第4話『これからの話』
案内された部屋で、白髪の男が、死んでいた。
所はメイを匿ってくれるという大富豪、リーベルタース氏の屋敷。
メイド長であるロッサに案内され、メイを護衛してくれたオスカーと共に入室した部屋で、男が死んでいた。
おそらく仕事用に使うのであろう、書類が山積みになった机について、痩身・長身、白髪で白い口ひげを蓄えた男が死んでいた。
否、実際に死んでいるのかは分からない。
実は眠っているだけなのかもしれない。
しかし、素人のメイからして、この距離から観察する限り、彼は死んでいるように見えた。
「見るな」
すぐ後ろから声がして、メイは2歩ほど後ずさった。
そのすぐ脇を、オスカーが通り抜ける。
オスカーは単身、リーベルタース氏の部屋に入り込み、部屋の扉はメイを閉め出した。
メイの目と鼻の先で閉ざされた扉。その向こうで、ガラスがぶつかる音が何度か聞こえた。
メイは現状が上手く理解できないでいた。
夜中に突如、見知らぬ国に転移させられ、見知らぬ者らに命を狙われ、見知らぬ人たちに救われ、見知らぬ館に招かれ、見知らぬ男が死んでいる。
メイはここに来て、徐々に自信の置かれた状況の不可解さを把握し始め、とたんに不安になっていた。
自分はこれから、どうなってしまうのだろうか。
やがて、再び扉が開かれた。
顔を出したのはオスカー。
「もう大丈夫です。寝ていただけでした」
メイはオスカーの言葉を聞き、眉を寄せた。
少なくともメイには、男が眠っていただけのようには見えなかったからだ。
しかし、仮に死んでいたとして、どうしてオスカーが「眠っていただけ」などという嘘を吐く必要があるのかは分からなかった。
オスカーに招かれ、恐る恐る部屋の中へと入ると、実際に白髪の男は平気な顔で座っていた。
男はメイを見て、にっこりと微笑む。
「きみが例の?」
「蒼井メイです。はじめまして」
メイは名乗って、小さくお辞儀をした。
男は革張りのいかにも高級そうな椅子から立ち上がり、メイに向かって同じようにお辞儀する。
「はじめまして。パテル・リーベルタースといいます。この屋敷の主です。……私には、立派すぎますが」
パテルと名乗った男は、そう言ってまた微笑んだ。
背が高く、不健康に見えるほど瘦せ細っている。長めの白髪をセンター分けにしている。同じく白い口髭があり、目の下にはくっきりと隈が入っていた。
「さ、座ってください」
パテルは接客用の背の低いテーブルを手で示す。言われた通りに、メイはその席に着いた。
オスカーは座らず、部屋をぐるぐる歩きながら、テーブルや書架に順番に触れて回っていた。
「何か飲みますか?」
パテル・リーベルタースは、メイと対面になる席に着くと、そう切り出した。彼はテーブルの上から持ってきた赤ワインのグラスを持っていた
「いえ、大丈夫です」
「そうですか。……さて、まだ混乱しているでしょう?」
メイは頷いた。ここまで来て、自分がどんな状況に置かれているのか、誰も説明してくれないのだ。
「ええ、ですよね、当然です。しかし、こちらとしても緊急事態で、説明は後回しにするしかなかった」
家の玄関から気づいたらこの国に転移していて、そのまま成り行きでこの屋敷まで辿り着いた。オスカーたちはメイを守ってくれたし、混乱はしていたが、周囲の説明不足を責めるつもりにはならなかった。
「私が分かることをすべてお答えします。これからの話はその後、現状を理解した後にしましょう」
「分かりました。えっと、とりあえず、助けてくれたみたいで、ありがとうございます」
「その言葉は、オスカーに」
パテルは言って、部屋を歩き回るオスカーを見やった。
「俺は与えられた仕事をしただけです」
オスカーは答えると、部屋を歩き回るのをやめてパテルの隣に座りこんだ。
距離感や雰囲気から察するに、パテルとオスカーは以前から見知った仲なのだろう。……というか、オスカーもリーベルタースの姓を名乗っていたのだから、親子だろう。
「あ、それで……、とりあえず、私の方が年下でしょうし、敬語はやめましょう」
メイは言った。敬語の文化は嫌いではないが、敬語のままでは何となく距離が遠いままで、仲良くなれないような気がするのだ。
目の前の二人の素性も分からないし、仲良くする必要があるのかと言われればそうかもしれないが、知り合った人間とはとりあえず仲良くしておきたい。
むやみに恨みを買えば不幸になるように、むやみに仲良くしておけば幸運になると信じている。
「うん、そうしよう」
パテルが微笑んだ。声はオスカーに比べてまた一段、二段と低く、渋みがあるが、優しい声色だ。
メイはオスカ-のほうを見る。
「分かった」
オスカーも続いた。ため口になると、とたんに冷たい印象になる声質だ。
「どうせなら、メイも敬語使うのはやめにしよう」
パテルが言って、メイが頷いた。
「それで、質問とかはあるか?」
「じゃあ、まず、場所から。ここはどこなの?」
この国がどこなのかが最も基本的な疑問だ。
「ここはシェアト王国。国王シェアトが統治する君主制国家だ」
――え?
