第九話 静寂の予兆
ははっ!
夜の帳が降りる頃、僕たちは森の奥深くにある小さな廃墟に身を寄せた。先の戦いで消耗した身体を休めるため、そして、エゼルグとの戦いを振り返るために。
「まさか……ここまでの力を手に入れていたとはな……。」
僕は剣を見下ろしながら、闇天一文字則宗の冷たい光を見つめる。確かにエゼルグを退けることができた。しかし、それと引き換えに、僕の体は今まで以上に重く感じられる。まるで、何か大切なものを削り取られたかのように――。
「ラズフェル、大丈夫?」
シエラが優しく声をかける。僕はわずかに頷き、剣を鞘に戻した。
「なんとか……でも、やっぱりただの疲労とは違う。この力を使うたびに、何かを失っている気がするんだ。」
シエラは神妙な面持ちで僕を見つめた。
「エゼルグは言っていたわ。『代償を払うことを恐れている』って。彼は、その意味を知っていたのかもしれない。」
「……かもな。」
闇天一文字則宗はただの武器ではない。ゼフィラスの力が宿った霊装。だが、その本当の力が何なのか、僕はまだ理解しきれていない。
シエラは焚き火の明かりを見つめながら、静かに言った。
「このままでは、あなたが壊れてしまう気がするの。」
「……壊れる?」
「ええ。何を失っているのかわからないまま力を使い続ければ、気づいたときにはもう戻れないところまで行ってしまうかもしれない……。」
彼女の言葉には不安が滲んでいた。それは、僕自身の心の奥にある恐怖と同じだった。
「……でも、戦わなければ死ぬんだ。」
「それはわかってる。けど、私は……君がいなくなるのが怖い。」
シエラの言葉に、僕は一瞬だけ息をのんだ。
「……ごめん。」
「謝らないで。ただ、無茶はしないでほしいの。」
彼女の瞳に映る炎は、どこか寂しげだった。
――その夜、僕は奇妙な夢を見た。
暗闇の中、一人の男が立っている。
長い銀髪をなびかせ、その瞳には深い闇を湛えていた。
「……ゼフィラス?」
僕がそう呟くと、男はゆっくりと微笑んだ。
『お前はまだ知らぬ。この剣が持つ本当の意味を。』
「本当の意味……?」
ゼフィラスは僕を見つめながら、静かに言った。
『この力の代償とは、魂の欠落。お前が剣を振るうたびに、お前自身の存在が削れていくのだ。』
「……っ!?」
全身が凍りつくような感覚が走った。
「僕の存在が……削れる?」
『そうだ。力を求める者に相応の代償を。それが“堕天の剣”の掟だ。』
ゼフィラスの言葉が胸を貫く。力を使えば使うほど、僕は何かを失っていく――。
「じゃあ、僕は……?」
『お前が望むなら、今すぐ剣を捨てることもできる。だが、それができるか?』
ゼフィラスの問いかけに、僕は沈黙するしかなかった。剣を捨てれば、戦えなくなる。シエラを守れなくなる。だけど――。
「……僕は……。」
答えを出せぬまま、ゼフィラスの姿が闇に溶けていく。そして、夢はそこで途切れた。
目を覚ますと、シエラが心配そうに覗き込んでいた。
「ラズフェル、寝汗が……悪い夢を見たの?」
「……いや、大丈夫だ。」
嘘だった。本当は、まったく大丈夫じゃなかった。
けれど、今言えることは何もなかった。
静寂の中、ただ焚き火がパチパチと音を立てていた――。
りりすう