4-10 怪獣の魂はどこへ行く
【この作品にあらすじはありません】
俺が生まれた年。
日本に怪獣が出た。
沿岸のビル群を壊したそいつは自衛隊の攻撃によって負傷し、住宅街まで歩き続けた末に死んだ。物心つくころには壊れた町が元に戻っていて、巨大な死体も残っていない。
自衛隊が怪獣を倒せたのと、15年経っても怪獣が再び現れなかったのもあってか、怪獣の脅威はもう来ないという空気になっていた。
俺も、怪獣が脅威になることはもう無いと思っている。
怪獣は死んだ。
死んで、霊としてこの世界に留まっている。
物心ついたころ、見えている怪獣が他の人には見えていないと知った。それから数年のあいだ、本気で怪獣が悪霊になって世界を呪ったり受肉して暴れたりすると思ったがなにも起きず、高校生になった俺の興味は怪獣よりも一人の女子に向いていた。
風嵐 京子さん。
同じ高校に通う三年生。
俺と京子さんは、昼休みになると決まって屋上に集まった。そして、フェンス越しに住宅街を見つめる。
「今日も変わらないね」
「瞬き一つしませんね」
「……ドライアイにならないのかな?」
「死んでもドライアイになるのは嫌ですね」
住宅街に立つ怪獣の霊を見ながら、俺たちはいつも通りの雑談を始める。雑談のネタは怪獣の霊と決まっていた。
京子さんも見えるのだ。
怪獣の霊が。
高校に進学して自分以外に見える相手がいたことを喜び、放課後二人で語りまくった。今は落ち着いて、昼休みに怪獣を見ながら雑談するのが日課となっている。
「怪獣って触れるのかな?」
「触れませんよ」
「もしかして、触ろうとしたことがあったりする?」
「……あります」
「塚本くん、度胸があるんだね」
俺に度胸なんてない。
本当は触ったことなんてなかった。
格好つけたかったわけじゃない。
ただ、こう言っておけば怪獣に触ろうとしないだろうと思って……
怖い話だとよく目を合わせただけで悪霊が襲ってくる。怪獣も霊だが、見ていても襲ってこなかった。
見ている分には安全。
だけど、触ったらどうなるかは分からない。
怪獣が見える。それだけの繋がりだけど、それでも京子さんと話す毎日は心地が良い。
この日々が長く続いてほしい。
そのために俺は変化を望まない。
「塚本くん」
「はい」
「もしも、もしもだよ。私と君のどちらかが死んで幽霊になったら怪獣に触れるか試さない? で、触れたか報告するの」
「……」
「いや、死のうとか考えてないから! 真剣に受け取らないで。ただの思いつき! 思いつきだから、ねっ!」
京子さんは、両手を全力で横に振って違うアピール。その姿を見て、俺は笑った。
笑えば変な空気が消えると思ったからだ。
「変なこと言ったのは私が悪いけど、笑うのは酷くない?」
「うらめしやーって言いながら化けて出てきた京子さんを想像したら、その、面白くて」
「そっかーそっかー。じゃあ、死んだら血塗れになって出てやるから。漏らすまで追いかけ回すから。絶対に後悔させてやるから!」
覚えておきなさいよ、と捨て台詞を吐きながら京子さんは屋上を去っていった。
残された俺は考える。
幽霊になったとして、生きているときと同じく自我をもっているのだろうかと。
霊としてこの世に留まる怪獣に自我らしきものは感じない。
それに、
俺も京子さんも、怪獣以外の霊は見ていない。
だから京子さんの言ったことは叶わない。
そう思っていた。
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高校を卒業した京子さんは、県外の大学に進学するため町を出た。京子さんがいなくなってから屋上に行くことはなくなった。
毎日していた雑談はメールに代わり、電話は週に二回から三回程度。話のネタは相変わらず怪獣について。
そんな感じで京子さんとの関係はなんだかんだで続いていたある日、電話越しに京子さんが帰ってくると聞いた俺は喜んだ。
久しぶりに怪獣を見ながら話そうと約束した。
けれど、帰ってきた京子さんは怪獣が見えなくなっていた。最初は冗談だと思っていたけれど、彼女の困惑からそれが本当だと嫌でも理解させられた。
怪獣の霊が見える。
それが俺と京子さんを繋げていた。
その繋がりが絶たれてしまった。
見えなくなっても変わることはないとその場しのぎの言葉を並べ、俺と京子さんはこれからもやり取りを続けようと約束した。
二人のメールや電話から怪獣が消え、代わりに互いの学校生活が話のネタになった。けれど、怪獣について話していたときよりも盛り上がらず、次第にやり取りする回数が減っていった。
悪いことは続いた。
京子さんが事故で亡くなったのだ。
葬儀に参加した俺は、京子さんの亡骸を見送ったあと怪獣が立つ場所に足を運んだ。
京子さんの霊を探して。
「っ……」
怪獣の足下は空き地が広がっている。
その空き地に女性が立っていた。
京子さんだ。
「京子さん」
声をかけたが反応はない。
近づいて、彼女のまえに立つ。
京子さんはその場に立ったまま、目も合わせてくれないし、話してもくれない。
彼女の肩を揺すろうと伸ばした手は、彼女の肩を通り抜けてしまい触れることができなかった。
全身から力が抜け、その場にへたれ込んだ。
目に涙が溜まり、今にも溢れ出しそうなとき。
ふふっ、と笑い声が聞こえた。
見上げると、大学生になって大人びた京子さんが子供っぽい笑みを浮かべている。
「びっくりした?」
「いつから意識があったんですか?」
「最初から」
「なんで反応してくれなかったんですか?」
「ほら。死んだら化けるって言ってたでしょ。普通に怖がらせるのも面白くないし、無反応だったらどうかなと思って」
「悪趣味が過ぎます」
「幽霊だからね」
「京子さん、死んだんですよ! みんな悲しんでるのに――」
「じゃあ、生きたかったって泣きわめけば満足?」
「……」
「私が葬儀場に行かなかったのは辛かったから。みんなに声をかけられないし、触れない」
「……」
「それに、後輩のまえで泣きたくない」
こういうときまで先輩風吹かなくても良いのにと思いながら、立ち上がる。俺もこれ以上みっともない所を見せたくなかったから、気持ちを切り替えた。
「それで、本当に幽霊になった訳ですけど、未練とかあったりします?」
京子さんはあると言った。
家族や友達に最後の言葉を伝えたい。
視聴中だったドラマを最後まで見たい。
俺と怪獣談義がしたい。
怪獣に触りたい。
「怪獣に触りたい」
「それは保留で」
「なんで!?」
「なにかあったら不味いんで」
「せっかく幽霊になれたのに……」
京子さんが聞き分けよくて助かった。
せっかく京子さんとまた会えたのに、怪獣に触ってなにかあればそれどころじゃなくなってしまう。
「それと――」
怪獣が見える後輩が一人前になるのを見守りたい。
京子さんはそう言った。