本来ならば納得のいくような説明だったはずだが、そうはいかなかった。
原因は分かっている。それは、『シェアト王国』などという国は、メイの知っている世界にはなかったからだ。
――薄々勘付いてたけど、やっぱり『元の世界』とは別世界ってことか……。
どうやら流行っているアレコレに巻き込まれてしまったようだった。
「この屋敷は私の屋敷。他にもいくつか別の屋敷を持ってる。……これで大丈夫かな? 大丈夫か?」
メイが現状に打ちひしがれた絶望的な表情をしているのを見て、パテルが顔を覗き込むようにして問うた。
「だ、だい、じょうぶ、です……」
メイがそう答えてもなお、パテルは不安そうな顔でメイを見ていた。
メイの心情は、それこそ絶望的だった。
「他国」ならまだしも、「別世界」となると、とたんに帰るのが困難になるのが定石だ。
早く帰らないと、メイの両親はすでにメイの捜索願を出しているかもしれない。あの二人ならば、メイが返ってくるまではまともに日常生活も送れないだろう。己が身でメイを探すに違いない。
パテルが、ふ、と微笑む。
「そう。ここは君が元居た世界とは、別の世界だ」
メイは絶望的な表情から一転、眉を寄せた。
こういうパターンで、現地の人間が別世界の存在を認知している場合があるのか、と。
「それじゃあ、元居た場所に帰る方法も……」
メイはつい、鼻息を荒げていた。
しかし、パテルの返答は期待通りとは言えなかった。
「残念だが、それは分からない。『転移者』自体が珍しい現象だからな、研究も進んでいない」
「ああ……、」
メイは失望した。パテルにではない。現状にだ。
すでにホームシックになっていた。
「それで、なんだ」
「ん?」
「それで、君をここで匿うことにしたのさ」
パテルは言う。
「君が狙われている理由は分からない。転移者を珍しがって、体を欲しがる輩もいるらしい」
「…………」
「…………」
少しの間、沈黙が流れた。
メイの命が、狙われている。そういう現実があったのだ。それを突きつけられた気分だった。
この世界に来てすぐに戦闘に巻き込まれたと思っていた。それはあまりにも都合の良い解釈だった。メイの肉体を狙う何者か(そんな奴らがいることが信じがたいが)から、オスカーたちが助けてくれた、という筋書きのほうが、納得がいくかもしれない。
そうなると、オスカー達も、転移者の肉体を狙う者らも、メイの転移の座標と時間を把握していたということになるが……。
「そもそも、あなたたちは……?」
メイが口を開く。根本的な疑問だった。この人たちを信頼しても大丈夫なのか。
「ほかの奴らから聞いていないか? 我々はPMCだよ。小さな会社だ」
その答えでは、信頼できる根拠とはなり得ない。
「信用できないのは当然だ。だが、君がここにきたのは我々の責任ではない。屋敷での保護は、我々の精一杯だと思ってくれ」
メイは食い下がるしかなかった。
帰れないというのなら、頼れるのはパテルたちしかいないのだ。
「分かりました」
「分かってもらえてなによりだ」
「でも、なら、私をここで働かせてください」
メイは提案した。
ここにメイの責任はないが、厚意で保護してくれるという人間の家に、なにもせず居候するのは、なんだか申し訳なかった。
「……んー、まあ、そうか。分かった」
パテルは、天井を見上げ、少し考える素振りを見せたが、やがてメイの意思を察し、首を縦に振った。
「しかし、恩を売るつもりはない。給料はしっかり出させてもらう」
そこが、ふたりの妥協点となった。
****
要らないといったはずだったが、結局、メイの手には温かいコーヒーがあった。
舞い戻ったロッサが持ってきたものだ。ロッサはメイとオスカーにコーヒーを渡すと、またそそくさと帰ってしまった。
パテルは相変わらず赤ワインを飲んでいた。
「それじゃあ、これからの話だ」
ロッサが部屋から出ると、パテルは座りなおして、メイに向かってそう切り出した。
オスカーは「やっとか」とでも言いたげに小さな溜め息を吐いた。
「メイ、君には学校に行ってもらおうと思ってる」
「…………」
「…………」
「……うぇ?」
「学校に行ってもらう」
メイは困惑した。学校? この状況で? この世界で?
