能はちゃんと働いているんですが、何かを認識する力がなくて、心だけ抜け落ちたみたいに……」
「彼女がこうなったのは参照者が関係しているのか」
「私にはなんとも……」
参照者の命を奪った時の現象とはまた違う現象だ。誰かが何かをしたのだろうか。
誰が、何のために?
「小葉菜ちゃんは、でも『本』を探していたことだけは確かです。倒れたのは、その途中で起こったことですから」
「そうか……」
「ただ、『心配はいらないから』って言っていて。今思えば何かトラブルが起こることはわかっていたんじゃないかって。私をあえてその場から離していたような感じだったし」
やはり小葉菜先輩を騙る人物が関係しているのだろうか。――無関係ではないだろう。どう考えても。
「今はなんとも言えんか。……では一つだけはっきりさせよう」
俺は小葉菜先輩から目を離して、姫鶴へ向き直った。
「――お前は何者だ?」
問われることは覚悟していたのだろう。姫鶴は驚きの色もなく、ただ俺から目を離したままで。
「遼さんなら、うすうすわかっていたんじゃないかと思いますけど――」
「確証はなかったからな」
俺は腕を組んで大きく息を吐いた。
「……やはりお前、人間じゃないな?」
そもそも女児が高等部の制服を着ていて学園に潜り込んでいること自体おかしかったのだ。しかもほとんど誰にも見つからず動けていた。
「私自身が、小葉菜ちゃんの能力『リトルペンナイフ』です」
思い返せば、おかしな部分は見受けられた。
生徒たちにまことしやかにささやかれる『幽霊』の噂、出所はどこだろうか。
第一図書館で待ち合わせしたとき、その場に居合わせた女子生徒は、気づかない方がおかしい距離でずっと姫鶴のことを認識できないでいたのは、読書の集中力を抜きにしても不自然ではなかったか。
能力を奪う『銀の楔』を、はじめ過剰なまでに怖がっていたのはどうしてだ。
うさぎの面をつけて逃げているとき、すれ違った生徒たちがことさらに驚いていたのは、ただ俺たちが珍しい仮装をしていたという理由だけだったのだろうか。
さっきの小葉菜先輩の母親も、俺だけを見ていて姫鶴は目に入っていなかった。
「能力は素質ない者には見えない。思い返せば、お前普通の人間には見られていなかったな、いつも。生体型なら人間の形をした能力も中にはあるんだろうとは考えていたが……」
「あのー、やっぱり驚かないんですね。小葉菜ちゃんの能力ですよ?」
「はっきりさせたかっただけで、お前が何者だろうとどうだっていいんだよ。それを知ったところで、お前の価値が変わるわけではないからな。その制服は自前か?」
「高校生の小葉菜ちゃんに合わせて出てきた能力だったのでこうなったみたいです」
「サイズくらい合わせたらどうなんだ。いや、そんなことより、小葉菜先輩がこの状態で、お前だけが独り歩きしているというのもおかしな話だな」
まだ謎が多いな、この件に関しては。
「あの、私、いっぱい黙ってたことあるんですけど」
「?」
胸の前で両手の指を遊ばせながら、姫鶴は不安そうに俺を見上げた。
「これからも、遼さんのそばにいていいんですか?」
それはあまりに稚拙な質問だった。そんなことは決まり切っている。
「俺と交わした契約を忘れたか? お前そんな理由で俺から離れていったら裏切り者として始末するからな」
「あ……はいっ」
「嬉しそうにするな。あくまで俺の駒がなくなるのが惜しいだけだ。言っておくが、それだけだからな!」
「そうなんですか?」
「うざい」
上機嫌で満面の笑みだったので、俺は姫鶴の顔をわしづかみにして押しのけるようにする。
「あうっ、ちょっ、何するんですか!」
手をばたばたさせながらもがく姫鶴。
そのまま姫鶴の顔を隠しながら、俺は話をつづけた。
「どんな情報も載っているという『本』なら、小葉菜先輩を元に戻せる情報も手に入るかもしれないのだろう? なら迷うな。俺たちはもう一蓮托生だ」
「でっ、でも『本』は? 全然見つかりません」
「『鍵』が手に入った今それも目前だ。『本』のだいたいの位置を特定する策もできてきている」
「えっ!?」
姫鶴の声が裏返った。
「それ本当ですかっ?」
「それをやれるだけの駒は揃っているからな」
必ず特定できるとは一概には言えないが、俺の考えている方法なら、パターンを読んで出現地点を予測するくらいのことはできるかもしれない。
言ったところで、母親がジュースとお茶菓子を持ってやってくる。
戯言はここまでだ。
俺は小葉菜先輩の母親とひとしきり思い出話をしたあと、姫鶴と共に家を出た。
「お前は学校に戻るのか?」
「はい」
あたりは日が暮れ、すっかり夜になっていた。歩き出すと、姫鶴も後ろからついてくる。
「道理で小夜を引き取れないわけだな。ずっとそうしてきたのか」
「ご飯は食べられますけど、べつに食べなくても平気なので……人に見つからないようにすれば、あとはどこでも寝られますから」
言いながら、姫鶴ははかなげに笑った。
「……そうか」
こいつはこいつで大変な日々を過ごしていたらしい。
「戻れ」
「え?」
「どうせなら小葉菜先輩の家にいてやれ。その方がいいだろう、お前にとっても」
……本当の主人は小葉菜先輩なのだから。それくらい許されるだろう。
「いや、なんか、いても邪魔かなって思うんですが」
「誰にも気づかれてないんだから無用な心配すぎるだろ。そんなこと気にするのはお前だけだ。さっさと戻れ、馬鹿者が!」
「えええっ、でも学校わざわざ行くの面倒くさい……」
「さっさと行け!」
「は、はいぃ」
追い返すように姫鶴を戻すと、俺はまた一人で歩き出した。
『さもんじこはな』がどう動いてくるか気になるところだ。もしそいつが魔法世界にゆかりのある人物なら――生け捕りにせねばなるまい。
「もう少し何かがあればな……」
俺はぼやいた。
現状できることといったら、俺たちがキープしている『鍵』を餌にして釣りができそうなくらいだろう。
頼りになる情報が少ないというのは、どうにも足元がおぼつかなくなる。動きにくくていかん。
それに――小葉菜先輩の境遇を思うと、夕焼け空のような哀愁が心から抜けない。俺としたことが、思った以上にショックを受けている。
「どうも慣れんな……夜空というのは」
いまだ違和感のある月や星を見上げて落ち込む気分の言い訳にしながら、俺は深くため息をついた。




