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第2話 諦めたくないけどわからない①



 わたしの患者さん──あなたの笑顔が曇らないように、心の中をクリアにする。

 治療してないしお礼を言われるのはほんの少し困っちゃうけど、あなたからの言葉がわたしは嬉しい。


「タギタナさん」

「どうしました?」

「……やはり、この体勢では格好がつきませんね」


 困ったように下がっている眉と、ちょっとだけ拗ねたような響き。

 治療台に横になっているセダムさんは、顔、見られたくないかな、どっちかな。

 他人に心の内側を視られて声を聴かれても、セダムさんは否定を表さない。


 受け入れてくれてる。

 わたしを家族以外で初めて認めてくれた人──。

 うん、覚えててほしいな、タギタナ・リーナ・リリリットのこの笑顔。


「すぐに起き上がれるようになりますよ! 明日にでも!」

「明日?」

「明日には必ず。無理は禁物ですよ。自分のこと……大事にしたいと思えないなら、半分わたしが請け負います。お願いですから、無茶だけはしないでください」


 セダムさんの結晶は全身に広がっていた。

 見事に貫かれた人達は足が結晶化していてもその場でぴょんぴょん跳ねられるようになる。

 だけど! セダムさんはさっきまでカチカチだったんだから、緩やかに、ゆっくり、温かいものが体の奥に浸透してからじゃないと痛めてしまう。

 そんな、ジーッと見てもダメなものはダメ。

 やっぱり、高貴な猫ちゃんの印象。視線に芯があって凛としている。

 見つめられても『立ち上がっていいですよ』なんて許可はできないし、あまりの目の強さにまばたきが多くなっていく。


「リーナはまだ、お友達と2人で旅行は早いんじゃないかな」


 すっとこちらに来たお父さんの釘刺しに、それもそうかってちょっと残念。

 想像だけなら国内外どこにだって行けるけど、本当に空想だけで終わらせている。

 この国では成人は19歳、わたしはまだ14歳。

 今すぐになんて言わないから説得したいけど、お父さん、心が波立ってるみたい。

 どうしたの? ──患者さんの前では平常心。


「先生も夫人と一緒にいかがですか?」

「私は診療所があるから何日も家を空けられないよ。パナカタラは船で20日もかかるだろう? なかなか、この歳だとね」

「残念です」


 パナカタラって初めて聞いた。どこにあるんだろ。

 そんな遠いところからわたしより年下の子が、勉強のために家を出ている。

 衝撃的だ。

 自分にもできるかもしれないと、間違った可能性が芽吹いてしまった。


「貫通前から意欲的な患者さんは珍しい。これならすぐに元気になるよ」

「本当ですか? 起き上がっていいでしょうか」

「だめだよ。リーナ、セダムくんの触診があるから部屋を出なさい」

「はーい! じゃあわたし、これで」

「タギタナさん、必ず手紙を書きます」

「待ってますね。お大事に」


 廊下に出て、アイボリーの長ソファーに座った。

 静かに待つことにしたけど、じわじわと目の奥が熱くなる。

 ──ほんとうによかった。

 助からないんじゃないかって足が竦んだけど、信じて、信じてもらえて、セダムさんが独りきりの世界に閉じ込められてしまわなくてよかった。

〝それ〟を望む人はこれまでにも大勢いたけど──笑ってくれた。

 達成感のある疲労で全身を満たしていく。紛らわしている。

〈学院〉に来てしまってポツンと耐えてなくてはならないこのときが怖い、将来への恐れも募っていた。

