59 アイリスティア治癒魔術師としての苦悩
アイリスティアは穏やかな寝息を漏らす男を微笑みが消え去った後悔の混ざった瞳で眺めていた。
「アイリスティア様、終わりましたか?次は隣を…?」
治療中は外に出ていたアヤが部屋に入ると、アイリスティアは胸のあたりに槍のタトゥーが入った痩せぎすの男の前に立ち尽くしていた。
「…。」
反応がないアイリスティアにアヤは首を傾げ、後ろからアイリスティアの肩を叩く。
「アイリスティア様?」
「…なん…んな…ことに…せい…で…。」
それでも反応はなく、アイリスティアはなにやら呟いていたので仕方なく、アイリスティアの肩を揺すった。
「アイリスティア様っ!!」
「えっ?」
すると、アイリスティアはようやく気がついたらしく、周りを見渡すと、自分の肩を掴んでいるアヤに気がついた。
「あれ?アヤさん?」
「はい、次の方も危険な状況となっております。お急ぎを。」
アヤが手を放し、部屋の出口に向かう。
しかし、アイリスティアはそこに立ち止まったまま、その男を見つめていた。
普段のアイリスティアなら、こう言えば、絶対に無下にはしないのだが、どうやら今のアイリスティアは少し様子がおかしい。
これをアヤは疲労からのものだと判断した。
「アイリスティア様、もう少しです。頑張りましょう。」
アイリスティアの瞳は微かに沈み、すぐに微笑みを浮かべた。
「…ええ、そうですね。頑張りましょうか。今回の方も本当に危なかったですから…。それこそ運が悪ければ死んでたかも…しれません…。」
アイリスティアは身を翻すと、先に部屋を出ていくアヤには聴こえないほど小さな声でなにかを口にした。
…ごめんなさい…。
―
ノーリとイルミナは戦闘が終わり、ボロボロになったカルトラに【クリーン】を掛けさせると、状況説明を彼らに押し付け、一目散にアイリスティアを探して駆け出した。
広場の簡易治療所で話を聞くと、ハスタが提供した宿で休んでいると言われたので、アイリスティアのいるそこに向かいドアを開けた。
そして、アイリスティアをみとめると、アヤの安否など眼中に無しで飛びついた。
「アイちゃ〜ん♪」
ひしっ!ぎゅ〜〜〜っ!!
普段ならむぎゅとか、にゅとかの声が漏れるのだが、そんな反応はなく、そんなふうにノーリが抱きしめると、アイリスティアが微笑んだ。
ノーリは優しく微笑むとアイリスティアを開放し、イルミナがアイリスティアを後ろから抱えるようにして腰を下ろしたのにも目もくれず、アヤをすぐに外へと連れ出した。
そして…
ドンッ!!
「ねぇ、アヤ?アイちゃんになにかあったの?」
壁に追い込まれ、ニッコリとした笑顔を浮かべられた。
宿の壁にはくっきりとした手の跡が残り、アヤの生存本能がヤバいと警鐘を鳴らす。
「え、えっと…なにか…とは?」
ブスッ!
…か、壁にブーツがめり込んだっ!?
あ、あわわわわ…。
「お、おお、お母さん、落ち着いて、落ち着いてください!」
「ふふふっ♪私は落ち着いてるわ?ただちょっとでも隠し事するようなら、覚悟を決めておいたほうがよろしくてよ、アヤ♪」
口調がおかしい。
たぶんマーサが昔、教えたことが頭の片隅から出てくるほどにイライラしているのだ。
次に言う言葉が間違ったら、アヤの生命は…。
「ほらお母さんが優しいうちにお話しなさい。なんでアイちゃんがあんなに苦しそうなのかを。さぁ、さぁ♪」
ガクガクブルブル。
「え、えっとえっと…ほ、本当にわかんないです!う、嘘じゃないです!たたた、ただある人物を治療して、その時からああなのですよ!!ホントです!信じてください!!」
