第1話:プロデザイナー、クソデザインの異世界に降り立つ
(……何、あのクソデザイン……!)
母、エラ・クラフトが描いた魔法陣を見た瞬間、私は確信した。
――この世界、設計が終わってる。
それが、転生して3年。私がこの世界で初めて抱いた、明確な殺意に近い憤りだった。
デザイナーとしての魂が、3歳児の小さな胸の中で激しく燃え上がる。
私の視界が、職業病ともいえる「グリッド(補助線)」を自動的に生成し、目の前の羊皮紙をスキャンする。
エラ・クラフトが手本にしている古い魔法札。そこに描かれた「文字」を見た瞬間、私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
魔力を現象化させるための回路。しかし、その造形はあまりにも無惨だった。
歪んだ線。バラバラな太さ。崩れた配置。
(あんなの、情報の渋滞じゃない。魔力が通る道がこれじゃ、事故が起きない方がおかしいわ。線のウェイトもバラバラだし、ベースラインもガタガタ……誰よ、これを『正典』だなんて決めた奴は!)
この世界において魔法は「絶対的な力」だという。ならば、その根幹をなす「文字」は最も美しく、機能的であるべきだ。
それなのに、目の前にあるのは、美大の1年生が初日に提出しても即座に突き返されるような、低クオリティな「落書き」だった。
「テラ? どうしたの、怖い顔して」
エラの柔らかな声で、私は我に返った。
視界に入るのは、粗く削られた木の天井。鼻をつくのは、瑞々しい草木の香りと、どこか懐かしい「糊」のような匂い。
自分の手を見る。まるでお餅のように白くて丸い、3歳児の手。
(……そうだ。私は死んだんだ。あの締め切り直前の事務所で)
美大を卒業し、タイプデザイナーとして死ぬ気で働いた挙句、本当に死んで、私は「テラ・クラフト」という幼女に転生していたのだ。
エラは一生懸命、その歪んだ文字を模写している。彼女の職業は「代書屋」。だが、模写すればするほど、線の歪みは複利計算のように増幅されていく。
(……耐えられない。プロとして、これを放置するのは死ぬより苦痛だわ)
私は椅子から滑り落ちた。
「テラ? どこへ行くの?」
エラの声を無視して、私は暖炉の脇へ向かった。そこには、薪の燃えカスである「炭の塊」が転がっている。
私はその黒い炭を、小さな手でしっかりと握りしめた。
足元の床板は、父・カイルが手入れしている、滑らかで白い木材だ。
(キャンバスとしては、悪くない。デザインとは、秩序。まずは、すべての基本となる『一線』から)
私は炭を床に押し当て、前世で何万回と繰り返してきた感覚を呼び覚ます。
肩の力を抜き、腕全体で重力をなぞる。
――ッ!
その瞬間、家の中の空気が「鳴った」。
炭が床を滑る「カリッ」という音と共に、床に一本の黒い垂直線が刻まれる。
始点から終点まで微塵の揺らぎもなく、幾何学的な純粋さを備えた、絶対的な「一」。
「……あら?」
エラが筆を止め、振り返る。
直後、異変が起きた。
部屋中の空気が、その一本の線に向かって吸い込まれ始めたのだ。
床に描かれたただの黒い線が、青白い光を放ち始め、熱を帯びていく。
「何、これ……テラ、何をしたの!?」
エラが悲鳴を上げて私に駆け寄る。
魔力の流れが見える。歪んだ文字では淀み、逆流していた魔力が、私の引いた「正しい線」の上を、高速道路を走るスポーツカーのように滑らかに流れていく。
(そうか。やっぱり私の理論は正しい。形が正しければ、魔力は勝手に『正解』の動きをするんだ)
光はどんどん強くなり、小さな家を飲み込まんばかりに膨れ上がる。
私は冷静に、炭を再び構えた。
「暴走しちゃダメ。デザインには、終わりの記号が必要よ」
垂直線の終点に、小さな「点」を打った。
流れを止めるための、完璧なピリオド。
その瞬間、猛り狂っていた空気の渦が、嘘のようにピタリと収まった。
「……テ、ラ……?」
腰を抜かした母の横で、騒ぎを聞きつけた5歳の兄・ジークが飛び込んできた。
「えっ、何だよこれ。……なあ母さん。これ、魔法陣の一部か? なんでこんなに……目が離せないんだ?」
子供の目から見ても、それは異様だった。3歳の幼児が引いたはずの線が、この世のどんな工芸品よりも「真っ直ぐ」であるという事実。
エラは答えられなかった。彼女は代書屋として分かってしまったのだ。
娘が描いたのは、落書きではない。
この世界の魔法体系を根底から否定し、再構築してしまうほどの、恐るべき「正解」の一端であることを。
私は、手に付いた炭の粉をぱっぱとはたいた。
まだ3歳の身体は酷く疲弊している。だが、心はかつてないほど晴れやかだった。
(決めたわ。この世界のクソデザイン、私が全部直してあげる)
それが、新しい人生の最初のプロジェクト。
――そしてきっと、この一線は。
この世界の“常識”を壊すことになる。
問題は、その代償だ。
たった一線を引いただけなのに、体の奥が、ひどく重い。
(……なんで? 私は、魔法なんて使ってないのに)
息が浅い。指先がわずかに震えている。
まるで、何かを無理やり『通された』みたいに。
このまま続けたら――
どうなるかなんて、考えるまでもない。
それでも。
(関係ないわ)
この世界のクソデザインを放置するくらいなら、壊れる方がマシだ。
私は、小さく息を吐いた。
デザイナーの異世界リデザイン計画が、今、幕を開けた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
本作が私の「小説家になろう」での初投稿作品となります。
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