51 二人の攻防
アヤはいつもより早い時間に目を覚ました。
朝ご飯の準備やれ、洗濯やれ、庭の手入れやれといった早朝にやることは、アヤがまだ幼い故免除され、アヤの朝の唯一の仕事は主人であるアイリスティアを起こすこととなっていた。
いつもより早い起床故にアイリスティアを起こさなければならないまでには、たっぷりと時間があるのだが、アヤの動きは普段より数段素早い。
顔を洗い、髪を整え、着替えなどの身支度を済ませ、ルンルンとスキップでもしかねないほど上機嫌に薄暗いアイリスティアの部屋へと忍び込む。
「アイリスティア様、失礼します。」
小声でこんな言葉を言いはするが、返答なんかを求めている訳では無い。
ただ単に雰囲気で口にするものだ。
物音を立てずアイリスティアの側によると、アイリスティアの寝顔を見つめ、軽く頭を撫でる。
そう。
これがアヤの日課である。
アヤは幼い故にアイリスティアへの触れ合いの一部には、制限がつけられていた。
他の使用人が膝枕や耳掃除なんかをする時には、指をくわえて見ていることしかできないのである。
子供扱いというやつである。
それにアイリスティアもなぜか、アヤに対してそんな扱いをするせいか、アヤがお姉さんとなれるのは、この眠っているアイリスティアだけなのだ。
普段ならば、こんな風にアイリスティアの頭を撫でたり、髪を軽く触ったりといったことで終わるのだが、今日は時間がまだまだある。
まあ、そのために早起きをしたのだが…。
昨日の出来事で初めてをおあずけされたアヤはその埋め合わせの我慢をすることができなかった。
アヤはアイリスティアの布団をめくり上げると、靴を脱ぎ、そっとその小さな身を入り込ませ、添い寝をしようとしたその時…ふと声が聞こえた。
「一体何をしていますのっ!?」
そこにいたのは、おあずけを食らわせた原因であるミスティアであった。
アヤは内心まずいと思うも、祖母の教育により判断力が磨かれたおかげか自分のするべき行動を瞬時に理解した。
アヤはすっとアイリスティアの布団から入れようとした身を引き抜くと、ミスティアに尋ねる。
「はて?何かありましたか、お客様?」
呆気に取られたミスティアはキョトンとした表情を浮かべ、白昼夢でも見たかのような様子を見せるも、アヤの詰めの甘さに気がつき、ドンドンと部屋の中に入る。
自然に閉まるドアの音が迫力を後押しし、アヤがビクリと震えると、ミスティアはアイリスティアの布団のもとにたどり着き、アヤに見せつけるように靴を脱いで実演し始める。
「私は見ましたわっ!アヤさんっ!」
「ひゃっ、ひゃいっ!!」
靴をそのままに、見せたアヤの反応に自分の見たものに間違いがないと確信したミスティアは実演を続けようとアイリスティアの方に顔を戻す。
すると、ミスティアは固まった。
「アヤさん、あなたはこのように…。」
それから少しの間、ミスティアはアイリスティアの顔を見つめると、軽くあくびをした。
「ふわぁ〜…そう…このように…おやすみなさい。」
そして、ミスティアが布団の中に身を入れ込もうとする。
しかし、それに待ったをかける者がいた。
「お客様何をしているのですかっ!?ダメです〜っ!!」
アヤはミスティアを掴むと、火事場のバカ力で背負投げた。
見事な一本背負い。
それが決まった。
「うっ!」
漏れ出たうめき声、ドカンという音が響くと、アヤはいい仕事をしたと掻いてもいない汗を拭う仕草をする。
おそらく無意識だが、ミスティアへの恨みが晴らされたのもあったのだろう。
「ふう…。」
満足そうなアヤ。
だが、放り投げられた方はたまったものではない。
完全に目を覚ましたミスティアは痛みを押し殺し、本能のままにアヤへと詰め寄る。
