4-03 聖女の愛娘
――私は聖女にはなれない。
けれど、どうしても聖女になりたかった。母のような魔術で人を助けられる聖女に。
私は聖女にはなれない。
母に憧れていた。
王室付き筆頭魔術師、そして魔術騎士師団長である母は学生のころから魔術の才能を認められ、聖女と呼ばれていた。
それを知った私は憧れのままに、私もお母さんみたいな聖女になる! と魔術の勉強に勤しんだ。
壁はすぐに現れた。根本的な話だ。
私の身体は強い魔力に耐えられない。
高い魔力とそれを操る器用さは持ち合わせたが、魔力と体力が余りにも釣り合わない。
大きな魔術を使うと私の身体は悲鳴を上げる。
強い魔力は母からの遺伝だろう。魔力に耐えられないこの軟弱な身体はおそらく顔も知らぬ父からの遺伝だ。
――――――
おつかいと手紙を受け取りに出かけた。
日が沈むと冷え込みが一段と激しくなってきた。上着の隙間から吹き込んでくる風が容赦なく体温を奪っていく。
通りの奥に家が見えてくると自然と早足になり、最終的に駆け足で玄関に滑り込んだ。
家の中では、いつもより早く帰ってきた母がシチューを温めていた。熱魔法を使っているのか、室内の暖かさにほっと息をつく。
「お母さん、パン。ラスト二個! セーフだったよ」
そう言いながら、テーブルにパンを置き、マフラーを玄関のすぐ横のラックにかける。
「よかった。すぐに晩御飯にしましょうね」
母がほほ笑む。テーブルにシチューの皿を置いた小さな鈍い音が心地よかった。
夕食後、母の隣に座るって今日あったことや知ったことを話すのは日課だった。
「お母さん。向かいのおじさんがね。色々教えてくれるんだ。王族の人って、一目でわかるんだって」
「そうなの」
母の穏やかな相槌は自然と私の口を滑らかにする。
「うん。金髪に紫色の瞳を持つ人は王の血をひく人だけなんだって。特に紫色の瞳は王族にしか現れないって。ほんと?」
「えぇ、そう言われているわね」
「お母さんは、王様にあったことあるでしょ? 本当に金髪で紫色の目?」
私の様子を、母は王様への失礼にあたるわよ、とたしなめながら口を開く。
「星のような金色の髪をお持ちね。目は……そう、ライラックはわかる?」
「この間本で見たよ、紫色の花の木」
「うん。そう。ライラックの花のような色をしているのよ。こんな色」
母がそう言うと、指先を一振りして水球を出した。もう一振りすると次の瞬間透きとおる紫色に変化する。それが小さく分裂して小さなたくさんの粒になり踊り始める。
私はそれをうっとりと眺めていた。
「……お母さん。やっぱり、だめ?」
主語も何もない言葉でも、母には伝わった。
「あなたを弟子にはしない。そう言っているでしょう……」
もう何度目かわからない母からの言葉に、不満を隠さず顔に出す。母はいつも通り困ったように眉間にしわを寄せた。
「リーナ、あなたには高度な魔術は危険すぎるの。わかって」
そう言って母は私の頭をそっとなでる。私よりも悔しそうな顔をするから何も言えなくなる。
魔力耐性の低さを改善する研究をしてほしい、母を超える魔力を使えるようになれば国の利益にもなるはずだ、そう懇願した私に母は横に首を振った。
「お母さんにはできないの」
母は謝りながら私の頬に触れる。心地よいぬくもりを感じながら、私の心は大荒れだった。この問答も何回目かわからないのだ。
そして母ができないと言うならこの国の魔術師では誰もできないしやらない。
今日はこの繰り返し続けた問答に終止符を打つのだ。
「じゃあ、私が自分で見つける」
今日受け取ったばかりの手紙を見せると、母の目が驚きで見開かれる。
これは王立魔術学校の入学許可証だ。
「なんで……」
母は平民出身らしいが、私に貴族と同等の教育をしてくれていた。家庭教師をつけ、マナー講師をつけ、仕事が立て込むときはお手伝いさんもいた。
しかし、魔術と学校に関しては情報を制限していた。
そして私たちの家は、貧民街近くの裕福とは言えない人々の住む区画にある。近所に住む人たちもあまり魔術や教育に詳しくない。
私が知れることは母の手によって統制されていた。
だから、母には私の行動すべてが予測の範囲内であるはずだったのだ。
今この瞬間までは。
「向かいに越してきたおじさん。元先生なんだって。色々教えてくれたよ」
母は忙しく、近所づきあいは私かお手伝いさんがやっていた。
