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第4話 あなたから知る初めての感情①



 海の底は何色? きっと、あなたが持っている宝石の色。

 快晴の空は明るく澄んでいる。見ていて心が清らかになる。

 メルヴァローズ・ザトー──〈学院〉の魔女の結晶は、深い神秘の色合い。

〝わたしは変わる〟という大きな衝撃に遅れて、許容量を超えた混乱に襲われる。


 どうして、この人……。


 目の下の縦に並んだ2つのほくろがきゅっと上がる。

 恐ろしい、でも、綺麗。

 水面に引き寄せられていき、呑まれてしまそうになる。


「なぜ私が生きてるのか、理解できないって顔してるね」

「……あ、ご、ごめんなさい!」

「いいさ、君のお父上もそう仰ってた。貫解師(きみたち)には摩訶不思議な物体に映るそうだね」


 物体なんて、そんな。……信じられないのは本当だけど。

 あなたの言うとおり、全身結晶化してるのに肌の上に現出(げんしゅつ)していないのも、滑らかに唇が言葉を紡いでいるのも、本来ならおかしい。

 お父さんが驚くのも無理ない──。


 タギタナの命運を握っている魔女は、入口で突っ立っているわたしに微笑みかける。


「タギタナ、紅茶はお好きかな?」

「はい……っ!」

「懐かしい──その眼差しでホッとした気持ちになったものさ。入っておいで」


 容姿の迫力よりずっと穏やかな声音で呼ばれた。

 どんな人なのかな──お父さんとどんな関係だった?

 つい探りそうになるけど、キラキラと結晶が反射してくらんでしまう。


「ルガルトは初対面で気にも留めなかったけど、君はお兄さんとは異なった性質の持ち主なんだね」

「兄は、貫通に特化した人なので……」


 鈍いって言ったって、この結晶化を感知できないなんてあり得る?

 それとも、わかって無視した? ──ルードならありそう!

 今日1日ここで過ごしてろって言われてるし、ビクビクしててもしょうがないけど、結晶を前にすると心臓が痛くなる。


「兄妹仲がよさそうだ」

「えぇ、まあ、はい……」


 なんていうか、表面が磨かれた金属みたいな人だ。わたしの周りにいない。さすが首都っていうか。及び腰になるけどなんとか着席する。

 メルヴァローズ先生は重そうな瓶から湯気が立っているお湯をポットに注ぐ。まるで今沸かしたかのよう。

 あんなの、初めて見た。

 お湯って使うたびに火を熾すのに〈学院(ここ)〉はわたしの家より100年くらい時代が進んでそうだ。最先端の技術が集まった、発展し続ける場所。メルヴァローズ先生偉い人らしいし自分で発明したのかな?

〈学院〉は漠然とすごいところっていう知識と憧れ、恨みしかなかった。

 ここまでの広々とした回廊や絢爛な内装、意匠を凝らした家具に場違い感でいっぱい。

 もれなく茶器も高級そう。


「どうぞ」

「ありがとうございます……」


 また、お茶してるね、わたし。

 今日で3回目、毎回ティータイムなのどうなんだろう。

 双子のきょうだいも、年下の男の子も同い年の女の子も、みんな勉強しに来てるのに。


「浮かない顔だ。ほんとは好きじゃなかったかな?」

「違うんです。お茶──飲んでばかりでいいのかなって」

「休憩は優れた者ほど積極的に取るべきだよ。効率よく物事を運び己を動かすには、メリハリこそが重要だ。私はよくサボってるけどね。人生はいつでも休日さ」


 豪快な人なのかな、カップは薔薇が描かれていてとっても乙女だけど。

 メルヴァローズ先生にならって、そろそろゆっくりソーサーから持ち上げる。

 この人……ルードは怖いって脅してきたけど、案外明るいのかな。

 魔女っておどろおどろしい肩書きはどこから来たの? ──魔術は遠い日に失われた栄光の技巧。

 もしかして、この世に魔術をよみがえらせた偉人なのかな!


