第3話 未来を目指して歩きたい②
立ち上がると、目線が高くなる。
色素が薄いわたしの目に比べると、青々とした瞳がこちらを見つめてる。
治療道具を持って来る左手は握られたまま。
触れると心を視る範囲が広くなってしまうけど、この人、ルードのことを考えている。
もしかして、ルードの恋人?
「ねえ、カフェ行かない?」
「カフェ?」
「こんな鬱屈したところにいたら気分が落ち込んじゃうよ。ダングルフィーくん用事が長引きそうだから、お茶してお兄さんを待ちましょ」
俯いてしまうと手を引かれて歩き出していた。
最初怖いと思ってしまったのが申し訳なくなっちゃうほど、柔らかくて優しいものが入って来る。
「わたし、サタナーシャ・ユロワンデール。あなたの味方だって、これで伝わる?」
指が動いてにこっと笑う。
『タギタナさんに会えて嬉しい』って聴こえてきた。
自然に流れ込む感情に偽りはない。
人見知りも早く直さないとな。
ルードの〝リーナの話〟はサタナーシャさんが付き合ってくれてたみたい。
朗らかにお話ししてくれる彼女は、紫紺のケープに校章のブローチをつけている。
〈学院〉の一員に認められている姿だ。
わたしの、憧れ。
わたしもなれるのかな、なるのがいいのかな──友達になりたいな。
程よい広さのカフェテリアに着くと、サタナーシャさんは『適当に注文してくるね』とわたしを先に座らせた。
閑散としていて、1組遠くにいるけどその人達は店員さんが配膳してる。
カウンターからも入口からも離れた場所で、自分でトレーを持って来てる──ほんとルード、よくしゃべってるんだね。
「お待たせ。同じのにしちゃった」
「サタナーシャさん、ありがとう」
「同い年だし、ターシャでいいよ」
蜂蜜の匂いがするティーラテが湯気を立てている。
穏やかな顔つきだったターシャさんだったが、険しく眉を顰めて、1口唇を湿らせた。
「さっきの……所長代理のこと、ダングルフィーくんもきつく当たられてたけどね、彼、コロッと忘れてたの。いいよね、彼の得意技。人の意見に呑まれないって大事だけど、わたしも苦手なの。難しいよね」
「言うのは、簡単なのにね」
叫びが聴こえてた、閣下がいれば生徒でいられたのに──って。あの人、結晶化を理由に途中退場を余儀なくされた元〈学院〉生徒だった。
自分を見捨てた人の〝証明〟が現れるのは、あそこまで心境を掻き乱す。
ルードは割り切りうまいんだよね、あいつ、とことん合理的な面があるし。
どうせルードが来たらお説教開始だし、サタナーシャさんと少しの間楽しくいよう。
〈学院〉って各々の才能を伸ばす機関だから、専攻というものがあるそうだ。
ルードはもちろん貫解術。なにしてるかさっぱり知らないけど。
「ターシャさんはここでなんの勉強してるの?」
「経済学……ね。最近は他国の金融のことなんかも。広く浅くだけど」
「すごーい! わたしそういうのぜんぜんわかんない!」
「取っつきにくいイメージがあるけど、勉強すると楽しいよ」
甲高い、キンとした音──午後五時を告げる時計の音に消されたけど、今、ぶれた。
サタナーシャさんの左肩。
一瞬だけ靄がかかった。
これは──視て、よかったもの?
「タギタナさん?」
「あ……ぼーっとしちゃった」
「朝早かったんでしょ? もうちょっとがんばろ、ダングルフィーくん急いでるから」
本人は気づいてる? 気づいてない? 違和感は? 患部の不調は?
結晶化の極初期、まだ硬化していない予兆にそっくりだけど──友達には、友達になりたい子には、言いたくないな。
学校に通ってた頃、同級生に親切心でアドバイスしたら煙たがられて1人ぼっちになった。
今の段階なら緩和剤を使えば結晶化に至らないかもしれない。けど、一生薬がいりますよって、初対面で言える?
