15:◆過去◆星の欠片
拒絶の気持ちを込めて怒鳴りつければ、この拒否は気に障ったのか獅子の獣人が怒りに顔を歪ませた。
「この女……!」という声には先程までの侮蔑や愉悦の色はない。感情の起伏が激しいのか一瞬にして怒りを露わにする男に、ロゼッタはそれでも気圧されるまいと睨みつけた。
「お前は『星の欠片』を光らせるために生かしてやってるんだからな! こっちはどんな状態だろうと生かしときゃ問題ねぇんだぞ!」
ロゼッタの怒声に煽られたのか男が声を荒らげ、再びロゼッタの口を塞ぐために顔を掴んできた。
先程までとは比較にならない強さ。痛みを覚えてロゼッタの眉間に皺が寄る。
痛い、怖い。だけど……、と負けじと睨み返した瞬間「ロゼッタ様!」と声が聞こえ、衝突音と同時に扉が蹴破られた。
エイベルだ。彼は室内の光景を見るやすぐさま剣を抜いた。彼の背後には隊長やラニカの姿もある。
だがそれ以上室内に踏み込んでこないのはロゼッタが人質になっているからだ。獅子の獣人もそれが分かっているのだろう、ロゼッタの顔を掴んだまま彼等の方へと向けさせた。
「くそっ、お前が時間を掛けさせるから来ちまったじゃねぇか」
男が苛立たしそうに告げて舌打ちし、次いでドンと強くロゼッタの背中を押してきた。叩くとさえ言えるような容赦の無さ。
羽交い絞めにされていたうえに急に体を解放され更に背を強く押され、ロゼッタはバランスを取る余裕もなく前のめりになった。転ぶまいと足を踏み出すが力が入らず、体がぐらりと大きく揺らぐ。
……次の瞬間、細い何かがロゼッタの首に巻き付き、そして小さく弾けた。
「きゃっ……!」
悲鳴をあげて床に倒れ込む。
それとほぼ同時に獅子の獣人が窓枠へと手を着いた。逃げるつもりなのだろう蛇の獣人も「おい、待てよ!」と追おうとする。ロゼッタは立ち上がると同時に振り返り……、
蛇の獣人の足に、否、蛇らしい尾に、ナイフが突き刺さっているのを見て驚愕した。
「え……?」
と疑問の声を漏らしたのはロゼッタか、それとも刺された蛇の獣人か。もしくは騎士達か。
蛇の獣人がはっと大きく息を呑み、我に返るや「てめぇ!」と激昂した。彼もまた獅子の獣人に負けず劣らず感情の波が大きいのだろう、先程まで逃げようとしていたのが一瞬にして裏切った仲間に憎悪を向けている。
蛇の獣人の手が獅子の獣人の腕を掴む。一人だけ逃げる真似を許すまいと引き留めるためだ。だがその手を獅子の獣人はあっさりと振り払ってしまった。
そうして獅子の獣人は窓枠に足を掛け、恐れる様子もなく外へと身を乗り出していく。その手に、星の欠片が揺れるネックレスを引っかけて……。
「待って!!」
ロゼッタはすぐさま立ち上がり、窓枠へと飛びつくようにして手を伸ばした。
伸ばした手は獣人らしい毛で覆われた獅子の手に迫り、その手が掴むネックレスに指先を引っかけ……、
だが掴むことは出来ず、ロゼッタの体がぐらりと大きく前に揺れた。
床を踏んでいたはずの靴がずると滑り、むなしく宙を蹴る。
「ロゼッタ!!」
エイベルの声を聞くのとほぼ同時に、ロゼッタの体は窓の外へと落ちていった。
◆◆★◆◆
咄嗟に目を瞑ったのとほぼ同時に、ロゼッタの体を衝撃が襲った。
肺の中の空気が一瞬で吐き出され、上手く息を吸えない。体が痛い、苦しい。
「うぅ……」
小さく呻きながらゆっくりと目を開けた。
落下の衝撃で意識がクラクラとする。それでもロゼッタは己が無事だったことに把握し、次いで「エイベル様!」と声をあげた。
