56 新領主への不安と過去の後悔
「も〜う!ホントにムカツクわね、あのクソガキ!今日は私の奢りよ!たくさん食べてイライラは忘れましょ!」
アイリスティアたち子供が戯れていると、隣から吹っ切るような声が聞こえた。
そちらへと視線を送ると、手を天高くに上げたノーリたち3人と子供らしくないひどく疲れた様子のアヤがいた。
「?」
状況がわからず、アイリスティアがキョトンとしていると、ノーリによって手を引っ張られて行ってしまう。
「ほら、あなたたちも行くわよ!」
「えっ?いいの?」
「もちろん!なんでも好きなもの食べなさい!」
「やったー!」
「ノーリさん、太っ腹!」
「…あのね、アイリーン?ご飯食べる前にそれは言っちゃダメよ。」
ノーリの額に青筋を浮かべた笑顔にアイリーンはビシッと立ち、敬礼のポーズをした。
「わ、わかりました!!」
「あははっ!なにそれ、アイリーン?」
「いや、なんか身体が勝手に…。」
アイリーンの反応が可笑しくて、ターニャが笑い始めると、いつの間にか、みんなが笑いながら、露店を回り始めた。
アイリスティアもなにか食べたいものをと思って、キョロキョロ、そしてさらにキョロキョロと覗いてはみるのだが、アイリスティアが買って貰おうとする前に誰かしらがそれを持っている。
今回はノーリがアイリスティアが目をつけていた肉串を持っていた。
「なに?アイちゃん、それが食べたいの?」
それを手に持っているノーリにそう聞かれると、なんとなく食い意地が張っているのではと思ってしまい、なんとなく顔が熱を帯びて目線を下げてしまう。
「え?…あ…はい…。」
すると、ノーリは身体をウズウズとしだして、アイリスティアに意地悪く聞く。
「アイちゃんがおねだりしてくれたら、あげるよ〜ん。」
そう言われると言い難いのでやめてほしいのだが、ノーリはひどく楽しそうでそれをいうのは気が引けた。
きゅ〜。
おいしそうな匂いにお腹が鳴ってしまい、これ以上恥ずかしいのは御免だったので、アイリスティアは途切れ途切れながらもなんとか言葉にした。
「…ノーリさん…ほしい…です…。」
アイリスティアが素直におねだりをすると、ノーリは我慢できないと抱きしめた後、速攻でそれをアイリスティアの口元に持っていく。
「…いただきます。はむはむ…むくむく…ごくん。お…おいひ…おいしかったです…。」
「うん♪そうか〜美味しかったか〜そうなのか〜ふふふっ♪」
そして、ノーリはアイリスティアが一切れ食べた残りをバクバクと食べて次の獲物を探しに行く。
それを見ていたニーナ、ヨハンナもそれに続き、さらにはアイリーンたちまでもそれをしていると、いつの間にかアイリスティアは何度も一口一口と食べさせられ全員二周目が終わりノーリとニーナと続いたあたりで、満腹になっていた。
次はヨハンナの番だったのだが、食べることができなかったので、ヨハンナは珍しく悲しそうな表情をしていた。
アヤはというと、ストレス軽減のため、なるべく食事の間はノーリ、ニーナ、ヨハンナに近づかないようにと、離れて食事を取っていたため、そんな素敵な出来事があったとは知らなかった。
―
昼食の後、アイリーンとターニャと別れた。
帰り際、マーサからのお使いを思い出したノーリに連れられ、行きつけらしい店をいくつか回っていく。
そして、最後の果物を売っている店に行くと、そこにはあまり元気のない真面目そうなおばさんが店番をしていた。
「アヤ、あなた帰ってきていたんだね…。」
「はい、お久しぶりです、おばさん。どうかなさったんですか?」
「…いや、なに…少し不安でね…。」
「不安?」
「ああ…新しい領主様のことさ…。またあの貧しい日々に戻ってしまうのではないかと…ね…。」
アイリスティアはこの街の歴史について、領主になると決まる前から学んでいた。
その昔、このライマは前ヘリスティリア領、現アトランティア領の中心都市の一つだった。
西の廃墟となっている一帯もその役割を果たしていて、そこは主に娼館街、王国一の花街として有名だったのだ。
そこには、貴族、平民、冒険者問わずに様々な人物が足を運び、そのおこぼれを与り、この街から近くにある村まで豊かだったらしい。
しかし、ある時、ライマの一番の娼館でとある要人の暗殺が起こってしまった。
犯人はそこの娼婦の一人で、その要人がとある国の王太子だったこともあり、その娼館は閉鎖。
運営していたのは、この地域を牛耳る商会だったのだが、信用を失い、それまでなくなってしまった。
貧しい時代を知っているらしいので、おばさんはその頃に生まれたのだろう。
その頃の生活はひどいものだったと読んだ覚えがある。
食べるものに困ったこともあったという記述もあるほどに…。
年を経るごとに、その娼館での事件のことが人々の記憶から薄れ、次第に今のこの街の形に近づいてきた。
ライマというこの街の生活は長い年月を掛けてその豊かさを取り戻してきた。
そして、ようやくここまでたどり着いたのだ。
それが軌道に乗り始めて、すぐに失速されてはたまったものではない。
領主が変わるということは、全てが一変することもある。
おばさん曰く、多くの人物、特に教会の教義に敬虔な信徒たちは聖女が領主となることを歓迎し、より大きな発展となると喜びを露わにしているらしい。
しかし、おばさんはそう楽観視できるものではあるまいと思ったらしい。
相手は聖女とはいえ、子供。
街の子供たちを見ているからか、自分の子供たちのことを思い出したからか、領主という大役を担うことができるとはどうしても思えない。
小さな失敗をされるのなら、仕方がないと目を逸らすこともできよう。
でも、決定的なミスをしてしまったら…?
