4-19 千と一人の勇者の話
その勇者は、誰もが知っていて、誰も姿を見たことが無かった。
その勇者は、魔物を駆逐し苦しむ人々を次々と助けたが、誰も顔は知らなかった。
その勇者は、腐敗した王国を立て直し人々を救ったが、誰も知らぬ間に消えていった。
ある者は壮麗な騎士のようだったと言い、ある者は妖艶な魔女に見えたと伝え、ある者は巨躯のオーガーであろうと語った。
誰も知らない。
しかし、確かに国と人々は救われたのだ。
それでは、その伝説の勇者の話を始めよう。
ガンド・グ・ランド王国の西の果て。人の往来も殆どない山間の小集落。
その村長代理となったダンが村人たちの中から進み出た。薄い革ジャケットのみすぼらしい姿だ。
17歳のダンだが、村長である父親の代わりになる者は自分以外にはもう居ない。村人は皆、高齢か子供で寒村を背負うにしても荷が重い。かといって、ダンにとっても毎年行われるこの『冬越し』に応対するのは恐怖だった。
「なんだ、このゴミは」
見るからに山賊と思しき15人。その頭がダンが差し出した小袋を一瞥する。
「……かき集めてもこれだけしか無いんです」
体格のいい頭は、ダンの差し出した小袋を汚い剣で叩き落とすと、
「辺境警備隊をなめてんのか」
臭い息をダンに浴びせた。
「ご厚意で護ってやってるとでも思ったか。山賊どもがここになだれ込んできても知らんぞ」
(お前たちが山賊じゃないか)
でも、こいつらを追い払う力は村にはない。
神経質そうな男が横手から現れた。
「おう、魔法使いの先生。護衛代になりそうなもんはありましたかい?」
魔法使いの先生と呼ばれた男の背後から一人の子供が引きずり出されてきた。12、3歳くらいの少年だ。
村人たちに動揺が広がる。
「お、弟がなにか……?」
魔法使いはニヤリと笑みを浮かべた。
「去年は気が付きませんでしたが、これ、妹さんですね?」
「ぼ、僕には姉と弟しかいません」
その姉もこいつらが連れて行ったのだ。
「お姉さん同様に、よい胸に育ちそうです。お見せしましょうか?」
服を破こうと手を伸ばす魔法使いに必死に抗う少年――いや、少女。
「おにいちゃん!」
普段なら鈴を転がすような声だったろう、今は魂ちぎれるような悲鳴にしかならない。
ダンは地面に崩れるように両膝をついた。
「……エリー」 絞り出すように妹の名を呟く。
「おにいちゃん! 大丈夫だから! わたし大丈夫だから! みんな、安心して! 元気で!」
髪の毛を掴まれ連れ去られるエリーの声が小さくなっていく。
「あの姉ちゃんの妹だ。いい儲けになってくれるだろうぜ」
小さな子供が飛び出してきた。
「おまえたちなんか、レオーネさまがやっつけるからな!」
3年前両親を失ったテッドだった。
「ダン! あの時、言ったよね? とうちゃんかあちゃんのかたきをうちに、ゆうしゃさまがきてくれるって! ともだちのゆうしゃさまがたすけてくれるって!」
山賊たちは一斉に大笑いした。
「こりゃおもしれぇ!」
このままではみんなが野垂れ死にしてしまう。エリーも連れて行かれた。
この時のダンは冷静さを欠いていた。もう失うものはない。
これが、伝説の始まりだった。
「……そうだよ」
山賊たちを眼から血が噴き出るかのごとく睨みつけるとザクリと立ち上がった。
「頼りたくはなかったけど、お願いした」
嘘だった。幼い子供たちにこの辛い現実を忘れさせるための作り話だった。
「レオーネがもうすぐ村に来てくれる。立ち去った方がいい」
ハッタリだ。緊張の度を越えたせいか、ひきつった笑みが浮かぶ。
「おー怖い怖い。勇者様にやられちまう」
山賊たちは大笑いしながら、「つまみになるもんを洞穴まで持ってこい」と言って立ち去った。
村外れの森に昔、狩りの休憩に使った洞穴があった。中は小屋程度の広さがあった。山賊たちはこの村に来るとそこに居ついて騒ぐのが常だった。
その洞の上にダンと二人の老人が居た。
真下が洞穴の最奥となる位置だ。一度崩れた天井穴を岩でふさいでいる。
山賊たちはこの場所を知らない。ダンも知らなかった。
そばを小さなせせらぎが流れていた。
「昔は、そこから洞穴に水を引いて床を洗い流したんじゃよ」
この場所を教えてくれたヨシュア爺さんが遠い眼をする。
ダンの横には老いぼれたロバと小さな荷車があった。荷車の上には薪束と油樽。そして人間サイズの木彫りの人形が一体、載せられていた。
(冬も越せずに飢え死にするだけじゃ、もう薪も油もいらんじゃろう、使ってくれ)
村の老人たちから託されたものだった。
「この人形は息子が売り物にと……出来上がる前に死んだ……形見みたいなもんだが、火付けの棒くらいにはなる」
もう一人の老人、ジム爺さんはボソボソと語るとポンと人形を叩いた。
「誰も怖がって何もできんかった。いや、何もしようとしなかったんじゃ」
「……ダン、すまんな。もっと前に大人がやっておくべきだった」
