01:◆過去◆もふもふを愛する令嬢と星の欠片
伯爵令嬢ロゼッタ・オルセーナはもふもふした動物を愛している。
愛らしさを詰め合わせた柔らかくもふりとした猫、活発さと可愛さを兼ねた健康的でもふりとした犬。長い耳の先まで満遍なくもふりとした兎。ハムスターやモルモットのちょこちょこもふもふとした姿も堪らない。
全身を毛で覆われた生き物のなんと素晴らしい事か。見た目、柔らかさ、手触り、動く様、すべてが愛おしい。
「それに比べて人間は毛が少なすぎると思うの。全身に毛が生えるように進化すべきだわ。貴女もそう思うでしょ? エリー」
「同意を求めるなら、せめてうちの猫のお腹から顔を上げてからにしてくれないかしら」
「そうね。猫を吸いながらは失礼だったわ」
ごめんなさいね、と一言謝罪してロゼッタは顔を上げた。
優雅な仕草でハンカチを取り出し口元を拭うのは猫の毛がついているからである。
更にそれだけでは足りないと、猫に顔を埋めていたことで乱れてしまった金の髪を手早く整える。――正確には顔を埋めている間に猫に毛繕いされて乱れたのだが、もちろん文句を言う気はない。むしろ猫に感謝するべきだ――
そうして深く一息吐いて落ち着きを取り戻し、目の前に座る友人へと視線を向けた。
「それじゃぁ改めて問うわね。人間は毛が少なすぎると思うの。全身に毛が生えるように進化すべきだわ。エリー、貴女もそう思うでしょ?」
「思わないわね」
「顔の上げ損、これは罠だわ」
騙されたわ、と文句を一言残し、テーブルの上でゴロンと横たわる猫のお腹に再び顔を埋めた。
この猫は今お茶をしている男爵令嬢エリーの愛猫ベル。白色の長毛種で、愛でて良し撫でて良し顔を埋めて吸っても良し。
そのうえ顔を埋めながら「ベル、私を癒して」と告げればウナンと返事をしてくれるのだ。これはきっと「よくってよ」という意味だろう。この寛大さ、さすが貴族の猫。
こんなベルを毎日撫で、愛で、顔を埋められるエリーが羨ましい。
思わずロゼッタが羨めば、エリーが「それなら」と話を続けた。
「親戚の家で子猫が産まれるんだけど、ロゼッタのところに一匹……。無理ね。聞くのも無駄だったわ」
言い終わらぬうちにエリーが発言を撤回してしまう。その速さと言ったらない。
あまりの速さにロゼッタは恨みがましい表情でベルから顔を上げた。今回は口元をハンカチで拭う余裕もない。
「私だって無駄だとは分かっているけど、一瞬ぐらいは期待させてくれても良いんじゃない?」
「期待しても落ち込むだけよ。アレルギーはお母様と二人のお姉様だっけ?」
「それとお兄様も一人。家族の半分以上がアレルギーなんだもの、動物を飼いたいなんて口が裂けても言えない……」
「難儀なものねぇ」
家庭事情を嘆けば、エリーが他人事と言った口振りで慰めの言葉を掛けてきた。
オルセーナ家は当主である父と母、三人の息子と三人の娘がいる。ロゼッタは末の三女だ。
そのうち母と二人の姉と兄一人が動物に対するアレルギーを持っている。幸いロゼッタと二人の兄は難を逃れたが、父は動物に興味はなく、兄達は動物よりも専ら家業や騎士業にご執心だ。
更には『オルセーナ家は動物を飼えない』という話が広まって、動物が苦手だったり同様のアレルギーを持つメイドや給仕達が集まっている。
先日も年若いメイドが一人、
『お仕えしていた家で猫を飼い始めて、そうしたらくしゃみが止まらず、目もかゆくなって仕事どころでは無くなってしまったんです。どのお家もいつか動物を飼うかもしれないと思ったら不安で……。これではどこにお仕えして良いのか分かりません。どうか、どうかオルセーナ家で働かせてください……』
と、涙ながらに仕事を求めてやって来たばかりである。ちなみにこの訴えに母達は同情と共感を抱き即採用となった。
そんな状況では動物を飼いたいなど言い出せるわけがなく、ロゼッタは募るもふもふへの愛をこうやってベルのお腹に顔を埋めることで晴らしていた。――ちなみに家に帰る前に身を清め洋服を着替えるのも忘れない。――
いくら貴族といえど体質はどうにもならない。
そもそも彼等だってなりたくて動物アレルギーや動物嫌いになったわけではないのだ。それを無理強いするのは酷どころではない。非道だ。
「でも、結婚して家を出れば猫でも犬でも飼えるんじゃない? それで、ねぇ、運命の相手は分かったの?」
話題を変えるやエリーが瞳を輝かせてぐいと身を寄せてくる。
彼女に問われ、嘆いていたロゼッタはパッと表情を変えて頬を赤くさせ「運命の相手……」と呟いた。
