第5話 大切だから、守る①
はじめまして、初めての恋。
わたし、セダムさんが好きです。あなたのそばにいたいと思っています。
だけど、まだ、ふたりで旅に出られない〝好き〟──それでも、いいんでしょうか?
いいんだよね!
あなたがこんなふうに笑う人だったなんて、お月様とかお星様みたいな印象で冬生まれって聞いてピッタリだって思ってたけど、セダムさん、熱いんだね。
伝わっちゃえばいいのにって思う。
ぜんぶ聞こえちゃえばいいのにって思っちゃう。
男の子と手を繋いでデートするなんて初めてで、覗かれるのは困るけど、半年待ってくれるのは感謝してるんだけど……本当はわたし、このまま。
伝われ伝われって念じてた思いは、ぐ〰〰っていうお腹の音で遮られた。
わたしの手を取って嬉しそうに見つめていたセダムさんは、大きく目を開いて、ちょっと視線を落とす。
『あ……』みたいな顔してる。
かわいいんだ!
13歳だもんね。わたし来月15だよ。
はにかんで目尻が下がるの、すっごく胸にくるね。
「タギタナさん。今のお腹のご機嫌はいかがでしょう?」
「しっかり食べてから散策したいです!」
「僕もです。あちらにおすすめの店があるので行きましょう」
わたしをエスコートしようとして、タギタナさんを急かさないようにしたいのかな。面白い気の遣い方。
お腹空いてるのセダムさんなのになー!
年下なのがイヤなあなた。
この気持ちを言ったら怒るのかな、いじけるのかな、平気な素振りで『ありがとう』って言うの?
──いつか、言いたい。『好き』ってどうやって言えるんだろう。
1人で盛り上がっちゃって空いた手で顔をパタパタ仰いでる間に連れて来てもらったのは、屋台が数軒並んでいる広場だった。
目移りしちゃうけど、セダムさんはぐんぐん進む。首都随一の公園の中、一際目を引くそのお店の店員さん。
なぜか帽子に耳がついている。
「ここが僕のお気に入り」
「いらっしゃい!」
「……あ」
「こんにちは、メニュー貸してもらえますか?」
「あいよー」
おかず専門、くまのクレープ屋。
頭頂部はかわいいんだけど本物の熊みたいなサイズ感の男性に緊張してたじろいでしまった。
店員さんはニカッと香ばしい蜂蜜サンドみたいに笑ってくれる。
「うちはどれもおいしいからゆっくり選んで」
「タギタナさん、こちらで」
掲げられたメニュー表は、なんと、イラスト。
完成図に、名前は入ってるおかずとソースで、値段もちゃーんと載っている。フレームに入ってるのも納得の油絵で文字は達筆。
「店主が描いてるんですよ」
「味がわかって選びやすいですね! どれもおいしそうー!」
当店はお総菜クレープ専門店です、って大きく注意書き、サイズ大きめって太字で書いてある。大事なとこなんだろうな~。
セダムさん、どういうきっかけであのくまさんを選んだんだろう。どれがお気に入りなのかな。
どれ食べよっかなー!
セダムさんって辛いもの好きなんだよね──あっ、なんかすごい見られてる……ど、どれにしよっかな! 暑いなあ、今日!!
「じっくり選んでくださいね」
「はいっ──そうだ! セダムさんが最初に選んだのどれでした?」
「どれだったかな……」
聞き上手のセダムさんは自分のことは巧妙に隠しているような気もするんだよね。もっともっとわたしだって知りたいんだけど、わたしの話を聞くほうが楽しいって話す側に回ってくれない。
わたしはわたしの好きなもの……好きな人、知ってるから、あなたのことが知りたいよ。
「──たぶん、これ?」
「わたしもこれにします!」
「タギタナさんには辛いかも」
「いいんです!」
いーんだもん、なにごとも経験なんですからね!
お財布を出して高い位置にあるカウンターのくまさん店長へと恐れずに頼む。
「炙り鶏のクレープください。ソースは黄芥子と黒胡椒です」
「320ダナンね」
「はーい」
「待ってください! 僕が払います!!」
「いいです」
「どうして!!」
「えっ、だって、わたしのご飯ですし」
「なぜ……?」
傷ついた顔だ。
そんなに変なことしたかな? 真似っ子ってやだ?
