第5話『美少女一号・二号』
強い光に眼球を攻撃され、メイは目を覚ました。
光を拒んで、腕で目を守る。しかし、その殺人的な日光は腕一本では防ぎきれない。
メイは自分の身体にかぶさった布団を顔の上まで手繰り寄せて、日光を完全に遮ることに成功した。
蒼井メイは、朝にめっぽう弱かった。
「おはようございます」
そばで女の子の声がした。
鈴を鳴らしたような、綺麗で細い声だった。
「えっ、絶対かわいい……!!」
思わずメイは飛び起きる。
繰り返すが、メイは朝にめっぽう弱い。
しかしながら、かわいらしいその声に、メイは期待せざるを得なかった。
ここへきて出会う、美少女第一号に。
「おはようございます、メイ様。現時刻は7時28分です」
飛び起きて、声の方向を見て、メイは、失神するような衝撃に襲われた。
「――か、可愛い……、可愛すぎる……!!」
立っていたのは、メイよりもう少し背の低い美少女だった。線の細い、スレンダーな身体は幼い印象を与えた。
背が低く、細く弱々しい印象を与えながらも、その体のバランスは、上半身よりも下半身が長い。そこになんだか欲張りな感じを覚えながらも、それすら可愛く感じた。
メイド服を着ていた。メイド服というのは、おそらくこの少女のために考案され、この少女のためにデザインされたのだろう。そうに違いない。
陶器のように一遍に白く肌荒れやほくろのひとつもない肌。
小さくぷりっとした唇、細く先の丸い鼻は子猫を連想させられる。
髪はアルビノのように真っ白で、ボブカットに切られていた。
目は大空のような広大な青で、ぱっちりとした二重は、しかし、年頃のかわいらしい少女というより、機械的な不気味さがあった。
「可愛い……」
メイは少女を舐めまわすように観察して、こぼす。
これからここで働くということは、必然、この子が先輩になるのだ。外見だけの情報では、メイより幾つか年下に見える。
「流行りのマニュアル女子か……?」
「…………」
少女の無表情がメイを刺す。ジト目してくれたら、可愛いだろうに。
「あ、お、おはようございます」
「おはようございます。私はネアン。苗字はありません」
「あ、……私は蒼井メイです」
「存じています。今日は私が仕事の説明をするように指示されています」
少女、ネアンはメイのベッドの足元の向こうに立っていた。直立不動。
さっきから表情が一切動かない。
「分かりました、ありがとうございます」
「控室まで案内します。ついてきてください」
ネアンは言って、踵を返して部屋の外へと出て行った。
メイは重い腰を引きずってベッドから這い出る。
――そういえば、昨日から着替えていないし、シャワーも浴びてない、もう朝ってことは結構臭うかも……。……ん?
「あ、あの、ネアンさんっ」
メイは部屋の扉を開け、廊下で待機するネアンのところまで到達し、声をかける。
「……?」
「いま、何時って言いました?」
「現時刻は7時29分です」
――んん?
――たしか、寝る前は……夜、眠る前にこの世界にきて、武装集団から命からがら逃げてきて、疲れてトラックの荷台で眠って、それで、屋敷に着く頃には早朝で……。ということは、あれから数時間しか経っていないのだろうか。
「私って、どれくらい眠っていたんでしょうか?」
恐る恐るといった様子で、ネアンに問う。
「メイ様が屋敷に来られたのが昨日の朝4時すぎだったので、27時間ほどでしょうか」
「……?」
あれから27時間? この世界に来た直後、夕日が落ちるのを見た記憶がある。いったい、どれほどトラックの荷台で眠っていたのだろうか。それに加えて、この屋敷でさらに27時間も眠ったというのだ。
メイはいったいどれだけ疲れていたのだ。
自分で自分の身体が怖くなった。
メイはそれから簡単に仕事の説明を受けた。
とは言っても、今のところメイに任されるのは、使用していない宿泊用個室の掃除と、食事の際の配膳だけだ。
早番、中番、遅番に分かれる班の内、メイは早番だ。仕事は木曜日、土曜日、日曜日が休日。(実際にこの国には「木曜日」「土曜日」「日曜日」という言葉はないのだが、等しい概念があるためこう記す)
「こんな大きいお屋敷、こんな少ない人数で足りるんですか?」
女性使用人の控え室までの道のりで、手早く説明を受けたメイは、ネアンに問う。
実際の使用人の数の相場が分からないが、フィクションで見る富豪の使用人は、何十人もいるイメージがあった。それに、屋敷内を掃除するだけでも何日もかかりそうな豪邸である。
男女併せて使用人は15人、それが週に3回の休日をもらって、担当時間によって3班に分かれたら、と思うと少人数でこの屋敷の使用人を務めることになる。
「……? もっと少ない人もいます。ここも決して多くはありませんが、4人だけ雇って無休で働かせる人もいます。一般的なほうかと」
そうなのか、とメイは素直に思った。中世のような雰囲気はこの世界から感じないし、富豪が使用人を連れているだけでも珍しいのかもしれない。
「それはないですね。奴隷制が廃止になってしばらく経ちますが、行き場を失った奴隷はみんな、結局同じような仕事に就きました。この国の富豪はみんな使用人を連れています。多いところは100人もいるそうです」
「へぇ、そうなんですね。じゃあこの屋敷は労働環境が良いほうなのかな」
