学生の間だけ恋愛をしたい? なにをふざけたことを(照)
「え、恋愛、でございますか?」
その日、私は婚約者に「学生の間恋愛をしてみたいんだ」と言われ、礼儀作法も忘れ目の前の婚約者を凝視した。
久しぶりに、王宮の王太子殿下のサロンに誘われたから精一杯オシャレをしてきたのに、お気に入りのレースのハンカチをテーブルの下でぐしゃぐしゃに握りしめながら、相手は誰と泣きたくなる。
婚約者の王太子殿下と、この国の貴族なら三年間通わなくてはならない貴族学校に入学したのは三ヶ月前のことだった。
私と王太子殿下の婚約は国王陛下の一存で決められたもので、二年前に婚約が決まった。
王太子殿下は、思慮深く聡明と評判通りの方で嫌な思いをしたことは一度もない。
入学する前は、週に一度王宮で王太子殿下とお茶をいただくだけ、私は侯爵家の娘だけれど王太子妃教育は公務関係のものが殆どだから結婚してからすれば十分と言われていたこともあり、会話は今なにを勉強しているかや、趣味に関しての話題が多かったが、おおむね交流は上手く言っていたと思う。
このまま穏やかに婚約期間を過ごし、このまま結婚するのだろう。
そう呑気に考えていた私は、王太子殿下がある女子生徒と仲良く過ごしているという噂に不安な日々を過ごすことになった。
この学校は男子と女子で組が分かれている。
殆ど別の学校では? と思うほど、お昼休憩以外で男子生徒と顔を合わせることはない。
王太子殿下と私は、昼食を一緒にいただいている。
これは彼から誘ってきたことで、今のところ一度も別々になったことはない。
それならばいつその女子生徒と会っているのかといえば、授業の後らしい。
三ヶ月の間で四、五回ほど目撃情報がある。
その殆どは中庭にある噴水の側の花壇だった。
そこは花ではなく、薬草が植えられている。
王太子殿下と、側近候補達はそこで女子生徒と交流しているらしい。
まさか、恋愛したいというのはその女子生徒となのだろうか。
もやもやした気持ちで、膝の上でハンカチの皺をのばして綺麗にたたみながら気持ちを落ち着かせる。
扇はテーブルの上に置いてある、手に持っていたのがハンカチではなく扇だったら骨が折れてしまったかもしれない。
そんな場合ではないのに、お気に入りの扇ではなく、ハンカチで良かったとシワシワになったハンカチをコッソリ撫でながら思うのは、現実逃避だ。
なぜ、婚約者から恋愛したいなんて言われないといけないのだろう。
こんな悲しいことを言われたのは、生まれて初めてだ。
「恋愛ってどう思う?」
「お芝居や小説でしか知りませんので、どう思うと言われましても」
好きな気持ちは知っている。
私はずっと婚約者片思いしているのだから、でもその片思いの相手にこんなことを言われるなんて思わなかった。
泣きたい、まさか噂の女子生徒に恋したと聞かされるのだろうか。
ちらりと部屋の隅に控えている女官に視線を向けると、無表情を維持しながら私を心配する気配が見える。
あの女官は、私が婚約した後すぐに王宮での私担当になった人だ。
婚約締結後に初めてお茶に招かれて、緊張しすぎて王太子殿下と殆ど会話できなかった時から、私に姉のように優しく親身に接してくれている。
本当は一人の女官だけと親しくなりすぎるのは良くないのかもしれないけれど、凄く頼りになる人だから私には姉であり友人みたいな存在だ。
だから、私は彼女の無表情の下の感情が読めるのだ。
「そうか、あのね。恋って凄く幸せな気持ちになるみたいなんだ」
私の返事に王太子殿下はそう教えてくれるけれど、今『みたい』と言いました?
「それは、あの、経験されたのですか」
「経験? そうだね、経験したんだ。幸せそうでさ、なんだかそういう気持ちいいなあって思ってしまってね」
幸せそうで、いいなあと思う?