なんで泣きそう? え、どうしよう!
浮かれすぎてて間違えたかな──わたしはデートのお作法知らないし……。
お財布を開けたままオロオロしてたら店長さんが身を乗り出した。
「お2人さん。今日はデートかい?」
「はい!」
「──はい」
元気なお返事、こっちが照れちゃうからね!
デート中に見えるだ、わたし達。
麗らかな春の陽気に汗ばんでくる。若草色の薄手のセーター、朝はちょうどよかったんだけどな。
わたしだって、自信持って、デート中だって、言える……。
「お嬢ちゃん。セダムをよーく見てあげて」
リーナ、怖じ気づかない!
太陽だって恥ずかしがっちゃう熱烈な視線に応えると今までで1番『譲れない!』って目をしてる。
セダムさんは、デート中──わたしにご飯をごちそうしたい。
男の子の意地は確固たるもの。
「パナカタラだとデートのときは男性が払うんですか?」
「そうです! そうなんです! 女性に支払わせるのは男の沽券に関わります」
言い切った。
文化の違い、なのかな。
わたしはデートでも自分のものは自分で払う、そういう国に住んでいる。
男の子だからって張りきらなくていいのに。
甘えたくない──せめてこういうときだけは同じ立場に立っていたい。
「今日と明日だけ、以前のお礼と再会の感謝に……だめでしょうか?」
断らせない言い方をする。金色の瞳の決意にまばたきしちゃう。
だめなわけじゃない。
セダムさんがしたいデート、したいけど……。
窺いの眼差しで見つめ返すとさらに1段踏み込んで来る。
「次はタギタナさんがごちそうしてください。僕ができる譲歩はここまでです」
そんなに! ──なんかすごいね、パナカタラの男の子。
小さく頷いて脇に逸れると、セダムさんはニコニコご機嫌で2人分のお昼ご飯を購入した。
バスケットも持たせない徹底ぶりに、ちょーっと苦笑気味の昼下がり。
食品戸棚からお手拭きと牛乳を取り出してお待ちかねのランチタイム。
バクッて大きな口で食べ始めたセダムさん。危なげなく綺麗で豪快、いい食べっぷりだ。
「セダムさんもこういうの食べるんですね」
「僕が買ったのに? ナイフとフォークで食べる印象ですか? 一通り制覇してますし、このとおりクレープの流儀に沿ってますよ。研究室にもよく買って帰るんです」
国賓並みの扱いだって聞いてから、毒味とか必要なのかなってじつはソワソワしてたんだけど野菜がまったくないお肉お肉のクレープを頬張っている。
わたしも食べよ、炙り鶏。
あ……鼻にツンてきた。
「大丈夫?」
「はい……」
──その『か』から始まって『い』で終わりそうな優しい笑い方、しないでもらえませんか……。喋り方も緩くなってますよ、困る!!
どんなに緩和材保管庫を浚っても、免疫って一緒にいることでしかつかないんだろうな。
こっちがちっちゃくちっちゃく食べてるの、わかってるのかなあ、これでもわたしが年上でお姉さんなのに。
「おいしいでしょう?」
「もう2個目」
「お腹空いてて! のびのびと楽に食事をするなんて故郷にいたらできませんでした。これでも国の要人の息子です。制限が多くて」
「今はす……自由にできてますか?」
「ええ。──しかし、完全ではありません。周囲に警護の者がいます」
「え……?」
「そうとわからないように数名ついているはずです。おいやですよね」
夕暮れを切り裂いた、あなたに焼きついている記憶。
諦めたように聞かないで、わたしを見くびらないで。
両手が塞がっているけど今は緩和剤は必要ない。
「セダムさんが安全なのが1番です。その人達も応急処置用の緩和剤持ってますか?」
「いえ……」
「持ってもらっててください、わたしが作っておきますから」
「会話を聞かれてるのに不愉快じゃないんですか?」
「耳を澄ませて聞いてるわけじゃないですし平気平気!」
「事件が起きれば、制圧できるように……」
「問答無用が警備の人のお仕事ですよね」
顔がわかれば挨拶したいんだけどそういうわけにはいかないよね。
一般庶民には縁のない世界だけど、あなたが守られていることはとてもいいこと。あなたが受け入れてるならわたしも従う。
「わたしなんて見習いですから無許可で心の中を視ちゃうし声を聴いちゃいます。おイヤじゃないです。そんな悲しそうな顔しないでください」
「君は……あつらえたかのように、僕が求めるものをくれる」
心を守るのが貫解師の仕事。
わたしがあなたに差し出すものは、職務全うという理由だけじゃない。
守りたい、あなたのこと。支えになりたい。
セダムさんが落ち込んでしまう点を否定はしない。
あなたはわたしの患者さん。
でも、それだけじゃないの。
「わたしが、セダムさんのことわかるのは──わかりたいって思って、1番……す……ルッ……!」
「ル?」
心臓がうるさかった。
内に留めているって不健康な気がする。
もう、早く伝えないと素っ頓狂な告白になっていきそうだし、とっくにセダムさんならわかってるのかもだし──恋だって認めた『好き』をあなたに言いたくて、言おうかな、半年黙るって無理だよねって宣言しようとしたら、鳴るの。
いい感じのところでいっつもいっつもあいつは鐘を鳴らすのだ。
──ルードにバレちゃった。〈学院〉を黙って出たから怒ってる!