自分がなぜ高所から落ちて平気だったのかを理解した。
エイベルが庇ってくれたのだ。
彼は腕だけではなく尾も絡みつくようにしてロゼッタの体を抱え込み、その身すべてを呈して守ってくれたのだ。
「エイベル様、エイベル様!! ご無事ですか!」
目を瞑ったままのエイベルを必死に呼ぶ。
その声が届いたのか、閉じられていたエイベルの目が薄っすらと開き、金色の瞳がロゼッタを見つめた。
「……ロゼッタ様」
「あぁ、良かった……。御無事だったのですね……」
「お、俺は、平気です……。ロゼッタ様は」
「私も無事です。エイベル様が私を庇ってくださったから、怪我もしておりません。……でも」
ロゼッタはゆっくりと身を起こし、その場に座り込んだまま道の先を見た。
だがそこに獅子の獣人の姿は無い。彼はきっと着地し、そのまま仲間と共に馬に乗って逃げたのだろう。騎士達が追いかけていくが追いつけるかは定かではない。
蛇の獣人が残されてはいるが、裏切りに迷いのない男が囮にした仲間を助けに来るとは思えない。今頃きっと祭りの賑わいを横目に高笑いしながら馬車を走らせているに違いない。
……その手に星の欠片を持って。
ロゼッタが空を見上げれば、星の輝きは先程よりも強くなっており、そろそろ最高潮に達しようとしている。まるで地に降り立った仲間が舞い戻るのを今か今かと待っているかのように。
本来ならば、星の欠片を空に戻すと輝いていた星達が夜空を流れはじめ、最高潮になると一際輝いていた星が二つに割れて地へと落ちていくのだ。
「星の欠片が……どうしましょう……。空に返さないといけないのに……」
無いと分かっていても首に触れる。当然だがそこにネックレスの感触は無い。
溶き飛ばされた瞬間、獣人の手はネックレスを掴んでいたのだ。ロゼッタの首に食い込んでネックレスは切れ、そして星の欠片と共に獣人の手に渡ってしまった。
一年前の今日、手の中におちてきたあの日から肌身離さず持っていたのに。
「あの時、ちゃんと掴めていれば……」
窓から飛び降りる獅子の獣人を追った時、ロゼッタの指先は確かにネックレスに触れた。
だが奪い返すまでには至らず、そのまま無様に落ち、更にはエイベルに身を挺して助けてもらったのだ。
結局なにも出来ていない。むしろエイベルに怪我をさせてしまったかもしれない……。
そう考えるとロゼッタの胸は痛みとさえ言える苦しさを訴え、耐え切れずに俯いてしまった。
星の欠片を奪われ、これからどうなるのか分からないという不安。国や国民に恨まれるのか、家族にも迷惑をかけてしまうと考えれば不安を通り越して恐怖が湧く。
絶望に視界が揺らぐ。己の不甲斐なさに息が詰まる。
「ロゼッタ様……」
「私、結局なにも出来ず星の欠片を奪われただけで……。エイベル様にも、国にも、迷惑を……。これから災厄が……」
「どうか落ち込まないでください、ロゼッタ様。災厄なんて起こるわけがない。俺達は星の欠片を蔑ろにしたわけじゃない、不当に奪われて、貴女は奪い返そうとあいつらに立ち向かった。星はそれを理解してくれるはずです」
エイベルの話に確かな理由は無い。
ただ彼がそう考え、そして信じているだけだ。ロゼッタを慰めるためである。
いくらエイベルの優しい気遣いとはいえそれに縋るわけにはいかない。むしろ彼が優しく慰めてくれるほどロゼッタの胸が痛む。
星の欠片を空に送り返せない。
それはつまり……。
「わ、私……、エイベル様の運命の相手ではないのでしょうか……」
震える声で問えば、ロゼッタの目から涙が溢れた。




