第8話『たのしいしょっぴんぐびより』
20240317 一部修正
パテルの言葉を脳裏に想起しながら、メイは車から降りた。
『――ここにいる者のほとんどが<魔法使い>なんだ』
そんなことを言っていた。
メイはようやくたどり着いたその言葉に、なぜだか高揚感を覚えた。この世界へ来てから良いことなんて何もなかったが、ここへきて心が躍っていた。
『魔法使い』とは、その名の通り、そしてメイのいた世界で広く知られていた通り、『魔法』を使用できる者たちの総称だ。
この世界にはその空想の産物が実在しており、パテルとオスカー、エル、それに使用人のうちの何人かは実際に魔法を行使できる『魔法使い』なのだ。
この世界へ来てからというもの、非現実的なものを見たのは例の『黒い巨体』くらいのものだろうか。
街の風景には、いわゆる中世風ファンタジーの匂いがするものもあったが(オスカーが言うところの“古典趣味”というやつだろうか)、この世界には車があり、銃器があり、現代と同じだけの技術力があった。……というか、この世界の科学技術力はメイのいた世界を超えているであろうことは、今日街に出かけてからだんだんと知ることになるのだが。
そのため、冒険活劇を夢に見たようなワクワクは、これまであまり感じられなかった。
しかし、ここにきて『魔法使い』という存在を知ればどうだろうか。この単語に興奮しない現代人はいまい。
そんなわけで、メイは目の前に立つオスカーに、先ほどまでとはまた違った感情を抱くのであった。
「ああ、そういえば……、あの黒い巨体は何だったの?」
メイは伸びをして、少し身なりを整えてから、オスカーに問うた。
「分からない。初めて見た」
オスカーが答える。背が高く、筋肉質で、黒のコートを着ている、美丈夫の青年だ。黒の短髪を、軽く前髪を上げてすっきりとした印象にしている。
「おそらくあの場にいた誰かの使役していたゴーレムか何かだろう」
――ゴーレム……?
それは結局、何なのだろうか。メイは結局分からない。ゴーレムと言ったら、煉瓦で作られた怪物、というイメージがあるが、黒い巨体はそれには見えなかった。
「黒い巨体? 何の話?」
オスカーの隣にはオスカーよりさらに背が高い美青年がいた。――エルだ。ベージュのコートを着ている。コートを着ているのを見ると、ますますモデルに見えた。彼は肩まで伸びた金髪を緩く外ハネにしている。
「屋敷までたどり着く前に襲われたの。黒くて、大きな怪物に」
「ふーん……? まあ、とりあえず行こうか」
メイは、オスカーとエルとともに、街にショッピングに来ていた。
それもやはり、中世的な市場ではなくて、馴染みのある雰囲気の大型ショッピングモールだった。
「メイちゃん、何か困ってることない?」
エルがメイの顔を覗き込む。
信頼を得るためのアピールだろうか、リーベルタースの人間はやたらとメイのことを気にかけ、露骨に優しくしていた。
「大丈夫だよ。ああ、でも、わからないことが……」
「なに?」
話しながら、三人はカートと籠を取って、ショッピングモールの中へと進んだ。
三階建てのショッピングモール。吹き抜けのアーケード型になっている。
「私、魔法使いの学校に行くんでしょ?」
ここに来る前、パテルから伝えられた。
オスカーやエルとともに学校へ通うわけだが、魔法使いである彼らは、魔法使いのための学校に行くそうだ。で、つまりそれは、メイも魔法使い用の学校に行くというわけになる。
「そうだよ」
「でも私、魔法なんて使えないよ」
当然だが、メイは魔法使いではない。元居た世界には、メイの知る限り魔法なんてものは存在しなかったし、魔法の実在だって、今日知ったばかりだ。
「そうだねぇ……、パテルさんはどういうつもりなんだろう?」
「あの男のことだ。俺たちが知らない何かを知っててそうしているんだろう」
オスカーが会話に加わる。
「私たちの知らないこと? つまりどんなこと?」
「…………。俺たちの知らないことだ。俺たちの行く学校の校長はパテルと長い付き合いだ。二人の間で何かしらの相談があったのかもしれない」
「――ともかく、私、どうすればいいんだろうって。魔法使えないのに、魔法を習う授業で単位なんて取れっこないよ」
メイは歩きながら頭を抱えた。すでに、面倒に感じてきていた。まだ学校に行く準備すらしていないのに。
「そもそも、全く使えないとも限らない」
悩むメイに、オスカーは加えて話す。
この発言には、エルすらも首を傾げていた。
「そうなの? でも、“魔法は才能”って、有名な話だよ」
「ああ、結局は才能だ。だが、“どこまで持っているか”には個人差がある」
「つまり?」
二人の問答に、メイはますます混乱を極めた。
知らない世界のことの常識を語られても、よく理解できなかった。知らない用語が出てこなかったのがせめてもの救いか。