「ごめんなさい、これ食べたらもう帰らないと」
「どうして!」
「ルードが帰って来いって……」
「ルガルトが……?」
「ほんとは1日中メルヴァのとこにいる約束でした。研究室に寄ったらわたしがいなくてカンカンになってる……」
「連絡があったんですか? いつ?」
「今」
「今? 今……?」
ルード、セダムさんにうちの家族共有スペースとかの話してない? めんどくさがりなんだから!
改めてわたしから文通してたときのやり方とか話すの、今じゃないよね。
一応ルードだって臨時の先生だったのに、ほーんとだめだめ。
キチンと順を追って話したいけどお知らせの鐘がうるさすぎる。テーブルにまた石鹸積み上げて、芸がないのよあいつってば。
山の頂上にするっと載っかったメモ用紙。感覚で把握してる、これはわたし宛てじゃない。
手首を返して手の中へ。
紙から伝わるルードの荒れ模様。
帰りたくなーい……。
「ルードからです」
「はあ……」
わざと邪魔してたらぜったいに許さない。
こういう状況で撹乱するのうまいんだよねルードは。本音は決して掴ませない。
1枚も2枚も上手なの。悔しいけど。
「承知しました──君から可及的速やかに離れろとお兄さんからのお達しです。仕方がないので彼の思いを汲んで差し上げましょう」
「いいんですか!? 初めてのデートなのに!」
「君がそう認識してくれているだけで天にも昇る心地ですよ」
「セダムさんっ!」
「明日2回目のデートをしましょう。ルガルトには明日は遅くなるとよろしくお伝えください」
双子のきょうだいだと繰り返しても、セダムさんたら同い年の兄妹だと思っちゃってる。
不服。
クレープは急いで食べ終えないといけなかったしこのあとまた手を繋げるって期待してたのに……寂しい1人の帰り道。
「これ以上君のお兄さんに嫌われるわけにはいかないから」
そんなこと言われたら、わたしは──。
ルードのバカ! ルードのバーカッ!
自分の感情は鏡にだって完璧には映されない。
わたしが見てるわたし、あなたが見てるわたし、ルードが見てるわたし……全員泣き虫のわがままなのは、卒業しよう。
「明日〈学院〉に行くとき、いつもの時間でいいので迎えに来てもらえませんか?」
「喜んでお迎えに上がります」
「ほんとうにごめんなさい! ルード、怒っちゃってどうしようもないみたいで」
「いいお兄さんじゃないですか」
「ぜんぜんです!」
わたしを〈学院〉に来るように仕向けたセダムさんが憎いのかもしれないけど、子供の癇癪じゃないんだから駄々っ子みたいに打ち鳴らさないでほしい。
自分がデートできないからって八つ当たりだ。
「君を大事に思っている人がいることが僕の幸福に繋がります。明日、また必ず会えます。早く行かないと」
──恋人だったらあなたは、引き止めてくれましたか。
込み上げてくるのが悔しさなのは、初めてのデートを苦い思い出に変えてしまう。
笑うのよリーナ、笑ってタギタナ。
「帰ったらルードにはきつーく言っておきますね。きょうだい共々これからもよろしくお願いします。また明日!」
「お気をつけて」
「はーい!」
記憶に残るのは笑顔がいい。
矜持で繕うのではなくて乙女心がそうさせる。
あなたはわたしの好きな人!