ルードも貫解師だし貫けるし、余計なことしたくないな──。
ぬるくなって甘みが濃くなったホットドリンクで、胸騒ぎを鎮める。
放置してはいけないことくらいわかるけど、わたしは目を瞑ってしまった。
しばらくルードの話をしていると、やっと本人が走って現れた。
2年前より髪が短くなって背が伸びた、双子のきょうだい。
「サリー!!」
肩で息をするルードは、膝を使って一休み。
そのあと深々とターシャさんに頭を下げた。
「妹が迷惑かけた。ありがとう」
「持ちつ持たれつでしょ。タギタナさんとお話しできて嬉しかったよ」
「サリー──」
「双子のきょうだいって、そういうものなの? わたし、ダングルフィーくんしか知らないけど、お兄さんなのね」
「リーナがボケッとしてるから、俺がしっかりしないとダメなんだよ。な?」
「ボケッとはしてないよ」
な、じゃないもん。
双子は同い年、何回言わせるの?
泣き虫も弱虫も今なら許してあげるけど、もうすぐわたし15歳なんだけど!
椅子は2脚しかない。
ラテを飲み終えていたターシャさんは立ち上がり、軽やかに手を振った。
「タギタナさん、また今度ゆっくりお話ししましょう」
「ありがとう! またね」
「埋め合わせ、今度するから!」
上品っていいなぁ。
スカート、床に座っちゃったから汚れちゃったし、長旅で髪の毛ぐちゃぐちゃになってるかも。
これから時間かかるのに、気になってきちゃった。
「──で? おまえ、なんで来たの?」
「セダムさんのお見舞いと……生活の補助、みたいな。怒らないでよ」
「リーナは見通しが甘いんだよ! セダムの面倒なら俺が見るから、おまえ帰れ」
「ルード、患者さんいっぱいいるんでしょ。セダムさん〈学院〉の重要人物みたいじゃない──わたしだって貫解師の卵だし、ルードがわかんない予兆にも気づけるから!」
必要とされたなら役に立ちたいのは、貫解師の能力を持って生まれた人に刻まれた外せない鎖。
助けなければ、救いたい、抑制より本能が勝つ──貫解師の本分。
「やりたいこととやれることと、おまえが無理なモンと、夢と高望み? しっちゃかめっちゃかになってんぞ」
「勝手に視ないで!」
「俺、何回も言った。リーナには無理だ。貫くのも、〈学院〉にいんのも」
「決めないでよ……わかってるんだから」
「──行くぞ!」
「危ないよっ、ルード!!」
椅子、急に引っ張んないで。
落ちたらどうすんの、やっぱり雑なの変わらない!
人の中視て、遮って、ほんとお節介。
「とりあえず俺の寮連れてくからさっさと立て」
「もう、用事済んだの?」
「まあな」
双子の以心伝心って、こんなに明らかにするものだったっけ。
足止めされるって、どんな世界よ。
こっちが視たのを勘付いて睨んでくるけど、しょうがないじゃん。
今は遮断する技術を発揮できないから、我慢してて。
──ルードはいつからか、わたしに貫解師になるなと警告し始めた。
2年前で身長はわたしを越して、声が低くなって、不機嫌を強調してる。
髪型や服装は違っても見た目そっくりなわたし達が歩いていると目立つようだった。
威嚇しなくていいよ、みっともないから。
「ルード、早い」
「さっさと歩け」
閣下の子どものわたし達。
ダングルフィーさん家の双子。
喜びの民の伝承で双子は禍が降りかかりやすいと考えられていて、祝福名という加護を与える。
ルードもリーナも、両親から授けられた。
ルードがいるとホッとするの、気遣い屋なの知ってるから。素直じゃないけどね!
スタスタ早く歩いていたルードは〈学院〉の敷地から出てからも早足で、大通りから一区画入った堂々とした戸建ての家に、普通の様子で入っていく。
「ルード、ここで1人で暮らしてるの!?」
「そうだけど。早く入れ」
「うん──うわっ、玄関広い……! わー、えー? ルード、ここで1人暮らし?」
そりゃあ2年も暮らしてたら感動もなにもないんだろうけど、実家よりここ広くない?
〈学院〉って指定された6年間に無償だった学費や生活費を一部返還するそうなんだけど、6年で返せる? ……そういう手口?
「座れば?」
「うん……お邪魔します」
鼻で笑わないで、失礼な。
革張りじゃないこのソファー、贅沢。
ふかふかしてて座り心地抜群。ルードここで昼寝してそう。
立ったままのきょうだいはまじまじとわたしを観察してる。
「〈学院〉は研究所内で地位が上がったり、生徒の時期に一定の成果を収めると寮が豪華になるんだ。俺は最初っからここだけど」
「ふうん。──まあまあ、綺麗にしてるみたいじゃない? ルード、家事できたんだ」
「金払ってやってもらってる。メシは母さんの食ってるし、あんまここにいねーしな」
「そんなに忙しいんだ」
「まあ」
パンッて手を合わせるの、久々に見た。
ルードって、手首捻るだけじゃ持って来られないんだよね。両手の間から現れるの、これはこれで面白いけど。
あえて常温の果物ジュース。疲れたときによく効くぶどう味が瓶ごと出された。
「ほれ」
「ううん、いい」
食品戸棚にはグラスも常備してあるけど、今飲む気になれないや。
ねえ、ルードってば、目つきまた悪くなってない?