 ……おいしい。


 うっとりするいい香り。

 ミルクとお砂糖を足して飲むわたしでもいい味だと感じる。

 まろやかで甘みがあって、どこか切ない味が深みをもたらす。

 この紅茶にはメルヴァローズ先生の大事な思い出──結晶の奥にあるものが秘められている。


「タギタナ。よくないね」

「飲み方、違いましたか?」

「そうじゃない──覗いたね、今。私の心」

「あっ……」


 流れ込んでくるのと意識的に視に行くのじゃ違うんだけど、覗かれたと感じる相手にはおんなじことだ。

 友好的な態度から一転、不快感を露わにされて目線が落ちる。


「不躾に視てしまうのは生い立ちゆえだと一定の理解は示してあげる。だけどね、声なき心中を眺めたと表情に出すのは無粋だよ」

「ごめんなさい……」

「謝れば済むのかな? 被害者の顔をするのは楽だよね」


 鋭利な刃物の意見。

 内面を読まれるのが日常だったから、わたしそのものの存在を否定されてるようで言葉が継げない。

 顔色を見るのと心を視るのと、境目はどこ──?

 メルヴァローズ先生、当たり前のことを言ってるだけじゃない。

 泣くなんて卑怯者よリーナ。

 喉が詰まる感覚が這い寄る。

 怖い、怖い。

 この臆病さが大嫌いで紅茶を飲み干せば、ふっと空気が和らいだ。


「意地悪してしまった。気にしてないよ、私は慣れてる」


 青色の瞳は濃い色を宿らせている。

 昔を懐かしむものだけをわたしは汲み取った。


「ダングルフィー先生は君を包み込むように愛しておられるのだな」

「箱入り娘だって言われました」

「そう育てられたんだよ君は。なにも悪いことばかりじゃないさ。ご両親はお元気にしてるかい?」


 この人も、お母さんを好きな人。

 そうとわかればわたしの警戒心はどっかに行っちゃうの。

 単純だけど、どことなく威圧感はあるけど、悪い人じゃないのはわかるんだ。


「ちょっと──老けました」

「そうか! 15年経ったからね。久しく会っていないが健在であるなら言うことはない」


 もしかして、メルヴァローズ先生の大事な人って──もう。

 あっ、ダメ、また常識外れなことしてる!

 人の心には立ち入っちゃいけない場所があるのに。


「タギタナ、それじゃあ顔隠して胸中隠さずだよ」


 目を覆ったわたしにお腹抱える。

 難しいなぁ普通って……笑ってくれるのはいいことです。


「顔を見せてくれ。うん、君は笑うとシャリーナさんにそっくりだ。先生は目に入れてしまいたいほどかわいがっておられるだろう?」


 それは、どうなんだろうなぁ。

 ルードはわたしばっかり甘やかされてるって言うし──否定はあんまりできないけど。

 わたし達家族、見た目は双子が1番似てる。でも双子の兄は父親似で妹のほうは母親似。

 不思議、考え方とか思考のくせは──わたしとお父さんが近いんだけど。


「外見が似てたら、母に性格も似ていきますか?」

「どうだろう。人は持って生まれた気質があるからねえ」


 セダムさん、お父さん雰囲気ちょっと似てるから──お母さんみたいになれたらなって半月悩んでる。

 リーナは明るくないしきょうだいには反発するし、タギタナに好感を覚えてくれたセダムさんは『あれ、なんか違う?』って冷静になってしまいそうなんだよね……。


「シャリーナさんのようになるには──旅に出るのがおすすめだ」

「旅?」

「もうすぐ15歳だろう? お母上の潔さを求めるなら小さくまとまっていたらいけない。狭い了見のままでは勿体ないよ」


 旅って、故郷を飛び出して知らない土地に行くってことだ。

 今もわたしは旅をしてるの? ここからさらにどこかに行くの?


「表情がころころ変わるんだね君は。ルガルトは揺れないようにしてるから新鮮だ」

「……ルード、ここでもわたしの話してたりします?」

「してるよ。リーナリーナって、君のことになると饒舌だ。面白い」


 あいつ、どこでもべらべらしゃべりすぎじゃない?