これは恋をしているのは、王太子殿下ではないのかと思いながら、言葉の続きを待つ。
「だからね、学生の間恋愛したいなって、どうかな」
「どう、かな?」
それは自分が恋愛するから、私も学生の間好きにしろということだろうか。
でも、王太子殿下は微笑みながら私の答えを待っているように見えるから、違うかもしれないと思いながら口を開く。
「学生でなくなったら、好きな気持ちは消えてしまいますか?」
「……え、あの……す、すまない。卑怯だった」
学生の間だけ、私と恋愛ごっこがしたいのか、それとも他の人としたいのか。
分からないけれど、私を相手に恋愛がしたいと受け取った風の返事を返すと、なぜか謝られてしまう。
これは、相手は私ではないのだろうか。
「卑怯?」
「実は、最近側近候補の一人の想い人に気持ちが通じてね。彼が幸せそうに惚気るものだから、羨ましくなってね」
「はい?」
「なぜ羨ましいのかと考えてた、それで私は君と恋愛がしたいんだと気がついたんだ。学生の間だけでなく本当はずっと君と恋愛がしたい。でもこの婚約は陛下が決めたことだから、君は私を恋愛なんてする気はないかもしれないって」
「あの」
「でも、他の人じゃ嫌だから、学生の間だけでも恋愛してくれないかなと」
な、なんてことを言ってくれてるのかしら。
私と恋愛、私とずっと恋愛。
それはつまり、私のことが好き?
「嫌だろうか」
「い、嫌だなんてそんなことありません」
ただ、物凄く恥ずかしいだけだ。
それにしても、側近候補の方はどなたとそういう関係に?
「あ、中庭の?」
「ん?」
「王太子殿下はある女子生徒と中庭で密会されていると噂が」
隠していていいことは何もない。
王太子殿下が私と恋愛をしたいなら、あの噂は間違っているのだから。
「中庭? え、そんな噂が」
「はい」
「まさか、そんなこと信じてないよね?」
見るからにおろおろとしていて、こんな焦った顔は今まで見たことがない。
王太子殿下はいつも落ち着いていて、喜怒哀楽なんて表情に出さないのに、どれだけ慌てているのだろう、この表情を引き出したのは私なのだと思うと、なんだかくすぐったい気持ちがして、ついふふふと笑いながら頷く。
「王太子殿下は、私と恋愛してくださるのでしょう? その噂の方が側近候補の想い人なのでしょうか」
「そうなんだ、元々二人は幼い頃に一度会ったことがあってね。入学して再会したんだけど挨拶程度しかできなくてね。それで少しでも親しくなる切っ掛けが欲しいと言うから、彼女が世話をしている薬草について聞きたいと理由をつけてね。彼女の家は薬草栽培を得意としていて、校内の薬草畑の世話を引き受けているんだ。それで皆で会いに行ったのが始まりかな。勿論私達は紳士的な距離でしか話をしていないよ。一人の女子生徒に数人の男子生徒なんて威圧的だからね。彼が話ができるようになってからは、私達は少し離れた位置で二人を見守っていただけだし」
王太子殿下は、なかなかの早口で話す。
余程噂が衝撃だったのか、私の誤解を解きたくて必死なのか、こういうのも初めて見る姿だ。
「薬草」
薬草、それなら嘘ではない。
王太子殿下は、ご自分の宮の一角に薬草園を作り研究しているのだから。
立太子されなければ、薬草の研究をして暮らしたいと考えていたのも知っているけれど、一つ下の弟君は他国に婿入りが決まっているからその夢は叶わない。
それでも趣味程度ならと自分に言い訳して、小さな薬草園の世話をしているのだ。
「それではお二人を引き合わせたのは王太子殿下なのですね」
「そういうことになるかな、二人きりで会うのは問題があるかと数人で行っていたのだが、私の噂になっていたとは、うかつだった」
