ファーストフード店
————このハンバーガー不味い
虎子が平時の能面でぼそりと呟いた。
駅前のファーストフード店。全国展開のチェーン店だから味に違いはあまりないはずだが、確かに妙な生臭さがあると言うか、生焼けみたいで不味い。
「取り替えて貰う?」
「いいよそこまでしなくて」
珍しく潔いことを言う虎子である。普段ならもっと文句を言っているところだ。
「金輪際この店を利用しなければいいだけだよ」
なるほど、今日はそういう感じなのか。
「相変わらず極端だなあ虎子は」
「何が相変わらずなのか判らない。冗談に決まってるでしょ。相変わらず竜子は馬鹿だなあ」
畜生。思わぬところから私に矛先が向いてしまった。
「馬鹿じゃない! 私が先日の中間試験で何点とったか教えてあげよう」
「言わなくていいよ。何回も聞いたから。現国だけ八十九点だったんだよね。現国だけ」
そう、現国だけ。他教科はいつも通り平均点だった。しかし、私だって努力の末に獲得した八十九点である。そろそろ馬鹿の汚名は撤回してくれてもいいはずだ。
「高得点を獲得したという事実が重要なんだよ。次は生物でも狙おうかなー」
「志が低い……そこは全教科狙おうよ」
教師みたいなことをぐちぐちとうるさいヤツだ。
「あーもーうるさいなー、大体なんで学校の外で勉強の話しなきゃいけないんだよ!」
「竜子が振ってきた話題だよ」
そうだった。ならば別の話題へと移行しよう。勉強のことなんて考えてられるか。
「じゃあそうだなあ……」
考えてはみるが、特に話題といった話題も思い浮かばない。遂にこいつともコンビ解散か。
「会話するのにいちいち考えなきゃいけないなんて。私たち、本当に友達なの?」
「そういうことは思ってても言わないでよ……悲しくなる」
本当に解散の危機か。
「前々から思ってたんだけどね」
虎子が、一つ溜息を吐いてから何やら言い始めた。
「私たちには色気が足りないと思うんだ」
「はあ? また下ネタ?」
本当にこいつは下ネタ大好きだ。
「だから竜子は馬鹿だって言われるんだよ? 私たちずっと二人でいてばっかりで、恋人なんかもいないじゃない? だから話題が尽きるのも当然。私たちは、女子高生がしていて然るべきことをしていない」
「女子高生がしていて然るべきこと? はっ! もしかして——!」
もしかして、アレか。
「やっぱり下ネタじゃん!」
「違う。恋だよ」
「なんだよ……ビックリさせやがって」
「竜子の卑猥な妄想を私に押し付けないで」
「卑猥な妄想なんてしてない!」
ただの勘違いだ。
それにしても、確かに虎子の言うことには一理ある。自分で言うのもなんだが、私たちはそれなりに可愛い。それなりにね (まあ虎子は普通に可愛いけれど)。そのそれなりに可愛い私たちが恋の一つもしていないというのは不自然であるし、それなりに可愛いのだからそれなりに言い寄られてもいいはずなのだ。
「恋かあ……そうだよなあ。私たち結構可愛いのになあ」
「え? 何? もう一回言って」
聞こえなかったはずはない。確かに呟きではあったけれど、この距離で耳に届かなかったということはないだろう。
「何だよ、文句あるのかよ」
「何? 私たちが結構可愛いとか聞こえたんだけど」
「そうだよ。そう言ったよ」
「竜子は言うほど可愛くないよ?」
空想、妄想、想像、予想、予測、予言、現実。意味不明な単語の羅列が私の脳内を支配する。それらが意味するものとはつまり、ブス。
泣く——泣く——泣く——!