別に真意があるような気がした。
メイにとって学校というのは、将来のために行くところだ。最低限の教養を身につけ、最低限の学歴を得て、社会的信頼を得るために通うところだ。
その将来をこの世界で過ごすつもりはない。
学校に通うメリットを、ここで享受するつもりもない。
「なんで?」
「屋敷内で済むなら、ロッサにでも勉強を教えさせればいいとは思っていたんだが、そういうわけにもいかない都合があるのでね。……大丈夫。通ってもらう学校は、校長と古くからの友人でね。もう話は通してあるし、受験勉強とかってこともしなくて済む」
パテルはまくし立てるように、メイを学校に行かせる理由を述べた。
「え、いや、なんで? どうして私がこの国の学校に行かなくちゃいけないの?」
メイは困惑して、問う。
「最低限、この世界について理解するのは重要だろう? いつ帰られるかも分からないんだ。それに学園なら安全だ。勉強は嫌いか?」
メイは少し考えてみることにした。
「もちろん、強制はしないが……、できるなら入ってくれた方がいい。推奨する」
パテルの言う通りかもしれない。しかし、こんなに身を任せて信頼してしまってもよいのだろうか。……否、ここに居候するならば、今更そんなことを言い始めてももう遅い。
警戒することと、拒絶することは別だ。
自分にとって、あくまで自分の視点に立った時に、より「利益」が大きいほうを選択するべきだ。
今回の場合、それはどちらか。
メイは現在、何者かに『転移者』としても肉体を狙われている。
学校は安全だろうか。パテルの言葉ではそうなのだろうが、それを信用するべきではない。
根本的に、パテルが信用できるかを判別するためにも、「この世界の教育」を受け、かつより多くの人間と触れ合える環境は――「利益」と言える。
「分かった。じゃあ行く」
メイがそう答えると、パテルの表情がふわりと和らぐ。
「話が早くて助かるよ。私たちはメイを苦しめたいわけじゃない、本当に、助けたいだけなんだ。少しずつでもそれが伝わると嬉しい」
「学園には俺も行く。万が一の時も俺が護衛できる」
オスカーが言った。
メイは二人の発言に、コクコクと頷いた。
「よし」
話に一段落つくと、パテルは立ち上がった。
「それじゃオスカー、部屋に案内してあげてくれ」
オスカーはそれを聞くと、やはり立ち上がり、顎で「立て」という合図をした。それに従ってメイも立ち上がる。
ふたり揃って部屋を退出した。
また長い廊下に立った。
「聞いたかもしれないが、」
オスカーは歩きながら、この屋敷の構造を説明した。
この館はみんなには「A館」と通称されており、客や使用人が宿泊する館になっている。エントランスの階段を右に上がっても、左に上がっても、似た構造になっている。
左に2階上がると家主の書斎(先ほどの部屋)、右に上がると2階が客間、3階が個室となっている。1階がエントランス、2階が左手に宿泊用の個室、右手に客間、3階が左手に書斎、右手にまた個室。こういった構造になっている。
ちなみに、エントランス左手が西、右手が東だそうだ。
それらすべてが廊下と階段で繋がれているため、ロッサは「循環するような構造」と表現したのだ。
また、客間は1階にもある。しかし客間に入らず1階廊下を進むと、他の館への渡り廊下に繋がる。あえて一番表にはない、他の館に宴会場などを設置することで、中庭などを来客に紹介するという目的がある構造とのことだ。
他の館は大きいものが「B館」、「C館」、「D館」と通称されている。
「そっちの説明は後回しだ。すぐ行くことになるだろうけどな」
エントランスを横切って、表玄関から向かって右手の階段を3階まで上がったところで、オスカーは話をそう区切った。
「っていうか、ここエレベーターないの? 階段、しんどいんだけど」
こんな大きな屋敷で、こんなにたくさん階段を昇り降りさせられると、一日で筋肉痛になってしまう。一週間も経てば疲労骨折待ったなしだ。
「なんだ、それは? どこの技術の話か知らないが、最新技術ならここにはないぞ。この屋敷建てた奴は古典趣味だったそうだ」
