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第3話 未来を目指して歩きたい①



 あなたに、心からの感謝を──。


 セダムさんの言葉は特別なんですね。

 わたし、1歩を踏み出すことを決めました。

 自分が好きなれそうです。

 心の声が、もっと、もっと色んなことを知りたいって言ってるのが──わかる!


 セダムさんに会いたい。

 セダムさんを支えたい。

 理屈じゃないの。

 衝動と停滞が絡まり合って、新しい情熱を生み出し研ぎ澄まされていく。

 わたしは掴む。

 タギタナ・リーナ・リリリットの人生は──わたしのものだから。


 家族にセダムさんに会いに行きたいと切り出せば、おのずと〈学院〉への憧れも表に現れる。

 自分の口で言うのと言わないのじゃ大違い。

 反対されても、黙ってるよりまずは言ってみないとね。

 決意を胸に何度も手紙を読み返して練習していると、ドアがノックされた。


「リーナ」

「はーい、どうしたの?」


 お母さん、元気ない。

 慌てて顔を出すと、強張った表情で無理に笑っているみたい。


「今下りて来られる? ルースが呼んでるの」

「お父さんが? 体調、大丈夫なの?」

「──いらっしゃい」


 なんか〝痛い〟予感がする──。


 両親は、わたしの年齢からすると結構な歳だ。

 お父さんは貫通をすると1日寝込むことも多い。

 あんなに大きな結晶と対峙して夕方に起きられるのは、いいことだと思いたいけど……わたしは自分のイヤな直感が外れないことを知っている。

 家族の憩いのリビング、ソファーで待っていたお父さんは手に薄紺色の封筒を持っていた。

 その手が、右手が……!


「リーナ、大事な話がある」

「お父さん、結晶化! また悪化してるよ……!」

「座りなさい。シャリーナ、君も」


 師匠は、本当の性格は冷淡なんだって自嘲してた。

 それがお母さんと出会って人間になれたんだって──真実をわたしが把握する必要はない。心はつまびらかにするものでもない。お父さんがどんな人だって大好きだもん!

 だから、心配だよ、悔しいよ、わたしは〝それ〟を貫けない。

 貫解師にとって手は大事。

貫穿(ディスタ)〉を打ち込む手が硬直するのは深刻だ。

 結晶化と密接な関係にある貫解師は、どうしたって自分も結晶化の脅威にさらされてしまう。

 天才も同じく、いや──お父さんは自分で貫き続けているから、天才だから生きている。


「いいんだよ、リーナ。このくらいどうってことはない。この話を先にしようね」


 そうでしょう、先生ならそうでしょう。

 唇を噛むと、目尻に皺を増やして封筒を渡された。

 〈学院〉、国立高等学術研究院の校章が刻まれた、最悪な印象のお手紙。

 促されて中身を読んだわたしは、内容に怪訝な眉をしてると思う。


介添人(かいぞえにん)……? わたしに、セダムさんの治療を任せたいってこと──?」


 狙い澄ましたかのように舞い込んだ〈学院〉へのお誘い、または、強制招致。

 昨日の今日で、セダムさんが〈学院〉に意見したとは考えづらい。

 なぜ、落ちこぼれのわたしに声がかかるの?

