4-22 俺を好きすぎる幽霊と僕の日常〜想いのルーツを求めて
高校生の淳也の日常はある夜、記憶を失った幽霊・美咲との出会いによって一変する。美咲は自分がなぜ幽霊になったのか思い出せず、ただ一つ、淳也に対する強い好意だけが残っていた。
淳也は、美咲が幽霊になった謎を解明する過程で次第に彼女に惹かれていく。同時に美咲の未練を解放し、彼女を安らかな眠りへと導こうと奮闘する。しかし、その過程で彼は疑問を抱く。「美咲は本当に死んでいるのか?」と。
美咲の過去に隠された真実を徐々に解き明かすうちに、淳也は彼女との別れを避けようと必死になる。美咲の記憶が完全に戻るその時、淳也と美咲の運命はどうなるのか?
二人の間に芽生えた特別な絆が、彼らの未来をどのように変えるのか。
暗闇の中、俺は何かがおかしいと感じた。
いつも通り、就寝時刻になり、俺は自室でベッドに潜り込んで眠りについた。
「ん……?」
明晰夢——つまり、夢だと自覚している夢——を俺は見ていた。
——けれど。
この夢は、あまりにもリアルだった。ベッドで横になると、俺の隣に女の子がいた。彼女の息づかい、肌の温もり、甘い匂いが漂っている。
「こんばんわ、淳也くん」
見ず知らずの女の子が俺の名前を知っている。
やっぱり夢だと思った。
その表情は清楚で美しくて、でも会うのは初めてじゃないような不思議な感覚を覚える。
「えっと、君は……?」
「私は須藤美咲っていう名前みたい」
「みたい、ってどういうこと?」
そう問いかけると、美咲はちょっと困ったように眉を寄せてから学習机の方を見た。
美咲の視線を目で追いかけると、暗い部屋でもぼんやりと机の上にある制服が見える。比較的近い私立高校の制服だ。
「制服の裏側にね、須藤美咲って刺繍されていたの」
思わず視線を目の前の美咲に合わせる。長い黒髪に、柔らかな肩のラインや鎖骨が見える。素肌はとても滑らかで柔らかそうだ。そこから漂う甘い香りはボディソープのものか、あるいは香水だろうか?
「ちょっ? どうして裸なの?」
「えっと……男の子はこういうのが好きかなって!」
「いや、嫌いでは——」
ない、そう言いかけて慌てて口をつぐむ。
危ない女だ。俺の本能がそう告げている。これが普通の夢であれば、本能のまま彼女に襲いかかっても良かった……いや良くないか。
夢にしてはリアルな感触や匂いなどが生々し過ぎる。
これが現実で、目の前の美少女が実在し俺の部屋だけでなくベッドまで裸で侵入している。
俺は妙に冷静に考えることができてしまった。
「うーん」
「やっぱり……ダメですかね」
しゅんと少し寂しそうな表情を浮かべる美咲。そんな表情を見てしまうと、俺は慌てて否定の言葉を口にしてしまう。
「いや、そんなことは——」
「幽霊だからですよね?」
えっ? よーく目を凝らすと美咲の顔の向こうがほんのわずかに透けて見えた。
「なるほど……幽霊ね」
「はい。だけど、こうして触れることもできるんですよ?」
そう言って、俺の頬に手を伸ばす美咲。避けることができない。
温かい手で触れられて、俺の胸の鼓動は激しくなる。
「えっ?」
幽霊の手はてっきり冷たいものだと思っていた。けれど、美咲の温もりはあまりにも心地よく、うっとりしてしまう。
気持ちがいい。人肌の温もりが俺を癒やす。
誰かに優しく触れられるとこんなに気分が落ち着くのか、そんな驚きがあった。
「ふふっ……嬉しい……!」
美咲が口元を綻ばせ微笑んでいる。どうして? と聞くいてみる。
「だって、好きな人に触れることができて、しかも淳也くんに喜んでもらって」
「ちょ、ちょっと待った、好きな人?」
俺は美咲の手を掴んで身体から離す。
「うん。どうしてか分からないけど、私は淳也くんのことが好きみたいで。だから、こうしているだけで嬉しいし……もっと……」
美咲の足が俺のそれに絡みつく。熱く、汗で湿っているけどそれがいっそう心地良い。
ゾクゾクと背筋に悪寒——ではなくて電流のような熱い刺激が下半身から脳に流れる。ま、まずい……俺は思わず腰を引いた。
「ちょっと待って」
「私……っ」
なおも畳みかけるように美咲は息を荒くして身体をすり寄せてくる。
「ワア! み、美咲、待って!」
「無理ぃ!」
美咲の唇が俺の顔に迫り触れようとしたタイミングで、突然プツンと音がして視界が真っ暗になった。
唐突に静寂が俺を包み、そこにあった肌の温もりが遠ざかっていく。
俺は明晰夢の終焉に安堵しつつも、ちょっともったいなかったなあと感じつつ深い意識の底へと落ちていった。
朝日を感じて目を開ける。見ると、俺の隣に他人の温もりは存在しなかった。
学習机の上にも女子高生の制服など置いていない。
「ああ……やっぱり夢、か」
なんだかモヤモヤして首を搔きむしる。おかしな夢を見たものだ。記憶の中の感触を振り払うように俺はベッドから起き上がる。すると、
「淳也くん、おはよっ!」
昨日感じたふわっとした香りが俺の鼻をくすぐり、手を握られる感触があった。
目の前に、制服を着た美咲がニコニコと満面の笑顔を浮かべていた。
「えっ、まだ俺は夢を見ているのか?」
ぎゅうっと頬をつねると痛い。現実の痛みに顔をしかめ涙目になりながら、改めて美咲を見る。
制服をまとった端整な顔立ちに美しい黒髪。透き通るような白い肌が朝日に輝いている。
胸もその大きさを衣服の下から主張している。昨日はぼんやりとしか見ていなかったけど……大きい。
「ふふっ、夢じゃないですよ」
悪戯っぽく微笑む美咲は、生身の人間にしか見えない。しかも俺の手をぎゅっと握っている柔らかい感触まであるのだから恐ろしいことだ。
俺は思わず身を引きながら尋ねる。
「美咲は昨日の幽霊?」
これが現実だと言うなら俺は今、大声を出して叫びそうなのだが2回目だけあって落ち着いていることができた。
女の子にこうやって近くに来られること自体は慣れないので、心臓はバクバクしているけど。
「はい……その、昨日はとても恥ずかしい姿を見せてしまって……ごめんなさい。引いていませんか?」
なんということだ!