 メルヴァローズ先生の言い草だと悪口ではないっぽいけど、やだなあ、自慢話だったらもっとやだ。

 嬉しいのが気恥ずかしさ倍増。


 しばらく向かい側から観察されていた。

 どのくらいニヤニヤされてたかな、外からの届いた音に意識が逸らされた。


「ザトー博士いらっしゃいますか? ユナシュキュパールです」

「おっと、君の王子様の登場だ」

「王子様じゃ──!」


 絵本の中の王子様みたいって、文面から思うことはありましたけどね!

 からかわれてるのに言い返せない。先生ってばすっごーく楽しそう。


「入りなさい」

「失礼します」


 固い声と彩りのない表情が、わたしを捉えて華やいだ。

 星の瞬きだってこんなにまぶしくない。

 よかった、元気になってる──。


「タギタナさん!」

「……こんにちは」


 セダムさん──、自分の足で立って、予後も順調で結晶化なんてどこにも見当たらない。

 優しい人に気を遣わせてしまうのに、患者さんの健やかな姿って例えようもなく嬉しいものなの。

 わたしをここまで導いてくれた人だから──感動して泣くより、笑いたいのに。

 拭ってもポロポロ流れるの、どうしたら止まってくれるの?

 しゃくり上げそうなのを我慢してると、セダムさん、部屋の中なのに走って来る。

 ──あなたのその姿が、わたしがここに来た意味なんだね。


「これを使ってください」

「でも……」

「僕の国では2枚持つんですよ。こんなときのために」

「ありがとうございます──」


 真っ白な、セダムさんのように折り目がピッシリしてるハンカチが差し出された。

 セダムさん、どうして跪いてるのかな。そういう習慣なのかな。

 受け取ったハンカチを目元や頬に当ててる間も、セダムさんってばニコニコずっーっとこっちを見てる。


「こらこらユナシュキュパール、タギタナが困ってるぞ。座りなさい」

「ここ、座ってください……」

「はい」


 半月で男の子ってこんなに変わるの?

 結晶化で消耗してたから、こうじゃなかっただけ?

 まともに向けないんだけど──正面のメルヴァローズ先生も気になるし──顔が赤くなってるの自覚してるから、そんなに嬉しそうにしないでください。


「セダムさん──部屋の中、あんなに走ったら危ないです」

「こんなに元気だって君に見せたかったんですよ」

「あの……」

「なんでしょう?」

「そんなに見つめられると、お話し、できなくなります」

「それは困りますね」


 甘い響きを持つのに高めの声がセダムさんは13歳だと──わたしより年下の子だと告げるのに、まだ子どもの年齢なのに、男の人みたい。

 半年セダムさんの介添人になるのに、ずっとこんな空気なら耐えられないよ!?


「君は大人びてるんだか幼稚なんだか。タギタナも、もう1杯いかがかな?」

「……貰います」


 振り絞って答えるとやれやれとセダムさんの紅茶を淹れに行く先生。

 2杯分の紅茶を注ぐと豊かな髪を1本に結い上げる。机の上に積まれた本の上に放られていたローブを羽織る。

〈学院〉と色違いの研究所のエンブレム! 背中に背負ってるの、格好いい。

 メルヴァローズ先生はセダムさんが取り出した封筒の中身を改めて、その頭を優しく叩いた。


「ユナシュキュパール。留守を任せるね」

「厳粛に頼みますよ」

「わかってるさ。2人とも、ゆっくり語り合っていなさい」


 髪とローブを靡かせて颯爽と行ってしまったメルヴァローズ先生に、ああなりたい大人像が追加される。

 無理だけど──無理なのはわかってるけど、思うだけならタダだもん。


「博士はつねに飄々としてますが、ああも楽しげなのは初めて見ましたね」

「そうなんですか。……メルヴァローズ先生、どこに行ったんですか?」


 太陽が地面を灼く高温の熱。

 一見穏やかなセダムさんの目に宿る怒りに、触れなくていいのに尋ねてしまった。


「査問会ですよ」

「査問会?」

「博士はこの国で僕の後見人になってくれています。セダム・ユナシュキュパールの主治医に対する不当な扱いに罰を与える場に、代理で行ってもらいました」

「罰って……昨日の、所長代理」

「ルガルトも出席しているでしょう」

「わたし、住むところさえ決まれば……」

「残念ながらそうはいきません。僕が憤っています。正式な抗議ですよ」


 世間知らずって、こういう事態の一般的なスピードがわからない。

 一晩ってそんなに早い?

