41 お屋敷に到着する
あれからいつものようにラスティアが度々出かけ、魔物の遭遇や盗賊に襲われることもなく、アトランティア領への道は何事もなく進んだ。
ファティマだけでなく、メイランなどの他の部隊の人とも仲良く慣れたんじゃないかと思う。
みんなアイリスティアに対して優しく接してくれた。
ラスティアの方もファティマとなにやらお酒なんかを飲んでいたようだし、一緒に過ごすことは特に問題はなさそうだった。
さて、そんな短い旅路はこれで終わる。
大きな庭園のある馴染みの建物が見えて来た。
屋敷の外へと使用人たちが出てくるのが見えた。
思わず馬車から飛び降りて、みんなのところへと駆け出したい衝動に駆られたが、もうすぐなのでどうにか我慢をした。
しかし、馬車がたどり着いたと思うや、到着を告げる言葉も言わせず、アイリスティアは外へと飛び出した。
思わずファティマが咎めるような声を上げかけるが、ラスティアがそれを止める。
アイリスティアがキョロキョロと周りを見渡すと、その人物の姿を見止めた。
その瞬間身体が硬直したように動かなくなった。
いつもの優しい微笑みを見た途端、身体からなにかが溢れる感覚を感じ、アイリスティアはそれに従った。
「お母様!」
アイリスティアは駆け出した。
誰もが感動の再会だと思い、目を潤ませた。
当然アイリスティアも、おかえりや無事で良かったといった心配から開放されたような言葉が送られると思っていたのだが、聞こえてきたのは違った言葉だった。
「捕まえた♪」
「え?」
「ライラ、それじゃあ行くわよ!」
「はい♪」
抱えて連れ去られるアイリスティア。
そして、残されたのはポカンとした様子の使用人たちとファティマたち。
―
アイリスティアが戦場へと行っている間、アヤは実家のほうに帰っていた。
期間にして一月ほどだろうか、アイリスティアが旅立ち数日ほどして、祖父との旅行なんかから帰ってきたマーサがアヤの様子を見に来たのだ。
来てすぐにアイリスティアのことを聞かれたため、本当はアイリスティアに会いたくて来たのだろうが、その時、アヤはうっかり口を滑らせてしまったのだ。
アイリスティアは戦地へと向かったと。
アヤの年齢を考えれば、同行しないのは当然のことのように思われるが、どうやらマーサはそうは思わなかったらしい。
アヤを連れて、ライラのところへと向かうと、しばらく預かる旨を伝え、それからこのお屋敷からそれほど離れていない実家のある町へと連れて行かれた。
久々に会った祖父は歓迎してくれたのだが、すぐに近場で冒険者をしている両親まで呼び出されると、地獄が始まった。
過酷という言葉すら生ぬるい。
祖母の礼儀作法の練習、奉仕の極意に始まり、今回同行できなかったことから、母からは格闘、剣術の稽古、父からは魔術の基礎。
夜には勉学を祖父から教わり、ほぼ一家揃っての指導、指導、指導…。
もう一度やれと言われたなら、アヤは全力で理由を探し、駄目ならばアイリスティアに頼んで、マーサを説得して貰うことだろう。
マーサはなんだかんだ言っても、アイリスティアのことが可愛いくて仕方がないのだ。
…まあ、私もアイリスティア様のためになるだろうと思ってなんとか耐えたのだが…。
今回のことを話せば、きっとアイリスティアが褒めてくれるそんな打算もあった。
そう思ってどうにか、今、ようやっと、屋敷へとたどり着いたのだ。
すると、出迎えたのは、ポカンと固まった同僚たちだった。
ラスティアまでもそんな間の抜けた様子だったため、何事かと思い、声をかける。
「あれ?皆さんどうかなさったのですか?」
「…あ、アヤちゃん、今日がおかえりでしたか…。」
馬車や見慣れない人たちがいたのは気になったが、彼女たちを歓待している様子ではなかった。
そのため、そんな過酷な試練に耐えたアヤを称えて出迎えたのかと思ったのだが…。
「は〜い、皆さん、お出迎えありがとうございます。
あとは各々各自で、それでは解散してください。」
ラスティアがパンパンと手を叩くと、ラスティアがさきの見慣れない人物たちを案内し、ほかのみんな散り散りに自分の普段の業務へと戻っていった。
ポツンと残されたアヤ。
「あ、あれ?」
アヤの間の抜けた声は虚空に消えた。
―
アイリスティアは出掛ける前に別れを済ませたアーシャの寝室へと連れてこられ、二人にベッドに押し倒されていた。
「ねえ、アイリス?聞きたいことがあるの。」
「な、なんですか?というか、アイリス?」
「ふふ〜ん!ライラと二人で考えたのよ!」
「はい♪アイリスティア様はもう一人前ですから、いつまでもアイちゃんのままではとアーシャが言い出しまして…それならと…。
ちなみにこれからはアイリス様と…私もお呼びします。」
「たぶんこれからアイリスティアはアイちゃんというには綺麗になりすぎちゃうと思うからね…。」
二人の言葉はどこか言い訳じみて聞こえたが、アイリスティアには理由はわからなかった。
まあそれはいいとして、とアーシャは続ける。
「なんでもまた新しい子を婚約者にしたそうじゃない?」
アーシャはどこか不機嫌そうに、ライラはどこか悲しそうな様子に見えたが、思わず言葉が出てしまう。
「え?ダメでした?」
「…あなたね…。」
と、どこか呆れた様子のアーシャと困った顔をしたライラ。
しかし、アイリスティアのまったく悪気のないそんな様子に興が削がれてしまったのか、二人はベッドから立ち上がる。
それに合わせて、アイリスティアも立ち上がろうとすると、
目の前に人差し指を突きつけてこう言った。
「私達はアイリスが帰ってくるのを心配して待っていました!なのにアイリスティアは戦争が終わってすぐに帰って来ずに、あまつさえ新しい婚約者を作ってきました!
