うわさの古和荘、入居者募集中
築三十年。木造平屋。風呂トイレ完備。家賃据え置き、一万円。
下宿アパート、古和荘。
破格の家賃の理由は、不動産屋がそれとなく話していた。
曰く、今から十数年前、当時の大家と店子がただならぬ関係となり、それを持て余して、互いの妻と夫、子供まで巻き添えにした無理心中。
後に管理は遠縁の者が引き継いだが、それ以来、このアパートには出るらしい。
「暮石さん、ですね?」
そして門扉を開けてそう声をかけて来たのは、セーラー服の上にエプロンをした少女だった。
「わたしはここの管理人をしています、古和唯理です」
「こいつぁどうもご丁寧に。今日からお世話になる、暮石正足です」
調子良くへこへことお辞儀を返すのは、長身に黒いライダースの男。傍らには荷台にバッグを乗せた、いわゆるナナハンと呼ばれるシルバーの大型バイクが寄り添っている。
「お荷物は、それだけですか?」
唯理が不思議そうに見つめる通り、正足の荷物はバイクに乗せられた鞄一つで、他に手荷物一つ見当たらない。
「まぁ、そいつぁおいおい」
「…………」
へらへら笑う正足と対称的に、唯理は口唇を引き結んで居住まいを正し、
「うちの噂は、既にお聞きですよね?」
「えぇ、まぁ」
緊張した様子の唯理に、正足は笑みを崩さない。
「暮石さんが入居される四号室は、毎週土曜の深夜、家族の霊が迷い出て、最期にそうしたように、無理心中をするそうです。それに巻き込まれ怪我をしたという方も、それを見て心を病まれたという方もいらっしゃいます。それでも暮石さんは、お部屋に入居なさいますか?」
別段怖がらせようとするでもない、だがだからこそ真実味のある唯理の語り口に、やはり正足は笑みを返して、
「それで済むなら、安いもんですよ」
「……では、お部屋にご案内します」
畳敷きのシンプルな和室。家具は無く、障子を開けると広い中庭。陽当たりも良く、とても曰く付きとは思えない。
正足は部屋の真ん中にバッグを投げ出し、それを枕にごろん、と横になる。
木目に苦し気な顔が浮かぶ、などという事も無く、泣き声や足音、ラップ音が聞こえるでも無い。
そして、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
ドアを開けると、唯理。
「お部屋の方はいかがですか?」
「えぇえぇ、ご立派なお部屋で」
唯理はなにやら複雑な顔をしながら、
「暮石さん、今夜はーー」
「噂の土曜日、ですよね。管理人さんは、普段土曜の夜はなにをしているんですか?」
エプロンの裾をきゅっ、と握り、
「わたしは、管理人室に居ます。なにかあれば直ぐにいらっしゃってください」
そしてぺこり、とお辞儀をして、唯理は部屋を後にした。
時刻は深夜。明りの消えたその部屋で、なにか声が聞こえるような気がする。
「…………」
それは男のような、女のような。泣いているようでもあり、苦し気に呻いているようでもある。
ぎりぎりぎり、となにか力を込める音。
目を開けると、隣で女が首を締められていた。
「あぁぁぁぁぇぇぇぇぁぁぁぁ……」
両手の親指が深く食い込み、骨はもう折れているのだろう、かくん、と据わりを無くした首。だらり、と開いた口からナメクジのように舌が垂れ、呻き声と赤い血混じりの泡を吹き出している。
ずぶっ、となにか湿った音。
目を向けると、女が男の首筋に包丁を突き刺していた。
「げひっ、ぐひっ、ぎひっ」
膝立ちする男の後ろ、まるで後ろから抱くようにして、何度も何度もその首筋に包丁を突き刺す。その度に、男の口からは吐息と血飛沫が溢れる。
そしてぶちんっ、と首が引き千切れ、ずるんっ、と首が千切れ落ち、男と女はそれで興味を無くしたように、それぞれ女と男から離れ、部屋を出ていった。
それを追い、向かう先は管理人室。
『いや……いやぁぁぁぁぁぁっ!』
その声は唯理のものだった。
ドアを開けて、中に入る。
そこは管理人室と言うより、学生の勉強部屋のようだった。
唯理はそこで男に羽交い締めにされ、その腹を、女に何度も何度も包丁で刺されている。