「ほほう…ある人物ね♪」
それが敵か…と獣は獰猛な笑みを浮かべた。
アヤは寒気が弱くなったことから、交戦の意志がアヤからその人物へシフトしたのを確認したので、アヤは自身の身の安全のためさらなる情報を出すことにする。
「確か…帝国の人…です。」
「…帝国?」
すると、ノーリは顎に手を当て、考えるような仕草をすると、大きなため息を吐いた。
「…はぁ…たぶん戦争のときにその人となにかあったのね…。」
「ああ、なるほど…それで…。」
「うん…たぶん。…戦争ってのは私もちょこっと出たことあるけど、最悪…。子供が見るもんじゃないし…それに掛け値なしでなんでもありだから…。…う〜ん…となると下手に刺激するのは可哀想…かな?でもでもそのままっていうのも…酷かもだし…」
「……。」
母娘二人が暗澹たる気持ちでいると、そこに賑やかな面白ドワーフがボロボロになった父を連れてやってきた。
どうしたものかと二人を交えて話すと、ドワーフがいい考えがあると言うので、それを聞くこととなった。
「儂に策あり!」
―
「それじゃあ儂らはこっちでやっとるからの。アイちゃんも楽しんでおくれ。」
店に入るなり、こんなふうな言葉を言われ、アイリスティアはドワーフとカルトラから引き離されてしまった。
「えっ?えっ?えっ?おじいちゃん、これはどいういう…。」
アイリスティアの疑問には答えることなく、ウインクをして綺麗なお姉さんたちに連れられていくドワーフ。
照明が暗く、接客している人は露出度の高いドレスを着ていて、その上、暗くてよくわからないが、みんなスタイルが良さそうだった。
明らかにご飯を食べに来るようなところではない。
たぶんだけど、夜にお酒を提供しているところで、子供が来てはいけないところなんじゃないかと思う。
「は〜い、それじゃあ、ボク、こっちよ♪」
アイリスティアは綺麗なエルフのお姉さんに手を引かれ、テーブルに連れて行かれ席につかされると、両隣にはまた違うお姉さんたちが座った。
元気の良さそうなお姉さんが早速自己紹介する。
「私はナミリナ。よろしくね♪」
「は、はい。えっと…僕はアイ…アイリーンっていいます。」
アイリスティアは自身の名前を出すのはまずいと思い、偽名のほうを出すことにした。
「アイリーンって女の子の名前よね。」
「うっ…ううう…。」
アイリスティアがすっかり困ってしまったのを見ると、エルフのお姉さんが優しく咎める。
「こらこら、貴方達、アイリスティア様を困らせないの。あっちのおじいちゃんから話は聞いていたでしょ?」
「え?」
あっ…そういえば、ボクって…エルフのお姉さんが…。
「あはは、ごめんね♪実はそうなの♪だからね、別に普通に名乗って大丈夫よ。」
なんだそうだったのかとアイリスティアが胸を撫で下ろすと、ナミリナは続けた。
「…それにね、私はアイちゃんのことはお店に来る前から知ってるから、安心してね♪」
今度一体どこで会ったのかとアイリスティアが悩んでいると、お姉さんはいたずらっぽく笑う。
「ふふふ、さてどこで私に会ったのかな?わかるかな?アイちゃんはそんなに薄情じゃないもんね?」
「えっと…えっと…ひ、ヒントを…。」
「え〜わかんないの〜。私ショックだな〜。」
ナミリナは頬を膨らませ、アイリスティアを薄情者と睨んでいる。
アイリスティアは基本的にお屋敷の中にいるから、外に出る機会も少ないので、関わりのある人間の大半は覚えているつもりだったのだが、やはりアイリスティアには思い出せなかった。
う〜ん…う〜ん…と悩むアイリスティア。
もう限界!謝りましょう!!