「何をしますのっ!?本当に何をしてくれていますのっ!?」
物凄い剣幕のミスティアにアヤは気圧されるかのように思われたが、祖母の(スパルタ、鬼、人を人とも思わない)教育により、かなり鍛えられたためだろう。
臆せずものを言う。
「はい。不埒者の撃退を。」
「なっ…。」
思わず声を漏らすミスティア。
しかし、続く言葉は見当たらない。
なぜならば、ミスティアは自分の行いを思い出したからだ。
ミスティアがしたこと…それを思い出し、顔を真っ赤にし、アヤを睨みつける。
そう立場は逆転したのだ。
先ほどまではアヤがその立場に甘んじていたのだが、上書きされた。
ミスティアは先ほどまでは単にアヤの行いをアーシャにでも伝え、怒ってもらうだけで良かったのだが、それはもう叶わない。
むしろ蒸し返すと、より危険な目に遭うのはミスティアのような気がするのだ。
アヤは子供でミスティアは大人寄り。
これだけでも問題なのだが、自分には口は禍の元という言葉を素直になぞる素晴らしいお口がついているのだ。
絶対に大きな禍を連れてくる。
もちろんアヤがそこまで考えてミスティアを責めた訳では無いのだが、自然とそうなってしまったのだ。
項垂れるミスティアにやめておけばいいのにアヤは調子に乗った…訳ではないのだが、やはり理解していなかったのだろう行動をし始めた。
アヤはミスティアがしたようにアイリスティアのもとにたどり着くと落ち着いた様子で…実演し始めた。
「お客様はこのように…。」
アイリスティアの寝顔を見るとすぐさま、布団の中へと…。
「そぉいっ!?」
そして、宙を舞うアヤ。
しかし、アヤはミスティアのように無様に腰を打ち付けるのではなく、シュタッと着地した。
アヤはなにが起こったのかわからずにキョトンとするも、自分のしたことがわかったのか顔を蒼くする。
また立場が逆転した。
だが、アヤはそんな心配などする必要はない。
相手はなんと言っても、ミスティアなのだから。
ミスティアは再び…。
それから二人は幾度となくそれを繰り返すと、互いにボロボロになり、どちらからともなく提案した。
「ハァハァハァ…も、もうやめにしませんこと…。」
「はあはあはあ…そ、そうですね…ちょうどそこにベッドがありますから、休みましょう…。」
「さっ、賛成ですわ…。」
そして、そこへとたどり着くと視線を感じて二人は顔を上げた。
「おはようございます、二人とも…えっと…なにがあったのですか?」
戸惑いを孕んだアイリスティアの笑顔。
それがアヤとミスティアの最後の記憶となった。
―
身支度を自分で整えたアイリスティアが食卓に着くと、程なくしてアーシャたちが入って来た。
「あら、おはよう、アイリス。今日は早いのね。」
「はい、おはようございます、お母様…。なぜか目が覚めてしまいまして…むぎゅ…ほぎゅ。」
日課となってしまったアーシャによる抱擁と頭撫で撫でが終わると、ライラが自分の番とばかりに長いそれをする。
その間、苦笑した様子のアーシャの口からアイリスティアの耳に聞き捨てならない言葉が届く。
「まあ今日は新しいお洋服が届くのだもの。きっと楽しみだったのよ。」
―
そっと男の頭にそっと手を乗せる。
「ん…んんっ…あれ?」
「起こしてしまったかしら?」
「…い、いえ…むしろ起こしてくれてありがとうございます。…行ってしまうのですね…。」
残念そうな表情を浮かべる男の額に軽く口づけをして立ち上がる。
「また…帰りにまた寄るわ。」
優しく微笑んで去っていく。
扉越しに泣いたような声が聞こえてきた。
でもマルティネスは振り返らない。
そして、街外れの合流場所へと向かう。
すると、良く見知った相手が視界へと入って来た。