「やめ、て……っ、お母、さん、やめてぇ……っ!」
涙ながらにそう叫ぶ唯理に、母と呼ばれた女は変わらず、一心不乱に包丁を突き入れる。
正足は、その光景を見ながら、
「イヒッ」
声、というより、喉の奥が鳴くような、怪鳥のような笑い。
ひょこひょこと道化めいた足取りで、女の顔を覗き込み、
「そうかいそうかい、アンタ、手ずから娘に手をかけたのか」
ぐるん、と女の頭が回り、血塗れの包丁を突き出す。
ギンッ! とそれを弾いたのは、いつの間にか正足の手に握られた黒いナイフだった。
弾かれ、たたらを踏む女に、男は唯理を放って、その太い腕を振り上げる。
「イヒヒッ」
まるでステップを踏むように男の拳を避け、懐に入り、その顔を覗き込み、
「てめぇらだけで始末を着けりゃあよかったのに、家族まで道連れにするたぁ、また随分と傍迷惑な事で」
男の腹に突き蹴りを叩き込み、倒れ伏す唯理の傍、その顔を覗き込む。
「で、お前さんは遠縁どころか、無理心中させられた娘だった、って訳かい」
「ごめん、なさい……わたし達はあの人達の怨念に組み込まれてしまったから、逆らえないんです……わたし達は、この苦しみを、悲しみを、誰かに知らしめ続ける事しか出来ない……」
「大丈夫。心配しなくていいさ」
苦し気に横たわるその頭を撫でてやりながら、正足はひゅるん、とナイフを構え、
「そんな悪霊は大好物だ」
そして降り下ろされる男の拳を、ナイフの切っ先で受け止める。直接ぶつかり合っている訳ではなく、磁石が反発するような不可視の力の押し合い。
そこに空いた手でバババッ、と印を組み、指先をナイフの峰に添わす。
「禁っ!」
ばちんっ! とバネ仕掛けのように男の腕が明後日の方向に固められ、そのまま組み敷かれるように倒れ伏した。
そして、迫る女に片目を閉じる。ぐぅっ、と血管が膨張し、真紅に染まる正足の瞳。
「禁っ!」
その瞳に捕らわれ、女は微動だにしなくなった。
つぅー、と開いた瞳からこぼれ落ちる血を拭い、
「イヒヒヒヒッ!」
ナイフをお手玉するように放りながら、まずはゆっくりと男に近付く。
「苦しいか?」
見えないなにかにねじり上げられた腕。それをさらにひねり上げ、自らの腕で首を締めさせる。
「ほら、苦しいか?」
ぎりぎり、ぎりり、ぎりぎりぎり……
ぶちんっ。
「イヒヒヒヒッ!」
そして今度は女に近付き、
「悲しいか?」
女の包丁を奪い、それを肩口から突き刺して、ゆっくりと切り下ろしていく。
「ほら、悲しいのかよ?」
ずぶぶっ、ずぶっ、ずぶずぶずぶ……
びちゃあっ。
「イヒヒヒヒッ!」
そうして、首を引き千切られた男と、身体を引き裂かれた女はかき消えていく。
唯理はお腹を押さえながら目を丸くして、
「暮石さん、貴方は……」
「ああ、まだ言って無かったな。暮石正足。職業、悪霊退治屋さんだ」
ナイフ片手に、まったくそうは見えない正足に頭を振り、
「ダメ、なんです、あの人達だけじゃあ……わたしもその一部、だから。わたしの事も一緒に消さないと、また……」
涙を流し、血塗れの唯理。噂が本当なら、唯理は十数年間、あの悪霊達の無理心中を再現させられ続けていたのだろう。
正足は唯理の前に膝を突き、にっこりと笑って、
「俺は、悪霊しか、退治しない」
唯理の瞳が、見開かれた。
「……お願い、お願いです! もう終わらせて! お願いぃっ!」
「イヒッ! 大丈夫、安心しなって! お前さんが壊れて悪霊になれば、ちゃあんと俺が退治してやるからさあっ!」
唯理は正足にすがる手を引き戻し、自分の顔をかきむしるように抱えながら、
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「イヒヒヒヒヒヒッ!」
シリアルキラーならぬ、シリアルゴーストバスターのお話。
取り合えず恐いオチですけど、これからは正足が毎週唯理ちゃんを助けてあげながら古和荘に住む、という流れなので、唯理ちゃんは壊れたりしませんよ。
正足は呪禁道師です。刀剣を用いて五法と呼ばれる術を使ったとかなんとか。呪禁道って資料少ないので、そこは大目に見てください。