第2話 仔ドラゴンの実力
【従魔紋】の輝きが収まり、「契約」が完了していくのと同時に、俺の頭の中にかかっていた靄が晴れて、急に色んなことが明瞭に認識できるようになった。
……これは絶対、アレだ。
「……お前さ、今なんか俺にヤッただろ?」
「きゅるるっ♪」
「いや、てへぺろ♪ じゃないっての! あー絶対俺に洗脳的なことしてきただろ! バレちゃったかー、じゃねーよ!!」
「きゅるるるるるるっ!」
笑ってやがる。全く、なんて奴だ。
うにょうにょと機嫌良さそうに触手をふりふりして、俺の足元をぴょんぴょん飛び跳ねている姿を見ると、これ以上怒る気もなくなってくる。ったく、その腹足でどうやってジャンプしてんだよ。
「……まぁ、言った言葉は嘘じゃないよ。俺はお前と一緒にまた冒険者になりたい。今度こそ本物の『世界を旅する冒険者』になるんだ。……手伝ってくれるか?」
「くるるるーっ!」
任せて! という様子で触手でむんっ、と力こぶ(?)を作ってみせる仔ドラゴン。
あーいや、いつまでも仔ドラゴンじゃダメだよな。彼女に似合う、可愛い名前を付けてあげないと。
「うーん、名前。名前かぁ。お前さ、どんな名前がいい?」
「きゅる?」
円なお目目で見上げてくる。
うーん、見れば見るほど美人さんだな、コヤツめ。……可愛い系の名前がいいかな。
「きゅるるって鳴くから、キュルルは?」
「きゅー……」
「そうですか、安直ですか。うーんじゃあ、クルルル鳴くからくるるん」
「くるる……」
「ダメ? うーん、じゃあ触手がうにょうにょしてるから、ウニョ子」
「きしゃーっ!!」
うお、こっえぇ。そんな声も出せるんだ。
これ以上ふざけるとご機嫌を損ねてしまいそうなので真面目に考えることにしよう。
うーんうーん、何かないか……。
辺りを見回すと、祠があった。
そうそう、俺は元々ここの掃除とお世話に来たんだった。そういやこの祠は何を祀っている祠だったっけ?
祠の扉に手を掛け、観音開きにあける。
森の木漏れ日が祠の中に差し込み、中に祀られた小さな神像が見えてくる。
「あぁ、そうだった。……お久しぶりです、ティアマット様」
大地母神ティアマット。
遥か昔から、俺の故郷のこの土地で祀られた凡ゆる生き物の母たる存在。海と大地の恵みそのものを司る女神。すっかりご無沙汰になっていて、記憶から忘れかけてしまっていたけど、幼い頃からこの森で訓練するときにはお参りにきていたんだった。
(今まで忘れていてごめんなさい)
神像に手を合わせて、これまで故郷に戻ってきてからも顔を出さなかった不義理をお詫びする。
あ、そうだ。
「なぁなぁ」
「きゅーん」
変な名前ばっかりですっかりスネてしまった仔ドラゴンに、俺はしゃがみ込んで目線を合わせる。
「ここの祠で出会ったことを忘れないように、神様から名前を貰おうと思うんだ。……ティアなんて名前、どうかな?」
「……っ、きゅるるるっ!!」
「お、おおっ! 気に入った? よかったー」
ティア。うん、今日からキミはティアだ。
その名前で呼んでから、ティアはとてもとても嬉しそうに体をぷるぷる震わせ、俺の脚に触手をくるっと回してぴっとりくっついてくる。
かわいいなぁ。よしよし。
その時だった。
「グゥオオオオゥッ!!」
森の奥から太い唸り声が響く。
と同時に草藪から森林狼が三匹飛び出してくる!
「なっ!?」
だが、様子がおかしい。
俺たちに見向きもせずに、祠の前を通り過ぎて行く。どの個体も傷を負っているのか動きに精細がない。……何かから逃げているのか?
——いや待て。あの声。まさか。
「……あぁ、不味い。嘘だろ……?」
先の咆哮の主が、木々の枝をバキバキと圧し折りながら姿を表す。
——最悪だ。
「……灰鬼熊! なんでこんなところに!」
身の丈三メトルを超える、大型の魔獣。
冒険者時代に何度かやり合ったことのある相手だったが、複数パーティによる合同の討伐作戦で、ベテランの冒険者に犠牲者を出しながらようやく一体倒せた、という相手だ。
その時に恐怖のあまり何の役にも立たずにお荷物認定された俺にとっては最悪の敵。
「は、早く逃げ……」
「グゥオオオオッッ!!」
「!? ギャンッ!!」
視界に捉えていたはずの灰鬼熊が、一瞬見失うほどの速度で逃げる森林狼の群れに追いつき、丸太のように太い前足を無造作に叩きつける。
ビシャアッ!と水風船を地面に叩きつけた音がして、森林狼の一匹は肉塊へと姿を変えた。
「うあ、ああ……!」
同じだ。あの時と。
なかなか冒険者として芽が出ない俺のことをずっと気にかけてくれたベテラン冒険者のおやっさんが、俺の目の前でたったの一撃でぺしゃんこに潰されて死んだ時と。
腰が抜ける。
逃げなきゃ、と思うのに足が震えて前にも後ろにも進めない。
そうだ、ティア! ティアを守らないと!
