38 教会に行くことになる
出かける時に財布を忘れる。
テーブルに服の裾を引っ掛け、ジュースをこぼす。
なにもないところでつまずく。
こんなうっかり誰でもあるんじゃないかと思う。
僕こと、アイリスティア・アトランティアもそんなうっかりをしてしまったらしい。
―
ランカの舞が終わり、子供であるアイリスティアにとっての眠る時間が近づいてきたため、
早めにあがらせてもらった。
後日、褒美の授与が行われるため、今日は王都の屋敷に泊まることになる。
王城からの帰り道、
ふと思い出して、ラスティアに尋ねてみたのだ。
「さきほど変なことがあったのです。」
「変なことですか?」
珍しくアイリスティアがそんなことを言い出したため、
どこかキョトンとするラスティア。
ラスティアは幅広く色々なことを知っているため、
おそらく何かしらのことがわかるかもしれない。
「ランカ様が舞を奉納しているとき、時が止まって僕に良く似た少女が現れて、魔王が現れるとかなんとか…。」
アイリスティアがその少女の装い、
状況なんかをさらに詳しく話す。
「…といった感じなのですが、
なにか意味があったりはしませんよね?」
アイリスティアの言葉に無言で考えるような仕草をするラスティア。
そんな彼女の口から言葉が漏れた。
「…まさか…。」
ラスティアはそう言葉を口にすると、
走っている馬車の扉を開けた。
「ラスティアさんっ!?」
ラスティアの急な行動に思わず声をあげるアイリスティア。
しかし、アイリスティアの静止など聞かず、ラスティアは御者をしていたハミルへと告げる。
「ハミル、行き先を変更します。」
「はっ!」
ハミルが馬車を止める。
「どちらへ?」
すると、ラスティアは口を開く。
「アリス教アルファ王国本部へ。」
「かしこまりました。」
―
それから教会に着くなり、咎めるシスターなんかが現れたが、ラスティアがなにか紋章のようなものを見せると、
丁重に案内され、ラスティアはさらに奥へと連れていかれ、アイリスティアはというと、今、応接間にいる。
その応接間は教会にこんな場所があるのかと思うほど豪華でまるで貴族のそれのような場所だった。
どう見ても、教会がする普通の応対ではないことにアイリスティアはすこぶる嫌な予感がしたので、
ひどく逃げ出したい気持ちに駆られるが、
相手はラスティア、そんなことをすれば、
地の果てまでも追いかけてくることはわかりきっている。
そのため、少し気をそらしたり、気分を転換したいところなのだが…。
あいにくハミルはアトランティア家へと報告に向かってしまい、ここには応対を任された若いシスターと警備の教会騎士のみだ。
それも応対を任されたはずのシスターはこちらに目さえ合わせようとせず、ずっと下の方を向いている。
それが教会の作法なのかと一瞬思ったが、そんなはずはないだろう。
貴族の御令嬢の作法を一通り身につけたアイリスティアが言うのだ間違いない。
アイリスティアはなぜそんな対応を取られるのかわからず、
少し尋ねてみることにした。
えっと…確か名前は…。
「エステル様、僕はなにか粗相をしてしまいましたか?」
「い、いえっ!そ、そのようなことは…。」
「ならば、なぜ…。」
「え、えっと…そ、それは…そ、その…。」
返答からもわかるようにシスターエステルはどうやらアイリスティアに怯えているらしい。
「エステル様、僕はあなたに何かするつもりはありません。
ですから、なにかお話でもしませんか?」
アイリスティアは努めてにこやかにそう言葉にしたのだが、
やはり警戒心は薄れず、エステルはどこか覚悟を決めたように言う。
「か、かしこまりました。」
それから、アイリスティアのほうがエステルへと、様々な話題を振るのだが、やはり返答は芳しくない。
エステルはやはり俯いたままで、返答は、「はあ。」「そうなのですね。」「なるほど。」といったもの。
こんなディスコミュニケーションはアイリスティアとしても、気晴らしどころか、かなり心に来る。
そのためアイリスティアはそれを打開せんとするため、
ファティマに使った手と同じ手を使うことにした。
「エステル様、お茶のおかわりをいただけますか?」
「か、かしこまりました!」
そう、エステルが部屋を出ていくのを見届けると、
アイリスティアは準備を始める。
―
エステルは警戒していた。
エステルは優秀なシスターだったため、
数年ほど前にも同じように聖女候補の応対を任されたことがあったのだ。
その人物は現在でも聖女候補筆頭とされるほどの人物で、
現聖女の孫ということで、
エステルは精一杯応対したのだが、つまらなそうにされ、結果としてもういいと部屋から追い出されてしまったのだ。
はたから見れば、エステルの応対は適切なそれで、
その聖女候補が無理難題を押し付けていただけだったのだが、生真面目なエステルは自分が悪いと思い込んでしまっていた。
そのため、アイリスティアの評判を微かに耳にしていた上役のシスターは少しでもそのトラウマの緩和になればと思い、
アイリスティアの応対を任せたのだが、
このままではその気遣いも水泡に帰してしまうことだろう。
エステルもそんな雰囲気をなんとなく感じ取っているため、
頑張ろうとするのだが、恐怖からか身が固くなってしまう。
そのためか、まともに身動きが取れず、
アイリスティアがお茶のおかわりを頼んでくれて、
内心、一息がつけたと思っているくらいなのだ。
