4-15 球体関節人形の血は赤いのか。
寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。今宵は奇妙なものをお見せいたしましょう。
なんと球体関節人形がひとりでに動くのです。
彼女は私の兄、赤下コロリが残した傑作です。彼は球体関節人形の名手でした。
彼女を発見した当初、彼女には記憶がありませんでした。では、一体彼女は何なのだろう。元は人間なのか、はたまた人形なのか。思い悩みながらも私の見世で様々な異形の者と触れ合い、彼女は成長していきます。
そうです、これは彼女の成長譚なのです。
お客さんの中にも彼女のことを知っていらっしゃる方がおりましたら是非この後彼女に教えてやってください。そしていつかどこかで私の兄に出会うことがありましたら、これ幸い。
ああ、怖がらないで大丈夫ですよ。お化け屋敷ではありませんからね。少し痛いものを見るかもしれませんが、お化けはいっさいでませんからね。
ほらほら、こちらにお座りになって特等席でご覧ください。
ここでは異形の者たちが舞台に立ちます。血痕が残る舞台上。手を覆う女性。その指の隙間から好奇心がこぼれ落ちています。黄色い声をあげる子どもは演者に手を叩いてもっとと求めています。傍らにいます男性はごくりと唾をのんでじっとしていました。
舞台の蛇兄さんは首を絞めあげた蛇の尻尾をぱくっと口にくわえてしまいます。観客の男性の喉仏が動きました。蛇は尻尾から腹にかけてぐいぐい口の中へ。兄さんは飲み込んでいき、蛇の頭寸前まできて噛みちぎりました。口は蛇の血で染まっています。観客はそれでも収まらず蛇をもう一匹食べろ血を見せろと目をギラギラさせて兄さんを見つめていました。蛇だけで物足りません。異様なものを見るとき人々は好奇心から顔を歪ませ顔にかかった障子をはずすのです。もっと血を、もっと異形を、見せておくれと。うわぁと否定の声をあげるのに怖いものを見たくて仕方ないのです。
まさに、釘付け。
するっとそこで蛇の頭は兄さんの手から消えました。お客様は思わず悲鳴をあげます。
活弁士のコレラさんが兄さんを注意なされました。
──この男は山奥の生まれで蛇を食べて生きていたもので、人間を見ると驚かせたくなるのです。こらいかんぞ、蛇男。見てください、この笑みを。
兄さんはにたぁと笑って見せます。唇にはルージュが塗りたくられて妖しく恐怖を煽られていました。蛇の残頭は寄席にうちひしがれています。すぐに小さな身体の子供、泰造兄さんが蛇を回収します。
──以上、蛇男の蛇喰い。ここに大団円。ありがとうございます。さあさあ、次は目玉である動く球体関節人形のお出ましだ。もっと寄ってらっしゃい。どうしたんだい。そんなに遠ければよく見えやしない。見てみたいだろう。
泰造兄さんが出番を待つ私の横に戻ってきました。私よりも何倍も小柄です。その顔を見ないと兄さんの異様さは分からないでしょう。泰造兄さんは顔を隠した頭巾を外します。幾重にも皺が刻まれた顔に目がいきます。泰造兄さんはコレラさんと同年代の古株です。小さな子供のなりですがこれは小人病の症状のあらわれです。
出番を終えた蛇の兄さんが帰ってきます。腕には鱗の刺青が掘られており蛇に見せかけています。蛇喰いはもともとは女性がするものでしたが兄さんは一代前の蛇女に一目惚れをし、この世界に入ってきました。今では蛇喰いを覚えて人気役者となっております。
──時は一九九○年十二月の初旬、雪がしきりに降っている頃合いでした。私は兄がいると聞いた山荘へと赴いたのでございます。おぉっきな扉を開きますと、そこにはなんと、壁一面に人形の顔、顔、顔。球体の関節がぶら下がり、宝石のような目玉が転げ落ち。どこを見ても人形がありました。そうして、私は彼女を見つけたのです。動く球体関節人形を。
きらりと輝くシルバーが私の視界の端に駆けます。まるで流れ星。しかし、これは腕に突き刺したホッチキスの針。千佳姉さんはホッチキスを腕にパチパチと刺す芸をします。痛覚がない姉さんの曲芸は、逆に姉さんが痛みに顔を歪ませることろに芸の肝があります。観客はむしろ、人間味を含ませることによって見入るのです。
私たちの人間を感じさせるところに。
姉さんは私の背を軽く叩きました。その腕はホッチキスが一定間隔でうたれ内出血し赤紫色に腫れているのに。優しく私に笑いかけます。先程痛みと笑みをひっくるめた笑顔を浮かべていた人とは思えません。
「大丈夫。あんたはかわいいよ」
でも、私は不安で身体がカラカラと震えていました。私の身体は柔らかくはないのです。
そこで煙が私の鼻をくすぐりました。台に座っておりました、大佐が煙草をくわえていました。大佐の謳い文句は戦争で手足を無くした達磨。先の大戦からかなり時代は飛んでいますので手なし足なしになった原因は他の何かがあったのでしょう。大佐の芸は、誰の手も借りずにマッチを擦って煙草に火をつけるというもの。それは大佐の日常的な所作と同じものでした。大佐は、煙草をくゆらせながら顎で舞台を差します。
「さっさと行った行った。人気者になって来い」