「おそらく。基本的にひとつのシフトに4か5人で対応しますが、シェフと庭師は別にいるので、あまり仕事はありません。ここは怠慢な使用人が多い」
1階まで下ると、右側の渡り廊下へと進む。
「パテルは怒らないんですか?」
「使用人を志望したメイ様に敬語の不使用を許可していることからも分かる通り、パテル様は寛大はお方です。この国では珍しく他種族の使用人を雇うのもそうですが、あのお方は友達が欲しいだけだそうです」
パテルはむしろ、自分のプライベートスペースを大切にしているらしい。
執事長が彼の側近としていつも一緒にいるが、その他の使用人がどれだけ怠けていても、屋敷が荒れていないうちはどうでもいいそうだ。使用人は掃除さえしてくれればいいのだとか。
「ただし、調子に乗ってサボりすぎないほうが良いです。メイド長に叱られます」
対して、メイド長は厳格な人なのだとか。
屋外に飛び出した渡り廊下から、例の美麗な中庭が見られた。
左手に中庭を楽しみながら、渡り廊下を進むと、A館と同じく大きな棟に到着した。ここがD館である。(俯瞰図で見た時に、時計回りに南からA、B、C、Dとなっている)
D館はA館のように二又に分かれるような構造にはなっていないため、比較的部屋の場所を覚えやすい。
2階へ上がると、大きな部屋が2つ、そして便所がある。この2階が男性使用人の控え室、3階が女性使用人の控え室だそうだ。
「それにしても、部屋の使い方が贅沢ですよね」
大きな土地を持っているからこそかもしれないが、土地の使い方がずいぶんと贅沢だ。
持て余しているとも取れる。
「使用人たちのほとんどがこの屋敷に住んでいるので、部屋のほとんどが使用人のためのものになってます」
「それはよくあることなんですか?」
「……いえ」
豪邸というより、大人数のシェアハウスのように思えてきた。
全棟の中で、C館が一番大きいらしい。パテルもA館の書斎か、C館にしかいないそうだ。
メイとネアンは、2階の男性使用人用の控え室をスルーして、D館の3階まで階段を上がる。
階段から見て、手前がメイク等をするところ(要は楽屋みたいなもの)で、奥がロッカールームらしい。
メイドがメイクするための部屋を用意しているのも、個室があるのにロッカールームが用意されているのも、やはりスペースの扱いが贅沢に思えた。
「ロッカールームに、給仕服を用意しています」
ネアンにそう言って案内され、メイは彼女と共にロッカールームに入室した。
「あーっ!」
入室してすぐに、ふんわりとした声に迎えられた。
マシュマロが喋れたら、おそらくこんな声で喋るのだろう。
柔らかい声色で、低い声だが、女の子らしい。
「メイちゃん? メイちゃんやんね?」
身長はメイより低く、ネアンより高い。黒髪の美少女だ。ほんのり紫色が入った髪色が独特で、毛量が多くふんわりとした癖毛。
どうやら着替えの途中だったようで、胸をはだけさせており、黒の下着が露出していた。
胸は大きい。臀部も大きかったが、メイド服のスカートから伸びる脚は細く、くびれもある。
――男が一番好きなやつだ……!
贅沢というか我儘というか、そんな体つきだ。
対して、口はきゅっとして幼さがあり、目は眠たげだ。
その少女が扉の側に立つメイの目の前まで駆け寄ってくる。
「かわいいねぇ~。うち、イザベル。ベルって呼んで? 今日しかシフト被ってないけどよろしゅうね~」
イザベルはメイのすぐ目の前まで寄って、覗き込むような上目遣いで挨拶をした。
「さ、ちゃちゃっと着替えりん」
そう言ってイザベルはロッカーの前まで戻っていき、メイド服を纏った。
色んな方言や訛りが混ざった話し方をしていた。後に聞くと、幼少期に様々な土地を回った経験からこういった口調になったそうだ。
メイは紹介されたロッカーに入れられた、ピカピカのメイド服を確認する。これから自分がこれを着るのか、と考えるととたんに恥ずかしくなってきた。
分かっている、メイド服は本来恥ずかしいものではない。しかし、俗世に触れてしまったメイにはオタク文化におけるメイド服の扱いを知っている。
大丈夫、可愛い服を着られるだけだ。そう己に言い聞かせた。
さて、気持ちを固めて、スウェットの上を脱いで、ズボンに手をかけた。……と、ズボンのポケットに慣れない感触があるのに気が付いた。
ポケットの中の異物を取り出す。
思わず首を傾げる。
それは純白の洋封筒だった。金のインクで描かれたなめらかな線が、封筒の端をぐるりを回っている。
上質な紙で作られており、手触りのそこらの封筒とはまったく違った。
それは、この世界に来る前日の朝に、自宅のポストから見つけたものだった。
しかし、それはおかしい。この封筒はメイの部屋に置いてきたはずだった。開ける気にも、処分する気にもなれず、自室に放っておいたはずなのだ。それなのに、何故――、
「わっ!?」
背後からの急襲に悲鳴を上げる。
「メイちゃん、おっぱい大きいな~」
下着のみになった胸を、イザベルに鷲摑みにされていた。
「わ、えっ、ちょっ、あっ……、」
攻撃は一度では終わらない。背後からメイに抱き着いたイザベルは容赦なくメイの胸を揉みしだいた。
イザベルはメイの胸の感触を存分に楽しんで、「んふふふ」と笑った。そこにはセクハラ的で、性的な匂いはなくて、猫がじゃれてくるような感じがあった。
が、メイはそうではない。
「やわけ~」
――っていうか、ベルのほうが大きいし柔らかいんだけどね!!