…どう思うかしら?」
「え、えっと…そんなことしてないで、早く帰って来てほしい?」
「そう!アイリスも王宮で言っていたみたいよね。」
ライラもうんうんと頷いている。
「…。」
もちろんアイリスティアにも言い分はある。
聖女に選ばれたり、ハリベル伯爵を説得したり、ファティマ達を助けたりなど…。
しかし、それはあくまでもアイリスティアの都合。
アーシャもそんなことはわかっているだろうが、アイリスティアが伯爵を説得したときのことを知っていたらしい。
あえて、そのことをアイリスティアへと突きつけた。
おそらくこれは優しさというやつだろう。
アイリスティアはそれを感じ取った。
そのため自然と言葉が口から出ていく。
「ごめんなさい。」
アイリスティアのその言葉に二人は頷くと、二人は再びアイリスティアをベッドに押し倒す。
その存在を確かめるようにぎゅっとアイリスティアを抱きしめる。
「よかった…本当によかった…。」
漏れ出てくる二人のそんな声にアイリスティアはそれぞれの背中をポンポンを優しく叩くと、くぐもった声が聞こえ始めた。
その時、アイリスティアの目にもうっすらと涙が浮かんでいた。
「あっ、そうそう。
アイリス、当分の間ずっと私達と一緒ね。」
「えっ?ずっとって…どういう…。」
「おはようからお休みまでずっと。
ご飯もお風呂も寝るのもず〜っと一緒♪」
「…。」
アイリスティアは自分が気を遣いきれなかったのだから、それを受け入れるしかなかった。
―
ファティマたちの紹介が終わると、長旅の疲れを癒やすため、早速、お風呂となった。
ライラはファティマたちに部屋を案内するらしく、珍しく親子水入らずの入浴となる。
相変わらず自分の男らしさの片鱗もない綺麗な肌や髪、子供っぽいイカっ腹、さらには最近少しお尻のあたりが丸みを帯びてきており、やはりというかなんというかもう男らしくなりえるのは股の下についているものくらいなのだろうと確信させる体躯をしていた。
現実をありのままに受け入れろと見るたびに言われている気がして、完全に諦めた今日このごろ、しかし流石にこうはならないだろうなとアイリスティアは服を脱ぐのを手伝いながら、アーシャの裸を確認する。
アイリスティアと同じ綺麗な金の髪、どこか少女のようなシミ一つない肌、そして程よく育ち綺麗な形の胸、くびれたウエストの先には、桃のような小さなお尻、太ももは程よく肉がついていて、前世ではおそらくモデルなんかをしたら凄いのではないかと思う綺麗な身体に思わず魅入ってしまう。
「どうかしたの、アイリス?」
「えっと、はい。やっぱりお母様、お綺麗だと思いまして…。」
すると、アーシャは花が咲くような笑みを浮かべると、アイリスティアにこう言った。
「アイリスも大きくなったら、こうなれるわよ。」
「…えっと…それは流石に…。」
そんな言葉を言うのは、やめてほしい。
アイリスティアが前いた世界には言霊信仰というものがあったのだ。
本当に胸が大きくなったりしたらどうしてくれるのだ。
ただでさえ、もうお尻は怪しいのだから。
太もももなんかグレーゾーンだし…。
そんなアイリスティアが苦笑いを浮かべている様子をクスクス笑いながら、アーシャは手を引いていき、風呂に入れられ、椅子に座らせられる。
「今日は母様がアイリスのことを洗ってあげるわ♪」
風呂桶にお湯を入れ、アイリスティアの長い髪にゆっくりと水を馴染ませると、綺麗な金の髪がキラキラと輝きを帯びてくる。
「…綺麗…。」
「えっと、ありがとうございます?」
「うん♪綺麗になってくれて、母様嬉しい♪それじゃあぎゅっと目を閉じて。」
「は〜い。」
ぎゅっと目を閉じたアイリスティアに少し悪戯心が湧くが、これからしばらくこんなふうなことができるので、ライラとともにやろうと思う。
ふんふふ〜んと鼻歌まじりにシャンプーを泡立て、アイリスティアの髪を洗っていき、髪の柔らかく心地よい感触を堪能していたら、いつのまにか髪を洗い終えてしまった。
物足りない。
そう感じたアーシャはアイリスティアに提案する。