 双子の兄が〈学院(てもと)〉にいるのに──。


「セダムくん、彼はね、パナカタラのとても偉い家の子なんだ。留学生として来ているけど国賓に近い。その彼が結晶化してしまった事実は重く受け止められているんだ」

「セダムさん……お父さんに治してもらいに来たんだね」


〈学院〉はルスカリード・ダングルフィーの偉功を手放さない。

 離籍しても栄光は消えないから、あとからあとから治してほしい人が押し寄せるという。

 元結晶化治療・研究の第一人者にして、各国の要人の最後の命綱。

 お父さんはもう、おじいちゃんになりそうなのに、ボロボロなのに……貫解師の命を救いたい使命感は抑制を凌駕する。


「ルードは既に大勢の患者さんを受け持っている。セダムくんへの綿密な診察や相談は時間が取れないそうだ。そこで君に声がかかった。彼はリーナを気に入ったからね」


 取れないんじゃなくて、相性の問題。

 セダムさんは緩和剤(リント)で症状を誤魔化してた人だから、硬度がないと気づけないルードにとっては大変困った患者さんだ。

 その点、わたしは最初期の予兆にも敏感だから、見つける点では有効。

 けどこの話、ぜったいルードに通されてない。あいつ、この件を知ったら自分がやるって言い張るもん。

 貫解師には公的に治療していい登録年齢があるけど、堂々破らせて雑巾みたいに酷使させる〈学院〉は、14歳の双子のきょうだいに日々命の天秤を握らせている。


 ルードは茨の道を自分で進んだ。わたしとは違う。


「〈学院〉はリーナを品評したいんだ」


 吐き捨てたお父さんの嫌悪感は右手の硬直を急速に悪化させた。

 結晶が現出(げんしゅつ)──肌の上に現れるのはわたしとお父さんだけ。

 家族のものをみるほうが痛い、悲しい。

 

「リーナ。もう1度聞くよ。〈学院〉で学びたいかい?」


 諦めた顔してるお父さん、いつもと変わらないお母さん。

 目を伏せると手の甲が濡れた。


「ごめん、なさい……。わたし、外に出たい」

「謝らなくていいんだ、リーナ。お父さんが間違えてたんだね。お父さん、正しいことをしてるつもりだった。苦しめててごめんね」


 ぎこちなく動く手が、ぎゅっと握ってくれる。

 腰を大きく屈めて目線を合わせてくれるお父さんだから、謝らなくても気持ちは伝わってる。

 慌てて寄って来るの、心配性なんだから……。


「リーナの家はここにあるからね。胸を張って行って来なさい」


 軋む音が聞こえる、金属がこすれる高い異音。

 笑顔を浮かべているお父さんは『行くな』って言わない人だった、11歳になった頃〈学院〉の調査員が来たときに『この子は貫解師にはなれません』と言葉でわたしを刺したけど、必ず毎日褒めてくれた。

 なれないなれないっていルードにうるさく言われて落ち込んでると、励まして『君は立派な貫解師になれるよ』と慰めてくれた。

 先生は、我が子(わたし)を心から愛してるんだ。


「半年間の献身が認められたら生徒として正式に所属できる。タギタナ、君は優秀な貫解師だよ。多くのことを学んで来なさい」

「はい──」

「リーナ! 10回くらい本気で嫌になったら、気晴らしに帰っておいで。慣れるまでお母さんのご飯送ってあげるから」

「家を出ても親に甘えていいんだ、リーナは14歳、まだ子どもだからね。親に守られるのも君のお仕事だよ」

「ルース、この子はじきに15で成人よ~? リーナ、楽しんでいってらっしゃいね。あなたはまだ若い。ここがぜったいって決めないことよ。どこにでも行けるの、自由になりたい意志があればね」

「どこにでも──?」

我が家(ここ)や〈学院〉がすべてじゃないもの。どこにでも行きなさい」


 あっさりしてる言い方に、いちいち傷ついてた時期もあったけど、類似した性質の人とばかりいたら固く頑なになっちゃうよね。

 この空はどこまでだって広がっている。

 世界の端っこからどこまでも飛んで行きたい。


 行こう、外へ。

 世界を、知りたい。


 見送ってくれる2人に別れを告げて、わたしは古びた旅行鞄と共に出発した。

 離れても家族がいる、戻る場所があるって安心だ。

 お父さん、泣いて泣いて、涙が滂沱と流れ落ちてタオルがびしゃびしゃになってたけど──ルスカリード・ダングルフィーの緩和剤はお母さんだから、心配いらない。

 駅で切符を買うのも初めてだったから手間取っちゃったけど、1人で首都まで行くって話してたら近くにいたおばさんが乗り継ぎの仕方を教えてくれた。

 長い、長い道のりを座ってるだけって新鮮!

