4-20 天使に神と俺。
他人の人生を背負えるほどおれは強くない。
だから書くのをやめた。
『この物語は偽物です』
職員室。頭を下げた先で座っているのは、今年赴任してきた国語教師だ。彼女は無言でおれの読書感想分を眺め、顔をあげる。真顔だった。怒りでも困惑でもない、品定めをする目。
「なあ三笠井。私は新学期最初の課題に読書感想文を出せと言ったんだ。これは感想じゃなくて事実を述べただけだ。いや、事実というのはおかしいか。この本は実話のはずだが?」
「おかしくないですよ。おれが体験していないことは、おれにとっての本物にはなり得ない」
「他人事というわけか。それにしても、もう少しなにかないか?」
「そうですね……感想文とは名ばかりで、コンクールで入選するのは、本の内容と自身の経験を紐づけた随筆です。もっとも、四月という時季外れの感想文。おおかた、担当する生徒がどんな人物か感想文で評価するつもりでしょう。それなら、おれがどういう人物かこれで充分わかるでしょう」
随分な言い方だな、と自分でも思う。決して教師に反抗したいわけではない。以前のおれなら、模範的な感想文くらい適当に書いて提出していた。けど今は、上手く筆が進まない。
「なんだ、バレていたのか。ま、たった感想文で充分と言えるほど理解は出来ないよ。せいぜい君が、他人と距離をとりたがっている、くらいだ」
呼び出しをくらった時は怒られると思っていたが、そうではないらしい。先図星をさされ、どうして、と聞き返しそうになったのを寸でのところで呑み込む。
こっちの焦りに気付いているのかいないのか、彼女は感想文に目を落として続ける。
「授業態度、小テストの結果も悪くはない。むしろ良く出来ていた。グループワークも問題ない。強いて言うなら――」
まだ一回しか授業を行っていないのに、この人はどこまで見透かしているのだろう。悪意も強要も感じない。淡々と述べられる事実が、彼女との距離を縮めさせる。プライバシーなんてない、土足で踏み込まれる恐怖。
「あ、あの!」
職員室にいた他の教師がいっせいに俺を見た。気まずさで肩を竦めていると、ほどなくして複数の視線が消える。改めておれは、目の前にある視線と向き合った。
「もう帰ってもいいですか?」
「ああ。気をつけて帰れよ」
あのまま話を続けているのが怖くて、足早にその場から離れた。再提出を求められることはなかった。職員室を出るときにちらりと見えた教師は、既に感想文やおれへの興味を失っているように感じた。
学校を出て、商店街を抜け、駅の改札に定期を通す。タイミングよく来た電車に乗って、詰まっていた感情を吐き出すように大きなため息が自然と出た。それだけで気分が晴れるわけもなく、何となしにスマホを取り出して溜まっている通知をひとつずつ消していく。
ゲームのイベント告知、親友への返信、バイト先へのシフト提出……最後に残ったメールアプリを開く。登録してある三つのアドレスのひとつ、今は使っていない仕事用フリーメールに受信があった。
中学生のとき、趣味で書いた小説をネットに投稿した。今読み返せば拙い作品だが、おれは恵まれていた。絵を描いてくれる親友がいて、続きが楽しみだと感想をくれる読者がいて、何よりおれ自身が執筆を楽しんでいた。書籍化の依頼がきて、他にも幾つか本を出して、売れた。
順風満帆だった生活は、高一の秋に突如崩れた。
あの事件以来、物語を書けなくなった。他人も、自分の気持ちも言葉に出来ない。何を考えているのかも分からない。おれの人生に誰かを巻き込むことも、他人の人生に巻き込まれるのも怖くなって、社会から距離をとった。
今は、ある人のおかげで少しずつ社会復帰に向けて頑張っているけれど――。
嫌なことを思い出して後悔する。大丈夫。ただの依頼のメールなら断ればいい。
ご依頼。と件名がついた新着メールを開く。画面を下へスクロールして概要を眺める。
『あなたは神によって選ばれました。人の心に巣食う影を倒す者—―』
あほくさくて読むのを途中でやめた。ただのいたずらメール。緊張したおれがバカだった。メールをゴミ箱に入れてスマホを閉じた。
× × ×
「ただいま」
どこにでもある閑静な住宅の、どこにでもある一軒家。両親は仕事で家には誰もいない。そのはずだった。
「おかえりなさいませ」
「あ、えっと……すみません、間違えました」
女の子がいた。知らない女の子だ。
開けたドアを閉め、数歩下がって家を見渡す。2階の窓際から外を眺める人形。三笠井と書かれた表札。手元には今しがた開閉したばかりのドアの鍵。間違えてなどいない、どう見ても俺が住む家。
今の子誰??????
人の顔と名前を覚えるのは得意な方だけど、先の女の子は記憶にない。親戚でも友達の友達でも見たことがない。色々と思考を巡らせるが検討がつかない。確かなのは、ここがおれの家で、おれが引き下がる理由はない。思い切って再び家の中へと入る。
実は見間違いだとから幽霊だとかそんなことはなくて、女の子は先程と同じく玄関に佇んでいた。海外の子だろうか。あるいは人形のような。白金の髪に同じ色の瞳。白いワンピースから覗く白い肌は瑞々しい。天使のように可憐な女の子だけど、表情は凍てついた水のように冷たく静かだった。
「えっと、ここはおれの家なんだけど、きみは……?」
困惑するおれに、女の子は大人びた態度で答える。
「申し遅れました。私はアスィミ。神世界にて神様に仕えるーーこちらでは天使と言った方がわかりやすいでしょうか」
「てん、し…………?」
「はい。神様より、本日から山崎唯様と共に堕天使を倒すように命じられて来ました」
「ちょちょちょちょっと待って!!??」
神世界? 天使? 厨二病?? 何より、どうして彼女がおれのPNを知っているのか。小説を書いていたことを吹聴はしていないけど、隠してもいない。とは言え、知っているのは家族とイラストを担当してくれている親友一人ぐらいだ。
色々と気になることが多い、というか気になることしかない。けれど、最初に訊ねたいことだけは決まっていた。
「どうしておれなの?」
「神様が決められたことです」
即答だった。けどそれは、帰結であって理由にはならない。
「神様がどうやって決めたのか知りたいんだけど」
本当に神様がいるのかどうか、そんなことはどうでもいい。いてもいなくても、あのとき神様は助けてくれなかった。
「申し訳ありません。それは私の知るところではないのです」
彼女が何をしたいのか分からない。単純に考えるならば遊び相手が欲しいのだろうか。ここは相手に合わせて話を聞いてみることにした。厨二病キャラを書いたことはないけど、彼女の世界に合わせてあげれば、こちらが無理に厨二病を貫く必要はないようだった。
曰く、堕天使とは、人の負の感情を拠り所にして人に害を成す存在。
曰く、負の感情の元になる悩みを解決すれば堕天使は消える。
曰く、おれの作品は人のこころの描写に富んでいる。かつハッピーエンドが基本。
曰く、そんなおれに堕天使退治を手伝ってほしい。
概要はそんな感じだった。細かい設定まで練られており、設定づくりが苦手なおれは思わず感心した。
けれど、これ以上彼女の手伝をすることはできない。
悩みを解決するということは、相手の人生に踏み込むということだ。
おれはもう、他人の人生に巻き込まれるのもごめんだ。同時に、誰かを自分の人生に巻き込みたくない。
そのせいで――おれのせいで、あの日妹は死んだのだから。