手早くグラスを片づけてバスケットだけベンチに置いて、帰り道を急ぐのだ。
唇は不満の形になっていくけど、また明日もあなたに会える。
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わたしはね、ちゃんと家に帰りました。
小うるさいルードから叱られるんだろうなっーて、わざわざ、わざわざ帰ってあげたのに、ルードが帰宅したのは夜ご飯の時刻のあと。
遅くなるなら連絡入れるのが同居のルールでしょ。
昨夜から謝りっぱなしだけどずーっと口を聞いてあげてない。
「リーナ、おーい、リーナ!」
リーナリーナリーナリーナ、あんたはずーっとうるさいの。
どこでもリーナの話ばっかりして、からかわれる身にもなってよね。
知らない、もう知らない。
怒りに任せて愚痴愚痴言ったら『なんで帰って来たんだよ』ですって。帰らせたのはそっちじゃない、邪魔したのはそっちでしょ。
セダムさんが微笑みかけてくれるタギタナさんと双子のきょうだいを睨めつけるリーナは大違い。
あんまり帰るのが遅いからソファでうたた寝してたら『風邪引くぞ』って責められるし、ルードって理不尽の権化になってしまった。
まるで〈学院〉そのもののように。
「リーナぁあ〰〰! わーるかったってえー──!」
「……フン」
「ゴメンゴメンゴぉーメン!! 機嫌直してリーナ! リーナぁ!!」
「うるっさいなあ」
「──それと後ろ、ボコッてなってる」
「えぇえっ!?」
「時間ないぞ~?」
「もおぉお……!」
反省してない、出発寸前になって指摘するのほんっと性格悪い。
わたしが一旦の仮住まいである客室から下りてきたの何分前?
片側の編み込みはお母さんともエルさんともおそろい。綺麗に作るのは時間がいるのに!
うねっちゃってから下ろしたままにできない、やり直しは焦るから髪を掬うのが下手になる。
「だから〈学院〉って嫌い……」
〈学院〉は人を歪めるのがお得意だ、2年前はまだマシだった。
半泣きで階段を駆け上るドッタンバッタン。ドレッサーに映りながら髪を直し、また直し、ワードローブで特別気に入っているワンピースを再点検。
深呼吸して、笑ってリーナ。
わたしは〈学院〉に勉強しに行くんじゃない。所属してるわけじゃないから制服も与えられてない。
だけど、おしゃれはしたいじゃない。
昨日より今日のほうがかわいいって思ってもらいたいから笑顔で出かけよう。
リボンとフリルがあしらわれたクリーム色の服と髪飾りで装って後ろ姿も完璧。
玄関で待ち構えていたルードはお淑やかに裾を揺らしているわたしに眉を顰めた。
「その格好で行くのか?」
「そうだけど?」
「……昨日もそんな感じか?」
「うん」
「これ着てけ」
合わさった手の平から出てくる、わたしの大っ嫌いな〈学院〉の在籍証明。
このケープもブローチも憧れだけど身につけるのは拒絶する。
「……いらない。わたし正式所属じゃない」
「いいから。それだと悪目立ちする」
背中に翼の紋章ってなんの嫌味だろう。
メルヴァが背負ってたときはすごくかっこよかったのに──わたしには身分不相応。
着丈ピッタリってことは家を出てすぐに着ていたものだろうか。
差がついてしまった。
貫通の可否は貫解師の才能の分かれ道。
だけど双子が最も異なっているのは、リーナがルガルトの患者であること、逆はないこと。
才能も禍も、わたし達は分け合うことが叶わなかった。
眇られたヘーゼルが、無意識に喉に触れていたタギタナ・リーナ・リリリットを検分している。
「似合ってる?」
「さあ」
「お世辞くらい言ってよね! 行ってきまーす」
きょうだいの心配より自分の夢と恋を叶えてよルード。
わたしはそうやって生きていきたいもん。
大地に立っていると、上を向くから空が見えるの。わたしは前に進んで行く。
邪魔されないようにちょっと離れたところで待ち合わせ。
地図に加えていたのをあなたは笑っていた。
次の角を曲がったら、セダムさんに会える。
おはよう、わたしの特別な人。