最初はただの偶然。近所の子供たちに勉強を教えているおじさんに声をかけただけ。私の身なりや言葉遣いに驚いたおじさんはすぐに学校の存在や王立魔術学校には平民にも試験の門戸が開かれていることを教えてくれた。
お手伝いさんも母の息がかかった人だっただろうが、おじさんと私が手を組めばごまかすのは簡単だった。
「……マリ、しょうがないわね」
お手伝いさんの名前を恨めしそうにつぶやきながら額に手を当てる母。お手伝いさんが少々のんびりおっとりしているのは母も承知の上だ。
「平民の特待生枠で受かった。お金はかからない、寮にも入れる。成績を維持できれば三年目から研究費が出る」
入学許可証と別に入っていた詳細を見せながら言う。母の顔はずっと険しいままだ。
「だめよ」
「なんで」
詳細を読むことも、考えるそぶりもせずに首を横に振る。
「危険すぎる。絶対に許さない」
成長すれば母の最大値を超えると言われている魔力を使いこなせないのは、筆頭魔術師としてはとても悔しいことだと以前、母は話してくれた。しかし、それと同時に、私が苦しむ姿も見たくないと。
その結果が、この家で私を飼い殺しにすることなのか。
「学校に行きたいの」
「学校に行きたいなら、街の平民学校でいいじゃない」
「そしたら、王室付き魔術師にはなれない」
私の言葉に母の目の色が苛烈なものに変わる。しまったと思った時には遅かった。
「だめ! 魔術師なんて許さない! あなたは絶対に王城には行かせない!」
王室付き魔術師になりたい。いつからか、私がそう言うと母は烈火のごとく怒鳴るようになった。しかし、もう後には引けないのだ。
「王室付き魔術師には日常的に魔術を使わない部門もあるって言ってた! 魔道具部門も医療部門だってある! 何がそんなに気に食わないの!?」
「あなたのためなの!」
母が一段と大きな声を出す。これ以上声が響けば近所迷惑だ。
「お母さん。……私はこのままここで一生過ごすわけにはいかない。魔術師がだめなのはわかった。でも、王立魔術学校を卒業していればできる仕事がけた違いに変わるの。街の学校に行くよりも。それはお母さんもわかるでしょ?」
声を荒げないようにゆっくりと話せば、母の表情も少し落ち着いてくる。これなら説得できるのでは、そう思ったのは束の間、すぐに首を横に振られる。
「あなたは、だめなの」
「……なんで?」
頑なに私が外の世界に出ていくことを拒む母にだんだんと不信感が募っていく。強い魔力に耐えられない身体を心配してくれているのはわかるが、それは大きな魔術を使おうとした時だけ。学校の初等教育で学ぶようなレベルの魔術は体内の魔力を外に出すため定期的に使うよう求められていた。それに、魔力量が足りなくて魔術が使えない場合もあるため、魔術学校は座学にも力を入れている。魔術を使えなくても通うことは可能だと持っていた。
なぜ、そこまで? そう思ったところでふと気が付く。
絶対に王城には行かせない、という言葉。確かに、王城外の訓練や業務には連れて行ってくれることがあったが、王城の中には入ったことがない。身分の関係だろうと気にしたことはなったが、数回あった母の部下の子は慰労会など家族同伴が許される会で招待されたことがあるらしかった。
玄関に置かれている帽子やマフラーが目についた。守りの魔術がかかっていると言われ、出かけるときは必ずどれかをつけるよう言われていた。
そして、肌身離さずつけていなさいと言われているネックレスや指輪もある。
「……お母さん。守りの魔術って、どんな効果なの?」
母の顔からさっと血の気が引いていく。これだ。
「お母さん。このネックレス。外してみても、いい?」
母は何度も首を横に振る。それに罪悪感を感じながらも私は身につけていたお守りを全部外した。
特に異変は起こらない。けれど母の顔色はとても悪かった。何から私を守ろうとしていたのだろう。
母は何も起きなかったからか、力が抜けて床にへたり込んでしまっていた。
「なにも、起こらないよ。大丈夫」
そう言って助け起こそうと腰をかがめたとき、私の視界に入ったのはいつもの黒髪ではなく見慣れない金色の髪だった。
「え?」
思わず私は姿見のある部屋へと駆け込む。
「……ライラック」
――金髪に紫色の目は王家の証。
鏡の奥に、母に似たという黒髪に、父に似たという茶色の瞳の私はいない。
代わりに、金髪に紫色の目をした私が驚いた顔をしてこちらを見ていた。