「そんなことないもん!」
声を張り上げて悲しみとさよならする。
「声が大きい。周りに迷惑」
誰の所為だよ。
「まあ、不細工ではないよ。むしろ顔立ちは整ってる方だし、髪も綺麗だよね。じゃあ何が足りなかって言うとやっぱり色気」
何じゃそりゃあ。
「私に淫乱になれってのか!?」
「飛躍し過ぎ。そこまで言ってない」
「うう……じゃあどうすれば……」
「お洒落とかしてみれば? この辺、ブティックとかも多いし」
なるほど。しかし、この辺の店は何と言ってもお高い。明らかに私たちのようなしがない女子高生をターゲットにしているとは思えない値札がショーケースからも見て取れる。
それを申し立てると虎子は、安いお店もあるよと当たり前のように店名を挙げてみせた。
こいつ、結構詳しいな。何だかんだで身だしなみには気を遣う質なのか。それとも私が怠けているだけなのか。
「でも、あんまり安いと裏がありそうで行き難いなあ……」
「客の消えるブティックだね」
ああ、うかつなこと言ってしまった。また下劣な小話を聞かされることになるのか。大体にして、私は服の質のことを言ったのであって、そんな物騒なことまでは言葉の内容に含んでいない。
「話したくてしょうがないんでしょ? いいよ。話しなよ」
「ん? 竜子、聞いたことない?」
「いや、あるけど記憶が朧げだなあ。試着室に入ったら客が消えちゃったってとこは覚えてるけど」
「そう、じゃあ補完してあげるね————」
虎子は語りだす。
ある夫婦が海外旅行へ行った。旅行での妻のお目当ての一つは、ブランドものの服やバッグだった。そうして一軒のブティックへと入店する二人。妻はあれでもないこれでもないと服を物色していく。数分後、気に入った服があったのか、妻は試着室へと入っていく。待つことにした夫。しかし、幾ら待っても妻が試着室から出てくる様子はない。どうしたのだろうかと不審に思った夫は試着室の扉を開けるが、そこに妻の姿はなく、脱ぎ散らかされた服だけが落ちていた。
現地警察に通報するも、目撃者がいない上、外国人である夫に警察は冷たく、早々に操作は打ち切られ、夫は帰国を余儀なくされる。
そして数年後、某国を訪れた夫は「だるま」と日本語で表記された看板を掲げている店を見つけ、興味をそそられ入店する。入ってみるとそこはどうやら見世物小屋のようで、やがて現れたのは手足を切断され、壁に固定された裸の「だるま」のような女だった。舌も切断されているらしく、焦点の定まらない目で天井を見ている。
絶句する夫。よく見てみれば、そのだるま女は、数年前ブティックで失踪した妻だった。
「こんな話」
これはR-15だ。お子様には聞かせることの出来ないお話である。また公共の場でえげつない話をさせてしまった。
「この話のもとになったのは、一九六九年にフランスのオルレアンで流れたうわさだよ。話のあらすじは大体同じ。試着室に入った女性が攫われて、外国に売られてしまうって話。エドガール・モランって人が『オルレアンのうわさ』という本で、その噂のことを分析してる。詳しいことはきっと竜子には理解出来ないだろうから省くけど、私が面白いなと思ったのは、これが女学生の間で流れた噂だってことと、その噂を広めるための土台作りに大人たちも関与していたってこと。特に、女教師や少女たちの母親なんかがね。噂が流れた時、大人たちはデタラメを信じないようにと、少女たちを抑圧した。けど、人の口に戸は立てられない。そして、大人たちが強く抑圧すればするほど、少女たちは忠告と、噂に対する大人たちのリアクションを個々によって様々な解釈で受け取り、ある者は面白がって、またある者は、あんなに必死に否定するなんて何か裏がありそうだと勘繰って、大人の見えないところでどんどん噂を広めていったんだ」
長い。寝るとこだった。
「説明ありがとう。で? 今日のテーマは何でしょう?」
「やっぱりこういう噂が流れる少女の心理には、性への興味だとか、恐れだとかがあると思うんだよね。竜子だってそういうのがあったから警戒したんでしょ?」
「違うよ」
「違うの?」
生来の無表情で首を傾げる虎子。可愛いなあ。あざといなあ。
「いや、生地とか粗悪なんじゃないのかなあって。そういうことを心配したんだけど……」
