07:◇現在◇冬眠する夫
呼びに来たオルグに連れられ、向かったのは王宮の敷地内。
だが目的の場所は本殿ではなく隣接している建物の一つ、こちらは騎士隊の詰め所である。
入り口には騎士隊の制服を纏う者達が数人集まっている。誰もがみなロゼッタとオルグに気付くと挨拶をしてくるが、等しく獣人といえどもその種族は様々だ。
犬、狐、虎、それに蛇もいる。だがエイベルの姿は無い。
「エイベルは朝からずっと屋内にいたんだ。だが大量の荷物が届いて、外勤組じゃ間に合わなくて数人出て行くことになり……」
「それでエイベルが外に出て、冬の風に当たったのね?」
言葉の先を予想してロゼッタが問えば、オルグが頷いた。
「予報では冬の風が吹くのは明後日だろう? だからまだ大丈夫だろうと思って油断してた。俺は熊だが冬眠はしないし寒さには強いから、どうにも冬の風には疎くてな。あいつらには悪いことをした」
「予想したって外れるんだから仕方ないわ」
気にしないで、とオルグを宥め、詰め所の奥へと向かう。
一番広い一室。オルグがまず先に部屋に入り、ロゼッタもそれに続く。
そこには四人の騎士が……、
床に倒れていた。
それはそれはもう力なく、ぐでんと音がしそうなほど。
一見すると事件性を感じさせかねない光景である。
とりわけここが王宮の敷地内で尚且つ騎士の詰め所、そして倒れている者達が騎士の制服を着ているのだから猶更だ。
何者かが押し入って室内に居た騎士達を倒していった。かなりの手練れでは……。と、こんな危機感を抱きかねない。
だがロゼッタは焦ることなく「お邪魔します」と一声かけて室内へと進むと、倒れている四人の騎士の内の一人へと近付いた。
エイベルだ。裾の長い外套からは銀色の蛇らしい尾が伸びており、その先まで力なく放るように床に寝ている。
「エイベル、起きて。ねぇエイベル」
声を掛けながら肩を揺すってみるも、エイベルは返事どころか動くこともない。
ゆっくりと動く胸元と聞こえてくる深い寝息が緩やかかつ深い睡眠を訴えてくる。
「これは随分と寝入ってるわね……。ねぇエイベルってば、寝るのは家に帰ってからにしましょう。ほら頑張って起きて」
これではまるで眠ってしまった子供をなんとか起こす親のようではないか。
だがそれでもエイベルは起きることなく、ロゼッタは仕方ないと肩を竦めた。
声を掛けても起きないとなると、起こす術は一つ……。そう決意し、ロゼッタはエイベルの外套の裾を捲って彼の腰元を露わにさせた。
肌色の上半身と、蛇らしい銀色の鱗に覆われた下半身。明確な境目は無く緩やかに肌が変わっていく。
そこにそっと指先を這わせ、こしょこしょと擽り出した。
「それは?」
とは、不思議そうなオルグの問いかけ。
彼は熊の獣人ゆえか肌も人間より頑丈で、更に毛質も硬い方だという。ゆえに多少触られてもびくともしないらしい。擽ったい、という感覚が今一つ分からないのだという。
だがそんなオルグへの返事はロゼッタではなく、彼の背後で様子を窺っていた数人の部下達からだった。
中にはエイベルと同じ蛇の獣人もおり、彼等は自分がされたらと想像したのかふるふると身を震わせている。
「なるほど、獣人によってはくすぐったいのか。それでエイベルは起きるのか?」
「はい。こうすると直ぐに……」
話しながらも横腹をこしょこしょと擽り続けていると、耐えられなくなったのかエイベルが身動ぎしだした。
ふ、ふ、とむず痒そうに笑う。次いで彼は薄っすらと目を開けると金色の瞳でロゼッタをとらえた。眠そうに、そして嬉しそうに、柔らかく微笑む。
「ロゼッタ、やめてくれよ。擽ったい」
「擽ってるんだもの、擽ったくて当然よ。それよりエイベル、寝るなら家に帰ってからにして」
「家……? ははぁ、さては寝惚けてるんだな。俺の可愛い奥さん、ここが家以外なら……いったい、どこだって……言うんだ……」
話の最中にエイベルの口調は微睡み、挙げ句、言い終わるや再び眠りに戻ってしまった。
その表情は先程よりも穏やかだ。彼としては『愛しい妻に寝惚けて起こされたが、なんて幸せなのだろう』といったところか。
ロゼッタとしてはたまったものじゃない。
カァァと音がしそうなほど自分の顔が熱くなる。きっと真っ赤になっているだろう。
なにせ『俺の可愛い奥さん』だ。