「ああ、まさにエルが良い例だ。『回復魔法』を使える魔法使いは少ない。……エルは“魔法を使える”という才能を持った人間の中でも、さらに“回復魔法を使える”という才能を持っている」
回復魔法は他の魔法に比べて特別なのか。それとも、魔法使いにはそれぞれ得手不得手があって、人によって使えるものが異なるという話だろうか。メイはいまいち要領を得られなかった。
「あー、なるほど! 『固有魔法』とかもそうだよね」
エルは合点がいった、というように両手を合わせた。
「…………」
オスカーは無言で肯く。
「つまり、どういうこと?」
メイは自分を除いて進んでいく会話に、必死にしがみつく。
「メイちゃんも、自分が知らないだけで、魔法自体は使えるかもねってことだよ」
エルが言った。
「うん? 才能はないけど少しなら魔法は使えるかもってこと? でも、一切使ったことないんだよ」
「メイちゃん、『杖』は持ってるの?」
「杖……? 杖って、魔法の杖のこと!?」
「うん、そう」
「持ってないけど、ここにはそういうのがあるんだね!」
メイはまたもや胸を躍らせていた。
――魔法の杖! この世界の魔法ってそういうタイプの魔法なんだ! ハリー・ポ〇ターは大好き。
メイは読書は苦手だったが、好きな映画の原作となれば、読まずにはいられない性質だった。
彼女は少し、自分にはすでに魔法の知識があるのではないかと勘違いしてしまったが、すぐに思い直した。つい数秒前に自分には理解できない、魔法についての会話が展開されたばかりだったのだ。
「あるよ。魔法を使うときの、いわば“銃”の役割のしてくれる。熟練者はほとんど使わないらしいけどね」
「杖なしで魔法を使うことは、鍛錬次第で誰でもできる。魔法さえ使える人間ならな」
銃器にすら馴染みのないメイにとっては、エルのたとえはやはりよく分からなかった。
「魔法の発出口」ということだろうか。
それに、頻繁に“才能”という単語が出てくるのも気になった。
エルも、「魔法使いは才能」と言っていた。魔法が使えるのも才能、回復魔法も才能、固有魔法と言われるものが使えるのも才能……。今のところ、努力でどうにかなると言われたのは、杖を使用せずに魔法を行使することくらいだ。
「持ってないなら、学校に行く前に買っていかなくちゃね。制服と教科書も……、ここじゃ買えないだろうから後日になっちゃうけど……」
「制服があるのね。……よかった」
メイは胸をなでおろした。
「どうして?」
と、エル。
「私、洋服見たりするのは好きなんだけど、センスはなくて。私服登校ってそういうのが露骨に出そうだから、苦手意識あるんだよね」
「なるほどね?」
エルはそう言いながらも、共感はおろか、あまりメイの感覚を理解してもいないようだった。
彼を見ればわかる。おそらく、というか確実に、彼はファッションやらお洒落することやらが好きなタイプだ。
「でも、全寮制だから、どちらにせよ私服見られちゃうよ」
「えぇ!? やだあ! ……えぇ……、やだぁ……」
メイは肩から脱力した。
「相当嫌なんだね。大丈夫、僕、他人のコーデ考えるの好きだし、任せてよ」
エルはそう言って胸を張った。言われなくとも、彼がファッションに凝っているのは明白なのだが。
****
「ふー、いっぱい買ったね」
メイの用事で二人を振り回してしまうことに、小さな罪悪感を抱いていたが、それは無駄だったようだ。
エルはメイの何百倍も楽しんでいたようで、帰る頃には爽やかな汗を流していた。
それに、メイの服を買いに来ていたはずなのに、同じくらいの量の自分の服を購入していた。
メイの服は結局、宣言通りすべてエルが選び、コーデを組んでくれた。そのうえ代金まですべて負担してくれた。なんの断りもなく支払いが済まされていたので、彼はモテる男だと思う。メイは支払いについてよく考えずにここまで来ていたが、よく考えたら一文無しなのだ。
この世界の服は、メイのいたところでいう洋服と同じ姿をしていた。
オスカーはというと、ほぼ無言で二人のやり取りを見守り、メイが試着するすべての服を褒めてくれた。
シンプルなグレーのパーカー。
ガーリーなセーター。
男勝りのバイカースタイル。
柄もののジャケットにワイドパンツを合わせた古着風のスタイル。
プリーツスカートや、スキニーのジーンズ……、エルはメイたちを連れてショッピングモール中のテナントを回り、あらゆる服をメイに着せてみせた。
そのすべてに、オスカーは「きれいだ」という言葉をくれた。
うれしい。
やはり優しい男なのかもしれない。というか、優しい。
そんなわけでメイとオスカーも含めて、三人は満足感を携えてショッピングモールを後にした。
メイからしたら、興奮と驚きの一日であった。
――この国は、私のいたところよりも発展している!