 セダムさんの元に行くことになったのも一晩で決定していた。


「怖いですか?」

「驚いてるんです。目まぐるしくて……わたし、のんびりとした毎日を送ってましたから」


 わたしの生活は緩やかに過ぎていた。

 朝起きたらご飯を食べて、診療所が開く日は院内の掃除や手伝いをして、受付に座って半日。

 たまに小さい子が来るけど患者さんは皆さん高齢で、会話の場として賑わうことがほとんどだ。

 両親の仕事中お祖父さんの家に行ったりすることもあるけど……お使いに行ったり本を読んでたりしたら、夕暮れ。そのまま夜を過ごして次の日もほとんど同じ。

 外のことは書物や患者さんの話で増えていくだけの、平凡すぎる繰り返し。


 それでいいと思ってた、思おうとしてた。

〈学院〉初日早々に自信を失いかけたけど、わたしのために怒ってくれる人が家族以外にもいた。


「セダムさん。本気の人ってときに容赦がないってわたしだって知ってます。セダムさんがいるから心強いです。ありがとう……」


 お願い、結晶化はしないで。

 後ろで掴んで来て、手を取って緩和剤を浸透させる。

 予防に使ってるクリームを薄く伸ばして当ててるだけだし、効果は微々たるもの。

 不意打ちの治療は──同意がないのは悪いこと。でも、視たくなかった。

 貫解師が声を出すのは手順を誤らないための大事な決まりだったのに──破ってしまった。


 逸脱させるの、あなたは。

 わたしが〝こうでありたい〟と信じる貫解師から。

 

「急に握ってごめんなさい!」

「いや──いえ……これは治療の一環ですか?」

「好意、ですね! ありがとうの気持ち。あなたに心からの感謝を──です!」

「感謝なら、僕のほうですけど……その言葉も、君が言ったらだめですよ」

「どうしてですか?」

「ここぞというときの、男の大事な宣誓なんです」


 そう言って、セダムさん立ち上がろうとするから、わたしは手首を掴んでしまった。

 またさっきのやられたらお話しどころじゃなくなっちゃう。


「半年後にしませんか?」

「半年も待たねばならないのですか?」

「わたし、予感が働くほうなんですけど……今聞いたら介添人どころじゃなくなりそうなんです!」

「なら、1ヶ月後に」

「3ヶ月……」

「仕方ないですね。半年後──あるいは君に本心を告げたいと思った然るべきときに」


 恭しく右手を取られて宝物のように包まれる。

 ──慣れてる。この人ぜったい慣れてる!

 嬉しいのと悔しいのと問い質したいのと聞きたくないのと、めちゃくちゃなんですけど、視ていいですよ聴いてくださいって瞳をされたら……余計動揺して、逸らしてしまう。


「かわいらしいですね」

「……そういうの、よくないです」

「誰彼構わず言っているわけではありません。再会したばかりなんです、許してください」


 わたしより背が低いから、お願いの双眸は上目遣い。

 この子年下、この子年下。

 今でさえこんなに胸が苦しいのに、大人になったらどれだけすてきになっちゃうの──?

 計算尽くでやってるのが見え見えだから質が悪い。

 ここは年上としてちょっと注意しておかなくちゃ!


「……手、はなしてもらえませんか? 再会したばかりだからお話ししたいです……」

「半年はやはり長いですね」


 名残惜しく離れて行って、優雅にお茶を飲むセダムさん。

 見惚れちゃって、自由に手足を動かせている様子に涙腺が緩んだ。

 わたしが貫解師じゃなくても喜びが通じ合う笑顔のあなた。

 セダムさん、わたし、1つ不思議に思うことがあるんですけど──幸せが溢れてるから、聞いたらとんでもないのが返って来そうだから、まだちょっと、おあずけ。


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