形自体は丸っこくてわたしと同じヘーゼルだけど、色が濃いから印象はやっぱり違うかな。
セダムさんは金色だった。珍しくて──どんな家に生まれたら、あんな凄惨な夕焼けが焼きつくんだろう。
「打つか?」
「いいよ──座れば?」
「いい。気にすんな」
そんなジロジロ見られるの、イヤなんだけどな?
ふてぶてしくて愛想最悪。話題を提供してあげよ、優しいわたしに感謝してよね。
「お母さんにご飯作ってもらってるの、自立できてないんじゃなーい? お皿だって洗ってないんでしょー?」
「母さんのメシがうまいんですー、母さん優しいんですーおまえと違って。リーナもめちゃくちゃ甘えてるじゃん」
「そうだけどー? あ、もしかして、生活苦しい? 貧困学生?」
「いや? 給料たんまり貰ってるよ」
「え!? お給料貰ってるの?」
「そりゃ、働いてるし。貫いた分金が入ってくるからいい暮らしさせてもらってる」
「そんな言い方……治療行為をお金のためにするの? そういうんじゃないでしょ」
「ハァ~? お子ちゃまリーナ。ほんっとおまえ帰れよ」
「帰れ帰れうるさいなあ! セダムさんにまだ会ってないし──帰らない!!」
セダムさん、今遠出してて帰って来るの明後日だって。
ちょっと……ちょっとだけだけど、セダムさんの顔見たら帰りたいって思ってる。
甘えんぼリーナ、意思が弱すぎ。
「俺、あいつ許せねー。介添人なんていらねーだろ」
「当たるならわたしにしてよ。セダムさん悪くないし。それより! ターシャさんってルードの恋人?」
「ちげーよ! サリーは……」
「知ってるよーだ片想い!」
お互いほぼ丸視え状態の心の中。
ルードの場合は情景が出るって言うより音声になって聴こえることが多いけど。
わたしがセダムさんにすぐに会えなくて落ち込んでることも、ルードがターシャさんをずっと好きなことも、意思疎通したくないのに情報を途絶えさせる術がないんです。
「デートに誘えば? いい感じだったよ」
「……うっせ」
ルード、口悪いけどいいやつだし、ターシャさんにもルードの好意はあったんだけどな。
乱暴に座ってもへこたれないソファーは、2人で座っても悠々していている。ここ、普通に家族で暮らせそう。1人で住むには広すぎるね。
「俺のことより、リーナなこと。泊まるとことかぜんぶあのババアに聞くはずだったんだろ? ──早いとこなんとかしねーと」
「決まるまで、泊めてくれる?」
「俺が追い出すって? ハッ、バ〰〰カ!」
「いちいちバカバカ言わないでよ、バカっ」
小突かないでよ、やり返すけど。
きょうだいにからかわれて、やられっぱなしは悔しい。
でも、ね──わたし、セダムさんにいい印象持ってもらいたくて、ルードと仲いいって話してるんだよね。ほのぼのとした兄妹だと思われてたら、がさつな子だって思われちゃう。
「リーナ。リーナは正式な依頼で呼ばれてんだ、俺がちゃんと抗議しといてやる。あのババア、飛ばしてやるよ。自業自得」
「飛ばすって、やめてよそこまでしなくていい!」
「いや、俺に人事権ねーし。ほんっとおまえ箱入りだねぇ」
そう言って、箱に入っている石鹸を取り出すルード。
もう、いい加減にしてよね、飽きてるんだけど。
「いらない」
「ほれ。石鹸抱っこして寝てろ」
「うん。……お父さんに言わないでよ」
「んー? なにが?」
「──知らない。ここ、寝心地いいんでしょうね? ……おやすみ」
距離が離れてても、伝言、伝達、なんでもあり。移動だってちょちょいのちょい。
初日からのアクシデント、叩きつけられた憎悪と否定。
兄に向けられていた──尊敬、嫌悪、畏怖、崇拝。
リビングから出て行ったあいつは、まだ残ってる用事を済ませに行った。
封を切った石鹸は、小さいときからわたしと一緒にいる。
お父さんに認められて、ほぼ勢いで来ちゃったわたし。
〈学院〉で勉強したいって口にするのも躊躇ってたのに、声に出したらあっさり希望の道ができていた。
