40 女性たちと、マナとロアナの思い
謁見の間での一件の後、
アイリスティアは王によって呼び出されていた。
さきほどのことをやり過ぎてしまったため、
怒らせてしまったのかとも思ったが、どうやらそれは間違いらしい。
その場には、マナやロアナまでもがいた。
それにそんな杞憂は王の言葉によってすぐさま掻き消された。
「まずアイリスティアよ、大儀であった。」
「いえ、私の力など。」
「謙遜するな。お前のおかげでこの後のことはおそらく大きく変わることであろうよ。」
王はなにやらさきほどのアイリスティアの行いに意味を見出しているらしい。
どうやらそれは王妃ものようで…。
「アイちゃん、あなたの行い、言葉は私達、女性からすればよくぞ言ってくれましたといったものだったの。
戦が終わり、男達がするのは論功行賞に目を向けるばかり、それが悪いとは言わないけれど、戦死してしまった子供のことを悲しんでいる人もいる。
だってお腹を痛めて産んで、それからたくさんの思い出を育んできたものが失われたのだもの。
復讐なんかよりもただただ側にいてほしい。
母親、ううん、女なら言葉に出さずともそう思っています。
まして今回のハリベル伯爵たちの求めていたことなんて女たちからすれば、軽蔑の対象となっておりました。」
彼女は珍しく興奮した様子で、仕えている女性たちも大いに頷いていた。
それにどこか居心地の悪そうにする男性陣。
それを許そうとしていた王も当然の如くそんな様子だったが、そんな雰囲気を変えようとしたのか、アイリスティアに尋ねる。
「しかし…なぜアイリスティア、お主はそこまで考えが巡らせられたのだ?」
どうやら王には、なぜアイリスティアが自分でさえ気がつけなかったことに気がつけたのか疑問があるらしい。
その原因の一つとして、王は時間との戦いをしていたこともあるのだが、おそらく聞きたいのはそちらのことではないだろう。
アイリスティアは王の望む答えというやつを口にする。
「…僕は母達から淑女教育を受けて参りました。
その過程で色々なことを知ったのです。
この国では女性が男性をよく支えていて、助けられているということを…」
そうして説明をし始めた。
淑女教育には男をたてるといったものが存在する。
女は一歩引いて…というやつだ。
社交界でそういった様子は見られないが、家の中では顕著なのだ。
使用人があまりいない家では妻が家事をしているし、
仕事があるとはいえ旦那の方はまったくそれを手伝ったりなどしない。
また、酷いところでは口答えなど許さないことまである。
平時ではそんな行いが許され、戦時になるとさらに酷い。
彼女たちは場合によっては、自身の家財を売り払い、戦の資金にすることもある。
確か馬ではなく剣だったが、こちらにも前世では厳密には時代背景で間違っているとわかっている逸話の、内助の功のようなものまである。
とにかく、とにかく男が優先されるのだ。
そんな風に尽くしてきたのに、今回の伯爵たちは苦しんでいる妻たちを放って、恨みを晴らさんと復讐に身をやつそうとしていた。
それも女を辱めようという手法までも含む。
自分たちが悲しみに暮れているにも関わらず、寄り添ってくれることを望んでいる男が知らない女を抱きにいくのだ。
そんな行いを彼女たちは許すだろうか?