「こっちこそ、ごめん。でまかせだったのにこんな事になってしまって」
ダンの言葉に、
「最期に少しでも反抗しようとしたことが、誇りってやつじゃよ」
「……嘘から出た真実という言葉もある……テッドが信じてくれるといいが」
と答える二人だった。
上にヨシュア爺さんとロバ、油樽と木彫りの人形を残し、ダンとジム爺さんは荷車と共に洞穴の前に下りた。少し離れた森の陰で待機する。
洞穴の横には山賊たちの馬と荷馬車が停めてあり、見張りが二人座っていた。
荷台には各地で強奪してきた酒や食料、そしてエリーが縛られて寝かされている。
見張りの二人の声がダンの耳に聞こえてきた。
「いつもより賑やかっすね」
「ああ、あのガキがいい掘り出しもんだったからな。酒が旨いんだろ」
そう言うと二人は炒った木の実を口に放り込んだ。
「村の連中が持ってきたこいつ、旨いすね」
イーゴラの実だ。苦くて食べられないとされるが、婆さんたちの知るある処理をしてから口に含めば少量の酒精でも酩酊できると伝えられてきた寒村ならではの生活の知恵であった。
それをあんなにぼりぼりと……作戦通りだ。
「おーーい! 酒えぇ持ってこぉおい!」
洞穴の中から泥酔した怒鳴り声が聞こえてきた。
「新入り。俺が持っていくから、ちゃんと見張ってろ」
「ずるいっすよ、アニキ。俺も一口くらいでどうにかなる……行っちまった」
見張りの一人が洞穴に入るのを確認すると、新入りの方も荷馬車の樽から酒をすすり始めた。
ヨシュア爺さんが洞穴の中に水を流し込み始めた。排水の溝を通り、騒いでいる連中の知らぬうちに洞穴の出口まで流れ出てきた。その上に油を流すのだ。
ダンとジム爺さんは懐から角笛を取り出し口にくわえると、力いっぱい叫んだ。
「レオーネだああ!」
角笛を通していびつに歪んだ咆哮が夜の森に響く。
見張りの新入りが飛び起き、確認もせずに酔った足でふらふらと洞穴に飛び込んだ。
「れおーねです! れおーれがきました!」
「ジム爺さんはエリーと馬車を頼みます」
ダンはそう言うと、薪束に火をつけた荷車を洞穴の出口に突っ込ませた。
「いいか、テッド! レオーネは嘘だ! でも、勇者じゃなくても敵討ちはしてやるからな!」
溜まっていた水の上に浮かんだ油に火が移ると、炎がメラメラと洞穴内の溝を走っていく。
油は水に浮く。火をつけると燃え広がるのはあっという間だった。
「なんじゃこりゃああ!?」
それほどの炎ではないはずだが、酩酊した山賊たちの混乱はすさまじかった。
誰かが転倒し火が服に燃え移った。恐怖の叫び声があがる。
逃げ出そうと洞穴の出口に殺到すると、燃え盛る荷車が目の前に。さらに荷馬車が出口を塞いでいた。ダンとジム爺さんが馬を使って移動させたのだ。
さらに彼らの上から油と燃え盛る木彫りの人形が放り込まれると混乱は最高潮に達した。
山賊たちは火の付いた服を転げまわって消しながら、馬と荷馬車に飛び乗って逃げ去っていった。
一週間ほど経った。
ダンは村から少し離れた町に出かけていた。
旨そうな匂いをさせる店の横をそそくさと通り過ぎようとした時、その店の主と客たちの話し声が聞こえてきた。
「山賊どもが必死になって逃げてきた噂知ってるか?」
「どうやらレオーネとかいう勇者が追い散らしたらしい」
「俺も、辺境警備隊様が酒場で言い訳しているのを聞いたぜ」
ダンは思わず足を止めた。
「魔法使いの先生って奴が言うには、とんでもない上級の魔法を使うらしい」
「山賊風情の魔法使いだろ?」
「いや、中央の、なんとかって偉大な魔法使いの弟子だったらしいぜ」
素行不良で低級のうちに破門されてはいたが。
「そいつが言うには無詠唱で瞬間移動して、身体全体を焔と化す魔法で辺り一面を火の海にしたってよ」
さらに一人が加わってきた。
「高レベルの魔法に地面から火が噴き出て這ってくるのもあるらしいぜ」
「それだ、きっとそれだ」
いつの間にか何人もの人が集まってきた。
(山賊たち……逃げ出したのが恰好悪くて、話を盛ったな)
「おう、噂をすれば。ダンじゃないか!」
「勇者レオーネと友達なんだって?」
「あの山賊どもは俺たちも迷惑していたんだ、せいせいしたぜ」
戸惑うダンの前に酒と肉が置かれた。
「山賊どもを追い散らしてくれたお礼だ。レオーネと食ってくれ」
俺も俺もと次々と目の前に食料が置かれていく。
「今度、レオーネと一緒に来てくれよ。歓迎するぜ!」
嘘なのに。なんとかごまかさねば。
「れ、レオーネは今、依頼を受けたモンスター退治に出かけて……」
本来真面目なダンにはとっさに良い嘘がつけなかった。
「残念。俺たちも困っている事があるんだ。依頼したいから戻ってきたら教えてくれ」
「俺たちも勇者様のためにできることがあれば手伝うぜ」
これは、嘘から始まった存在しない勇者のお話。
人々の願いと勘違いと噂の中で、千の姿で国を救った勇者の伝説だ。





