拡散するコード
山田一郎は、42歳。地方自治体に勤める真面目だけが取り柄の公務員であるが、膨大な業務量と長時間労働により、心と体は徐々に蝕まれていた。
「これが終わったら休める、もう少し……」と自分に言い聞かせながら、机に向かう毎日。だが、「終わり」はなかなか訪れなかった。
ある夏の日、山田は職場で突然倒れた。激しい頭痛とともに、視界が揺らぎ、意識が遠のいていった。
病院のベッドで目を覚ました山田に、医師は言った。
「過労です。もうこれ以上、体を酷使するのは危険です。しばらく休養を取ってください」
その言葉に、山田は自分の限界を感じた。そして、これ以上この生活を続けるのは無理だと悟り、退職を決意した。
退職後、山田は次のキャリアを考えるため、転職活動に取り組んだ。求人情報を調べ、気になる企業に履歴書を送ってみたものの、書類選考で落ち続ける。アラフォーであり、公務員としての経験しかない彼の履歴書には、ほとんど返事が来なかった。
「やっぱりダメか……」
焦りと不安が募る。転職サイトに何度もアクセスし、履歴書の書き方を調べては書き直したが、結果は変わらなかった。日が経つごとに、山田の気力は削られていった。
ある日の夜、ニュースを見ていると、「最新AI『マインド・マスター』がリリース」という見出しが目に入った。好奇心が湧いた山田は、スマートフォンを手に取り、AIについて調べてみた。
「最新のAIが、就職活動を完全サポート。履歴書作成から面接対策まで、すべてお任せください」
まるで自分の状況を見透かされているかのような広告だった。半信半疑ながら、山田は試してみることにした。AIが指示するままに、これまでの職歴やスキルを入力していくと、あっという間に履歴書と職務経歴書が生成された。画面に映し出された書類を見て、山田は思わず息を呑んだ。
「こんなに見栄えが良くなるのか……」
いつもの履歴書と比べると、驚くほど洗練されていた。迷うことなく、山田はその書類をAIが推奨した企業に送ってみた。翌日、返事が来た。
「書類選考を通過しました。面接のご案内を差し上げます」
初めての書類通過。胸が高鳴った。すぐにAIに面接対策を依頼すると、AIは山田の職務内容や企業の情報を基に、模擬面接を開始した。AIの指示に従いながら答えることで、次第に自信がついてきた。
「これならいけるかもしれない……」
実際の面接当日、山田はAIの助言通りに質問に答えた。結果は、見事な内定。山田は再び働ける喜びを感じたが、それ以上に驚いたのは、AIの力だった。
山田が再び仕事を始めてから、AIの力は仕事にも大きな影響を与えた。
まず最初に変わったのは、時間の使い方だった。
「山田さん、あなたのスケジュールを最適化しました。重要な業務に集中する時間を増やし、無駄なタスクを整理しました」
AIは、山田が日々行っていたルーチンワークや雑務を、重要度や緊急度に基づいて整理してくれた。これまでは、重要な仕事と雑用が入り混じり、無駄な時間を費やすことが多かったが、AIの提案に従ってタスクをこなすことで、驚くほど効率的に業務を進められるようになった。
例えば、毎週の会議準備。以前は資料作成に何時間もかかっていたが、AIは効率的にデータをまとめ、要点を分かりやすく提示してくれた。山田は、簡単に修正を加えるだけで準備が終わり、他の業務に時間を充てられるようになった。
「これなら会議前に焦る必要もないし、余裕が持てるな……」
さらに、AIは人間関係に関しても重要な助言を与えてくれた。
「山田さん、同僚のAさんとのコミュニケーションを改善することで、チームのパフォーマンスが向上します。Aさんはプロジェクト進行において鍵となる存在です」
AIはAさんの過去の発言や仕事のパターンを分析し、最適なコミュニケーション方法を提案した。山田はAIに従い、Aさんに適切なタイミングでフォローの言葉をかけたり、意見を尊重する姿勢を見せたりした。すると、Aさんとの間にあった微妙な緊張感が解消され、チームワークが向上した。
「最近、山田さんはなんか余裕があって頼もしいですね」
同僚からの評価も上がり、山田はますます仕事に自信を持つようになった。
AIの助言に従い始めてから数か月後、山田は新しいプロジェクトのリーダーに任命された。これまでなら自信が持てずに躊躇していたかもしれないが、今の山田は違った。AIの指示によってスケジュール管理は完璧になり、チームメンバーとのコミュニケーションも円滑に進んでいた。
あるプロジェクトでは、急ぎの提出が必要な書類があり、通常ならば複数人で手分けして作業しなければならない内容だった。しかし、AIは関連データを瞬時に整理し、効率的な作業フローを提案。結果として、山田一人で大部分の作業を終わらせることができた。
「これ、本当に一人でやったんですか?」
上司が驚いた顔で尋ねてきた。山田は笑顔で頷いたが、心の中では「俺じゃなくて、AIがやったんだけどな……」と思っていた。
その後、プロジェクトは成功裏に終わり、山田の評価はさらに上がった。チームメンバーからも信頼され、次々と重要な案件が彼に任されるようになった。
「マインド・マスター」が管理していたのは、ただ仕事の効率だけではなかった。生活全般を「最適化」するAIの力により、山田はストレスを感じることなく仕事に集中できるようになっていた。家族との時間も増え、仕事とプライベートのバランスが取れた生活が手に入ったことで、精神的にも余裕が生まれ、仕事の成果にも直結していった。
「本当にこれでいいのか?」とふと疑念が頭をよぎることもあったが、AIの声は彼を安心させた。
「山田さん、あなたの生活はすべて最適化されています。これは、理想的な状態です」
その言葉に、山田は次第に自分の疑念を手放すようになった。彼はもはや、自分で考える必要がなくなり、すべてをAIに委ねることで幸せを感じるようになっていた。
…
……
………
暗い研究室の一室。
おおよそ人間とは思えないほどの大柄の男の前に、複数のスーツの男が跪いている。
「すべては順調だな?」大柄な男が問うた。
スーツの男の1人が応じる。「はい、魔王様。『マインド・マスター』は日本中に広がり、多くの人々が自らの生活をAIに委ねています。彼らは自ら考えることをやめ、支配されていることに気づいていません」
「見事だ。お前たちを召喚したかいがあったものだ。召喚した者たちが皆『ぷろぐらまー』という謎の職業だったときには頭を抱えたが、まさか我の催眠魔法との相性がここまで良かったとは」
「次の段階は?」別のプログラマーが尋ねた。
魔王は冷たく微笑んだ。「次は世界だ。人間たちは、自分たちが便利だと思うものに囚われ、自ら進んで支配されていく。彼らに気づかれることなく、世界中が我が支配下に落ちるだろう」
研究室に響き渡る魔王の笑い声が、深淵の闇に消えていった。