「贅沢なことを……安いんだからそれなりに決まってるでしょ」
まあ尤もだ。安かろう悪かろうとまではいかないが、安ければそれなりの質であるというのは私も納得出来る。
「竜子って潔癖だから、てっきりそういうふしだらなことを心配してるんだと思ったよ」
「私は別に潔癖じゃない」
「じゃあおっぱいって言ってみて」
またこいつは公共の場でとんでもないことを言う。そんな猥言を口に出来る訳がないだろう。
「言える訳ないでしょ!」
「ほらね。こんなの小学生だって言えるよ」
そりゃあ小学生は言えるだろう。彼らはまだうんこちんちんが好きな年頃だ。しかし、考えてみてほしい。私は思春期真っ盛りな花も恥じらう乙女である。まだ接吻だってしたことがない。そんな私が——などと。
「言える訳がないのである」
「誰の真似?」
考えていることが口に出てしまった。
「大体ここは公の場だよ? そういうことを言うのはイクナイ!」
「じゃあ私の耳元でいいから」
「余計恥ずかしいわ!」
全くこいつも大概である。虎子は友人が少ない。決していないという訳ではないが、私以外とはほとんどまともに会話を交わさない。それなのに私と顔を突き合わせるとなると、ずばずばとものを言ってくるし、平気で猥談を始めたりするのだ。
黙っていれば可愛いのに。こいつは表面だけ見れば大人しい美人なのだ。きっとクラスの男子も虎子に幻想を抱いているに違いない。
「あんたは! 全くあんたは!」
ダンダンと座りながら地団駄を踏む。
「うるさい……ホント、竜子は敏感過ぎる。そういうのって却って助平に見えるよ?」
「何ぃ!? 私はそんなんじゃない!」
助平なのはどっちだ。
いや、しかし言われてみれば、ムッツリ助平という言葉もあるわけだし、些細なことにいちいち反応してしまう私こそ助平なのかも知れない。そんな、まさか。
「いや、まさかね……」
「がっつり自覚してるね。竜子ってまともに恋愛したことないんじゃない? 男の子と目を合わせて話せないとか、ない?」
「んー、そんなことはないけどなあ」
意識さえしなければ普通に話せる。意識したらお仕舞だが。
それに——
「それに私、恋愛したことあるよ?」
「は?」
あ、驚いてる。顔の形が変わった。眉毛が奇妙に歪んでいる。虎子が本気で驚いた顔って始めて見たかも。
「さっきはしたことないって言ってたじゃない」
「言ってないよ。今はしてないってだけだよ。好きな人もいないしね」
「え? なになに? 竜子が恋? 何それ? 都市伝説? その話は聞いたことない。教えて」
「あんたは私を何だと思ってるんだよ」
本気で動揺している。微妙に肩が震えているのが恐い。
「あんまり人には話したくないんだけど、まあ虎子には特別ね」
「そういうクソっ垂れた前置きはいいから」
完全に我を忘れている。
「はあ……あのね、私、中学二年生の頃、担任の先生と付き合ってた時期があったの」
ガン、ともの凄い音をたてて虎子の額が卓上に激突する。
ビックリした。
「ちょっと、大丈夫?」
「ごめん……目眩がして……」
虎子は額を押さえながらドリンクをストローで吸い上げる。そしてむせる。そして顔を涙と鼻水で汚す。そして頭を抱える。
流れるような動作だ。鼻水は拭いとけよ。
私がポケットティッシュを差し出すと、虎子は人目も憚らず思い切り鼻をかんだ。
「インモラル……私の友達はインモラル」
誰がインモラルだ。
「最後まで聞きなさいよ」
「うう……竜子が、インモラルなことに……」
マジ泣きである。
「インモラルなことにはならない!」
「ホントに?」
可愛い泣き顔だなあ。あざといなあ。
「本当に——続けるよ? でね、告白は先生の方からしてきたんだよ。まあ私はそういう時どうすればいいのか判らなかったし、全然正常な判断ってものが出来なかったから、オッケーしちゃったんだよね、流れで」
「うん、凄く馬鹿っぽくて竜子らしいと思う。けど、流石に馬鹿過ぎるよね……」
鼻をすすりながら相槌を打つ虎子。失礼なのは泣いていても変わらないらしい。
「まあ結局一ヶ月くらいで別れちゃったんだけどね。私も流石に怖くなっちゃったし。その……大人の世界ってヤツがね」
