4-17 100日後に結ばれる魔女と王子 ~なぜ惚れない薬を飲ませたのに求愛するの?!~
16年前までは人間の友人を持ち、度々人間達の所へ遊びに来ていた魔女のデルタ。しかし今や彼女はすっかり人嫌いになり、人里離れた崖の上の家に引きこもっている。
そこに突如やってきたのは金髪碧眼の麗しの王子レギオン。彼は「デルタさん、結婚しましょう!」と熱烈に求愛する。
デルタは彼に「魔女に惚れない薬」を飲ませ、さっさと追い払おうとするのだが……
「僕は貴女が好きです。貴女の薬などなんの役にも立たないくらいに」
「……はっ、くだらんな」(なぜ? なぜ薬が効かないのぉ?!)
どんなに素っ気なくされてもめげない諦めの悪い王子と、態度はツンツンだけれど意外とチョロい(?)最強魔女のラブコメディー。
◇Day.1
魔女デルタは困っていた。
その理由は向かいに座った招かれざる客だ。彼はデルタと目が合うと、美しい顔を柔らかい微笑みに変えた。忌々しい事にこやつは自分が美しい事をおそらく自覚している。そしてその顔を最も効果的に魅せる微笑みの作り方も。
だが困った顔を見せれば、この男は更にそこに付け入ってくるような気がして、デルタは無表情を貫いていた。男は微笑んだまま口を開く。
「ああ、デルタさんはお美しい。ずっと見ていたいくらいだ」
「……はっ、まあな。当然だ」
男に誉められた魔女は、口ではそう言いつつも居心地が悪くなった。尻の辺りがムズムズして、思わずビロード張りのソファに身を沈めたまま脚を組み替える。ほどよい肉付きの白い脚が黒いワンピースに入ったスリットからチラリとなまめかしく覗いた。それを見た男の微笑みがもう少し深まる。
「もしかして誘ってますか?」
「……はっ、そんな訳ないだろう。殺されたいのか」
魔女の物騒な言葉に触発され、男の後ろに控えていた護衛の女騎士がすわと腰の剣に手をかける。それを見た魔女も本当に殺気を放とうとした瞬間、男が片手を上げて騎士を制した。そして魔女にニコニコと語りかける。
「デルタさん、貴女に殺されるなら本望です」
「……」
魔女と女騎士は行き場の無くなった殺気をため息に溶かし、ほぼ同時に「はぁ……」と宙に泳がせた。騎士はその立場から軽々しく男に口をきけない。故に魔女は騎士の言葉を代弁する意味でも言わずにはいられなかった。
「いい加減にしろ。突然やってきては馬鹿なことばかり宣いおって。お前には他にやるべき事があるだろう」
「やるべき事? 今の僕にはデルタさんを口説くより大事なことは無いですが」
「……お前はこの国の王子、それも次の王となる者だろうが。自分でマリアの息子だと言ったではないか。あれは嘘だったのか?」
男は訪問時に古い友人の息子だと名乗ったのだ。確かにその美しい顔も青い瞳も彼女に似ている。魔女が昔交流していた友人マリアは、隣国からこの国の王に嫁いできた王妃であった。……多分16年経った今も王妃の筈だ。国王夫妻が離婚ともなれば、人里離れた崖の上に暮らすデルタの耳にも噂が聞こえてくるだろうから。
「ああ、それは大丈夫です。万事整えてありますから」
王子なら王子の務めがある筈だと言ったのに、それに対する返答が「万事整えてある」とは一体全体どういう事なのか。まるで問答だ。本当に問答をしに来たのなら魔女も暇潰しに相手をしたかもしれないが、この男は会うなり「デルタさん、僕と結婚してください!」と言い出したのだから相手をしてはいけない。よってデルタは「それはどういう意味だ」と言いたいのを堪え、ソファから立ち上がって竈に歩み寄る。
竈に置いていた小鍋の中身はくつくつと小さな泡を生み出していた。魔女はその青色の液体をティーカップに少量入れると、花とハーブと果実を漬けていた水で割る。カップの中身は美しい薄紫色に変化した。
「飲め」
男の前にカップを出す。彼は相変わらず美しい微笑みを崩さないが、後ろの騎士の顔色はこれでもかと言うほど変わった。
「殿下、お毒見を」
「ふふ、そちらから報せもなく突然押し掛けてきた癖に、出した茶に毒が入っているかと疑うなぞ滑稽だのう」
魔女は薄く笑うと出したカップを引き戻し、中の液体を呷った。あ、と騎士から小さく声が出る。
「これでも納得いかぬなら、毒見をしても構わんぞ」
デルタは二杯目を注ぎ、挑発的に女騎士へカップを突きつけた。
「では、失礼致します」
騎士はキッと眉をつり上げ、カップの中身を一気に飲み干す。デルタはニヤニヤしてそれを眺めた。どうせ女にはなんの効果も無いのだから。
「ほぅら、何事もないだろう。さ、次はお前の番だ。飲め」
男にも勧めると、彼はカップの中の液体を一瞥してから、一層笑みを深めてデルタをじっと見つめる。
「なんだ?」
「いいえ、懐かしい色だな、と思いまして」
魔女はギクリと肩をひくつかせた。この色を知っている……つまり、過去に母親に見せて貰ったのか。この薬を。彼女が騙し討ちで薬を飲ませようとした事も見抜かれたか。
しかし男はなんの躊躇いもなくティーカップに口をつけ飲み下した。魔女は自分の思い過ごしだったか、と内心でホッとしたが無表情で無言のままでいる。自然と魔女の居間兼台所はしん……と静かになった。数瞬の後、男は席を立つ。
「デルタさん」
「なんだ?」
男はずい、と魔女に近寄り、彼女の白い手を取ると愛おしそうに己の両手で包み込んだ。
「僕は貴女が好きです。恋していますし愛してもいます。貴女の薬などなんの役にも立たないくらいに」
「……はっ」
魔女は動揺した。やはり薬だと見抜かれていた! いや、それよりも何故薬が効かない?!