「アイリス、身体も洗ってあげるわね♪」
「?え、はい。」
アイリスティアとしては自分は子供だと自覚しているため、別段親が身体を洗うくらい構わないという感覚だった。
すると、アーシャはさらにご機嫌となり、素手でアイリスティアの身体を洗い始めた。
「んっ…お母様、なんで手で?」
てっきり備え付けのスポンジを使うのかと思ったが、予想外の感触にアイリスティアは思わず声を上げた。
「知らないの?アイリス、手で洗った方がスポンジなんかを使うより、肌に優しいのよ♪」
「そ、そうなんですか?」
「せっかく綺麗な肌なんだから、ちゃんとケアしてあげないとね。」
そういえば、前世ではそんなことが言われていたと思い出し、なまじそんな知識があるせいか、アーシャが単にアイリスティアの身体にスポンジなどという野暮なもの無しに直接触れたかっただけなのに気がつかず、さらには洗ってくれるとき同じように素手だったラスティアの行動にも納得してしまった。
アイリスティア自身、これからは自分で洗うときも気をつけようと思うようになり、おそらくこれから専属のアヤなんかが同じように洗うことがあっても物知りだなくらいにしか思わないことだろう。
「んっ!お母様、教えてくれてありがとうございます。」
「いいのよ、アイリス。」
そうして、アイリスティアの身体の隅々を洗っていき、アイリスティアの敏感な肌と声を楽しむ。
「ひゃん!」
「だ、だめ。」
「そ、そこは…。」
なんて声が聞こえるたび、もっともっととアイリスティアの可愛いらしい反応を求め、念入りにそれを行った結果、アイリスティアは放心状態となっていた。
アーシャは思いのほか大胆らしい。
―
正気に戻ったアイリスティアが自分の状況を確認すると、どうやらアーシャに抱えられて風呂の中にいるみたいだ。
お湯の暖かな感触とはまた違った柔らかくどこか安心する感覚が背中から感じる。
「アイリス、気がついた?」
「ふぇ?…えっと、はい…なにかあったのですか?」
さきほどアーシャに弄ばれた記憶がないアイリスティアがそう尋ねると、アーシャはなんでもないのよと言う。
ちょっとのぼせたのかなと自己解決し、今度はのぼせないように気をつけようと思った。
それからアイリスティアはアーシャと親子の語らいというやつをし始めた。
戦場でのことや聖女に選ばれたときのことだけでなく、エリザベートやファティマのこと、治癒術師たちのこと、さらには王都の教会から来るというエステルのことなんかを話すとアーシャは時折嫉妬からか、アイリスティアを抱きしめたりすることはあったが、一生懸命話すアイリスティアのその愛らしさからか、ほとんど顔は緩みっぱなしでアーシャは幸せそうだった。
ふとずり落ちてしまい、少し収まりが悪かったので、座る位置を整えようとすると、なにか紅いものが視界に入って来た。
なんだろうと思い、見上げてみると、アーシャの髪に一房、ルビーの如く紅い髪があった。
それに気がつき、アイリスティアは触れてみる。
すると、一転アーシャはどこか悲しげな表情へと変わった。
その雰囲気の変化をなんとなく感じとったアイリスティアだった。
しかし、アイリスティアはその口を抑えることができなかった。
そして、口からわずかな言葉が漏れ出た。
「…綺麗…。」
美しい金の髪の中に紅い髪が対比となっていた。
それはさらに水を含み、艶やかさを増していたのだ。
「…えっと…ホントに?」
「えっ、はい。宝石みたいで…。」
アーシャは目をパチクリさせると、信じられないものを見るような目でアイリスティアを見ていた。
しかし、アイリスティアがそれに触れて軽く弄んでいるのを感じて物凄く嬉しく思った…感極まったのだろう。
自然と頬から涙がこぼれ落ちた。
「…ありがとう、アイリス。
ありがとう…。」
涙を流し、そうお礼を言い続けるアーシャ。
その髪に触れ続けることが正しいと思い、アイリスティアはそれを続けるのだった。
これはのぼせた夢の世界なのか現実なのか、その時のアイリスティアにはわからなかった。