 セダムさんの前では自然に振る舞えていたはずだから、自分を褒めてあげよう、大丈夫。


「あいた……っ!」


『お疲れ様、リーナ』って慰めるように言い聞かせてたら、ヒュンって飛んできた固形物。

 手の中に落ちてきたのは見覚えしかない市販の固形石鹸だった。

 物を取り出す・仕舞うは貫解師の基礎。人に当てるのはどっちかって言えば〈貫穿(ディスタ)〉の応用かな。

 こんなことするの1人しかいない。

 ひょいひょいひょいひょいって家族共有スペース(テーブル)に石鹸を積んでく犯人なんてあいつだけ。


「ルードってばまた石鹸! ……もう」


 双子のきょうだい、もう2年近く会ってない意地悪グータラなルガルト・ルードは石鹸を万能薬だと思ってる。

 双子特有の意思疎通なのかな、それとも貫解師の能力なのかな。

 わたし達きょうだいはお互いに異変があると揺らぎを感じ取る。


 ハイハイ、大丈夫。大丈夫だってば。


 なのにテーブルにはますます石鹸が増えていって雪崩が起きそう。

 もっと丁寧に重ねてよ! もぉ。

 緩和材保管庫(チェスト)食品戸棚(パントリー)も貫解師しか入れられないし取れないけど、このテーブルは優れもの。実物が家のリビングにあるからお母さんも物を置くことができる。保温や品質維持はできない代わりに、そこになにかがあると知らせが届くように鐘が鳴るのが聞こえてくるのだ。

 気を紛らわすのにはいいけど、こんなに石鹸いらないから。


「〈緩和剤(リント)〉の1つでも作りなよね」


 落ち込むと必ず味方になってくれる家族がいる。

 それが当たり前のことじゃないって、大人に近づくにつれてわかるようになってきた。

 わたしは家族が悲しむのがイヤ。苦しむのもイヤ。自分のせいで泣かせるなんて絶対に許せない。

 じゃあ、この胸にある夢のかたまりは砕けるの?

 ……どうしてもできない。

 わたしも〈学院〉に行きたい。

〈学院〉に選ばれなくていじけてるんじゃない。このまま孵らない卵のままでいたくないんだ。

 家にいて、このまま守られていて、成長ってほんとにするのかな?

 人を貫けるようになれるの? 本物になれるの? わたしが目指すわたしは見つかる?

 きょうだいと肩を並べて、ルスカリード・ダングルフィーの後継者だと──自分を認められる貫解師になりたい。

 お父さんとお母さんの傍にいるだけじゃ足りないって思ってしまってる。


 わたしも誰かに差し出せる人になりたいよ──。


 石鹸じゃないけどね。

 ルードってほんと、バカの1つ覚えみたいに石鹸投げてくるんだから。

 箱の外へも微かに漂う清潔感のある香り。なんでこんなに石鹸マニアなんだか。

 まあ1個くらいは貰おうって思ってたら、今度は剥き出しの豪速球がぶつかって来る。

 無防備なリーナに強烈な一撃。


「もういい加減怒るよ!? 痛いんだからね!!」

「タギタナちゃん? 誰かいるの?」

「いえっ、わたしだけ……うるさくしてごめんなさい……」


 ここは治療施設よ、リーナ。

 床に落ちた石鹸をポケットに突っ込んで、毛糸の羽織物を着た40代ぐらいのおじさんを注意深く観察する。

 さっきお父さんを迎えに来た人達の中にはいなかった。この人、誰?

〈学院〉関係者とはあんまりお近づきになりたくないんだけど、この人なら大丈夫だと直感が告げるから、かえって悩みが湧いてくる。

 話してて平気な人なのか測るのは、誰のため? ──お父さんのため。


「初めましてだね。先生がここに所属してたときに助手をしてたミルドといいます。事務所にお茶菓子を用意してるんだ。まだ触診は終わらないだろうから、一緒に休憩しないかい?」