夜はあんなに積極的というか乱れていたのに、今は制服に身を包みもじもじと恥ずかしそうにしている。そのギャップに俺は不覚にもきゅーんとしてしまった。
「お、俺はそんなこと全然思ってない! むしろ……いい」
思わず興奮したというか……いや、これは俺のキャラに合わない。隠し通さなければならない。
けれど美咲は俺のことなんか気にせず言葉を続けた。
「よかったー。ホント、嫌われてないか心配で心配で……。それなら大丈夫ですね、淳也くん!」
そして勢いよく俺の胸に飛び込んできて、スリスリと頬を胸にすり寄せる。
「えっ、ちょっ」
今はそれどころじゃない。学校に行かなければ遅刻してしまう。皆勤賞を狙う俺は彼女を遠ざけた。
どう考えても厄介なことになる。そりゃ、女の子の体に興味が無いわけではない。
相手は幽霊だ。取り憑かれたりしたら厄介だ。生気を吸われたりとか。神社に行ってお祓いして貰うことも考える必要があるだろう。
でも不思議と疲れは取れているし、肌は温かかったし、美咲からは邪気を感じない。しかも、可愛らしい女の子だ。
何者で、そもそも本当に幽霊なのか?
「……考えても仕方ないな。ん?」
翔太は着替えながら、美咲がじっと見ていることに気づいた。
「えっと、見ないでもらっても?」
そう言うと、美咲は慌てて手で目を覆う。
「ごめんなさい! 幽霊だけど、マナーは、だ、大事だよね」
俺の裸を見られたことが嬉しいのだろうか? 口元がだらしなく緩んでいる。それでも可愛らしく許せてしまう自分自身が憎くなった。
「じゃあ、学校行くから」
俺が準備を終え家を出る。両親は一緒に住んでいないから朝食の準備など無いし今日はそんな時間もない。
そして、後ろを振り向くと……ふよふよと宙に浮いている美咲の姿があった。
「学校にもついてくるの?」
「もちろん!」
美咲は明るく答える。
どうやら、美咲は俺以外には見えないようだ。だから空中に向かって話しかける俺に通行人の視線が集中する。
俺は溜息をつき、極力話しかけないように歩くことにした。
そして、人通りの多い交差点に辿り着いたとき、急に美咲に腕を引っ張られる。
「おい、どうした? 青信号だけど」
「ダメ……です。また車が来ます」
「え?」
初めて見る美咲の真剣な表情に俺の背筋にゾクッとした感覚が走った。
嫌な感じだ。と、気付けば小学生くらいの女の子が俺を追い抜き、横断歩道をわたっていくのが見える。
世界がスローモーションに動き、俺は美咲の腕を振りほどき走り出した。視界の端に、信号無視のトラックがツッコんでくるのが見える。美咲の言葉の通りだ。
「待っ……」
美咲の悲鳴を聞きながら、俺は猛然と走り出し女の子に追いつく。そしてすぐにキィィィィン……と車が急ブレーキをかける音が聞こえた。
気付けば、俺は小学生の女の子を抱き、走り出した真後ろにトラックが停止していた。
あと一歩遅ければ今頃俺と女の子はどうなっていたか。いや、美咲が警告を発しなければ俺は歩いていただろうしトラックに気付かなかったかもしれない。
俺たちは、平謝りをするトラックの運転手を後目にその場を立ち去る。女の子も俺も無傷だったし、念のため連絡先だけ交換するだけで警察を呼ぶようなことはしなかった。
「ありがとう、おにいちゃん!」
女の子が見上げるので俺はしゃがみ込み頭を撫でる。どうやら怖い思いもしなかったようだ。
「青信号でも気をつけてね」
「うん!」
笑顔で立ち去っていく女の子を見送ると、入れ替わるように俺の胸に美咲が飛び込んできた。
「ああああっ! 淳也くんが助かって……よかったっ!」
美咲は取り乱し泣きじゃくる。どうしてこんなに取り乱す? 助かるって何だ?
俺は違和感を抱きながらも、その悲しげな表情に見覚えがあることを思い出す。
いや、でも仮にそうだとしても葬式があった様子はなく死んだという話も聞かない。たぶん人違いだ。
それでも確認したいことが色々ある。
俺は皆勤賞を諦め、美咲が落ち着くのを待ったのだった。