間違いなく妻たちの心は離れることだろう。
そうなってしまえば、さらなる破滅を待つのみとなってしまう。
アイリスティアは自分の父エドガーと母アーシャのこともあり、そんな決定的な不和の要因を放ってはいけなかった。
ある意味において、ファティマを助けることよりも重点が置かれていたかもしれない。
「…僕はただ伯爵たちもその他の人達も死んだ人たちを愛していたのに、全員がもっと不幸になってしまうのが見ていられなかっただけなんです。」
アイリスティアは寂しげに微笑んだ。
そんな様子にその場の者たちは息を呑み、
ただただそんなアイリスティアの思いやりに心を打たれた。
国王たちはアイリスティアを見くびっていた。
アイリスティアは可愛いだけの存在などではない。
彼女…いや、彼は間違いなく聖女なのだ。
そんなことを今更ながら確認させられた。
―
アイリスティアとしては普通のことを言ったつもりだったのだが、なぜか周りが感動していたので、居心地が悪くなったのか、物凄くこの部屋から退出したい思いに駆られた。
「話は以上ですか?」
「…いや、本題はこれからだ。」
その答えにやはりと思い、暗澹たる気持ちになったが、
次に王の発した言葉にアイリスティアはそんなことは吹き飛んでしまった。
正気に戻った王はどこか居住まいを正すと、
アイリスティアの目をしっかりと見てこう言った。
「アイリスティア・アトランティア。
貴殿に我が娘たちを託したい。」
「え?」
…だって…。
アイリスティアが視線をランカに移すと、あからさまに面白くなさそうなランカがいた。
その様子を見て、アイリスティアが言葉を続ける前に王が二人へと促す。
「ロアナ、マナ。」
アイリスティアの目の前におめかしをした二人が歩いてくる。
そして、優雅に一礼して言葉を紡ぎ始めた。
「この度、アイリスティア様と婚約を結ぶことができて大変嬉しく思います。
以後は未来の妻として、アイリスティア様を支えて参りたいと存じます。」
マナはロアナらしからぬひどくしっかりした挨拶を聞きながら、さきほどの出来事を思い出していた。
―
さきほどのこと、マナとロアナは謁見の間へと呼び出されたのだ。
「アイリスティアがアリス神によって聖女と選出された。」
その言葉はマナとロアナ二人へと衝撃を与えた。
「せ、聖女…ですか?」「…。」
「ああ。」
「…アイちゃんは男のはず。」
「…そうなんだがな…。」
大人たちはどこか引きつったような笑みを浮かべている。
どうやらこのことは王たちにとってもあまりにも予想外のことだったようだ。
しかし、それは納得するものでもあった。
アイリスティアのこれまでの功績である。
わずか三歳にして、王宮治癒術師以上の治癒魔術を行使し、
今では【グランドヒール】という最高位とされる治癒魔術だけでなく、範囲治癒魔術という馬鹿げた魔術を使えてしまっている。
さらには、【アイギス】、【ロンギヌス】などという大賢者ヘルミオーネオリジナルとされていた術式まで使用している。
どう考えても、もし仮に聖女でなくても賢者…もしくは大賢者となっていただろう。
そういう意味では、どちらにしても大して変わらないのかもしれない。
…いや、聖女は教会の介入を受けかねない…か…。
教会としては聖女…いや、真なる聖女とでも言うべきか…アイリスティアのことは是が非でも手中に収めておきたいことだろう。
またそれは他の国も同様だ。
そのため、今回の、あくまで聖女となる前の功績を称える機会があったことは幸運なのかもしれない。
そのことにより、アルファ王国はアイリスティアに褒美を授けることができる機会ができた。
しかし、おそらくこれが最後となるだろう。
これ以降のアイリスティアへの褒美のやり取りは他の国からの批判の対象となることだろうから…。
そのため、王とエドガーとしてはこの機会にできる限りのことをなすつもりでいた。
爵位はもちろんのこと、聖女としての活動を良からぬことを考える者や国なんかの喰い物にされないためのお金なんかも用立ててやるつもりだった。
他国がアイリスティアを取り込もうとする行いに尻込みするようなレベルのそれを…。
周りの批判もあるだろうが、
国益のためには仕方のないことだという建前ができよう。
しかし、王もまた父親だった。
娘の望みを叶えてやりたい気持ちもある。
それもまた今回が…。
「おそらくこれが最後の機会となろう。
お前達はどう考える?