二人きりの時に言われるなら嬉しい言葉だが、いかんせんここは家ではない。そして二人きりでもない。
ロゼッタの背後には先程のエイベルの発言をバッチリと聞いた者達が居るのだ。
数人はこの甘すぎる発言に露骨に顔を背けて聞かなかったふりをし、かと思えばニヤニヤと笑っている者もいる。入隊時から面倒を見ているというオルグは言わずもがな後者であり、彼の笑みと言ったらない。
彼等は獣人とはいえ顔の造りは人間と全く同じだ。つまりニヤつきも言わんとしている事も分かってしまう。
いっそ各々の生き物らしい顔をしてくれればよかったのに……。
と、今だけは獣人の造りを恨みつつ、ロゼッタは熱くなった頬を押さえた。
「やだもう、エイベルってば……。寝惚けてなんてことを……」
「なるほど『俺の可愛い奥さん』か。いや、そう睨まないでくれ。夫婦仲が良いのは喜ばしい事じゃないか」
「……その顔は揶揄いたいと言っているようなものですよ」
「そりゃぁ揶揄いたいさ。だが俺は男爵家の出だ。いくら部下の伴侶とはいえ伯爵家出の女性を揶揄うような真似は出来ない」
「それはつまりエイベルの事は揶揄うって事ですね。この件に関してはエイベルの自業自得なので良しとしましょう」
あっさりとエイベルを見捨てつつも、ロゼッタは改めて彼へと向き直った。
いまだぐっすりと眠っている。先程より深く熟睡し心地良さそうなのは、近くにロゼッタがいると分かったからだろうか。うっかりするとまた『可愛い奥さん』と呼んだり、果てには抱きついてキスをしかねない。
二人だけの寝室でなら大歓迎だが、騎士のいる詰め所ではご免だ。
そう判断し、ロゼッタはおもむろに立ち上がった。オルグに対して首をふるふると横に振って諦めの意志を伝える。それとほぼ同時に、何かに気付いた獣人の一人が「あ、」と声をあげた。
「オルグ隊長、ラニカのところの奥さんが来ましたよ」
窓の外を見つめて彼が話す。
ラニカとは騎士の一人でコウモリの獣人である。背に生えた飛膜で覆われた翼が特徴的だ。
そして運悪く冬の風に当たってしまった一人でもあり、エイベルの隣で彼もまたぐっすりと眠っている。身を縮めて翼にくるまって眠る様はコウモリらしさを感じさせる。
「どうもぉ、皆さん。突然あんな寒い風が吹くんだもの驚いちゃいますよねぇ」
騎士の一人に案内されながら詰め所に入ってきたのは猫の獣人。ラニカの妻でミレイラだ。
愛らしい顔付きの女性で、栗色の髪にはペロンと垂れた猫耳。手足は同色の毛で覆われており、ゆらゆらと長い尻尾を揺らしている。
まさにモフモフ獣人といったミレイラの姿にロゼッタは表情を綻ばせた。
「あらあら、エイベルさんも冬眠しちゃったのねぇ」
「えぇ、そうなの。ぐっすり眠っちゃって、起こそうとしたのに寝惚けるだけ。それどころか寝惚けるだけじゃ飽き足らず、皆の前で惚気てくれて……。恥ずかしい目に遭ったわ」
思い出せば恥ずかしさが舞い戻り、頬を押さえながらロゼッタがぼやく。
これに対してミレイラは楽しそうに笑い、更には「もっと早く来れば良かった」と茶化してきた。
「でも予想よりだいぶ早く冬の風が吹いたものねぇ」
困ったものねぇ、とおっとりとした口調で話しつつ、ミレイラがラニカへと声を掛ける。
だが先程のエイベル同様にラニカも寝入っており起きる気配はない。返事すらしないラニカにミレイラが参ったと肩を竦め……、
そして彼を持ち上げると、持参していた台車に乗せた。
その迷いのない動き、「よいしょ」という穏やかな声色。まるで荷物を運ぶかの如く。
「ロゼッタ、エイベルさんを運ぶなら台車を使う? また戻ってくるわよぉ」
「大丈夫。うちは下り坂にあるからエイベルを乗せても落っことしちゃうし、それに、彼の尾がはみ出しちゃうわ」
「そういえば、最初に会った時もこんな話をしたわねぇ。懐かしい。では私はこれで。ロゼッタ、またお茶会でねぇ」
それではまたぁ、と相変わらず間延びした口調で別れの挨拶を告げ、ミレイラが詰め所を去っていく。
……ガラガラと台車を押しながら。
…………そこに夫であるラニカを乗せて。
その光景をロゼッタは半ば圧倒され、そして半ば「やっぱりあれこそが冬眠する夫を持つ妻のあるべき姿?」と考えつつ見送った。
同時に、エイベルと出会って最初に迎えた冬を思い出しながら。