魔法だけではない、この国は科学技術も発展しているのだ。
一部の店舗は、店員はおらず、1~2台のドローンが店内を徘徊していた。
もちろんそういった店舗がすべてというわけでもなく上手く普及しているわけではないようだったが、興味深くはあった。
とはいっても、ショッピングモールのインフラは見慣れたものが多かった。
公共のものは、いくら技術が発展しても、時代についてこれない一定数の人間を考慮して、それが反映されづらいのだろうなと思ったりした。
目立って違和感を覚えたのは、トイレが「男性用」、「女性用」、「亜人用」に分かれていたことだった。
また、メイの元居た世界と、この国の技術のギャップをより感じたのは、ショッピングモールを出た後だった。
「すごいね、この国。ロボットがたくさん」
街中では、球体上の本体にプロペラがついたドローンや、無人タクシー、人工知能盲導犬が確認できた。
「機械は嫌い?」
エルはメイに問う。
「別に、嫌いではないかな」
「僕の実家があるところはあんまりロボットいないよ。田舎だからね」
エルのすらすらとした言葉に、メイは些細な違和感を覚えた。
「実家? 今のお屋敷とは違うの?」
「……? そうだよ、僕には僕の家があるよ」
エルはそう言って首を傾げる。
首を傾げたいのはメイも同じだった。パテルには別荘がいくつもあって、その一つという話だろうか。
「オスカーたちもそこに住んでるの?」
「な、なになに? どういうこと? そんなわけなくない?」
メイも、エルも、ますます角度をつけて首を傾げた。お互いがお互いの言葉を正しく解釈できていないことだけが分かった。
そんな二人の様子を見て、そのすれ違いの原因に気付いたオスカーが会話に割り込む。
「エルはパテルの子どもじゃないぞ。ついでに言うなら、俺とルグレも」
「……え……?」
メイはオスカーのほうを見る。彼の落ち着き払った目を見て、嘘ではないと分かる。
「ああ、なるほど! そうだね、僕らは血のつながった兄弟ではないよ」
「そうなの!? じゃあどうして一緒に過ごしてるの?」
メイは彼らの関係性に言及する。まだ出会ったばかりのほぼ他人、家庭環境を明かされていないことを不服には思わないが、興味がないと言えば噓になる。
「それは、パテルさんが変わった人だからだね」
エルは指を立ててそう言う。
「ほう……?」
「彼は孤児を買い集める奇癖があるんだよ」
彼らと話していると、疑問点が次々と生まれて、変に会話の方向性が曲がってしまう。
それもこれも、メイ自身がまだこの世界自体に慣れていないからだろう。世界への理解が足りていないため、常識も習慣も分からず、彼らの状況や会話を上手に消化できていないような感覚がある。
「孤児? でも、エルには実家があるんでしょ?」
メイは、孤児という言葉は親を持たぬ子どもを指すと記憶していた。
「まあね。うちには、孤児じゃない人もたくさんいるよ。いまどき亜人を雇う金持ちも少なくないしね」
「使用人に亜人が多いのも、珍しいわけじゃないんだ?」
メイはパテル邸の様子を思い出しながら問う。
あの屋敷は、むしろ純粋な人間のほうが少なかった。純粋な人間という表現は、不適切かもしれないが。
「たぶんね。屋敷の中に亜人を入れたがらない人間もいるからさ。ルグレが嫌味言ってたのはそういう感じだね。気にしなくていいよ」
「気にしてないよ、私が世間知らずなんだろうなとは思ったけど」
この世界では亜人は差別されているのだろう。亜人が生活の中に浸透していて、おそらく仲良く過ごしているのであろうルグレにとって、外から来たメイのような人間は、警戒の対象なのだ。それが彼なりの優しさだというのならば、何も道理を理解できていなかった自分に、彼を責める権利はない。
「それがいい。世界のすべてを知っている人間なんていないんだ。少しずつ、知りたいことだけ知っていけばいいんだよ。……まあとにかく、パテルさんは人を集めて一緒に住むのが好きなのさ。だから僕みたいな、都会の貴族に甘えたい人間や、天涯孤独になった亜人なんかを援助して一緒に住んでるんだ」
「……へえ。いい人なんだね」
「たぶんね」
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気づけば、夕暮れ時になっていた。メイ自身も意識せずショッピングを楽しんでいたのだろう、思っていたよりも時間が過ぎていた。
メイらはそんな中、オスカーの車のところまで戻ってきていた。
ショッピングモールの駐車場だが、エルの提案で街中を少し回っていたのだ。メイはこの世界を知らないから。
「え?」
しかし、問題は突然やってくる。
「うーん、思いっきりやられちゃってるね」
エルは、車のタイヤを見ながらそう言った。
オスカーの車のタイヤ。それは今、4つすべてに穴があけられ、脱ぎたてのシャツみたいにつぶれていた。
(ちなみにこのときの車は、例のスポーツカーではなくて4ドアのものだ)
「誰かに迎えに来てもらおっか」
オスカーは車いっぱいもってます。