「……はい」


『閣下』と呼ばないから着いて行くことにしたのは単純すぎるかな。

 けど、さっきの人達とは明らかに違うんだもん。この人、ミルドさん、お母さんに似てるわたしを見て懐かしそうにしたから平気だと思った。

 自分の感覚を信じるのが、タギタナ・リーナ・リリリットだ。


 本来の入口正面の受付の奥はこざっぱりとした簡易事務所で、ティーカップとバターの匂いがする素朴なパウンドケーキがテーブルの上で待っていた。

 自家製じゃないおやつって久しぶり。

 椅子に着くとミルドさんは目尻の皺を深くして、飴色の紅茶を注いでくれる。


「このケーキ、サシェシャリーナさんがよく差し入れてくれたパン屋さんのケーキなんだよ」

「いただきます──ん、おいしい! わたしも好きな味です」

「よかった。タギタナちゃん、笑うとお母さんにそっくりだね。お子さん2人がサシェシャリーナさんに似てらして、先生喜ばれただろうな」


 感慨深く蜂蜜の味がするケーキを口にするお父さんの元助手さん。

学院(ここ)〉にもお母さんを好きでいてくれるひとがいたんだ。

 嬉しくて、混乱してしまって、ポケットに仕舞いそびれて手元に置いちゃった箱入り石鹸を見る。

 そりゃそうだろって言いそうなあいつ。姿はないのに主張激しいってば。


「僕今チェストの管理人をしててね、タギタナちゃんが持って行く華麗さって言うのかな、手腕が素晴らしくってね! 1度会ってみたかったんだ」

「あの探しやすい分類、ミルドさんがしてたんですね! お父さんすぐごちゃってさせるから、誰がしてるか気になってたんです」

「先生はそれでも掴んで来れるけど、共有するには整理整頓が大事だからね。先生の新作を並び替えるときが僕の1番の幸せだ」

「さっき、わたし達が移動して出て来たの、あそこがチェストの全部ですか?」

「いや、まだまだあるよ。数が多くて分散させてるから、あと同じようなところが十数箇所あるね」

「実物の棚で見るとすごい量ですよね」

「タギタナちゃん、目録を更新すると必ず目を通してくれてるんだって? みんな使い慣れてるのしか持ち出さないから嬉しくってねぇ」

「読まないほうが勿体ないです! 調合済みのものは必ずレシピもついてますし、自分で作ったりもするんですよ」


 緩和剤をどう捉えるか、わたし達双子は意見をぶつけ合ってきた。

 貫けばいいって考えてるルードは種類なんていらないし気休めだと思ってる。

 でも、ちょっと待ってほしいんだよね。

 セダムさんだって槍で突かれるとき怖がってたし、刃物とか鋭利な物で貫かれるって当たり前に怖いこと。

 結晶化による痛みを取り除いたりもできるけど、貫通時のリラックス材料としても緩和剤は必要不可欠。


「なのにうちのルードときたら……」

「彼、好きだよね石鹸。他にも種類を揃えてみたんだけど、ルガルトくんが使うのこのメーカーのだけなんだ」

「物好きっていうか、ここまでくると石鹸信者です」


 治療現場で調合するのは難しいかもしれないけど、既成品しか使わない主義ってなんだかなーって思っちゃう。

 どんなに緩和剤不要論を唱えられても、香りや感触や色味、五感を刺激する物って患者さんの心に直接訴えかける力がある。

 緩和剤を研究するのって、貫解師ならではの楽しみでもあるんだけどなあ。

 ……まあ、貫けない貫解師未満の、一縷の望みでもあるんだけどね。

 ミルドさんもわたしとおんなじなんだろうな。

 貫けるか貫けないかは、貫解師の人生を大きく左右する。


「これ今うちのテーブルの上にいっぱい積まれてるので、何個か持って来ましょうか?」

「……テーブル? チェストとは違うのかな?」

「お母さんも置けるのがリビングにあって、保管庫と区別するためにテーブルって呼びます。品質維持はできないんですけど物のやり取りには便利なんですよ。……あの、なにかまずかったですか?」


 絶句している男性は真っ青になって考え込んでいる。

 たまにある、直感を超えた啓示のような閃きに震えてしまう。

 天才は、その才能ゆえに自由を奪われ続けた。

 駆け落ちのように故郷に逃げ帰るまで、愛し合うことを禁じられていた。

 連れて行かれちゃう、また、お父さんが連れてかれちゃう。

 わたしは日常にありふれてることの、どれが世の中にとって変わってることなのか、隠さなくちゃいけないことか、判断がつかない。普通のおしゃべりに潜む危険にまで考えが至らない。