 車窓の外をずっと見てた、少し開けると風が吹いて気持ちよかった。


 広い、広い──世界は広い。

 怖いけど、わたし、自分の足で故郷を出た。

 汽車に乗って、地図を広げて自分の力を頼りにして〈学院(ここ)〉まで来れた。


 解放感で体が軽い。今なら貫通だってできそうな気がする。

 厳かな城壁、白亜の宮殿のような冷たい校舎──と言うには豪華すぎる建物。

 象徴的な場所だ。姿からして別格だと宣告している。

 ここの入口近くに治療所があるのは、お父さんの信念だね。


 ──行くぞ。


 突如手にした夢行き切符、セダムさんの力になれる幸運。

 門をくぐったわたしは明るい未来だけを想像してた。

 召集がかかってから半月。

 急いで仕度した、いっぱい理想を描いてた。セダムさんにたくさんお手紙を書いて──浮かれてたの。


 忘れちゃだめだったのよ、タギタナ・リーナ・リリリット。

 あなた一体、どこに来たと思ってるの?

 お父さん(神様)を奪った人間は〈学院〉で洗礼を受ける。

 ──わたしは、世間知らずだ。


 ☆

 ・

 ・

 ☆

 ・

 ・

 ・


 言いつけられたとおりまずは守衛さんに挨拶した。

 すると若い男性がやって来て、所長代理の部屋へと案内される。

 すれ違う人の多くがわたしを見て苛立ったり舌打ちしたり、驚愕したり喜んだりしてる。興味なく遠ざかる人はとても少ない。

 最も表面に出ている表層意識を拾ってしまう癖があるわたしは、ここまででも引っきりなしで気負っている。

 自分に向けられているものは受けるのが大きい。

 悪意敵意をぶちまけられると心が折れそうになる。

 だけど、これだけは譲れないの。


「タギタナ・リーナ・リリリット・ザフェルガザウェル・ダングルフィーです」


 横に広い机の中央、踏ん反り返っている女性。

 自己紹介もなしに入室直後『リーナ・リリリット・ザフェルガザウェルさんね』と最初から喧嘩を売ってきた。

 強気でいられるのは時限制。怒りって精神を摩耗させるエネルギー。

 催すものを必死にこらえて楯突いた。

 尻尾巻いて逃げろって嫌がらせされてるけど、わざわざお父さんの名前だけ除いて呼ばれるのは──初めて感じた屈辱だ。


「わたしはあなたの言う、閣下ルスカリードと妻シャリーナの娘です」


 リーナは喜びの民の祝福名。リリリットはお母さんから継いだもの。ザフェルガザウェルもお母さんの姓。

 この人、お母さんのことが大っ嫌いなんだ。

 わたしも、この人大嫌い──。


「ふざけないで……!!」


 本がずらりと並んだ部屋に、場を震わせる衝撃音。

 所長代理が机を叩いたのだ。

 怒りに任せて物に当たるの、軽蔑する。


「出来損ないが大口叩かないで! あの女が年増で不良品だったせいでみっともなく生まれたくせに! 出て行きなさい! 消えなさい!! あなたは〈学院〉に相応しくないのよっ!!」

「──母を侮辱しないでください。わたし、呼ばれてここに来てます。ッ兄も、わたしも、父の代わりではありません!」


 反論できたわたし、主張できたわたし、偉い、よく言った。

 泣いたら負けだ、挫けたら負けだ、この人にダングルフィー家は弱いなんて思わせない。


 この人知らないからお母さんのこと愚弄できる。

 お母さんに会うのが生まれて来た意味だって──閣下の本心、知らないくせに。


 わたしをセダムの介添人に指定したのは〈学院〉理事。

 歓迎なんてうそじゃない。

 帰れって言われても帰らないけど。大事な人を否定されて弱気におめおめと引き下がらないよ。

 歯を食い縛って意地でも倒れない、この人にわたしを排除する権限なんてない。

 弱い犬ほどよく吠えるってほんとだね。


「閣下が、閣下が仰ったのよ! おまえには才能がないんだろ!? おまえが〈学院〉に足を踏み入れるなど、許さるはずがないのよッ!! 消えろ、失せろ、阿婆擦れが!!」


 可哀想な人。

 子ども相手にバカみたい。


 ……やめて。聴きたくない。視たくない。わたしに〝それ〟をぶつけないで!


 結晶化は完治しない。貫解師と患者さんにも相性がある。

 長く苦しんでるあなたの八つ当たりしたい気持ち、わかる、わかってしまうけど、わたしは捌け口じゃない、ごみ捨て場じゃない。

 愛し合う夫婦の娘なの!