──始祖ハンス・ベルメールから受け継がれました、球体関節人形は、ここ日本において数多くの著名な人形師を生み出しました。四谷シモン、木村龍、吉田良、そして何を隠そう、私の兄、赤下コロリもその一人。兄が残した、傑作、球体関節人形、いや関節球体人間です。
私は重い足を上げて舞台に上がりました。ふわぁと赤いロリータのスカートが持ち上がります。球体関節に骨を滑らせぎこちなく歩みだしました。瞼を瞳の上に上下させます。睫は長く、固く、瞼にのっかっていました。ウェーブがかかった髪が腕に触れ、ロリータドレスの黒いフリルが肌に触れ。陶器のような硬質な肌に感覚が通っていることにどこか安心して、舞台の中央へ。お城のお姫様のように背筋をただします。
コレラさんがあとは誘導してくれるはず。
──さあさあ、見てください。まさに、人形です。
およそ人間だとは思えない、この私を。ありとあらゆる人々に知らしめるでしょう。
人々の奇異な目が注がれました。暗闇から覗く白い球体に息づいています。私がしない呼吸、私が持っていない生の眼球、なめらかな関節、それらを持った人間たちが私を「化物」と見てくるはずです。緊張のあまり瞬きがとまりません。
思えば随分遠くに来ました。コレラさんと出会ったときを思い出します。
(兄さん、これは一体なんなんでしょうか)
コレラさんはたくさんの人形の中に私を見つけて崩れ落ちました。
赤下コロリは私を作った後、どこかへふらっと出て行ったきり。そもそも私は赤下コロリの記憶などありませんでした。
コレラさんは動く人形に愕然としているようでした。冷たい床に蹲りました。白い息がコレラさんの口から立ち上ります。何日も、何時間も、私はそこにおりましたがその白い息は私の口から立ち上りませんでした。人間というものは寒いと故障するのでしょう。口から煙を上らせて中の機械を腐らせる、そういう生き物なのでしょう。
では、一体私は何なのでしょうか。
(私は、人間でしょうか)
おそるおそる私は関節を動かしてコレラさんの前に出ました。私と同じ顔がそこら中に落ちています。なぜ他の者たちは動かないのでしょう。
(分からない)とコレラさんは唸りました。
(では、私は何のために存在するのでしょうか)
(兄さんがどうしてきみを作ったのか分からない。人間を元にしたのか、それとも本当に人形なのかも)
私は周囲を見渡しました。赤下コロリはやはりどこにもいません。
(兄さんは行方不明だよ)
(では、誰に訊けば良いのでしょうか)
どこにも行くあてがありません。いえ、記憶すらありません。私は一体どこの誰でしょうか。名前もなく、親もない。
奈落のように底なし沼が足下に広がっていました。私は孤独でした。よりかかるものがない、ということはこんなにも不安で仕方のないものなのでしょうか。暗闇が身体を這いずり回ります。
(一緒に来るかい)コレラさんが私に手を差し出しました。(私の見世はきみのように異形が寄せ集まった場所だ。きみが人間かどうか断定はできないけれど、場所を与えてあげられる。普通の人のように、仕事を与えてあげられる。しかも、全国各地で見世は開かれる。きみが見世で人気になり、人伝に広まると、兄さんの耳にも入るだろう。もしかしたらきみを知っている人が訪れるかも知れない。きみ自身、何か思い出せるかもしれない)
(そんな人間の営み、何も持っていない人形ができるのでしょうか。血も涙もでるか分からない、人形が)
それは、出てみてのお楽しみさとコレラさんの言葉が薄れていきます。あのとき掴んだコレラさんの手は白い手袋に覆われていましたが、私の手の固さと同じでした。
コレラさんは杖をついて活弁を続けます。すべらかに私たち異形の者たちを時に誇張し、時に面白おかしく煽っていきました。
私は舞台に立ち不自然なほどに身体をカクカクと動かします。舞台のために買っていただきましたロリータの服を意識します。今日は赤を基調としたドレスに黒のハット、黒いフリルといったアングラな見世に似合ったものでありました。それらをよけつつ指を折り曲げます。私の関節は全て球体であるので指と指の間を球体で挟まれている感覚になります。肌は伸縮性がなく陶器のように固い。少しの衝撃でひびが入ることもあります。
観客の視線が集まっています。私の一挙手一投足を見守っていました。奇異の目が私を欲しておりました。余計に身体に力が入ってしまいます。コレラさんの声も入ってきません。
彼らは私をどう見ているのでしょうか。
なんてもの、動く化物人形、人間ではない、それらの言葉が私についてまわります。
では一体、私はなんなのでしょうか。
「きれい」
動きを止めて、私は言葉をひきとどめます。子供の声だったような気がしました。一番手前の少女が私を憧憬の瞳で見上げていました。彼女の宝石のような瞳の中に、私の宝石で仕立てられた本物の瞳がぱちんと重なりました。
それは、私の存在そのものを肯定するようなものに感じました。私の心が人形から人間へとほだされていきます。
「お人形さん、あなたの名前は何?」
名前。
私にはついぞ付けられなかった、人間の名称。
あなたは私にそれをくれるのですね。
「私は──」
いずれ、この名が私を作った父に届くことを願い、
「赤下レイス」
父の苗字をとって私は頬を持ち上げました。