◆◆★◆◆
話は先日行われた星祭りまで遡る。
星祭りとは年に一度、世界中で同時に行われるお祭りで、その夜は大量の流れ星が空を覆う。
祝い方は各国様々ではあるものの誰もがこの日を心待ちにし、そして夜になると世界中の誰もが夜空を見上げるのだ。
そんな星祭りに関して、古くから言い伝えられているのが『星の導き』である。
数え切れぬほどに流れる星、その中でも一際輝く星が弾け、光の尾を二股に分けて地面に落ちていく。
星の欠片は国も人種も性別すらも関係なくこの世界のどこかにいる二人の手に落ち、選ばれた者は来年の星祭りには一つに合わせた星を空に送り返さなければならない。
そして星に選ばれた者達が幸せに寄り添い続けることで、世界や国に安寧が与えられる。
星の欠片を手にした二人は巡り合い、そして結ばれる。
物語じみた話ではあるが、実際に流れ星が空を覆ってしばらくすると眩い星が弾けて地面に落ちていくのだ。
更には過去幾度か星祭りを蔑ろにした国が災難に見舞われているため、今では星に導かれた者を国全体どころか国家間で協力しあって探し出している。
そんな星の欠片がロゼッタの手に落ちてきた。
それはそれは眩く美しく、あの光景も、手の中に星が落ちてきた時の感動も、きっと生涯忘れることはないだろう。
「でも、あまりの眩さに目をやられたかと思ったわ」
「それほどまでなのね……」
「みんなで悲鳴をあげて、しばらく目の前がチカチカしてたわね。……それで、ようやく視界が戻ってきた時に私の手の中に星の欠片があったの」
「ねぇ、今も星の欠片を持ってるんでしょ? 見せてよ」
ぐいと身を乗り出して求めてくるエリーに、ロゼッタは苦笑を浮かべて「また?」と返した。
星の欠片が落ちてきてから今日で一ヵ月。エリーとは三度お茶をしているが、そのたびに彼女は星の欠片を見せてくれと言ってくるのだ。
否、彼女だけではない。知り合いの令嬢や夫人、それどころか今まで挨拶程度の仲だった者まで、星の欠片を見てみたいとロゼッタに話しかけてくる。
ロマンチックな伝承ゆえ比率で言えばやはり女性が多いが、中には男性がコソリと声を掛けて頼んできたり、夢や憧れはないが物珍しさに一度……という者もいる。
もっとも、そうは言いつつもロゼッタも満更ではなく、するりと胸元からネックレスのペンダントトップを取り出した。
星の欠片。
手の中に落ちてきた時から肌身離さず持っている。――さすがに手に落ちてすぐに光量は落ち着いてくれた――
欠片の大きさは小指の爪程度だろうか。透き通っており、それでいて見る角度によって薄っすらと色を変える。どんな宝石と比べても引けを取らぬ美しさだ。
手のひらに乗せて見せればエリーがほぅと見惚れて吐息を漏らした。ロゼッタもうっとりと星の欠片を見つめる。
ベルだけは興味がないようで、星の欠片ではなくロゼッタの手を嗅いで、まるで「そんなものより撫でて」と言いたげに頭を擦りつけてきた。顔の周りは短めにカットされているが、それでもふわふわだ。
「ベルが私の運命の相手だったらよかったのに……。ねぇ、もしかしてベルのこのもふもふの中に星の欠片が隠れてるんじゃない?」
星祭りの晩、頭上高くで星は二つに分かれた。
一つはロゼッタの手に落ち、そしてもう一つは……、ベルのもふもふとした長毛の中に落ちたのかもしれない。これだけ長く密になった長毛なのだ、小さな星の欠片が紛れ込んでいても気付かない可能性はある。
そう冗談交じりにロゼッタは話し、次いで「調べさせてもらうわね」とベルの柔らかな毛を掻き分けるように撫でた。エリーがこの冗談に楽しそうに笑う。
「それで、ロゼッタはどんな人が運命の相手だと思う?」
「それは出会ってみないと分からないわ。でも、もしも獣人だったら……」
「獣人……。確かに、運命の相手だとしても獣人は異種族過ぎて」
「もしも獣人が運命の相手だったら毎日その柔らかさを堪能できるのよ、最高だわ! ベルみたいな動物も好きだけど、結婚相手となるとやっぱり獣人よね。犬の獣人、猫の獣人、狐や兎も素敵。狼や熊は怖いけど獣人なら通じ合えるし問題無いわ。大きなもふもふ獣人……!」
「……異種族過ぎてちょっと不安になる、って言おうとしたけど野暮だったわね」
エリーが肩を竦めて「これは止まらないわね」とベルに話しかける。
だがそんな親友の言動も、ましてやベルの『ンナム』という返事も、獣人への愛を語るロゼッタの耳には届いていなかった。