ニーチェ著『善悪の彼岸』より、「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」。
怪物と戦うときには己が怪物とならぬよう用心するのと同様、己が怪物だと気付いた時、目の前の敵もまた怪物である可能性を考慮するべきなのだ。
第三者から見たら現在、メイは、イザベルによる新人へのセクハラの被害者として映っているだろう。
しかし、実際にはメイはこの状況を苦とは思っていない。自分を被害者だとは思えなかった。
メイの背中には、2つのマシュマロのような柔らかい感触が当たっていた。
よりその柔らかさを実感するほど、より幸福度が増す。
勝ったのは、メイだ。この状況をより堪能しているのは、むしろメイの方であった。
「ねえ、昨日からお風呂入ってないでしょぉ?」
ふと、イザベルが言った。
「え?」
図星だ。
「く、臭いですか……?」
「んー、……ていうか、シャワーあるから浴びてきな」
メイは大人しく、控え室と同じ階にあったシャワー・ルームで体を洗った。
久々に浴びるシャワーは最高だった。
あんな可愛い女の子に臭いと思われたのは、最低だった。
シャワーを浴びてすっきりしたら、今度は仕事の時間だ。
メイは今度こそメイド服に着替えると、ロッカールームを出て、廊下を見回した。
誰もいない。ネアンも、イザベラも。
メイが勤務初日からのんびりとしすぎたのだろう。自己責任だ。みんなはもう働かなくてはいけない時間に違いない。
仕方ないのでメイはひとりで廊下に出て、すぐ隣の控え室へと入室した。
控え室の様子は、まさにモデルの楽屋のイメージだった。
奥行きがあって広々としており、壁からは細長い机が出ている。いくつも椅子が並び、それに対応した鏡が壁に設置され、映画でしか見たことがない大きな電球が鏡の両サイドに備えられている。
その椅子のひとつに、イザベルが座っていた。座って、スマートフォンらしきものをいじっている。
「あ! 着替えたん?」
扉から顔を覗かせたメイに気付くと、イザベルはこちらを見て、にっこりと笑った。
「は、はい! すいません、遅くなってしまって……」
「んや、ぜんぜん」
イザベルはそう言って、メイに「おいで!」と手招きをした。
メイは従順に、彼女のもとまで歩み寄る。
「よく似合ってる! かわいいね~」
イザベルはそう言って、満足そうにメイのことを観察する。
ずっとニコニコしていて可愛い。
「んだらば、うちらも働くかいね」
そう言ってイザベルは立ち上がる。
紫色がかった、癖毛の黒髪はふんわりと浮く。肩の下まで伸びている。
先ほどはメイに向かって「胸が大きい」と評していたが、メイなんかよりも彼女のほうが何倍も立派な胸を誇っている。くびれが細い。完璧なボンキュッボンで、メイド服のスカートから伸びる脚は細くすらっとしている。彼女もまた、メイド服がよく似合っていた。
イザベラに続いて、メイは箒と塵取りを手に持って、またA館の方へと戻った。
「あの、ネアンさんは?」
A館の3階から、廊下と個室を順番に掃除していく。
「ネアン? あの子は掃除以外のことしてんちゃう? パテル様や子どもたちのお世話も誰かがしなくちゃいけんからね」
今日は火曜日。火曜日の早番はイザベラ、ネアン、メイ、そして男性使用人がもう2人いるらしい。ネアンと男性使用人は主人の近辺の世話をしているようだ。
掃除以外は必要ないとは聞いていたが、それでも雇っている以上世話をさせるのだろう。それでも怠惰で、サボる人が多いとのことだ。
「なして? あの子のこと、気になるん?」
「んー、ええ、まあ?」
メイはどこかで彼女のことを気にしていたのだろうか?
たんに今朝会ったばかりで、かつ初めて出会った先輩が気になっているだけだと思うが。
「ネアン、可愛いよねぇ」
イザベルは廊下の隅に集めた埃を塵取りに追い詰めながら、そう言って、「んふふ」と笑った。
「可愛いですよね!」
メイはそれを眺めながら、同調した。
「終わったら会いに行けばええやん」
メイがネアンのことを気にするのは、彼女のマニュアル少女っぷりというか、人間らしくない部分が無視できないレベルだったからかもしれない。
もう少し話してみたい。
イザベルの言う通り、仕事が終わったら会いに行こうと思った。