「…もしハスタ商会がこの街から出ていくようなことがあれば…。」
この街の空気が完全なる登り調子となった出来事。
それは大商会であるハスタ商会がこの街に来たことだ。
「ねぇ、アヤ、あんたは聖女様のことを良く知っているんだろう?あんたの目から見てどうなんだい?」
おばさんはあまりにも不安そうな様子だった。
すると、本当に真面目に聞いていたアイリスティアを除く、アイリスティアのことを知る者たちは思わず吹き出してしまった。
「プッ!あはは、大丈夫!大丈夫だって、おばさん!アイち…アイリスティア様はとても良い子だから!」
「そうです!とてもお優しい人ですから!!」
「…でもね…優しいお方だとしても…ね…。」
「それにジェイミー様もアイリスティア様のことをそこにいる娘のニーナ様と同じくらい溺愛してますから!それにもしアイリスティア様に出て行けなんて言われても何としても居座ろうとするって、それこそ土下座をしてでもだと思いますよ!」
アヤもあまりにも予想外のことだったらしく段々と笑い始めてしまった。
「え?」
普段のジェイミーの堂々とした様子からは想像できず、おばさんは目を丸くした。
「…ジェイミー様がそんなに大切にされるお人なのかい?」
「うん!もう大好きで大好きで仕方がないくらいです!来るといつもアーシャ様と取り合いをして…って…あれ?」
おばさんの表情が和らぎ、アヤたちとの会話も楽しく明るいものになると思っていた。
しかし、おばさんの表情は顔色まで悪くなってしまった。
むしろ本当のところはハスタ商会が出ていくことを望んでいたかのように、おばさんの顔色は真っ青だった。
その口からは懺悔するような声が漏れた。
「…やっぱり私たちは間違えたんだね…。」
「間違い?」
「…本当なら聖女様がここの領主になるのが不安だなんて私達が言う資格なんてないの…。」
本当は私は罰を求めていた。
本当の願いの言葉を暗に示すように、おばさんは語り始めた。
「ある時…」
ある時、アーシャ様がこの街に来たことがあった。
普通なら、領主の奥方が来たことを歓迎するのが当たり前のことなのだが、この街に住む者たちはそれをすることを拒んだ。
それだけならまだしも、アーシャ様が公爵様の奥方となる時に、物凄く嫌がっていたということを聞いていたこともあってか、あまりにも早いその妊娠に不義の子もしくは、相当なスキモノという風な噂が上がったんだ。
そして事件は起こった。
酒に酔っていたのか、とある男達がアーシャ様のことを売女呼ばわりしたのだ。
卑猥な言葉を叫び、お相手してほしいなどと言う始末。
マーサや他の御付きの者達は怒りを露わにしたが、街の人間たちはこれ幸いとそれを咎める事なく、同調する者までいた。
公爵家を慕った故、大切に思ったからこそ許せない気持ちが表に出た行動だったのかもしれない。
ただ…ただアーシャ様はそれを何を言い返すでもなく、その大きくなったお腹の上に手を当てて耐えていらっしゃった。
それ以来、アーシャ様はこの街に来ることはなかった。
それからも子供たちは知らないかも知れないが、アーシャ様、アイリスティア様への印象は芳しくなかった。
そして今、アーシャ様のお子、アイリスティア様が聖女だとわかり、それは一変した。
アーシャ様は不義の子を孕んだわけでも、スキモノなんてもってのほか。
聖女様を産んだということは、清廉なる存在であると。
あんなにも早くに子供を作ったのは、アリス神のお導きあればこそなのだ…と。
よくよく考えてみると、ハスタ商会がこの街に来たのも、アーシャ様がジェイミー様の友人で、重用したからなのだ。
アーシャ様は美しく清廉で、聡明な人物だった。
私だけでなく…この街の人間たちは、そんな存在をまるで忌むべき存在だと表していたということをようやく知ったのだ。
「私はもしかしたら、あの時の行いの天罰が下ることを望んでいたのかもね…あの時のアーシャ様の顔が本当は忘れられなかった…。」
「…。」
「…そして、今は自分のことばかり私は…私はなんて浅ましく…。」
おばさんの言葉がさらに続こうとした時、それは遮られた。
「それは違いますよ。」
己を責めた女性の様子に先ほどまで黙っていたアイリスティアが否定の言葉を発した。
「っ!?」
「それは違います。それはあなたが別に悪いわけではありません。」
「アイちゃん…っ!?」
アイリスティアの言葉にノーリは思わず声を出したのだが、アイリスティアの聖母の如き微笑みに余計な言葉を紡ぎ出すことをやめた。
そして、ただただ見惚れ、その言葉へと耳を傾ける。
「確かにアーシャ様への行いは褒められたことではないでしょう。傷ついたのは間違いありません。」
「…。」
「それにあなたには…いえ、貴方がたには貴方がたの生活があるのです。新しい領主となって、その営みに不安を覚えるのは、当然のこと。」
「…ですが…。」
「それに…ですね…お母様は優しい人ですから、もう怒ってはいませんよ。」
女性の手の上に代金を乗せると、アイリスティアはアヤたちとともにその場を後にした。
アイリスティアたちが去るのを呆然と見送った女性は正気に戻ると、頭の中でそれらは繋がり、自然と言葉が漏れ出た。
「…まさか…。」
そして、なんとなくだが、赦されたような気持ちとなり、口元には小さな笑みが浮かんでいた。
暗い雰囲気はいつの間にかなくなり、威勢の良い声が街へと響き渡る。
「いらっしゃい!そこのお兄さん、どうぞ見ていっておくれよ!!」