アイリスティアとともにありたいか?」
覚悟はあるのかという裏の意味を含ませ、娘たちに問いかける。
その反応は両極端だった。
マナは何事かわからずキョトンとしていて、
もう片方のロアナは…その言葉を聞いた途端、
のんびりとしていたロアナの雰囲気が変わった。
「…王よ、あまり私を見くびらないでいただきたい。」
ロアナのしっかりとした受け答えにその場にいた者たちは目を見開いた。
皆がロアナの変わりように圧倒されている中、ロアナは語り始める。
「確かに私は普段だらけており、そのことからその行いを許してくれる人物との婚約などを望むなどと思われるかもしれません。」
おそらくだが、父もロアナが単にだらけたくて、趣味が合うから一緒にいたいのだと思っていたのだろうが、
どうやらその思いは想定以上のものだったらしい。
「しかし、私はそんなことよりもアイリスティア様のことの方が大切なのです。
姿を目にするだけで胸は高鳴り、その日一日は幸せな気持ちで過ごせます。
声を聞く。
話をする。
そんなことをしてしまえば、放っておけば愛おしい気持ちから顔が真っ赤になってしまう。
抱きしめ、一緒に眠るともうこれ以外のものはいらないとさえ思える。
…あの方との出会いから、数年ほどですが、
その間もずっと愛を育んで参りました。
ずっと…ずっと王にアイリスティア様との婚約を望んでいました。
そのことが叶うというのにどうして断ることがありましょうか?」
周囲は息を呑む。
「アイリスティア様の側こそ私の居場所。あの方とともにあれるならば地獄すら喜んで参りましょう。
もちろん、そのようなことにならず平穏無事に過ごせればなにより。
どのような状況、立場になったとしても私はアイリスティア様をお慕い申し上げ続けることでしょう…
おわかりいただけましたか?」
母と目で会話をする王が口を開く。
「…そうか…それならばなにも言うまい。
良き妻となり、アイリスティアを支えてやるといい。」
「ありがとうございます。」
優雅に一礼するロアナ。
それに満足そうに頷く王。
覚悟を尋ねる…その対象はマナへと移り…。
「してマナそなたは…。」
―
さきほどははっきりとアイリスティアへの思いを確信できなかった。
だから父に言葉を投げられても、口を開くことすらできなかった。
…でも今はそれでいいんだと思う…いや、思った。
今は…いや、今になってようやくわかった。
始めはただただ可愛いアイリスティアを良いなと思って、
こんな人が婚約者なんて姉のランカが羨ましく、できることならずっとこの子のことを愛でていたいとそんな風に思っていただけだった。
ロアナもどうせ似たような思いしか持っていないと思っていた。
実際は違ったようだが…。
ロアナの思いに触れ、
アイリスティアの思慮に触れ、
マナの思いは成長した。
…でも今は…
あまりにも純粋で優しいアイリスティアを支えてあげたい。
自分がいることで少しでも安らぎを感じてくれるなら…。
私の思いはロアナに劣る。
もしかしたらランカにまで劣るかもしれない。
…だけど関係ない。
思いが足らないなら、育めばいい!
支える力がないのならば、つければいい!
私はアイリスティアの側にいたい!
「…アイちゃん、僕をお嫁さんにして。」
内心の荒々しさに反し、か細く恥じらいを帯びた声だったが、周囲はその祈りにも似たそれにロアナにも負けない意思を感じた。
ボーイッシュでどこか男勝りに思われるが、姉妹の中で最も女の子な中身を持ったマナにふさわしい告白だった。
二人の覚悟…いや、愛にアイリスティアは答える。
「こちらこそよろしくお願いします。
僕もロアナさんとマナさんのことが好きです。
ずっと側にいてください。」
ロアナとマナの二人を正面から抱きしめ、互いの体温を感じあった。
その様子は男女のそれではなく、どこか百合を思わせる様相を呈していたが、そんな言葉を発するのはあまりにも無粋というやつだろう。
まあ、この後正気に戻った、もっと無粋なランカが大暴れすると言うことが起こるのだが、アイリスティアのことが好き過ぎるためだから仕方がない。