 カップの中身を掻き混ぜたスプーンの先。

 肩に置かれた大きな手とちゃぽんと角砂糖が落ちた紅茶に気づくまで、喉がグレーを帯びていく意識に囚われていた。


「リーナ、お砂糖は足りてるかな?」

「──1個で、いいよ」


 眼鏡の奥の眼差しはいつもどんなときでも家族を守ってる。

 お母さんが淹れるコーヒーを持っているお父さんは、あんな大きな凶器よりまるいマグカップが似合う人。

 ルードからのお見舞いの品を見て頭を撫でられると、どうしても涙腺が緩んじゃう。


「先生、お疲れ様です。ユナシュキュパールくんの様子はどうですか?」

「安静に寝てもらってるよ。結晶残部なし、患部も元通り動いているから明日には全力疾走できるだろうね」

「さすがですね」

「いやいや。今回の立役者はリーナだよ。よくがんばってくれたね」


 褒められて、微妙な気持ちになってしまうのを隠すように笑った。

 セダムさんに『最高の貫解師』って言ってもらえたけど、治療したのはお父さんだ。

 ──まさかわたし、張り合ってる?

 当面セダムさんの結晶化の心配はないこと、今後の経過観察はルードが引き継ぐことを耳にしながら、いよいよ〈学院(ここ)〉にいる理由がなくなってきた焦りに埋め尽くされていく。


 わたしにだってまだ、できることがあってほしい。


「セダムさんの顔見て帰りたいんだど、いいよね」

「いや──眠りが浅いようだからそっとしておいてあげなさい。あぁ、そうだリーナ! お腹空いてないかい? お昼ご飯食べそびれちゃったからね。早く帰ろう」


 そんなにハッキリと主張されたら、わがまま続けられないよ。

 お父さんは子どものわたし達に心が見えないように隠すけど、天敵の巣の中にいるからか、うねりを感じ取れている。

『シャリーナの手料理で血と骨と細胞を作りたい』とまで言うお父さんだから、すぐにでも家に帰るのがいいんだけど──一目だけ、セダムさんに会わせてほしいな。

 また会いたくなっちゃうからこのまま帰るのが1番なのはわかってるけど……。


「先生、タギタナちゃんをレストランに連れて行ってあげたらどうです?」

「レストラン?」

「先生とサシェシャリーナさんが出逢った場所だよ。すぐそばにあるんだ」

「行きたい!! 行こうお父さん!」

「うーん……」

「連れてって! お母さんに聞いたら絶対いいって言うから! ね! お願い!」

「──わかったわかった。聞いてみなさい」


 早速お母さんに連絡のメモを書く。

 わたしもお父さんもテーブルのやり取り用の紙を持ち歩いてるから、サラッと書いて手を返せば、すぐに返事を持って来られる。

 了承のハンドサインをすると、パウンドケーキをしっかり貰ってるお父さんも思い出のレストランに足を運ぶ気になれたみたい。

 テーブルの特異性も認識したけどね。

 ミルドさんがすっごく驚いていて、他の貫解師の人って技術の悪用──転用、もしくは応用はそんなにしないんだなって薄く納得した。


「忘れ物はないかな」

「うん、大丈夫」


 事務所をあとにするとき後ろ髪を引かれながら奥へと続く廊下を見たけど、結局わたしはセダムさんのいる処置室に戻ることはできなかった。

 夕暮れの空は〈学院〉に黒を落としていた。外に出ればどれだけここが広い場所で、国の中心にあるかを打ち込まれていく。

 外観から堅牢で立派な──学び舎。

 追いかけて来るんじゃないかって、喉の辺りがチクチクしてる。


「お2人とも、よい1日を」

「ミルドくん、達者でね」

「ありがとうございました!」


 手を振られて、振り返して、敷地から出たところで親子揃って安堵の息を吐いている。

 深呼吸、深呼吸、これからご飯と新しい話。


「もう夕方なのに、なんか、いいね」

「彼は昔からああやって送り出してくれたんだよ。デートに行くときの楽しみだった」


『昔から』という言葉に実感が籠もっていた。

 あまり知らない2人の話。いい機会だから聞いてみようかな。

 恋って、どんなふうに始まるの?

 質問したいことを思い浮かべながら、日が落ちていく空を眺めていた。

 1番星が見えたから、その光に、セダムさんが元気になりますようにと祈っていた。


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