4-04 タイムバケーション
「ここは月が見えすぎるわ。だから、私たちももう終わりにしましょう」
西暦二二五五年。地球で勃発した第四次大戦から二百年後の太陽系内では、人類は優れた科学技術と慈悲深い性質を持つ「彼ら」の援助を受けて生存していた。
大戦の影響で一度は汚染された地球も、「彼ら」のおかげでかつての姿を取り戻した。しかし、再生した地球の姿を見るほど、惑星間輸送船のパイロットを勤める島崎の心に虚しさは広がるのだった。
ある日、島崎は友人の大城から休暇を取るよう提案される。旅行に行けというのだ。行き先は過去。二十年前の地球。
それはまだ地上が汚染されていた時代であり、そして島崎が大城やかつての恋人・桐木遙と青春を送った望郷の時代でもあった。
過去に囚われるまま二十年前に飛んだ島崎は、しかし、そこで記憶にない少女と出会うのだった――
これはモラトリアムに陥り、過ぎ去ったデカダンスの幻影を追い求める男の希望と再生の物語。
また一段と、綺麗になったか──
巨大なガラス窓の向こうを眺めながら、島崎は思った。
外には果てのない暗闇──無辺の宇宙空間が広がっている。
その中に、太陽の光を反射して、まばゆいばかりの輝きを放つ惑星、地球が浮かんでいた。
衛星軌道上から見下ろす青い星。
それを肴に、島崎はグラスに口をつける。
流し込んだウイスキーに喉がかっと熱を帯びた。
グラスが空になったので、マスターにおかわりを注文した時、店内の戸の開く気配に振り返ると、ちょうど大城が入って来たところだった。
島崎が手を上げて呼ぶと、大城はカウンター席の隣に腰かけた。大柄な体を窮屈そうに椅子の上に収めている。
「よう。どうだ? 仕事の調子は」
大城はビールを注文し、島崎に言った。
「呆れるくらい良いね」
「そいつは結構だ」
「何が結構だ、だ。悪いわけがあるものか。そっちもそうだろう?」
「ああ、まあな。彼らのおかげだ」
大城はシャツの襟をくつろげ、受け取ったビールを喉を鳴らして飲み出した。
島崎の仕事は、惑星間運輸業だった。普段はガリレオ衛星間を往復し、資源や物資を運んでいる。
ぷはっと、大城が気持ち良さげに息を吐き出すの待ってから、島崎は聞いた。
「それで、どうしたんだ? 珍しいじゃないか。急に呼び出すなんて」
「ああ。ちょっとな」
大城が渋い顔をする。島崎は眉根を寄せた。
「わざわざ対面で会って話そうってことだろ? 一体、何なんだ」
バーに人はまばらだったが、島崎は周囲を気にし、声のトーンを落とた。
「深刻な病気でも見つかったのか?」
大城はかぶりを振った。
「この装体じゃ、そんなもの滅多にならない。お前も分かっているだろ。もし見つかったとしても、彼らに頼ればいいだけの話だ。もう三十二だっていうのに、相変わらず心配性だな」
過酷な宇宙環境に適応するため、全身を培養強化細胞に換装し、一部を機械化するのは今や人類の常識だった。
「じゃあ何だ? 言い渋るなんて、らしくないじゃないか」
大城は少しの間喉の奥で唸りながら後頭部をポリポリ掻いていたが、やがて観念したように口を開いた。
「桐木が結婚する」
それはまさに不意打ちだった。
一瞬装体が硬直したが、島崎はすぐに気を取り直しグラスに口をつけた。
桐木遥。彼女はかつて、島崎の恋人だった。
子供の頃から知り合いの、いわゆる幼馴染みというやつだ。
「そうか。めでたいな」
やっとそれだけ島崎は言い、どこに留めていいか分からない視線は、バーの一面を形成する展望ガラスの向こう側へ吸い込まれて行った。
地球。
島崎と大城、そして遥の生まれ故郷。そして、一度は絶滅しかけた人類の母星。
今やその姿にかつての面影はなく、すっかり小綺麗な星になってしまった。
──今から二百年前。人類は第四次大戦に突入した。
結果、世界人口は十億人を下回り、死んだ大地と海だけが残った。
地表は汚染され、疫病が蔓延し、人工知能とバイオテクノロジーを組み合わせた生物兵器があらゆる空間を跋扈する。
そんな崩壊した文明の中、汚染物質を体内に溜め込んだ人間は遺伝病により健康な子供を産めなくなり、出生率は低下の一途をたどった。
遠くない未来、人類は絶滅するだろう。
誰もがそう思っていた時、彼らはやって来た。
太陽系外から、突如地球に現れた彼らは、その高度なテクノロジーで人類に救いの手を差し伸べた。
人類。そして地球。それらが抱えていたあらゆる問題を二十年のうちにたちまち解決し、そして人類がかつてのそれ以上の文明を取り戻した後も、彼らは人類に繁栄の手がかりを与え続けてくれている。
「桐木の結婚相手は、彼らだ」
大城は独り言のように言った。