「…なんてね♪えい!」
拗ねた様子を見せたナミリナに謝ろうとしたアイリスティアをぎゅっと抱きしめてしまった。
「うん、また意地悪しちゃってごめんね〜。アイちゃんが私のことを知らなくても当然なんだ〜。でもね、お姉さんのこと知っててくれたら、嬉しいな〜なんて思っちゃったから、笑って許してね♪」
余計に頭にハテナマークを浮かべ続けるアイリスティア。
その耳に驚くべき言葉が届いた。
「…実は私…私達、今日のお昼ごろから二泊三日の慰安旅行で他の街に出掛けようと思ってたんだ〜♪」
「…えっ。」
アイリスティアの顔色が変わると、ナミリナはニッと笑い、アイリスティアの頭をワシャワシャと撫でた。
「話はちゃんと聞かないとダメだぞ〜。それが男ってもんだぜ、ベイビー!あはは、まあ…そのね、聖女様が新しい領主様になるから、本当に忙しくなる前に…って…。」
「…。」
「みんな本当に楽しみで、ママなんて張り切ってね…。」
それから、ナミリナはここの従業員たちがどれほどその旅行を楽しみにしていたのかをアイリスティアに語ったが、アイリスティアの耳にはその言葉は入って来ない。
意識はすでにその先の結末に向いていた。
「…うん…でもね、それは叶わなかった…。門を出ですぐに魔物が襲って来てね…。」
そこまではアイリスティアの予想通り、しかし現実はもっと悲惨だった。
ナミリナは動きが鈍くなった口を動かすために、喉から笑った。
「あはは、そしたらほとんどみ〜んな怪我だらけ♪腕や脚、殴られ、蹴られ、叩きつけられ…腕がなくなっちゃった娘やいくつか内蔵が破裂しちゃった娘もいたんだ…。」
ナミリナの瞳が潤み始めた。
「…うん…うん…それに…か、かくいう私もへマっちゃって、半分顔の形が変わるくらい骨がバラバラに…い、痛くって…ホント痛くって…グスッ…ご、ごめんね、お姉さんプロだから泣いたりしちゃダメなのに…。」
苦しくてたまらない様子のナミリナ。
アイリスティアはただ純粋に助けてあげたい。
手を差し伸べてあげたい…そう思った。
「…あっ…。」
アイリスティアはそっとナミリナの頭の上に手を乗せた。
驚いて固まってしまったナミリナに微笑みかけ、そのまま撫でると、ホロリと一雫を目から零し、そして嬉しそうに笑い始めた。
「あははっ♪ありがとう♪うん、お姉さん頑張る♪」
周りのお姉さんたちも涙を流していて、ハンカチでそれを吸わせていた。
「えっと…どこまで話したかな?うん、み〜んなみ〜んな怪我だらけ♪もう!女の子の顔になんてことするのよっ!これじゃ商売もできなくなっちゃう!それに死んじゃうかも?こりゃ困った困った…。」
お姉さんはもう真面目に話せないほどキツいのか、おちゃらけながら語り続ける。
「…みんなね…誰か助けて〜うえ〜んうえ〜ん…って泣いてたの。そしたら、可愛い可愛い男の子がやって来て、誰もどうしようもなかったのに、えいっ!って私達に魔法を掛けてくれたら、あら不思議!!みんないたいのいたいの飛んでけ〜って、痛くなくなって、元通り!神様って本当にいるんだな〜って、感謝感謝の万歳三唱!!…チャンチャン♪」
「…。」
「…うん、だからね♪私達は今とっても幸せ♪だからその男の子が何か困ってるなら、助けてあげたい…幸せをわけてあげたい…。」
「…ナミリナお姉さん。」
「お姉さんたちのことをアイちゃんが知らなくても当然のこと♪寂しいけど、普通のこと…。」
ナミリナは微笑む。
「…うん!でもお姉さんたちは我儘なの♪だから今日はい〜っぱいお姉さんたちのことを覚えていって♪お姉さんたちと同じくらいだ〜い好きにさせてあげる♪以上、ナミリナお姉さんよりアイの告白でした~♪」
芝居ぶったふうに一礼をすると、アイリスティアの顔が見えるところに全員が並んだ。
ママさんだというエルフの女性が頭を下げると、みんな続いていく。
「アイリスティア様、私たち【夜恋華】を救ってくれてありがとうございました。」
「「「「ありがとうございました!!」」」」
全員の心からのお礼。
それはアイリスティアの心の中に入って来て、そしてダムのように決壊させた。
「…グスッ…グスッ…。」
「え?えっと…どうしたの、アイちゃん?」
「うぐっ…僕の方こそ…えっぐ…ありがとう、ございます。」
実は今日、アイリスティアが治療した人間の中には帝国との戦争でアイリスティアの魔術に掛かってスキルを封じられた人物がいた。
その人物は戦争でかなりの戦果を挙げていて、最上位ランクの魔物でも現れない限り傷すら負うようなことはないことが明白だった。
しかし、その人物は片腕がなくなり、心臓が止まるほどまで追い詰められたのだ。
原因は言うまでもない。
アイリスティアがスキルを封じたから。
アイリスティアにとって初めてだった。
明確に自分の行いで、その人の全てを奪ってしまうことになりかけたのは…。
そして、アイリスティアは物凄い恐怖を覚えた。
…ううん、本当はもう一つある。