この方は、自分動けば注目される自覚がないから、気にもしていなかったのだろう。
いくら、この国が平和で呑気な国民がばかりとはいえ、王位を継ぐ方なのに本当に……。
「もしかして、かなり心配させただろうか」
「どう思われますか?」
無自覚で噂になって、呑気に恋愛なんて言い出す人に、不安だったなんて言わない。
噂を聞くたび泣きたくなって、考えすぎて眠れない夜もあったのに、それが誤解でホッとしすぎて泣きそうだなんて、この呑気な人には教えてあげない。
だって私はずっと好きだったんだから、それも知らずにこの人は。
「もしそうなら、申し訳ないと思う。本当に軽率だった。すまない、でも私は恋愛するなら君が良いし、君のことを惚気たい」
「惚気たいというのは、聞いたことが無い希望ですわ」
この人は本当に、もう。
助けを求めるように女官の方を見ると、いつの間にか彼女は部屋の外に出ていた。
扉は大きく開いているけれど、部屋の中にいるのは私と王太子殿下の二人だけだ。
「惚気は駄目かな」
「恋愛するのは、ずっと私だけだと誓ってくださるのであれば、許します」
顔が熱い。
緩みそうになる口元を隠そうとして、膝の上に置いたままのハンカチが皺だらけなのを思い出してテーブルの上の扇を広げる。
「ありがとう、誓うよ。ずっと君だけを好きでいるから、私とずっと恋愛して下さい」
恋愛して下さいって、なんだろう。
婚約者だけど恋人みたいに過ごそうとか、そう言わないのはなぜなのだろう。
そこまで考えて気がついた、そもそも私との婚約には感情は必要じゃない。
内心どう思っていても、婚約期間が終われば結婚するけれど、それは夫婦になるというより王太子殿下とその妃になる感覚だ。
互いに愛がなくても結婚はするし、子供も作るのは、義務と責任からだ。
この人は私が自分を好きなんだとは考えていなかったのだろう、私も言ったことはない。
だから、義務と責任だけの関係ではなく恋愛したいと言ったのだと思う。
「私も誓います。ずっとあなたとだけ恋愛します。今まで王太子殿下が好きでした。これからもずっと好きでい続けます」
片思いでも、彼は誠実だからいいと思っていたけれど、この思いを彼からも貰えるなら幸せだ。
「す、好き? え、本当に?」
「はい」
驚きすぎて目が真ん丸になっている、今日は色々な表情を見せてくれる。
こんな表情豊かな方だったのかと、初めて知った。
「わ、私も好きだ。いつの間にかそうなっていたんだって気がついたんだ」
それが噂の女子生徒と側近候補の人のお陰でなら、悲しかったことは忘れて二人に感謝しないといけない。
「両思いですね」
「そうだ、両思いだ」
顔が熱いから、扇は広げたまま。
私達はしばらくの間見つめ合っていた。
その後、中庭での語らいに私も加わり、側近候補のそれぞれの婚約者達も加わるようになった。
私達の結婚後、側近候補は皆正式な側近になってそれぞれ婚約者と結婚した。
噂の女子生徒は、王太子殿下の薬草園の管理者をしながら、今は私の子供の乳母になった。
王太子殿下はあの日の約束通り、今も私と恋愛をしてくれている。
結婚しても、子供達が生まれても、変わらず私達は互いを好きなまま年を重ねている。
この関係はきっとずっと変わらない。
彼が王位を継ぎ、私が王妃になっても。
ずっと、ずっと変わらない。
おわり
読んでくださりありがとうございます。
暑さで心身ともにバテているので、苛々しない甘々話が書きたくなりました。
甘い話は心の栄養です。
小さくて平和な国に暮らす王子と婚約者のお話でした。
タイトルで分かる、やまもおちもない話でしたが楽しんでいただけたら、幸いです。