「彼らに元々結婚という概念はない。結婚はあくまで形式的なもので、彼らも結婚を一種の儀式のようなものと了解している。しかし、桐木はそれでもいいらしい。分からねえもんだ」
そこまで言って大城は黙った。島崎も何も言わなかった。
どれくらい時間が経っただろう。
だしぬけに大城が言った。
「お前、休暇を取れ」
「何だって?」
「休暇だよ。しばらく仕事を休め。別に、構わないだろ。輸送船は離着陸まで完全自動操縦だ。運送ルートも秒刻みでどこをどう通るかまで決まってる。以前お前が言っていたことだ。だから何千万といる運送パイロットが一人いなくなったところで、彼らの迷惑にはならない。むしろ、余計な心配までしてくれるさ。彼らは呆れるほど親切だからな」
そう言って大城は残りのビールを一気に飲み干した。
「おいおい。一方的じゃないか。大体休暇って、何をするんだ」
「旅行だよ」
「旅行? どこへ?」
「過去だ」
「冗談を言うな」
島崎は突っぱねたが、大城は撤回しなかった。
「とあるツテで、時間遡行ツアーの席が手に入ってな」
「とか言いながら、実は怪しい実験とかじゃないだろうな」
大城は地球科学技術研究所の所員だった。
大城は横に首を振った。
「主催するのは彼らが運営する旅行会社だ。時間遡行ツアーを、これから地球人向けに提供する商品の一つにする気らしい。ツアーを経験して、その評価をしてくれる人類を募集している。それを元にプロジェクトの最終調整をしたいんだそうだ」
「ほら見ろ。やっぱり実験みたいなものじゃないか。そもそも、時間遡行なんて可能なのか?」
「死にかけの惑星をたった二十年で再生した彼らだ。俺は疑ってない。お前もこの二十年間、その目で見てきただろう」
「まあ……今さら彼らの科学技術を疑っちゃいない。しかし、タイムトラベルなんて流石に突飛だ。自分が時空を飛び越えるなんて、にわかに信じられない」
「正確には飛ぶのは意識らしいがな」
「意識が?」
「ああ。だから飛んだ先でツアーを経験するのはその装体ではなく、生身のお前ということになる」
「ちょっと待て。生身? 換装する前の体になるのか」
「そうだ。何しろ今回向かう先は、二十年前の地球だからな」
◯
地球衛星軌道上にある巨大宇宙ステーション「コクーン」 。
大城と別れた後、島崎はコクーンから定期船に乗って地球に降り立った。
空港近くに宿はとってあった。
久しぶりの地球だったが、特に出歩くこともなく島崎はホテルにチェックインした。
部屋に入り、シャワーを浴び、ろくに食事もとらないままベッドに身を投げ出す。
目を閉じると、瞼の裏に二十年前の景色が蘇って来た。
塵と分厚い雲に覆われた仄暗い地上。
陥没した道路。
路肩に積み重なった瓦礫の山。
崩れかけのビル群。
ぐにゃり歪んで横倒しになった電波塔。
家屋を押し潰す鉄道車両。
墜落した戦闘機の残骸。
全てのものが埃っぽくくすんで、生命活動を停止しているように見えた。
自給自足の生活で、争いが絶えず、異常気象に晒され、常に命の危険と隣り合わせだった。
人々の目はギラついているか死んでいるかのどちらかで、誰も心から信用してはいけなかった。
――しかし。
しかし、そんな時の中を、島崎は大城とそして遥と、いつも三人で笑いながら駆け回った。
大人たちに見つからぬよう居住区域から抜け出し、汚染された区域に入り、掘り出し物がないかよく宝探しをした。
新しい死体を見つければお祭り騒ぎで、こわごわそれを漁り、役に立つものが見つかれば三人で互いの成果を称え合った。
目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。
島崎はベッドから降り、窓の遮蔽機能をオフにした。
ホテルの前は広場になっていて、雲一つない空から差した太陽光が、そこにある木々の緑を照らしている。
その景色が、いやに目に眩しい。
いつだったか。
地球で遙と一緒に夜景を見に行った時のことが思い出された。
「ここは月が見えすぎるわ」
彼女はそう言った。
「だから、私たちももう終わりにしましょう」
島崎は洗面所に入った。
顔を洗い、伏せていた頭を上げて鏡に映る自分の顔と向かい合った時、別れ際に大城が言った言葉が蘇った。
――お前、最近笑ってるか? いや、少し気になってよ。お前、俺と話してる間ずっと、ぴくりとも表情を変えねえから。
寝室に戻りベッドに腰掛けた島崎は、脳信号で通信機器を呼び出した。
プレーンと呼ばれる半透明のメディアディスプレイが顔の前の空間に立ち上がると、島崎は同じく脳信号で文字を入力して大城の名前を検索し、音声通話を繋いだ。
三コール目で出た大城に島崎は言った。
「旅行に行くことにするよ」