オスカーは言って、宿泊用だと説明された個室の一つの扉に手をかけた。
――と、
「あれ?」
メイたちが今歩いてきた廊下、背後から、声がした。
オスカーが扉を開くのをやめ、振り返る。メイも同様に声の方向を見た。
「ルグレ……」
声の主を見たオスカーが、その名を呟く。
そこにいたのは、少年だった。まだうら若い少年だ。
少年は何やら、にやにやしながらこちらに近づいてくる。
すらりとした線の細い体で、身長は170センチ代後半ほどだろうか。180センチあるかもしれないが、オスカーより少し身長が低い。目の下まで伸びた青い前髪を、邪魔そうにかきあげている。側頭部から後頭部を刈り上げており、根本が伸びてプリン状態になっていた。
綺麗なミルク色の肌で、筆で描いたような綺麗な眉、その下の眼は虹彩が黄色で三白眼、とんでもなく目つきが悪い。その間から形の良い鼻が伸び、口は意地悪く口角を上げていた。しかしそのどれもに、どこか幼さが残っていた。
オスカーほど彫刻然としていないが、西洋人顔の美形だった。どこか20代の頃の某ディカプリオに似ている。
上下ともに灰色のスウェットを着ている。その装いから、ここに住んでいる人間だと分かった。が、使用人だとは思えない。
「オスカー、お前……、ははっ」
少年が意地悪く、しかしどこか色っぽい声で話し始めた。
「こんな早朝に、何してるんだ?」
「お前、やっとその気になったのか?」
少年はついにメイたちのすぐそばまで歩いて近づき、オスカーの顔を覗き込むようにして、にやりと笑った。
――な、なんか、あらぬ誤解されてるっぽいな。
「珍しいな、家にいるのか」
オスカーはそう言って少年を睨んだ。
なんだか険悪なムードが感じ取れた。このふたり、全然、会話をかみ合わせるつもりがない。
「いいだろ、別に。俺の家だぜ」
俺の家……? この少年はパテルの息子なのだろうか?
富豪の息子、ドラ息子……なんとなく(失礼だが)、少年の印象と一致するような気がする。
「ああ、だから毎晩帰って来いと言っているんだ。ここはお前の家だ」
オスカーは言って、話はここまでだと言わんばかりに、個室の扉を開けた。
少年の口角からにやつきが消え、目尻にイラつきを交え、舌打ちをした。彼もまた、会話を終わらせたかったようで、またエントランスの方へと去った。
「メイにはしばらくこの部屋に泊まってもらう」
そう言ってオスカーは部屋の中へとメイを手招きした。
ここまでずっと想定外の規模を見せつけられ続けていたので、もう慣れたものだった。メイに与えられた部屋も、やはり想定以上には大きかった。そこらの見知ったホテルよりは断然大きかった。
部屋に入ってすぐに、大きな照明と、3人は眠れる大きなベッド、机とタンスが目に入った。
メイが部屋の中まで入っていくが、オスカーは扉の側から中には入ってこなかった。
「それじゃあ、俺も寝るか。この近くには誰も寝てないから、今日は俺が隣の部屋で眠る。なんかあったら呼べ」
オスカーはそう言って、扉を閉じて出て行った。オスカーは、一見無骨な話し方をするが、どこか優しさを感じた。暗いだけで、根は優しいのだろう。
メイがひとり、部屋に残された。
上がる段数が少ないということで、基本的にはエントランス左手から宿泊するそうだ。
しかし、今は客人が使ったまま片づけてない部屋があり、他は使用人が使っているということで、メイは3階まで上がる羽目になったのだ。
――とりあえず、何も考えず寝よう。
メイは自分が部屋着でここまで生き抜いたことに気付いて、己の生存力の高さに笑ってしまう。もう何年もこの服を着ているような気分だ。長い夜だった(もう早朝だけど)。
ベッドに倒れこんで、目を閉じた。
夜中に街から逃げてきて、トラックで眠って、今は早朝なわけだが、眠れるだろうか。
否、しかし、オスカーもガイルもケニーも、夜通しメイを守ってくれたわけだ。起きたら彼らに感謝の言葉を伝えよう。ここで自分が眠る必要はないが、とりあえず彼らに合わせて眠ろう。
なんだか疲れているような気もした。
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