二、海部城内柿盗難事件
朝、髪結いに同心髷を結ってもらいながら、こう考えた(町奉行所では毎日、お役の髪結いが関係者の頭をあたりに回ってくる。地味に役得である)。
金銭が目的ではない、城内の者の目撃証言もないとなると、
一、城内の若い者がいたずら目的でやっている
二、稲葉藩の体面を傷つけたい、個人的な恨みがある
三、別の事件を起こすための陽動である
ここで懐の画帖をとりだそうとすると、
「おっと、動いちゃいけませんや」
髪結いから待ったがかかる。
「すまねえ」
別の方面から考えてみる。
一昔まえ、城には必ず「抜け道」として地下通路があったと聞いてる。転封で藩主が変わり、誰も「抜け道」がわからなくなったのではないか?
海部城はこのあたりに多い「海城」。河口のなかの小島に建てられていて、堀は海水である。抜け道を作りにくい地形ではあるのだが。
先代の領主はいま、どこで何をしているのか。係累の者は? お奉行様に確認しなくては。
ここまで考えたところで、髪結いが
「はい、終わりました」
と声をかけてきた。
町奉行の役宅(官舎)は奉行所の建物の裏に一続きになっている。縁側の沓脱石から、直に座敷に上がりこむ。
「いやあ、一の線は無理だろう。いたずらのためだけに柿の実を盗むってのは骨だぜ。
二とか三の線は、あるかもしれねえな。うん、いいんじゃねえか」
ほめられた勢いで、もう少し踏み込んでみる。
「先代の海部藩の藩主は、今どうなさっているのか。また、係累はまだ城下におられるのでしょうか」
「ほほう。いいとこつくじゃねえか」
お奉行はにやりとする。
「先代の藩主は太田貞道。
家督を譲って出家したとたん、御家はお取りつぶし。長男は首を切られ、次男は京都の某所で蟄居の最中、自害したとあるな。
それが身心にこたえたものか急に体が弱って、町はずれの海蔵寺『六合庵』てとこに厄介になってる。一人残った『お合』という娘が、面倒を見てるよ」
「そのお合という方、何歳くらいでしょうか」
と聞くと、奉行は急に相好をくずした。
「うーん、年は二十七、八くらいかねえ。これがまた美人なんだ。言い寄ってきた塩塵藩の上士のすねの骨をなぎなたでへし折ったっていう、豪傑でね」
……よほどお奉行様の好みの女性らしい。
「寺に行ったら、太田殿とお合どのに会えましょうか」
「ああ。親父殿はともかく、お合どのは海蔵寺で、昼は子供に手習いの稽古、夕はなぎなたや棒術の指南といそがしくしてるよ。
そうそう、海蔵寺に行く道すがら、武家屋敷町から町人地への入り口に、とびっきりの場所があんだよ。酉の刻(午後六時)ごろ、夕日が海に落ちて、城の白壁に映えるんだ。ついでだから見てみちゃあどうかな」