「貴女に比べれば僕の生涯など短いものでしょうが、その一生を貴女に捧げます。どうぞ短い時間を僕に与えてくれませんか?」
「……はっ」
男の美しく整った顔、青の真剣な眼差し、熱烈な求愛の言葉、甘さを溶かした声、固く男らしい手指と、それでいて彼女の手を傷つけないように力加減を気遣う優しさ。彼の想いを様々な形でいちどきに浴びせられた魔女デルタは。
「ならん。茶を飲んだのなら帰れ」
無表情で、冷たい声で、彼の想いをはねつけた。
「……そうですか。でも僕は諦めません。また来ます」
「歓迎はしないな。ああ、外の連中にもこれを少しずつ飲ませろ」
デルタは先程の薬をもう一杯ぶん渡そうとする。男は初めて、その美しい顔をほんの少しだけ歪めた。
「少しずつ、ですか?」
「でないとあやつらは寝たままで帰れないだろう」
デルタが居間から玄関へ繋がる扉を顎で示すと、女騎士が無言で頷き、扉を開ける。
「うにゃぁ~デルタ様ぁ……」
「あああ、デルタ様好き好き」
「デルタ様ばんじゃ~い……」
そこには、マタタビを与えられた猫のようにゴロゴロ転がる男達がいた。いずれも男の供として着いてきた従者や護衛の騎士達だ。彼らをチラと見て、男は言う。
「僕としては、薬を少しではなくしっかり飲ませたいんですが。貴女に好意を寄せるライバルはきちんと排除しなくては」
「ははは、お前は知っておろう。これは魔女の魅力にあてられただけだ。歩けるようになり、この家から離れれば自然と覚める」
魔女は稀有な存在だ。人間に対しての魔女の個数が絶対的に少ないのもあるが、その攻撃力もまた、絶対的に違う。魔女が1人いれば屈強な兵士の集団千人にも二千人にも匹敵すると言われている。何故なら単純に強いだけではなく、魔女はそのオーラで近づく男を全て魅了してしまうからだ。
近づけば近づくほど男達は腰砕けになり、何もできなくなる。そうならない為には「惚れない薬」を飲ませるしかない。もっとも、その惚れない薬は魔女本人にしか作れないのだが。
デルタは今、その惚れない薬を作り、腰砕けになっている男達に少しずつ飲ませて帰れ、と言っているのだ。だが王子だと名乗る男は引き下がらない。
「しかし」
「しつこい。今ここで完全に正気に戻らせてみろ。こやつらは魔女に魅了された恥をどう晴らす? おそらく剣を抜き、一気にここが血みどろの戦場になるぞ……ああ、もしや、求婚に来たというのは真っ赤な嘘で、最初からそれが狙いだったのか?」
魔女の黒く美しい目が一気につり上がり爛々と光る。赤く艶やかな唇は裂けるかと思うほど斜め上に引き結ばれた。美しい顔の上にニイ、と恐ろしい笑みが作られたのを見て、女騎士はごくりと唾をのみ腰の剣に手をやる。が、男はそれを再び止めた。
「デルタさん、謝罪します。申し訳ない。そんなつもりは一切ありません。僕が手に入れたいのは強い貴女の力ではなく、貴女の心です」
「……はっ、王子たるものがそんな簡単に頭を下げるものではない」
「いつもの僕ならそうでしょう。ですがここにいるのは王子ではなく、貴女に恋するただのひとりの男、レギオンです」
「……は」
デルタは気づいた。そういえばこやつはずっと自分の名を呼んでいる。ただの一度も「魔女」とは言っていない。まさか、本当にひとりの女として自分を欲してくれているのか。まさか。
「……はっ、くだらんな。甘ったるい言葉はもう聞き飽きた。さっさと帰れ」
魔女はしっしと手を振る。女騎士が他の男達に薬を分割して与えると、彼らは立てるようになったが、まだぼうっとデルタを見つめていた。王子と女騎士は彼らの背中を押しながら玄関から出る。が、レギオンは最後にくるりと振り返り、また美しい笑みを見せた。
「僕は諦めませんからね。覚悟して下さい、デルタさん」
「……はっ、言ってろ」
扉が閉まり、魔法の鍵がガチャリとかかる。
「……」
直後、魔女はのたうち回った。
「なぜ?! なぜ惚れない薬を飲ませたのに……あいつは求愛してくるのぉ?!」
その後の彼女の悶絶っぷりは酷いものだったが、それはまた次の機会に話すことにしよう。
◇
その魔女が棲むのは、深い森の更に奥、険しい崖の上に建てられた小さな家。少し曲がったとんがり屋根につけられた煙突からは、怪しい色の煙が時折ぽうっと上がる。
普段は誰も足を踏み入れない僻地に、これから度々王子は足を運ぶ。彼女を口説き落とすために。
今日はその第一日目。