(約束したばっかりなんだ、怪我が治るまで俺が守ってやるって!)
ティアを探すが、さっきまで近くにいた筈のティアが見当たらない。
「なんでだ、どこにいった?……っ!!」
心臓が凍りつく。
何故か、ティアは、灰鬼熊の真正面に姿を現していた。
俺が見上げるほどの大きさの魔獣と、俺の膝下ほどの大きさしかないティア。
まともに対峙して、無事でいられるはずがない、と思った。
「ティアァァァァッ!!」
その時俺は何も考えていなかった。
間に合うとか、攻撃を避けなきゃとか、自分が死ぬかもなんて、一欠片も浮かんで来なかった。ただ、ティアの側に向かって走れと身体が勝手に動いていた。
「っく!」
地面にいるティアを転がるように抱きしめて拾う。そのすぐ真後ろに灰鬼熊の一撃が炸裂し、地面を砕く勢いで俺とティアは吹き飛ばされる。
ゴロゴロと地面を転がりながら背中から祠に激突する俺。
「ガハッ! ……ぐ、ティア、無事か?」
「くるるるる!」
……よかった。何ともなってないみたいだ。
「ティア、よく聞け。アイツは俺が引きつけるから、その隙に早く逃げるんだ」
「きゅるる!」
「ダメだ、頼むから言うことを聞いてくれ。……な、お前に怪我とかして欲しくないんだよ」
「るるるる……」
ティアを祠の影に隠して、俺は震える膝を叩いて立ち上がる。
俺の命一つで何秒稼げるかなんてたかが知れてるだろうが、絶対に引いてやるもんか。
俺は腰から小振りなサバイバルナイフを引き抜き、灰鬼熊へと向き直る。
こんなちっぽけなナイフ一本で、あの大熊に立ち向かっている自分のことを信じられなさすぎて笑ってしまう。バカすぎるだろ、俺。絶対死ぬじゃん。
(まぁいいさ、最後にティアと出会えてまた夢が見れた。一瞬だけど、悪くない気持ちだった!)
あぁ、そうだ。悪くなかった。
何もかもを諦めて故郷に帰ってきて、死んだように生きている日々から、今日ようやく生まれ変わった気持ちだったんだ。
今日この場でティアに出会えたこの運命に、もう命を全部くれてやってもいいと思えるくらいには感謝をしていた。
「こいやクソ熊あぁっ!!」
ナイフを構えて、俺は駆け出す。
——あぁ、俺は本当にセンスが無い。クロウさんに何度「もっとよく考えて行動しろ」と、言われたっけか。
「グゥオオッ」
緩い一撃だった。
灰鬼熊からしたらあまりにも弱い生き物が、《《ゆっくり自分の間合いに入り込んできた》》ために、意味が分からなかったことだろう。とりあえず、手を振り上げてパチン、と叩きつけようとした。
(あっ、死ん)
それだけで、俺の人生は呆気なく終わる筈だった。
——だが、そうはならなかった。
「グゥオッ!?」
空中に縫い止められたように、ピタリと静止する灰鬼熊の手。
見ると、手首のあたりに白い触手が何本も絡みつき、その動きを阻害していた。
「ティアっ!?」
「グゥオオオオオオオッ!!!!」
大いなる熊の魔獣は怒りの咆哮を上げる。
空気が激震し、俺はそれだけで怯んでしまうが、ティアの背中から伸びた触手は少しも緩んだりしなかった。
いや、それどころではない。
「きゅるるるるっ、ふしゃあっ!」
熊の腕を掴んでいない空いていた触手が霞むほどの速度で振るわれる。——ッパァンッ!!っと空気が炸裂する音と共に、灰鬼熊の振り上げた腕が根本から千切れ飛んだ。
「……は?」
その後も触手は緩やかに空中を漂っていたかと思うと、雷光の如き速度で飛翔し、破裂音を連続させながら灰鬼熊の体を次々と千切り飛ばしていく。
腕を、脚を、耳を、眼を。
長い爪を、分厚い胸板を、鋼の強度の肋骨を。
破裂音が響くたびに灰鬼熊は原型を失っていき、解体されていく。
最後にティアの触手は、首と胴体だけになった灰鬼熊を触手で空中持ち上げ、めりめりと真ん中から引き裂いた。
ごどん、と。
熊の心臓のあたりから見たこともないサイズの魔石が落ちてきた。
「きゅるるるるるるるるる、ふるるるるるるるるるっっっっ!!!!」
ティアが興奮したように笑った。
そして、魔石に触手をぱきん!と突き刺し、中身を啜った。
【灰鬼熊を討伐しました。ナギ・アラルと従魔ティアは192,850の経験値を入手。
ナギ・アラルはレベル11から28へレベルアップしました。
スキルポイント17を入手しました。】
冒険者を辞めて以来、久々に聞く『世界の声』だったが、俺は目の前の光景に眼を奪われて一声も出せないでいた。
灰鬼熊の血が雨のように降り注ぐ中で、ティアは楽しそうに「きゅるるるっ」といつまでも笑っていた。