本当にアイリスティアが怖かったのはこっちのほうかもしれない。
アイリスティアはほんの一瞬…迷ってしまったのだ。
確かに心臓は止まっていたが、助けられる方法があるのに、それに気がつかないふりをしてこのまま…と…。
この人はエリザベートやファティマたち、はたまた捕虜となり開放されるはずだった者たち、その家族におぞましいほどに酷いことをした。
人道に反する行いをした。
だからと…。
人が人を裁く。
まるで神にでもなったかの振る舞いをその力があるからとするところだったのだ。
それも利己的な考えから。
アイリスティアは怖かった。
ファティマやエリザベートたちを裏切るようなことをして、嫌われたくなかったからなんて理由で人を見捨ててしまうのが…。
わずかな時間、悩み悩んで……そして、結局、放っておけずに死にゆく彼を助けてしまった。
ファティマたちに知られて、嫌われてしまうのではないかと、怖くて怖くて心の中でビクビクビクビクと震えていた。
顔には笑顔を貼り付けて、どうか誰も気が付かないで…と。
…自分のこれまでの行いを全てなかったことにしたかった。
…でも、今のお姉さんたちの言葉で、アイリスティアがしてきたことは間違いだけではなかったのだとそう思えた。
そう、彼女たちによって、アイリスティアのほうが救われたのだ。
生命を奪ってしまうこと、それに生命を救うこと、この二律背反のようで同じそれにアイリスティアは苦しんでいた。
だから、アイリスティアがこんなふうに泣いてしまうのも仕方のないことだろう。
―
アイリスティアは小さな身体さらに小さくして、固まってしまった。
「…え…えっと…ごめんなさい。泣いてしまって…ううう…。」
「ううん、あはっ♪だって私達も泣いちゃったし、おあいこおあいこ♪それにお姉さんも可愛い子の泣き顔見れてご褒美だにゃ♪なんちて♪」
「えっ?あんたそういう趣味?」
素でツッコむ一人のお姉さんにナミリナは不敵な笑みを浮かべた。
「フッフッフ♪さてどうかしら?キラーン!」
「…ほら、アイちゃん危ないお姉さんからは離れて、こっちで私達と遊びましょうね♪」
「ちょっ!?冗談にその返しっすかっ!?」
そのお姉さんたちのやり取りが可笑しくて、アイリスティアは笑ってしまう。
すると、安心したのだろう。
アイリスティアのお腹が主張を始めた。
きゅ〜。
「…あっ…。」
恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯くアイリスティアを可愛い〜と笑うお姉さんたち。
すると、ママさんがそっと果物の盛り合わせを出してくれた。
「ふふふっ♪アイちゃん、こちらをどうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
アイリスティアがそっと手を伸ばすと、それが横から奪い取られてしまう。
お姉さんたちは、特にママさんは物凄い威圧を放っていたが、どうやらナミリナは意地悪がしたいわけではないらしい。
「フッフッフ、私はそういう趣味のお姉さん♪う〜ん、どうしてくれようか?あれ?あららら?ブドウさんが勝手に〜♪あ〜ん♪」
「え?」
「ほら、ブドウさんがアイちゃんのお口に入りたいって♪わ、私が食べたいのに、す、すっごい力で引き寄せられて…ううう…負けちゃう〜♪ほら、あ〜ん♪」
「えっと…あ、あ〜ん…モグモグ…ごくん。」
「美味しい?」
「…お、美味しいです…けど…は、恥ずかしいです…。」
キュンっ!
ナミリナがそっと胸元に手を当てていると、他の娘たちもやりたいと思ったのか、こぞってナミリナが横に置いた皿から果物を奪い、続々とアイリスティアへと差し出していく。
「アイちゃん、リンゴリンゴを食べましょ!」
「う〜ん、やっぱりイチゴがいいんじゃないかな?かな?」
「ハァハァ、わた、私のバナナ!口いっぱいに頬張って…あっ…。」
「ちょっとみんなったら!!って、ママは新しいの出したの!?」
「ほら、アイちゃん、ママがあ〜んしてあげますからね。だからママ、ママですよ~。」
ママさんのボケ?なんかもあり、アイリスティアがお腹いっぱいになるまで…いや、アイリスティアがお腹いっぱいになると、お姉さんたちに食べさせるという役目が与えられた。
それが終わると、世間話なんかをしながら、本当に楽しく笑顔溢れる時間が過ぎた。
中にはアイリスティアが領主となる際に役立ちそうなこともあり、ここに来たのは本当に大正解だった。
そして、そんな楽しい時間も終わりは訪れ…。
「アイちゃん、そろそろ帰ろうと思うんじゃがいいかの?」
「「「ええーっ!?」」」と物凄く不満を持った声をお姉さんたちはあげる。
まだいいでしょ?だとか、おじいちゃんのいけず〜とか、はたまたもうこのお店の娘にしようだとか、とにかくアイリスティアを放したがらなかった。
なんとかママさんの協力もあり、アイリスティアは帰れることになった。




