06:◇現在◇冬を呼ぶ風
仕事へと向かうエイベルを見送り、やってきた家政婦と共に家事をこなす。
家政婦は兎の獣人で名前はリニー。元々貴族に仕えていたメイドらしく、片足を悪くしてから大きな屋敷で働くのは難しいと悩んでいたところ、獣人伝に話を聞いたエイベルに声を掛けられたのだという。
さすが元メイド、しかも聞けばゆくゆくはメイド長にと期待されていたらしく、ちょこまかと働いてあっという間に家中を磨き上げてしまう。
ロゼッタも最初の頃はリニーが家事をしている間はお茶を飲んだり本を読んだりと過ごしていたが、いつからか彼女を手伝うようになっていた。
貴族の令嬢らしくない行動なのかもしれないが、今は一介の騎士の妻だ。それに手伝うことで彼女の仕事を早く終わらせ、空いた時間でクロッセルア国や獣人について教えてもらえる。
そうして三年も経つ頃には家事の腕前も上がり、リニーともすっかりと親しくなった。
他愛もない話をしながら家事を終え、三時のお茶を楽しんだ後、彼女を見送りがてら散歩に出る。それが定番だ。
「この間リニーが作ってきてくれたリンゴのアップルパイ、とても美味しかったの。今度作り方を教えてくれない?」
「気に入って頂けて嬉しい。それなら明日はリンゴを買ってからお伺いしますので、お掃除と料理の仕込みが終わったら一緒に作ってみましょうか」
「本当? 楽しみ。……っと、風が」
ひゅうと強く冷たい風が一気に吹き抜け、ロゼッタは風に靡いた金の髪を押さえた。見ればリニーの兎らしい長い耳も風に煽られて揺れている。
次いで二人揃えてぶるりと体を震わせたのは、先程の強い風に続くように酷く冷たい風が吹き抜けたからだ。
ここ数日は次第に寒くなっていたが、そんな気温の変化が子供騙しのように感じてしまうほどの冷たい風。今までの気温も何もかも全て攫っていってしまうほどに強く冷たく体を震えさせる。
「冬を呼ぶ風ですね。これで冬がきますねぇ」
リニーが白い毛で覆われた手を擦り合わせながら話す。
それに対してロゼッタは腕を擦りながら思わず「寒かったぁ」と情けない声をあげてしまった。
「いくら冬を連れてくるとはいえ、もう少しどうにかしてほしいわね。せめて前日に『明日の夕方に吹きますよ』って連絡がくればいいのに」
「今年は明後日に風が吹くと予想されていたんですけど。まぁ、こればっかりはどうしようもありませんね」
「自然には抗えないわね。でもせめてエイベルが室内に居てくれてたら良いんだけど……」
大丈夫かしら、とロゼッタが案じながら長い坂の上にある立派な建物を眺めた。
ロゼッタとリニーを文字通り震えあがらせた冷たい風。これは『冬を呼ぶ風』と呼ばれている。
一年を通して『冬』という季節は一ヵ月程度しかなく、まず数日寒くなり、そして冬と言える寒い時期が十日間ほど続き、また緩やかな気候に戻っていく。
先程の風は十日間程の『冬』と言える時期の始まりの風だ。現に先程の風が吹き抜けると途端に周囲の気温がぐっと下がり、耐え切れず慌てて帰ろうとする者すらいる。
「リニー、もし明日寒くて足が痛かったら無理をしないで休んでね」
「お気遣いありがとうございます。ですが明日はアップルパイを作るとお約束しましたから、這ってでも跳ねてでもお伺いしますよ」
跳ねてでも、というのは兎の獣人の定番ジョークだ。
それが分かってロゼッタは笑い、市街地の中央にある噴水前でリニーと別れた。
そうして家へと戻ろうとし、その途中「ロゼッタ!」と名を呼ばれた。
振り返れば幼い鳥の獣人がこちらに駆け寄ってくる。もっとも、鳥の獣人といえどもやはり顔付きや上半身は人間と似た造りだ。
だがコートの裾から覗く手は鳥の手である。指が長く、鱗に覆われている。下半身の方が鳥らしさがあるのだが、それは長いスカートに覆われているため見えない。
そしてなにより鳥の獣人らしいのが背中にある羽だ。
その羽をパタパタと動かしながら駆け寄ると、そのままパフっとロゼッタに抱き着いてきた。後ろにはこちらへと歩いてくる母親の姿もあり、ロゼッタに気付くとペコリと頭を下げた。
彼女達はリニーの古くからの知人で、彼女を介して親しくなった。母親の名前はフラーナ、娘はレラ。
「ロゼッタ、ごきげんよう!!」
「ごきげんようレラ、上品な挨拶をありがとう。さっきの冷たい風、大丈夫だった?」
「寒くてちょっと膨らんじゃった」
えへへ、とレラが照れ臭そうに笑う。
その可愛らしさに、そして寒くて膨らむという鳥の獣人らしさに、ロゼッタも表情を綻ばせた。
獣人の中には冬が来ると見目が変わる者もいる。体温を逃すまいと羽や毛の密度を変えるのだ。フラーナとレラが冬の風に当たって思わず膨らんでしまったのもこれである。
兎のリニーもこの時期は冬毛に変わり、「寒くなりましたね」の言葉と共にコートからモコモコした白毛をはみ出させている姿は堪らない。
「去年は予想通りだったのに、今年は早めに冬が来たわね。驚いて私まで膨らんでしまったわ」
背中の羽を宥めるようにわさわさと動かしながらフラーナが笑う。その仕草もわさわさと動く羽も、そこにズボッと入りこむレラもまた微笑ましい。
ロゼッタは思わず「私も入りたい!!」と声をあげかけるも、すんでのところでグッと堪え、「そうねぇ」と優雅に返した。
胸中では理性と欲望のせめぎ合いだったのは言うまでもない。……来年あたりはお礼の品を準備した上でお願いしてみようか。
「こんなに早いとエイベルさんはまだお仕事よね?」
「本当なら明日から冬眠休暇だったの。でも寒くなってからは内勤の仕事しかしないから、今の風に当たりさえしなければ帰ってこられるはず…………」
言いかけ、ロゼッタは一点に視線を止めて言葉を止めた。
フラーナとレラがその視線を追うように振り返る。
彼女達が元々いた方向。王宮へと続くなだらかな長い坂。
そこから一人の獣人がこちらに駆け寄ってくる。騎士の外套、下半身は二本足なのでズボンも履いている。遠目からでも分かる黒髪、優れた体躯、そして「ロゼッタ!」と呼ぶ太い声。
あれはグロッセルア国騎士団の一人、熊の獣人オルグ。騎士団の一つを率いる隊長でありエイベルの上官でもある。
「あれはオルグ隊長ね。あらあら、ということは……」
あらまぁ、とフラーナがなんとも言えない声を出す。
母を真似して、レラまでもが「あらまぁ!」と元気よく声をあげた。さらにはバサッ!バサッ!と羽を広げる。
その羽が再び彼女の背に大人しく収まるのとほぼ同時に、オルグがロゼッタの前で足を止めた。さすが熊の獣人というべきか、もしくはさすが騎士というべきか、走ってきたのに息一つあげていない。
「ごきげんよう、オルグ隊長。もしかするともしかしてですが、エイベルに何かありました?」
勘付いてはいるけれど暗に言葉を濁してロゼッタが問えば、オルグが深く頷いて「あぁ、そうなんだ」と話を進める。
「さっきの風に当たってエイベルが冬眠した」