「幾ら言い難いからってその表現はないと思うよ……」
もうこいつが何で泣いているのか判らない。私の頭の具合を嘆いているんじゃないかと思えてきた。いや、事実そうなのか。確かにかなり馬鹿なことをしたと自分でも思う。動揺していたとは言え、あまりに浅はかであったと慙悔の思いもある。私は誰がどう見ても頭の弱い中学生だった。
「粘着とかされなかったの? ロリコン自体が異常だとは思わないけど、自分の教え子に告白するのは流石に異常だよ。そんな人があっさり引き下がるとは思えない」
「いやあ、案外あっさり引き下がってくれたよ。先生も後ろめたかったんじゃないかな」
「誠実なロリコン……」
紳士ですね。
「まあだから、私は恋愛をしたことがあるんだよ。一応、手を繋ぐくらいはしたしね。それ以上はなかったけど」
「子供のお遊びじゃない」
何その言い回し。
「動揺してるとは言えその表現はないと思うよ」
「でも、本当のことでしょ?」
「むう。確かにそうだけど、それでもいいんじゃないかな? 事実、私は子供だったし、子供には子供らしい恋愛ってものがあるよ。おままごとってのは子供に必要な遊びだと思う」
「まあ、そうだね」
お、同意してくれた。珍しい。いつの間にか能面に戻ってるけど。
「てなワケで、私は恋愛経験値の獲得者なのだよ」
「ムカつく。殴らせて」
とんでもないヤツだ。
「どうせあんただって結構モテて、言い寄られたりしてたんでしょ? 今まで告白された回数を白状せよ」
同性から見ても充分可愛いのだから、きっと異性の目には虎子が天使のように映っているに違いない。そんな虎子を、皆が皆放っておくなんてことはあるまい。
「ないよ」
「え?」
「告白されたことなんてないよ。告白したこともないよ」
せめて目を伏せるくらいの動作はしてほしい。じっと目を見られながら言われると怖い。
「ないの?」
「ないよ。私、奥手だから」
そういうところだけは見た目通りなのか。
「惨めになってきた……」
「ごめん……」
何だこの空気。
「私は一生独りなんだろうか」
「いやいや、あんた結構可愛いからなんとかなるって」
「同性からの『可愛い』ほど信用ならないものはない」
捻くれ過ぎだ。さっきまでは自信満々だったのに、いきなり卑屈になってしまった。私の所為か。
「はあ……なんか疲れちゃった」
虎子は少し瞼を伏せて椅子にもたれかかる。ううん、憂いを帯びている表情もなかなか様になっている。やっぱりこいつに恋人が出来ないとは思えない。
私も何となく食べかけのハンバーガーを手に取って口へ運ぶ。やっぱり不味い。ハンバーガーを咀嚼しながらぼうっとしていると、真向かいの席の会話が聞こえてきた。
——ここのハンバーガー、マジでミミズの肉使ってるらしいぜ
「ぶっ!」
「うわっ汚い! 何やってんのよ馬鹿。この本物の馬鹿!」
思わず吹き出してしまった。虎子は慌てながらも私を罵倒する。
「ごめん! 今凄いこと聞いちゃって」
卓を拭き拭き、平謝りだ。
「私も聞こえてたよ。ミミズバーガーでしょ? そんなのある訳ないじゃない」
「いや、だって! 妙に不味いと思ったんだよ! 何か生臭いし! イカみたいな味するし!」
「イカみたいな生臭さと言えば、男の人のせ——」
「何も言うな!」
危ない危ない。R-18に突入するところだった。
「あ、そうか。でも、何が混入しているのか判らないなら、特殊な性嗜好をもった人がミミズバーガーの噂を流してそれを浸透させ、自分の嗜好を満たすためにこっそりハンバーガーの中に――」
とんでもなくヤバいことを思いついてしまったようだ。こいつは頭がぶっ壊れている。
頭の具合の悪い女子高生コンビ。うわあ最悪。何処にも需要がない。
「もう帰ろう! ほら、そろそろ八時になっちゃう。これ以上乱れる訳にはいかないよ!」
「ん、そうだね。ハンバーガー不味いし、この店は二度と利用しないよ」
同意見だ。二度と来たくない。噂に踊らされているとか馬鹿にされても絶対に来ない。
ごめんなさいお店の人。全ては村田虎子が悪いのです。私の脳にトラウマを植え付けたのはこいつなのです。お許しください。
心の中で謝罪すると、私は虎子を連れて夜の帰路へと飛び出した。