 お父さんは充分責任を果たして、後任をちゃんと見つけてから閣下の地位を退いた。強引でもけりをつけて〈学院〉を卒業したの。

 次の人を受け入れなかったのは、あなたのわがまま──〈表出(タチア)〉と言ったら、腕の広範囲に低硬度の結晶が浮かびそうなこの女性は、毎日きっと心身に不調が出てる。


「所長が戻ったら教えてください。それまでっ……失礼します」


 限界だった。

 際限なく共感してたら体がいくつあっても持たないよ。

 奥まで視たのにあんなに綺麗な景色だけを映してくれたセダムさんは、すごかったんだなって思い知らされる。

 口を押さえて廊下の角を曲がり、壁に背をつけるとずるずると下に落ちていった。

 スカートだけど、いい、座ってる。

 どこか遠くに意識が行きながら、相対していた人への感情の混ざり合いに包丁を入れる。


「混同しちゃだめ、リーナ……引きずられないで」


 両親が大好きなリーナと、患者さんに寄り添いたいタギタナ。

 憤って糾弾する娘と、今尚苦しむ人へ罪悪感を抱いた貫解師の卵。

 ぐちゃぐちゃの塊が泥のようにべったり貼り付いて、心が黒いものに冒されてしまう。

 線引きがへた。うまくかわせない、いなせない、結晶化する……!!


「〈緩和(リント)〉……!!」


 解熱成分のあるマッカンタンの実を粉砕してミントウォーターと攪拌。

 精神安定剤ビビッザ1を半錠追加、霧状にして全身に降らせる。

 強制的に体を冷やして、冷静さを取り戻せ。

 頬が濡れてても、緩和剤を使ったって言い訳ができる。


「大丈夫……へいき」


 水のまま落とせば早かったけどずぶ濡れだとあとが困るし、効果が出るの、10分くらいかかるかな。

 わたしの結晶は喉にできるから、声が出るなら大丈夫。



 ──落ち着くまで、昔話をしましょうか。

 ルスカリード・ダングルフィーは〈学院〉の神様でした。


 頭がいい人の中には結晶化する人が多いそうです。

〈学院〉は優秀な人が集う場所だから、患者の割合が多いのです。

 救世主ダングルフィーは〈学院〉に欠かせない存在でした。彼は至宝でした。


 7歳で〈学院〉の生徒になり、9歳からの6年間国の発展に貢献する契約を交わしましたが、彼は優秀すぎました、若すぎました。

 いいえ、貫解師の数が少なすぎたのです。

 10年、20年──ときに契約書を偽造されたり破棄されたり、後継の裏切りで負債を負わされたり、患者という生きる人の命で脅されたり──彼が地元に帰れたのは、ルースという少年が家を出てから42年後でした。


 彼は若くして功績を認められ『閣下』と呼ばれるようになりましたが、彼は半生で得た褒章をすべて手放しています。

 彼が故郷に連れて行ったのは愛した人だけでした。

 彼は19歳で恋をしました。相手は異国の女性です。

 この国は結婚して1人前。この国は家族の繋がりを尊重します。

 結婚すると家族を優先するのが認められます、ですから、彼は結婚を許されなれなかったのです。

 そしてこの国は、親子で同じ仕事をするのが当たり前です──。



 双子で負担を半分こできるなんて、夢物語もいいとこだった。


「泣き虫は、やだ」


 声に出すと勇気が出るの。声に出して奮い立たすの。

 怖い、こんなところもういたくない。

 夢を追って来たのに蹲るバカがどこにいるの。

 弱虫リーナ、泣き虫リーナ。

 涙が出てしまうのはわたしの意思なんかじゃない。

 打ちのめされないで、立ち上がりなよリーナ。


 強くなるってどうすればいいの──!?


 自分を追い詰める悪い癖が出て、新しく買った服に埋まっていると肩を叩かれた。

 恐る恐る見上げれば、ほのかに花の香りが漂う金色の髪。


「あなた、ダングルフィーくんの妹さんでしょう? タギタナさん」

「……そう、です」

「立てる? 立ちましょう!」


 高い音階の、綺麗な声。

 田舎にはいない、絵本の中にはいそうなお姫様が、ぬかるみから引っ張り上げてくれた。

 笑ってくれるって、こんなとき、困らせちゃうほど嬉しいな。



 わたしは、ここで出会う人達を、怖がらないようになりたい。


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