50 お屋敷での初めてのミスティアの朝
「知らない天井ですわ?」
天井の種類など深く知りもしないわけなのだが、なんとなくそう言うのが正解のように感じた。
その女性の名前はミスティア・アルトハイム。
元聖女候補筆頭にして、現在教会によって指名手配されている身の悲劇のヒロイン(笑)である。
ん?ヒロインの後ろになにやら変なものがついていたような…。
まあそんなことはどうでもいいですわね。
正直、悲劇のヒロインというのは柄ではないことは自分自身なんとなくだがわかってはいる。
そんなことを考えているうちに自然といつものように身支度を終え、部屋に飾ったアリス神に朝食前のお祈りを済ませるとミスティアは自らにあてがわれた部屋を後にし、お腹が空いたので、なにか食べるものでもないかと食堂を覗く。
…しかし、そこには誰もいなかった。
当然である。
なにせそれは日が昇り始め、今ようやく太陽の光が微かに差し込み始めた頃なのである。
その時間帯にこんな風に起きているのは、使用人たちくらいのものだ。
「まったく…仕方のない人たちですわね…この朝早くの空気が素晴らしいといいますのに…はあ…。」
呆れたように溜息を吐くミスティア。
ミスティアは案外行動自体に関してはしっかりとしたところもあるのだ。
日の出とともに目を覚まし、日が暮れると眠くなる。
生物としての自然。
…まあ、しかし、人間に当て嵌めるとやはり少しばかり歳をとったようなそれではあったが…。
不意にどこからかいい匂いがした。
く〜。
お腹の音が自然と鳴り、顔を真っ赤にして思わず周りを見渡す。
ミスティアも女の子だ。
恥というものは感じる。
「ううう…お腹が空きましたわ…。」
そう口にすると、より空腹が自覚させられた。
なにかお腹に入れなくては…。
このままではまた乙女の恥になるようなそれが起こるに違いないことが予見された。
ミスティアは仕方がないので厨房を覗くと、使用人たちが忙しなく動き回っていた。
ある者は肉や野菜など食材を切って下処理の終わったものをスープにしたり、またある者はパンを焼いたりと。
声を掛けるのも憚られるほどに忙しそうだった。
自然と首を引っ込め、いい匂いから離れるようにそこを後にし、気を紛らわせるため、お屋敷の探索なんかをしてみようと思い、あちこち徘徊してみるミスティア。
それでも、やはり誰もいないためかつまらない。
面白くないのだ。
お腹も空いて、暇で暇で仕方がない。
ミスティアは使用人は忙しそうなので、誰か話し相手に起こそうかと考えた。
このお屋敷にいる使用人以外は客人の自分たち以外は、あの二人しかいない。
「誰か案内してくれそうなのは…。」
アーシャはなんとなくだが、起こすと、とてもとても怒られるような気がした。
そもそも淑女の寝室に入り込むなど親しき中にも礼儀ありである。
論外。
となると、アイリスティアということになるのだが…しかし…。
ミスティアは悩んでいた。
「…アイリスティアって男の子ですものね…。」
そうなのだ。
アイリスティアはあんな容姿をしているとはいえ、男の子なのだ。
つまりは異性。
異性の寝室への侵入…それは即ち…ゴクリ。
「だ、だ、駄目です…駄目ですわ…アイリスティア…そ、そんなものを…。」
ミスティアはなにやら狼狽し、誰もいないと思っていた廊下で一人芝居を演じていると、ふと声を掛けられた。
「…ミスティア?そんなところで何をしているんだい?」
「って!す、スティリアっ!?なんであなたがこんなところにっ!?」
「こんなところ?だってここ、僕の部屋の前だけど?」
いつの間にか自室の隣へと戻ってきてしまったようだ。
「ち、ちょうどよかったですわ!お話し相手になってくださいまし…?」
そして、ミスティアは思い出した。
スティリアの格好を見ると、その手には木剣とタオルがある。
…まずい。
ミスティアは脱兎のごとくその場から離脱した。
「そうだ!ミスティアも一緒に汗でも…って、あれ?」
その場に残されたスティリアの言葉は誰に届くこともなかった。
―
「ふう…危ないところでしたわ…。」
そうだ、そうだったのだ。
本来真っ先に話し相手として浮かぶスティリアの名前が浮かんでこなかったのは、これが理由だったのだ。
スティリアは親衛隊の隊長なんかをしていることからもわかるように武芸に秀でていて、それを磨くことを生き甲斐にしているのではないかと思うほどに立派な教会騎士である。
性格が基本的に真面目な故に毎朝の鍛錬を欠かすことはないのだ。
ある時、気の迷いでスティリアの鍛錬に付き合ったのだが、数日は立ち上がることすらできなかった。
そのことがある種のトラウマになって、早朝は普段、起きていたとしても部屋からは絶対に出ないようにしていたのだが、お腹が減ったからか、初めての場所でワクワクしているからか、今日は我慢できずに飛び出してしまった。
くわばらくわばらとスティリアに見つからないように気配を消しつつ、徘徊をしていると目的地へとたどり着いた。
ゴクリとツバを飲み込む。
「…こ…ここが…。」
緊張をほぐそうと、深呼吸をして、おずおずとドアノブに手を伸ばす。
カチャリという音が聞こえ、扉をゆっくりと押す。
なんとなくそのまま忍び込むように扉の隙間から中を覗く。
すると、中には…アイリスティア以外の人がいた。
その人物と目があうと、ミスティアは思わず声を上げた。
「一体何をしていますの!?」
眠っているアイリスティアのベッドの中に忍び込もうとしているのは、アイリスティアの専属使用人の片割れのアヤであった。
 