要領の良い人物ならば、ここで時間を潰したりなどするのだが、そんな器用さは持ち合わせていない。
「ううう…行かなきゃだよね…。」
教会内部の清掃や儀式の準備へと奔走する他のシスターたちを羨ましく思いながら、応接間へとだどり着くと、
中からは楽しそうな声が聞こえてくる。
なんだろうと思い、エステルが顔を覗かせると、
教会騎士の二人とアイリスティアが笑顔で話をしているではないか、
そのとき、初めてアイリスティアの顔をしっかりと見たのだと思う。
馴染みの人物と笑いあっている様を見て、どこか安心感を覚えたのだろう。
アイリスティアは愛らしい容姿もさることながら、
優しさで周りを包み込むような雰囲気を放っている。
アイリスティアは、当時の例の聖女候補と同じくらいの年齢ではあったが、どこか邪気を帯びたような笑みではなく、
曇りなく優しげな笑みを浮かべている。
仕草も煩わしげな様子はなく、
相手を気遣うような素振りが行動の端々に感じられた。
もしかしたら、さきほどからずっと自分のことを気遣ってくれていたのかもしれない。
そんな風に思うと、すっと肩の力が抜けた。
そんな時、アイリスティアはエステルに気がついたらしい。
優しい微笑みを浮かべ、エステルに語り掛ける。
「エステル様もいかがですか、僕の自信作なんです。」
どうやらお菓子を食べていたようだ。
アイリスティアの手元には焼き菓子と思しきものがあった。
エステルも自然と笑みを浮かべていた。
「はい、アイリスティア様。」
様子の変わったエステルに驚きの表情を見せたが、
アイリスティアは嬉しそうに弾けるような笑顔を返してくる。
悪印象とまでは行かないがあまり良い印象を持っていなかった人物がアイリスティアの本当の笑顔に触れるのはやめたほうがいい。
アイリスティアのそれはあまりに強烈だ。
おそらくエステルも自ら作り出していた虚像とのギャップにやられてしまったのだろう。
そんなアイリスティアの愛おしさにエステルは自身の母性本能を刺激された。
か、可愛い…。
アイリスティアの子供っぽい嬉しそうな笑顔に胸を締めつけられ、ぎゅっと胸元を掴む。
すると、そんなアイリスティアのもとへとエステルは吸い寄せられるように向かい、隣へと腰を下ろしてしまった。
「え、えっと…エステル様?」
当然の如く訝しげな様子のアイリスティア。
しかし、エステルはどこ吹く風だ。
もうエステルには怖いものなどない。
ある種のトランス状態だ。
「なんですか?アイリスティア様?」
「す、少し近くないかと…。」
「そんなことはありません。
ところでアイリスティア様、私の膝の上が空いているのですが…。」
「え?」
アイリスティアはお菓子の効果があまりにもありすぎたのだと思い、これからはお菓子に頼るのは控えることにしたのは言うまでもない。
―
それから、エステルとすっかり打ち解け、お菓子を食べたり、お話をしたりとしているうちに眠くなってしまったアイリスティアは、エステルが膝を貸してくれるというので、お言葉に甘えた。
柔らかく暖かな感触にすぐに夢の世界へと旅に出れた。
どれほどか時間が経ち、ラスティアがやってくると、アイリスティアを起こして、余人が絶対に立ち入れないであろう風呂場へと連れて行かれる。
そこで裸に剥かれ、いつものように一緒に風呂に入り、全身を余すことなく洗われた。
アイリスティアにとっては慣れたことだったのだが、
なぜか同じように全裸のエステルまでそこにいた。
エステルは修道服に身を包んでいたので気がつがなかったが、ラスティアと同じくらいスタイルが良かったことには驚いた。
そんなこんなで身を清めたアイリスティアは、ラスティアに着替えさせられる。
その服も先程までの男性用?修道服と違って青を基調としたものではなく、清純な白を基調としたものだった。
例の如く男性用?らしいのだが、
どこか清純を思わせるそれはアイリスティアの嫌な予感を確信へと近づけている気がする。
そして、礼拝堂へと連れて行かれた。
礼拝堂の中には、この教会のシスターたちが集まっており、
全員がアイリスティアが入って来るなり、揃って一礼する。
うっ!
思わずそんなうめき声が漏れそうなほどの光景にアイリスティアはもう考えることをやめることにした。
そのままラスティアとエステルに先導され、先の祭壇の方にいる司祭と思しき人物のところまで連れて行かれる。
「アイリスティア・アトランティア様。
今から貴方様のスキルを確認します。
例外的な措置となりますが、どうかご容赦ください。」
…例外的な措置…。
なんとも不吉な言葉だ。
しかし、アイリスティアはそんな様子はおくびにも出さない。
マーサやライラたちの淑女教育のおかげだ。
「はい。お気になさらないでください。」
「…では、そちらに手をかざしてください。」
祭壇の上には、ハードカバーの本くらいのサイズの石板があり、司祭の言葉に従い、手をかざす。
すると、そこに光り輝く文字が浮かんできた。
文字は二列ある。
そして、アイリスティアは内心、額に手を当てた。
「いかがでしたか?」
ラスティアがいつものように優しげな笑みを浮かべている。
どうやらラスティアの目論見通りだと確信したらしい。
「…ラスティアさん、言わないと駄目ですか?」
「はい♪」
…本当に楽しそうだ。
ううう…ラスティアのいじめっこ。
「私のスキルは…。」
アイリスティアが自分のスキルを告白すると、礼拝堂は揺れた。