この環境は、わたしに合わないと感じてる。
初日で決めるのは、ちょっと早すぎるんじゃない、リーナ。
でも、直感はいつも大事にしてるんだ。
床に落ちてたブランケット1枚で寝てたら、夜中、毛布が1枚増えていた。
自分でお料理したルードが作ったのは、ソースの代わりにケチャップがかけられたパスタ麺と、半分焦げてるスクランブルエッグ。
──気持ちが、嬉しいよ。
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朝早くからルードが忙しなく動いてて起きちゃった。
体を起こすとまだ半分眠そうな双子のきょうだい。
「おはよ、早いね」
「んー? んー……」
「朝ご飯作ろうか? ちょっとはシャキッとするよ」
「材料がねぇ」
「パンはあったよね。牛乳は──取って来ようか」
つい、パントリーに手を入れて持って来ちゃう──普通、牛乳なかったら買うか届けてもらうよね。
わたし達これでいいのかな……思わず瓶と見つめ合っちゃう、住む場所が変わるから生活様式も変えないとって焦ってる。
「リーナ」
「わ、なに?」
「今日おまえ、魔女んとこな」
「魔女? 誰それ」
「〈学院〉の御偉いさん。こえーぞー」
「……昨日の人、みたいな?」
「アホ」
「アホじゃない。純粋に傷ついてんの」
もういっか、ってマグも持って来てルードにも渡す。
貫解師ってこんなものだと思ってたけど、普通と掛け離れるっていいこと? 悪いこと?
お父さん怠惰なわけじゃないんだけど、取り出しと仕舞いが楽すぎて、やっぱり物ぐさ?
「おまえ、父さん気にしすぎ」
「家族が心配でなにが悪いの?」
「悪い悪い悪い。傷つきに来たおまえが1番悪い」
「ほんっともぉ~」
「バカリーナ」
「バカルード」
「へっ──セダム、おまえんこと、かわいくって清純だって言ってたぞ。どこにいんだよそんなやつ」
「……ここにいるもん!」
ルード相手なら気は強いけど、それは身内だからで──セダムさんといるときは、治療者でもあったし、セダムさんに気品があったから、つられたんだし。
セダムさんといるとき、ぜったいルード追い払おう! 2人になりたいし──。
「タギタナちゃーん、視せない努力もしてくださいねー」
「ルガルトくんも、視ない努力をしてもらえませんかー」
「俺は視ていいの」
「……平気だってば! 喉痛くないし。パン焼いちゃうよ」
双子の兄はいつでも心配してくれて、両親は温かく見守ってくれて──背中を追ってる父親に頼めば、すぐに帰れる。忘れ物も欲しい物も取って来られる。
〈学院〉のトラブルは、お父さんの威光ですぐに解決するんだろうな。
ルードは、昨夜どこまで話したんだろう。
お父さんは、どこまで手を出すつもりなんだろう。
ほーんとわたし、家族のことばっかり考えて、限られた場所で生きていた。
頭の中いっぱいに1人で思い詰めるのよくないね。
外に出よう、歩こう、空を見上げよう。
建物9階は、結構あるよ!
「ここで……半分。よしっ──」
わたしより早く出て行ったルードは、昨夜遅くまでなにかやってた。
気になるけど気にしないで、わたしは指示された目的地まで〈学院〉教員棟の階段を上り続けてる。
これ、上の階に割り当てられた先生が気の毒だね。9階になるまで教員がいるのもすごいけど。
へろへろになりながら、やっと到着! 名札がついてない扉だけど、番号はここで合ってる。
ノックって、2回だっけ、3回だっけ──いいや、行こう!
「はい、誰?」
「メルヴァローズ・ザトー先生の、お部屋ですか? ルガルト・ルード・ダングルフィーの、妹です……」
「入って」
魔女。偉い人。
〈学院〉の最上階に棲むその人の研究室は、紅茶と、微かに川の匂いがした。
「ようこそ、魔女の部屋へ。歓迎するよ」
真っ赤に燃える赤髪と、肌の下の冴え渡る海。
この人、わたしの指導者だ。
まるで生きる宝石のようなその女性は、タギタナの常識を覆すと確信した。